六十七節 反転攻勢1
Side 一条 光
最後の喜哉の住民が我々に頭を下げながらゲートに入り込んだ。
その人がこの喜哉の代理人……事実上の最高責任者と聞いて、本当に春の国は上の人間がしっかりしていると感じさせられた。
「良い、国ですね」
思わず呟いた言葉に、隣で立っていた朝比奈 清澄はニコリと笑う。
「そうでもないのですよ……腐っている部分は腐っています。」
そう言いつつ、彼が見たのは伝令魔法で飛んできた手紙。
その腐っている部分を全部切り取ろうとしたあの豪胆な王女さまが起こした一世一代の博打。
私たちは、どうやら踊らされていたらしい。
「ところで、昌澄は無事でしょうかね?」
無事なのを信じ切って私に聞いてくるあたり、この男は性格が悪いと思う。
いや、正しく言うなら策士……少しだけ、自分の従兄に似ていると思う。
まあ、こっちの方が数倍、紳士的ではあるが。
「澪がいるなら、無事だと思いますよ。何せ、澪は並大抵の剣士だと巻き添えを食らわせるぐらいの剣士ですからね」
そう言いながら、ゲートを見た。
ゲートの色が変わった。
「逆流しましたね、魔力が」
私の言葉に清澄さんは笑ったまま頷いた。
「ええ、来ますね。」
そう言いながら彼が見た先は黄色い結界の貼られた場所。
今、この時間にも、その中で戦闘音が響いている。
彼は本当ならば走って弟君を助けに行きたいだろう。
私だって弟たちが同じ状況だったら速攻で走っていく。
でも彼がそれをしないのは、ゲートが確実につながったか分からないからだ。
繋ぎ違えた場合、外から膨大な魔力で道を作らないとならない。
その芸当が出来そうな膨大な魔力持ちは、多分彼ぐらいだろう。
「一つ、言わねばならないことがあるのですが」
急にこちらを見た彼がニコリと笑いながら私を見た。
「なんでしょうか?」
そう答えた瞬間、彼は私の髪を一房、手に取った。
染色魔法の応用で、金髪に見える私の髪。
ただ、触れられた感覚は自分の髪そのままだった。
「昌澄と一緒の『黒髪の軍人』は『一条 光』と思われる、と報告しました」
「なるほど、つまりは『一条 光』は巻き込まれて、『昆明殿下』と『朝比奈副団長』と共に、『蝕毒』と交戦中という事ですね?」
ニコリと笑えば、彼もニコリと笑う。
「ええ、ここに居るのは『第二騎士団の女騎士』ということになっております」
そう言いながら、何故か彼は私との距離を縮めた。
普段、この距離に異性が来ることはほとんどないので、半歩ほど引きそうになった瞬間、彼は私の髪に唇を落とした。
「どういう、おつもりで?」
あまりに手慣れた行動に、思わず目を丸くしてしまった。
「ふふっ、口説いているように見えた方が、秘密の話をしているとは思われないでしょう?」
正論ではあるが、彼の目から浴びせられる視線が、妙にくすぐったい。
舐めまわすような気持ち悪さのない、こういう視線は慣れない。
そんな人間いないだろう、と言いそうになったところで、明らかに文官らしき人間が彼の行動に目を逸らした。
「綺麗な髪ですね?」
この男っ!と叫びそうになるの必死で抑え込んでニコリと笑う。
面白がっているのが半分、私から主導権を奪い取りたいのが半分だろう。
というか、私が慌てる顔でも見たかったのだろう、この策士。と内心で毒吐く。
「ええ……皆さんが手入れしてくださるので」
ヒクっと口端が歪みそうになるのを耐えながら笑顔を作り込む。
逆に、彼は楽しそうに笑う。
主導権を握られるのが、こんなにもむず痒いものだとは知らなかった。
スルッと私の髪を指で遊びだすこの人は、どこか楽しそうで、こちらは反応に困る。
あと、背後の騎士二人が見ないふりをするように左右に視線を泳がせるのも、どうかと思う。
片方は恥ずかしそうに耳を赤く染めて右を見て、片方は面白そうに笑いを隠して左を見る。
なんとも、彼は部下も含めて食えない、なんて思わざるを得ない。
「ええ、屋敷の人間が、楽しんでおりましたね」
彼の家に連れて行かれてから使用人たちは面白がって、私の髪を整えていた。なんでも彼の母は髪を全く触らせてくれないらしく、フラストレーションがたまり続けた侍女やメイドたちが、これ幸いと私の髪の手入れを楽しんでいた。
慣れていると言えば慣れているが、熱量が凄い。
なんなら、私の髪は、捕虜になる前よりも艶が出た気がする。
「そろそろ、髪を離してもらえませんか?『朝比奈団長』」
笑いながらそう語尾を強めて言えば、彼はスルッと撫でるに私の髪を遊んでから、手を離した。
後ろの騎士二人がまた何とも言えない顔で私を見てきた。
睨んだつもりはないが、そちらを見た瞬間、ものすごい勢いで目を逸らされる。
「はあ」と呆れながら前を見た。
この男が今は味方で良かったと心の底から思う。
戦場で相見えたら私はこの男に敵う気がしない。
――だが、冬の国に帰れば私に待つのは婚姻。
敵前逃亡で、彼と戦場で相見える日は来ないだろう。
色が鮮やかな虹色のゲート。
魔力の流れが、変わった。
出入口がしっかりと繋ぎ変わったのだと分かった。
ゲートから手が伸びてきた。女の手だ。
手が、白い袖が、小柄な肩が、どんどんと形を表していく。
出てきたのは小柄な白い軍服の女性――瞬木 千歳。
ここ数ヶ月の交流だが、本当に、見かけによらず怖い人だと思う。
まさか、百人近い騎士を、そのままゲートを繋ぎ変えながらこの地に戻ってきたのだから。
隣に立っていた清澄さんが一歩踏み出した。
同時にゲートから出てきたのは、紅茶色の髪と業火の目を持つ男性。
探し求めた妹と同じ色を持つ、『もう一人の従兄殿』だった。
「綾人、第三騎士団は任せました。」
「ああ、そっちも殿下は頼んだ」
「ええ、そちらも捕縛優先で」
清澄さんの言葉と綾人さんは互いに笑いながら、別方向に走り出した。
チラッと見た視界で、灰色の魔法陣を浮かべた千歳さんも転移魔法で消えた。
私も迷わず、清澄さんを追いかけた。
トン、トン、と結界を貼りながら、それを足場にして走る清澄さん。
私が付いてくることを加味しているのか、私が結界を蹴り飛ばし素と同時に、その結界は解けていく。
タンッ、タンッとまるで踊るような華麗さで空を駆け抜けていく清澄さんは一度振り返った。
「やっぱり付いて来ていますね?」
「『一条 光』が交戦中と言っておいて、私が付いて行かないとでも?」
私の答えにニヤリと笑う彼は、やはり性格が悪い――。
というよりも、策士だろう。
「そうですね。では、昆明の結界は一つ穴があります」
「穴?」
「ええ、アレはかなり高い位置まで展開できますが、天井方向に結界を貼れません」
清澄さんの言葉に、そう言えば春の国の王都で『蝕毒』と交戦した時も、天井に結界は無かった。
「そう言えば、前の時も無かったですね」
「ええ、昆明は魔力を膨大に持つ魔力過多体質です。なので、天井に結界を貼るという繊細なコントロールを得意としません」
「ああ、確かに、苦手そうですね」
「ええ、ですから、結界の壁を高くすることで、それを補正しています」
「なるほど……つまりは上から行けばいいという事ですね?」
「そう言う事です」
タンッ、タンッ、タンッと宙を駆けあがり、黄色い結界の姿を目に捕らえた。
結界の天井から二割ほど下がった場所に見えるのは大型の『蝕毒』。
その大きさは5~6mほどと、かなりの大きさだ。
チラリと見た先。
昆明さんの結界魔法と、
昌澄さんの回復魔法が展開される中で、
『蝕毒』から鞭のようにしなる触手を無数に捌き、切りつける黒い軍服の女。
黒い髪で、何にも染まらない黒を身にまとう女。
紫水晶の瞳が捉えているのは『蝕毒』。
「澪。」
思わず呟いた。
結界で作られた階段を駆け上がり、一瞬の暴風が過ぎ去った。
戦場に飛び込んだ瞬間、風が止んだ。
濃密な魔力が混ざり合ったような空気を感じながら、私は戦場へ降り立つ。
結界の中は無風で、降りていく位置に見えた彼女の口が綺麗に歪んだ。
このまま風がないなら、降りるのは『蝕毒』の脳天。
「いいタイミングと場所じゃん、光」
その瞬間、彼女は走り出した。
『ギョアアアアア!』
奇声と共に振り下ろされた触手が地面にめり込む。
瓦礫に埋もれる巨体を避け、そのまま触手を駆けのぼって脳天まで走ってくる。
「清澄さん、巻き込まれる間に、昌澄さんと昆明さんの所へ」
それだけ言って、清澄さんの結界から飛び降り、振り回される触手を空中で切り落としながら、脳天へと足を着けた。
あえて、コイツの頭の上に来た。
ほぼ同時に澪もこの場に来た。
澪と背中合わせで触手を次から次へと切っていく。
思わず、口端が吊り上がる。
澪が前線から退いて一年。
でも、彼女が腕を落としていないことがこれほど嬉しいとは思わなかった。
「少し見ない間に不良になっちゃって!その髪どうしたのよ!ついでに驚くほど白が似合わないわね!」
「どっかの誰かさんが黒の軍服で暴れまわるせいで、私が狂戦士扱いよ!」
「あ、つまりはここでやらかしたのは光の所為になるわけね!」
「不本意だけど、そういうこと!」
そう言いながらも、
黒を纏うが故に何にも染まらない澪と、
白を纏うが故に赤く染まっていく私。
触手の数は確実に数を減らしている。
「一つ問題があるんだよね!」
「何!?」
「コイツ、瀕死になると分裂して、分裂したのを倒すとコイツが回復する」
「はっ?超再生型?」
「スライムもびっくりの生命力よ!」
切っても、切っても、新たな触手がまた迫ってくる。
その瞬間、足場となっている『蝕毒』の脳天が揺れた。
ブルブルと肉が震えるような感覚。
澪が咄嗟に私の手頸を掴んで飛ぶ。
降りて振り返った瞬間、あの巨体に見える赤く光る核が目視で確認できた。
瞬間、ピキッと音を立てて、稲妻のような形のヒビが真ん中に走った。
『ギョアアアアア!』
まるで自ら切り落とした身体が痛いと叫ぶように、悲鳴のような奇声が響いた。
丸い赤がパキパキパキッと音を立て続けながら半分に割れた。
そして――赤い光が徐々に二つの円形に変わっていく。
核が――分離した。
「澪、核に攻撃した?」
「いや、全然!あれ、どういう訳か勝手に分離するのよ」
『ギョアアアアア!』
奇声と共に、無数の瓦礫が飛んでくる。
『蝕毒』の内臓のような身体が沸騰したお湯のようにボコボコと肉を揺らす。
見ていて、気持ちの良い光景とはいいがたい。
「何あれ?」
「分かんない!」
「前から言っているけど分析してよ!」
「苦手なの知っているでしょ!私は前線で暴れてナンボなのよ!」
「副師団長でしょ!?」
「元、副師団長!それに、こっちには昌澄いるから大丈夫!」
「何が大丈夫なのよ!この脳筋!」
「煩い、頭でっかち!」
言い合いしながらも互いに飛んでくる瓦礫を切り落として、後に被害が無いように撃ち落とし続けた。
脳筋だ、なんだと言ってはいるが、咄嗟の判断力は間違いなく澪の方が早い。
現に、飛んできた瓦礫の七割は澪が切り落とした。
「お二人とも、喧嘩は後回しにしてください」
急に目の前に割り込むように現れたのは長い、白い外套。
この長さを纏えるのは、春の国で『騎士団長』だけだと知っている。
割り込んできた彼、
春の国・第二騎士団の騎士団長、朝比奈 清澄は私たちの目の前に、三重の結界魔法を展開した。
あまりにあざやかな結界魔法の展開に、思わず笑いが零れた。
昔から私と澪の会話はこんな感じだったけれども、どうやら他から見れば、完全な仲間割れに見えただろう。
「あれ、噂のお兄ちゃん?」
そう言いながら澪は振り返りながら昌澄さんを見た。
「ええ、私の兄上です!」
満面の笑顔の昌澄さんが叫びながら返答すれば、澪はジッと清澄さんを見た。
「兄上のほうが胡散臭いね!なんか兄貴に似ている!」
あながち否定できないのが何とも言えない。
確かに策士具合という意味では否定できない。
澪の言葉に清澄さんは笑みを崩さずに結界を展開していた。
バチンっ!バチンっ!と結界を触手が叩くが、びくともしない。
その結界も触手も見ることなく、振り返った彼は冷え切った目で笑った。
「さて昌澄、解析は終わりましたか?」
硝子のような透明感のある澄んだ色の結界は、バチン、バチンと繰り返される打撃をものともしない。
そして彼は後ろで回復魔法を展開している昌澄さんに声を掛けた。
昌澄さんはニヤッと笑うし、隣の昆明さんはげんなりした顔で疲れていた。
「ええ、兄上。澪さんが時間を稼いでくださいましたので、無事に終わったところです」
そう言いながら昌澄さんは魔力の循環をさせ始めた。
空中に青の魔力で描かれていく魔法陣は、かなり複雑怪奇な構造をしていた。
「い~や、光さんと兄上が来てくださって助かりました。」
ニヤニヤ笑う昌澄さんに、何となく、嫌な予感というものを感じてしまった。
私の嫌な予感は当たる方だ。
「飛んで火に入る『蝕毒』さんですね。」
けれど同時に、本当に頼もしい弟さんだな、とも思って笑う。
「あと十分いただければ、『蝕毒』は抑え込んで見せましょう」
昌澄さんの言葉に、隣の昆明さんは呆れ顔で、彼の描いていく魔法陣に他の魔法を付け足していく。
「ここから十分ね~、頑張らないとだ!」
澪の明るい声が、結界の中で吸い込まれる。




