六十三節 赤い喜哉6
Side 吉川 成哉
何故、何故!
そう言う気持ちの方が本音を言えば強い。
朱子様が自分を弟の様に思っているのも感じていた。
自分の方が二つも下だ、そう思っても仕方ない。
それでも、心を通わせていたつもりだった。
降嫁してくれた彼女と、彼女に振り回されようとも、彼女と喧嘩しようとも、楽しい家庭を作るつもりでいた。
でも、現実にはもう無理な未来だと理解している。
ここで食い止めなければ、朱子様はもっと深みに落ちてしまう。
でも、でも、どうしても何故と問いたい!
「何故!止めなかったのですか百合子さん!!」
怒りが混じる声で目の前の女性と剣を打ち合う。
銀色の髪と赤い目の女性。
彼女は誰よりも、朱子様の隣に居た人だ。
ギリギリと剣の鍔迫り合い。
互いに力を籠め合いながら、至近距離で問う質問に、彼女は真っ赤な唇を歪ませるだけだった。
「止める?ご冗談を。朱子様こそ、この国の『女王』に相応しいですわ。
血統だけで、早く生まれたというだけで、王になるなど虫唾が走る」
「長子優先、これは国を安定させる手段です!」
「あら、鈍愚が王となってもよろしいの?」
「それはっ!いや、今の王太子殿下がそうなるとは思えません!」
「ええ、そうね。でも王太子殿下の子……八歳の第一王女殿下はどうかしら?」
「どういう意味です!?」
「結界魔法を持って生まれた『長子』。でも、女である彼女は『王』になれない。
弟君の第一王子は剣ばかりの脳筋、コレついては?」
ニコリと笑う百合子さんの目は燃え上がるような憎悪が映し出されていた。
「なれば、姉弟で支え合って次の世を導けばいい!」
「……貴方は、本当に恵まれたお人ですね、成哉様」
「貴女だって恵まれた人だろう!」
「本当にそう思いますか?」
ガンっと剣を弾かれて、距離を置かれる。
ヒュンとした風が俺と百合子さんの目の前を通り抜けた。
「親の不義を背負わされた子供が、恵まれた人だと思いますか?」
ニコリと笑う百合子さんは何とも言えない泣きそうな顔で笑った。
「女だから、不義の子だから、どうして自分が生まれ持ったものの責任を産み落とした側ではなく、産み落とされた側が背負わねばならないのですか?」
彼女の言葉にハッとしたように息を呑んだ。
「言っていることは正しい。
でも、だとしても、手段は、正しくない!」
「手段?制度の外に追いやられた者が、制度で救われると思って?」
「そんなはずはないない!貴方の地位なら、その声は届くはずだ!」
「いいえ、朱子様の声ですら、届かなかったのです」
百合子さんの言葉には悲しみが乗っていた。
「私も朱子様なら変えられると思っていた、信じていた。
でも、変える席が与えられなかった。朱子様に与えられたのは剣だけ。
だったら、剣で奪うの」
ゾッとするほど冷たく、ゾッとするほど鋭い声で彼女はそう言った。
「一度全部無くしてから新しい世界を作ればいい。
貴族も、民も、王も、全部食われて消えればいい!」
「歪んでいるのは制度だ!武力ではなく、何故制度を変える話し合いをすればいいだけじゃないか!」
「話し合い?——その席に、私は一度も呼ばれなかった。
不義の子であるという理由だけでね!」
「なっ!?」
思わず声が出てしまった。でも、百合子さんの口は止まらない。
「——嘆願書は三度燃やされたわ。目の前で!差出人の名前だけを理由に!」
百合子さんの怒りが籠った声が響いた。
斬撃が来る、と構えた瞬間、思わぬことが起きた。
笠谷先輩と遠澄が相手をしていた騎士の一人を、乱入してきた維澄が切りつけた。
首の頸動脈を確実に狙ったその剣は、騎士の首から赤い雨を降らせていく。
これで!均衡が崩れる!
ちょうどほぼ同時だ。
パンと一回の空砲が耳に届き、ちらりと見た先に青の発煙筒。
あと五分。
そこまで耐えれば、増援がくる。
「ありがとう。待っていたわ」
――酷く冷たい声。
「思っていたよりも時間が掛ったわ。でもみんなちゃんと完全体に成れたわね」
ゾッとするほど綺麗な笑みを浮かべているのに、その目は虚無で、何も映していない。
「さあ、本当のパーティーはこれからですわよ。『蝕毒』とワルツからはじめましょうか」
その瞬間、頸動脈を斬られたはずの騎士の身体から赤黒い線が伸びてきた。
ウネウネとイソギンチャクの脚の様に無数に伸ばしたそれが、触手だと気づくのに、時間は要らなかった。
人間の形をしているが、腕や足の関節がおぞましい方向に曲がっている。
そして人の形を保ったまま、胎や背中、欠損した手足から触手が無数に伸びている。
「「「「下がれ!!」」」」
俺、笠谷先輩、双子と四人分の声が響いた。
騎士の形をした『蝕毒』から鋭い棘のような触手が一気に第三騎士団の騎士を襲った。
第三騎士団の若い騎士が一人、遅れた。
その心臓が……触手によって貫かれている。
その触手は真紅隊の騎士の背中や、胎から身体を突き破って出てきていた。
逃げ遅れなかった近くの騎士たちが慌てるように触手を切りつけて、彼を背負ってセーフゾーンに戻る。
「あらら、ちょっと遅かったわね?でも一人だけなんて、凄いですわ」
パチパチと乾いた拍手をしながらニコリと笑いながら百合子さん。
じゃり、じゃり、と地面を踏みしめながら歩いてくる。
その周りには人間の形を保った騎士が、触手をウネウネと動かしながら不気味に立っていた。
「一つ、教えて差し上げますわ。『蝕毒』は完全体になると、人を乗っ取れるのです」
まるで人間ではないような触手を纏う騎士の動きに、思わず足が一歩下がってしまった。
「ほら、早くしないと、次に波及するわよ、偲」
百合子さんはそこで何故か笠谷先輩を見た。
笠谷先輩がバッと振り返った瞬間、負傷した騎士の貫かれた心臓からブシャッと赤い雨が噴き出た。
そして開いた胸の中から触手が『根を張る』みたいに這っている。
セーフゾーン内、回復魔法の中で、その騎士の心臓は弾けた。
「貴方の愛おしい人の様に……まわりをどんどん殺しちゃうかも?ふふっ!」
楽しそうに笑う百合子さん。
迷うことなく、走り出した笠谷先輩の背中を、彼女が狙おうとしたのに気がついた。
ガキンッと金属の交わる音が響き渡った。
その最速の『突き』に反応して、剣で受け止めたのは維澄だった。
「ちょっと、騎士の背中を狙うなんて、騎士道精神ないんですか?」
「あら、あるわけないじゃない?ここは戦場よ?正道が通ると思っているの?」
「思ってはいないですけどね、その貼り付けたような笑顔は辞めた方がいいですよ
『オバサン』!」
剣を弾き返しながら維澄が攻勢に出た。
「『オバサン』って貴方の兄と二つしか変わらないのよ?」
「ウチの兄上は結構ジジイですからね!」
かなりの手数で剣を振り下ろす維澄、だが対応するように百合子さんは剣で捌く。
俺もお前の兄上と同じ年なのだがな、と思いつつ、前に出ようとした瞬間だった。
ガキンっと金属の弾かれる音が響いた。
前に進めようとしていた足を止めて前を見る。
百合子さんが剣を横薙ぎにし、維澄は剣を弾かれて、バランスを崩した。
剣閃が円を描く。ワルツの輪郭のように維澄の逃げ道が塞がる。
剣から手を放さずに、ヨロッと体勢を崩す維澄。
瞬間に横から棘のように鋭い形をした触手が維澄の心臓を狙って突いて来た。
その触手がゆらゆらと立つ真紅隊の騎士のものだと気づき、咄嗟に地面を蹴った。
走りながら剣で心臓に向けられた触手を切り落とす。
触手を生やした騎士は痛みも感じることなく、今度は剣で俺に斬りかかってくる。
脚の関節が逆に曲がっているのに、剣術、剣筋は心臓、頸動脈を確実に狙ってくる。
ミシミシッと身体の軋む音を立てながらも剣の振るうその動きは、歴戦の騎士。
「団長、維澄、飛んで!」
――響いた声。
目の前の維澄はそのまま地面に手を突いたら自分の身体を腕だけで宙に浮かす。
俺もフッと飛べば、足元を遠澄の槍が通り抜けて、
百合子さん以外の触手に犯された騎士は一気にバランスを崩して地面に倒れる。
着地と同時に風魔法を展開して、防風を起こす。
自分から前を吹き飛ばすつもりでかなりの魔力をつぎ込んだ風魔法は、一気に真紅隊の騎士たちを吹き飛ばした。
ただ一人、その風の中、地面に剣を突き刺して、立っていたのは百合子さんだった。
「遠澄、笠谷副団長を補佐しろ!」
「了解です」
俺の怒号に、ハッとした遠澄がサッと笠谷先輩を追いかけて走り出した。
その音を聞きながら、まっすぐ前を見た。
百合子さんが一人剣を構えるが、後でゆらゆらと立ち上がる触手の生えた騎士たちがゆったりとした足取りでこちらに戻ってくる。
「……貴方だけは、アレに侵されていないのですか?」
率直な疑問を投げかければ、百合子さんは口を歪める。
「だって、アレを取り込むとね、魔法がほとんど使えなくなるの。
使っちゃうと一気に魔力を食われて……そして脳が死んで身体を乗っ取られる」
ニコリと笑う姿に、言いようもない寒気を感じた。
チラリと見た先に、先ほどセーフゾーンに炎魔法を放った騎士を見つけた。
ゆらりゆらりと立った、その騎士が赤い魔方陣を描こうとして、魔法陣が崩れ去った。
つまり、あの状態の騎士は――魔法は使えない。
「ほら、転移してくれる人が乗っ取られたらダメでしょう?
だから私は『蝕毒』を取り込んでいないの」
ふふふっ、と笑う彼女はまるでそれが当然とでも言うように笑う。
「ほら、ワルツを踊る人間は床掃除なんてしないでしょう?」
「人を……なんだと思っているんですか!」
思わず叫んだのは維澄だった。
「なんだ、ですって?」
低くなった百合子さんの声は氷の様に鋭い。
そして見下ろすようなその視線で維澄をジッと見た。
「尊い犠牲よ。
みんな、自分の意志で、自分の考えで、『蝕毒』を取り込んだわ。
魔法を使えば『蝕毒』に乗っ取られることも知りながら、魔法を使ったわ。」
そこで「ふうっ」と小さく息を吐いた百合子さんは先ほどまで同じように嫋やかな笑みを浮かべた。
「みんな、自分の意志でこの反乱の場に立った。
不条理を正す為。朱子様の御代の礎となる為。誰も彼もが自分の意志で選んだ。」
思わず、握る剣に力が入った。にこやかに笑い続ける百合子さんを見た。
「選ばせた?違う。追い詰めて、選択肢を奪った。」
「いいえ、自分の意志よ」
「それは『意志』じゃない。絶望に首輪を付けた結果だ。」
「まあ……間違いじゃないわよ、あなたの中でね!」
そう言いながら、今度は百合子さんが一人で切り込んできた。
その剣を受け止めて、ギリリと鍔迫り合いになりかけた。
割り込んできた維澄の斬撃を、重心を移動させることで避けた百合子さん。
そのまま前に出る瞬間、小さな声で維澄に伝えた。
「維澄、連携だ」
「了解しました」
たった一言で理解した維澄は俺の斬撃と交互に百合子さんを狙うが、百合子さんは紙一重で避けていく。
俺の剣は受けずに避け、維澄の剣は受け流すように受ける。
華麗なまでの捌きに、隙が全くない。
本当に、この人はワルツでも躍るかのように華麗に剣と足を捌いていく。
二人掛かりでやっとこっちの攻め手が勝る。
でも百合子さんの防御を抜けない。
「ほら、遅いわよ。折角のダンスの相手が変わっちゃうわ?」
ニヤリと笑う百合子さん。
そうしているうちに、また、ウネウネとした物体が紛れ込んできた。
百合子さんを守るように俺たちと百合子さんの間を無数の触手に汚染された騎士がゆらゆらと立ちはだかる。
ただ、『蝕毒』に侵された騎士たちの口元だけが、助けを求める形のままだった。
まるで高みの見物の様に、百合子さんは『蝕毒』に侵された騎士たちの後ろで笑っていた。
「ふふっ、あっははははあ!最高だわ、偲。」
何故かそう言った百合子さんの視線が俺たちの後ろに向いた。
見るな。
見たら、俺の足が止まる。
——それでも、視線は勝手に後ろへ逸れた。
視線の先で、触手が這い出た騎士の胸に、剣を突き立てる笠谷先輩が見えた。
その表情は覚悟を決めて、強い視線で見つめていた。
笠谷先輩の剣を持つ手が、震えていないのが一番怖かった。
「今度こそ、仲間を殺せるのね。偉いわ」
まるで子供の悪戯を見る母親のようなねっとりとした柔らかい声。
同時にずぶり、と。金属じゃない音がした。
ダメだと思いつつ、彼女に明確な殺意が湧いた。
かつて一番年下ということで唯一逃がされた自分が逃れた苦しみを、また笠谷先輩に背負わせる。
笠谷先輩に仲間を切らせる――。
成長していない自分に、何よりも殺意が湧いた。
朱子様を止める剣が、今は百合子を斬りたいと叫んでいる。
——違う。順序を間違えるな。
「この、地獄が、朱子様の望んだ世界ですか?」
怒りを抑えながら、冷静であろうとするが、言葉に怒りが籠っていく。
俺の問いに、彼女はニコリと笑うだけだ。
落ち着けというように、右手でバクバクとなる己の心臓を殴り、剣を握り直す。
「答えろ!冷泉 百合子!」
だが――
彼女に対する感情が、殺意しか湧かなくなっていた。




