五十九節 赤い喜哉2
Side 笠谷 偲
思わぬ言葉を聞かされたのは半日前。
喜哉に辿り着いて、すぐだった。
あの破天荒な王女殿下から離されるのは、正直精神的に楽になった。
何せ、目を離した隙にアレは何だ!
何か困っていそうだぞ?
魔獣狩りだ!
なんて一人で行ってしまうし、吉川が慌てながらも
『お待ちください、朱子様!』
と、追いかけて、その焦る吉川を見ながら愛おしそうに見つめる朱子殿下。
そしてなんだかんだ、振り回されつつも、『仕方ない』と笑う顔は、
僕の記憶の中で変わらない彼を思い出させる。
朱子殿下と結婚する第三騎士団の団長は大変だろうな、なんて思いながら苦笑した。
でも、お似合いだと思った。
破天荒で、人の気持ちなんて考えないで、ずかずかと物言える朱子殿下と、
自信を無くし、慎重になって、それでも誰かに寄り添って進もうとする吉川。
この二人の子供が出来たら、僕は死ぬほど可愛がるのだろうな、なんて思って見ていた。
でも第二騎士団の団長から聞かされたのは、朱子殿下の謀反の話だった。
『あの『蝕毒』を王都に召喚したのは朱子殿下の侍女でしょう』
そう言って思い出したのは朱子殿下の侍女。
春の国で歴史も長く、転移魔法を得意とする冷泉家の娘。
白銀の髪と真っ赤な目を持つ侍女であり、護衛であり、女騎士。
朱子殿下を守る護衛隊であり、王族軍である『真紅隊』の隊長だ。
『彼女の転移魔法は春の国随一と言われておりますからね』
朝比奈団長の言葉でふと、思い出したのは噂。
まことしやかに囁かれる話がある。
冷泉家の長女・冷泉 百合子は当主の子ではない。と。
士官学校で朱子殿下と同級生であった彼女は他に追随を許さない成績を残して卒業した。
僕の一つ上だったからよく、覚えている。
あの二人には特別な空気を感じていた。
『――そして、証拠隠滅をしたのは朱子殿下。』
朝比奈団長の言葉に困惑した吉川の表情が目に焼き付いた。
その後に出されていく情報。
一つ一つは些細な違和感というピース。
でも、組み合わせて見られる絵は真っ黒な現実だった。
そして半日前に聞かされた推理が、
――今まさに形を持ち始めているのを感じながら、僕は剣を握った。
『ギョエエエエエエエ!』
響き渡った奇声。その声に聞き覚えがある。
王都で聞いた奇声と同じものだ。
パンパンパンっと三回の空砲が響いた。
見上げた空には黄色い発煙筒が上がっていた。
第二騎士団からの伝令。
避難完了まで、あと三十分。
でも目の前に広がるのは、ウネウネと血管のような管を振り回す、一メートル程高さ、人ほどの大きさの物体。心臓の鼓動に合わせるように、どくどくと脈打ちながら蠢く。
――王都を襲った『蝕毒』とよく似た個体だ。
「あと二十分、何としても耐えろ!
耐えきれば第一騎士団と第二騎士団が応援に来る!
誰一人、死ぬな!」
声を張り上げながらも指示を飛ばす。
子供の大きさほどの『蝕毒』を切りつけては逃げる第三騎士団の騎士たち。
切っても、切っても、再生されるその気味の悪い心臓から大量の触手を伸ばすような『魔獣』。
切った先から血のような錆の匂いが充満する液体をまき散らすのが、更に君の悪さを増長する。
僕らが任された場所は
唯一、『喜哉』が外と繋がる城壁の大門前。
その大門を閉ざした状態で、僕らはこの防衛都市の防衛戦を敷いている。
僕ら第三騎士団の役目はコイツ等を、これ以上喜哉に近づかせないこと。
非戦闘員を王都に逃がし――
第一・第二騎士団が来るまでの『盾』。
チラリと見た視線の先に、まだ悩むように剣を見つめる吉川の姿が見える。
彼は自分の婚約者の企みを第二騎士団の騎士団長、朝比奈 清澄から聞かされた。
その後から、自分の剣を見て悩むように顔をしかめていた。
彼の指示に、いつものキレが無いのは分かり切っている。
ここは戦場、一瞬の判断ミスが、多くの人命を奪い取る。
「団長!そんなに悩むなら剣を捨てろ!」
思わず、僕が叫んだ言葉に全員が驚いたように息を呑んだ。
「愛する人に剣を向けたくない!?
ふざけるな!そんな覚悟で戦場に立つな!」
力の限りの声で叫んだ。分かる、誰だって自分の愛する人間を切りたくない。
でもね――。
「僕らは騎士だ!何があっても、誰であっても、国を守るために剣を握る」
チラリと見た吉川が、自分の剣を握りしめた。
僕は『団長』じゃないんだ。
君の指示を実現可能にする参謀で合って、君の指示をよりよく遂行するための頭脳だ。
「吉川!お前に言っていないことがある!」
肺から思いっきり息を出して、僕は剣を握る。
朝比奈の双子が治癒魔法を展開するセーフゾーンに、『蝕毒』が近づいているのは分かる。
遠澄が展開している魔法陣へ運び込まれる騎士が増えているのも分かる。
維澄がギリギリで回復させている瀕死者もいた。
それでも、まだ、誰も死んでいない。
「僕はね、あの日、仲間を切ったんだ」
ハッとしたような吉川の息を呑む声が聞こえた。
僕は怖くて、彼の顔を見ることが出来ない。
握りしめた剣に力が入りすぎているのを僕自身、分かっている。
思い浮かべたのは三年前の光景。
一小隊が、『蝕毒』にほぼ壊滅させられた。
今と全く同じような状態だった。
こうやって、多くの『蝕毒』に囲まれた。
あたり一面、錆びた鉄のような血の匂いが充満した。
その匂いが自分たちの負傷なのか、『蝕毒』からの液体なのか分からなかった。
少しずつ、自分たちが動ける範囲が狭くなった。
徐々に、攻撃を防げず負傷する仲間が出た。
傷をそのままに戦った仲間が『蝕毒』に食われた。
食われた仲間が『蝕毒』に浸食されて、その形と思考を持ったまま攻撃してきた。
その姿は人の形をした『魔獣』だった。
「その中には、戦争が終わったら結婚しようと約束した恋人もいた」
静かに伝えた言葉は、団長だけでなく、団員のほとんどが息を呑んだ。
皆の顔を見るのが急に怖くなった。
僕も、こういうところは女々しいかも、と思う。
でもね、同じ過ちをして欲しくないから、僕は言葉にする。
「恋人だけは……切れなかった」
なんとかギリギリで立っている彼の背中から無数の触手が出て、その触手が仲間を傷つけていく。
『殺してくれ』とせがむ彼を、僕は切ることが出来なかった。
そうしていくうちに、意識があるのに『蝕毒』に浸食され、触手で攻撃をする仲間が増えていった。
『じゃあ、戦争が終わったら結婚式上げようぜ!
吉川、未だにお前が女だって気づいてねーし、ウェディングドレス着たお前を見せびらかして、脅かしてやろう!』
そう、青紫の瞳を細めながら豪快に笑う彼。
その前の夜にそんなことを言いながら笑っていた彼は――僕の為に自爆魔法で吹き飛んだ。
多くの浸食された仲間を道ずれに、僕を優しく見守りながら死んでいった。
『俺を忘れて、俺よりいい男と幸せになれよ』なんて呪縛のような言葉を残して――。
彼の機転で、僕は爆風に吹き飛ばされ、一人生き残った。
鼓膜を裂くような轟音と、焦げた血と肉の匂いの世界を、僕は間近で見るしかできなかった。
その後の僕は、ただ虚無で、ただ壊れた。
彼のいない部屋で、彼のいないベッドで、私は泣くことしかできなかった。
そんなとき、絶望した顔で、それでも前を向いた君を見たんだ、吉川。
ふと、錆の匂いが鼻をかすめる。
あの日同じ、錆のような血の匂い。
三年前の地獄が、目の前で再現されようとしている。
僕は、もう二度とあんな思いを自分も、仲間にもさせたくない!
「迷うな吉川。僕が切ったのは『魔獣』になった仲間。」
そこで一呼吸おいてからジッと前を見た。
ふと思い出すのは吉川と朱子殿下が並んだ姿。
吉川が、朱子殿下との未来を諦めきれないのも見ていれば分かる――。
「でも、あのお方はまだ人間だ。切れないなら、ならば諦めずに彼女の道を正せ!吉川!」
僕の叫び声と、ほぼ同時だった。
ヒュンっと大きな音が響いた。
一瞬だけ見た
『風魔法』。
一気に薙がれたその一撃が、横から放たれた魔法だと気づくのに時間は掛からなかった。
「笠谷先輩。もう、大丈夫です」
低く、響いた言葉に、思わず安堵する。
「全員押し返せ!」
吉川の号令に、第三騎士団の騎士たちが奮起する。
さっきまで迷いで濁っていた彼の緑の目に、ようやく決意の色が戻った。
次から次へと『蝕毒』を切りつける。
錆の匂いを更に充満させながらも、ひたすらに切る。
かすり傷ですら致命傷になると知っている。
だから僕らは深追いをせずに『防衛』にだけ力を注ぐ。
ただ、その瞬間、風が止んだ。
目の前に赤暗い魔法陣がブワン、ブワンと浮かび上がる。
一つ、二つ、三つ。
数えて行けば二十個の魔法陣。
これだけの転移魔法を一気に稼働できる人間は、限られる。
その中で、この赤暗い魔方陣を扱う人間は、一人しか知らない。
『蝕毒』のすぐそばに現れた白の集団。
その首元に巻かれる深紅のスカーフ。
「真紅隊」
『真紅隊』。
第一王女・朱子殿下の親衛隊にして、王族軍最強の精鋭。
僕がその名を口にした瞬間、周囲の空気がピンと張り詰めた。
退きたくなる本能を、誰もが歯を食いしばって押し殺している。
第三騎士団に立つ騎士たちの手が震えた。
「これは、これは。お出迎えありがとうございます、第三騎士団の皆様」
戦場に似つかわしくない凛とした声が響く。
声の主は女。
赤い紐で結ばれた銀色の長い髪を靡かせて、真紅の目を細めながらニヤリと笑う。
「冷泉 百合子」
思わず僕が呟けば、第三騎士団の騎士たちは剣を構える。
「あら、偲。先輩に向かって呼び捨てですか?」
嫋やかに笑う彼女を見て、握る剣に力が入る。
士官学校時代……この人は平民である僕を『一人の人間』として扱った。
容赦なく、僕を『剣士』として育てた。
全てにおいて、他に追随を許さなかった……天才。
ついこの前まで、軽口を叩いた先輩が、目の前で敵となっている。
『私が朱子を守りますから、お前は吉川を守りなさい?
二人の結婚式に、偲のドレス姿、私が披露してあげるわ』
『いいですね……披露宴で着ようと思ったあの青紫のドレスも、やっとお仕事で着そうです』
思わずグッと奥歯を噛み締めた。
「貴女が尊敬していた頃の『百合子先輩』ならそう呼びますが……
謀反人を尊敬できるほど僕は出来た人間ではありませんからね?」
そう言いながらも真っすぐに彼女たちを見た。
「それもそうね」
小さく答えた彼女を先頭に後ろに控える真紅隊の騎士たち。
あの心臓のような魔獣でさえ、真紅隊の騎士に近づいた瞬間、動きを緩めた気がした。
何故か、その様子に違和感がある。
圧倒的強者。
浴びせられるビリビリとするような殺気は、本物。
「ふふっ、我々の目的はただ一つです。なので、それさえ済ませれば引きましょう」
真紅隊の騎士たちが『蝕毒』側に立ってキィンっと音を立てながら鞘から抜いた。
銀色を太陽に反射させた騎士たちは剣を構え、僕たちを見つめる。
「第一王女親衛隊、真紅隊隊長・冷泉 百合子、
――『女王陛下』の命を遂行いたします」
宣言と共に向けられるのは冷え切った吹雪のような殺気。
でも、僕らの誰もが引く気が無いように、剣を握り直した。
「そういうわけで…お命を頂きにまいりました。吉川 成哉」
ゾッとするほど冷たい声が響き渡った。
「誰一人、無駄に殺すつもりはありません。
ですが、吉川 成哉。
貴方だけは──必ずここで討ちます。」
瞬間、冷泉 百合子の左右に控えた騎士が――
一気に距離を詰めた。
右と左、両左右から騎士は吉川を切りつけようとした。
左側の騎士の剣を受け止めれば、ヒュンっと剣が右横を通っていく。
私の右横を通った剣を吉川が受け止め、そのまま跳ねのける。
その瞬間、目の前を剣が通り抜ける。
最速の『突き』。
銀色の髪を靡かせながらその剣が吉川の心臓目がけて通り抜けるのを見た。
――目だけが追い付いた。
その速さは、吉川の動きでは間に合わない。
ここまで来て、守り切れないのか。
あの日と同じように、また『守れない』のか――!
防げない!吉川、逃げろ!
叫ぼうとした声よりも早く、人影が動いたのを感じた。
ガキッン、と金属の交わる音。
「ちょっと、ウチの団長を仕留めるには、まずは下っ端からお願いしますよ~」
冷泉 百合子の最速の剣を受け止めたのは槍。
驚きよりも、悔しさが勝るような冷泉 百合子。
ギリギリと拮抗するように剣を逃がさないように槍で抑え込んでいるのは――。
「まずは、俺が相手ですよ。謀反人」
ガキンッとそのまま剣を弾く音が響いた。
相手を煽るように笑いながら冷泉 百合子に距離を置かせた青年は、
まだ槍を握り出したばかりの朝比奈 遠澄だった。




