五十八節 赤い喜哉1
Side 朝比奈 清澄
ドーンという爆音が響きました。
直後に地鳴りのような地面からの突き上げ。
その爆音と地鳴りを聞きながら、宿から外に出ます。
石畳の下から、獣が唸るような振動がじわりと足裏を這い上がりました。
『ギョエエエエエエエ!』
鳴り響いた咆哮。この耳障りな咆哮に聞き覚えがありました。
一気に、その場の緊張感が高まります。
叫び声、鳴き声が反響する場所で、恐怖と涙を堪えながら歩く喜哉の住民。
最低限の大切なものを持って、騎士が誘導する場所に向かう。
石を敷かれて整備させている喜哉の道ですら、子供が転ぶ姿も見受けられる。
部下たちは子供や老人に手を貸し、誰一人残さず住民を王都に運ぶ決意を胸に宿していた。
焼け焦げた匂いが風に運ばれて、燃え切った灰が飛んできては空で崩れる。
見上げた先には高く燃え上がる炎と、城壁よりも高い黄色い結界が確認できた。
第二騎士団の精鋭。
弟は居りませんが、その代わりにとなる人物がいたのは不幸中の幸いでしょう。
「首尾は?」
「上々、と言いたいところですが、まだ避難が完了していないですね」
金髪に金の眼という春の国にはいない容姿の女性。本来の彼女は美しい宵闇のような黒髪を持つが、自由に動くために春の白い軍服を纏い、髪の色を金に魔法で変えている。
彼女をこの場所に留め置くことを本音で言えば悩んでいる。
『敵国の将校』。
本来であればこの戦場に巻き込まず、王都に転送させるのが定石です。
ですが、色鮮やかな感情を浮かび上がらせる彼女を、『敵』と呼べなくなっている。
部下たちも彼女の正体を知っている。
我が国――いや喜哉を守るために、彼女が協力すると言った。
その時点で、リスクがあろうとも、部下たちは彼女の指示に従うことを決めた。
命の危険を犯しながらも『蝕毒』と戦い、『王都』を守ってくれた彼女。
――そんな彼女を慕う部下もいるぐらいだ。
「朝比奈団長!光補佐官!」
伝令役の騎士が走ってきてそう言います。
呼び名は自分が反応できるものでないといざという時に支障が出ます。
なので、彼女の名前に『補佐官』という地位を付けることで正体を隠すことにしました。
こういう知恵の回る部下がいることは私にとっては幸運です。
「何がありました?」
「報告です!例の元領主邸宅が爆破、その地下より、大型の『蝕毒』とみられる魔獣が出現しました」
「結界は?」
「昆明殿下のものとみられる黄色い結界が展開中です」
「わかりました。そのまま伝令役を残し、観察を続けて下さい。」
「はっ!」
騎士は再び走り出し、私たちは視線を逃げ惑う喜哉の住民に向けます。
「……いきなり、攻撃が始まるから逃げろ、と言っても逃げる人間の方が少ないでしょうね」
光さんが悲しげな表情でそう言いました。
カチャリ、と鳴り響く『白石の腕輪』。
これは彼女にとってはお守りのようなのでしょう。
特に、人が多いこの場所で戦闘となれば、猶更。
「ですが、今の爆発で、更に慌ててくれるでしょう。」
そう言いながらも、想定よりも遅い避難に内心では焦りが出てくる。
今の爆破で皆の悲鳴や混乱がましたが、半分ほど信じていなかった住民たちの脚の歩みが確実に変わった。
燃え盛る炎を見て言いようもない不安が胸を占める。
あの黄色い結界は昆明のものだ。昆明が居るということは、一緒に弟もいるのだろう。
弟と、昆明殿下は無事だろうか……。
あの二人は平気な顔で無茶をする。
だからこそ、心配なのだ。
「『昆明殿下』とあなたの弟君なら無事ですよ……。殺しても死なないタイプです、二人とも」
隣から掛けられた声に、思わず隣を見ます。
彼女は避難する一般人を簡易の転送ゲートに送る進み具合をこの場で振り分けている。
進みが早いゲートに、進みの遅いゲートの住人を動かす。
ほとんど初対面に近い第二騎士団の騎士たちに指示を飛ばす。
まるで何十回も同じ避難誘導を経験しているかのような、迷いのない采配。
これだけの処理を即座に出来る彼女の、能力の高さを伺える。
「ふふっ、確かに昌澄も昆明も、どっちも心配していてもケロッとしながら帰ってくるのだよね」
そう言いながら、誘拐されて一週間、無人島でサバイバル生活を行っていた昌澄と昆明を思い出しました。
飢えていないか、泣いていないか、辛くないか、と心臓がわしづかみにされるような不安感を覚えながら、二人が飛ばされた無人島。
キャッキャッと笑いながら、魔獣を狩って、火魔法で『肉じゃー!』と叫んだ野生児のような弟と昆明を思い出します。
痩せるどころか太っていましたし、逞しくなって帰ってきましたよ。
「ああ、そんな感じですよね。私の所も澪、従姉がそんな感じです」
そう言いながらも光さんは持っていた紙にゲート変更を書き換え、その紙を騎士に渡す。
騎士は走って転送ゲートを管理する魔法士に指示を飛ばす。
「逆算すればあと三十分で非戦闘員の避難は完了します。それまで、なんとしても第三騎士団の方々には耐えて貰わないと」
「三十分……。ぎりぎりですね」
「ええ、その時は第二騎士団を戦闘に回すことも考えねばなりません」
「吉川団長の言葉を信じましょう。」
昔ならば、絶対に言わなかった言葉でしょう。
ですが、今の吉川団長、ひいては第三騎士団は信頼できる春の国の『盾』です。
「避難が先ですが……本音を言えば、第一騎士団を先に連れてきたいところですけれどもね」
光さんの言葉に思わず頷きます。
転移魔法に精通する人間は少ないです。
せめて、昌澄がいたならばその辺りもあの子はやり遂げてしまうのでしょうが、居ない人間に頼るのはいけませんね。
それだけ、弟はぶっ飛んでいる天才なのですが。
「吉川団長……笠谷副団長、遠澄、維澄、頼みますよ」
目に見えないところで始まっている戦闘音を聞きながら、小さく言葉にします。
「一つ、聞いてもよいですか?」
雑音、罵声、悲鳴が響く中で、表情を変えることなく淡々と業務をしていた光さんの声が凛と響きました。
視線だけ向けて彼女を見れば、光さんは紙に書き込みを続けながら、私と同じように視線だけ向けました。
「答えられる範囲ならお答えしましょう」
私の答えに彼女は「ふふっ」と小さく笑った。
「……あの『王女殿下』が怪しいと思ったのはどこですか?」
ああ、と思わず言いそうになりました。
朱子殿下が怪しいと思ったのはいくつかポイントがありました。
ですが、一番怪しいと思ったポイントは……。
「王都襲撃事件の際、昆明が捉えそこなった『蝕毒』を、朱子殿下が切り殺したからですね」
「ほう、それは何故?」
「朱子殿下ならば、炎魔法以外に風魔法の素養もあります。特にコントロールが得意な方。
普段の彼女であれば、風魔法で捉えて、そのまま昆明に投げつけるはずです。」
「なるほど、その知識の違いでしたか」
「魔法を使わずに剣を使ったのが何より気になりました。魔法ですと痕跡が残るので、あえて剣で『証拠隠滅』したのでは?と」
「ああ、確かに魔法の方が得意そうな方ですよね」
「ええ。それ以外にもありましたが……一番気になりましたのはそこでしたね」
「それ以外?」
「例えば何故朱子殿下が『鷹司 澪』がいないことを知っていたのか、ですね」
「あっ!」
私の言葉に光さんは思わず声を出してしまったような感じでした。
多分、そこはまるっきり気にしていなかったのでしょう。
「そう言う事です。『鷹司 澪』以外の接触者がいなければ分からない話ですよね?」
「なるほど、そっちは気づきませんでした」
納得したように光さんはまた騎士からの情報を整理して、次の指示を飛ばす。
昌澄とは違った意味で優秀な方です。
「逆に、光さんはどこで朱子殿下をお疑いになりましたか?」
私の興味を彼女にぶつけてみれば、彼女はペンを止めました。
どうやら、最後の避難民への指示が終わったようでした。
「あの朱子殿下から伝言ですかね」
そう言われて、思い出したのは朱子殿下が光さんに伝えた言葉。
『光の『宝』は手元には無いが、新玉の元に預けられた。新玉の宮に入れられた故、安心せよ。濁りがある言葉を見落とすな』
「『濁りのある言葉を見落とすな』でしたかな?」
光さんが何も言わなかった最後の一言。
朱子殿下はこの伝言の意味を理解するためには全部を言わざるを得なかったのでしょう。
冬の国の情報、つまり光さんの従姉、『鷹司 澪』からの情報を解読するためには、光さんへ一字一句間違えずに伝えざるを得ない。
そう思うと、この『鷹司 澪』もかなり頭の切れる御仁だとこの少ない会話で判別できる。
「そこもなんですけどね、澪が『篠宮 澪』ではなく、
『鷹司 澪』を名乗ったことが一番、引っ掛かりました」
「え?」
思わず反射で驚きの声を上げてしまいました。
光さんが朱子殿下の前で言った言葉に嘘はなかった。
それは彩眼で見ていたから分かります。
ですが、光さんがニヤッと笑うので、何か意味があるのだと思いました。
「旧姓を名乗った理由は『この王女は信頼できない』っていう澪の意思表示です。
戦場に戻って旧姓を言ったってことは、澪としては『婚家に迷惑はかけない、これは私の独断』って意思表示でもあります」
そう言いながら光さんが浮かべる色は鮮やかな緑色。
それほどまで、『澪さん』という従姉を信頼し、親愛しているのでしょう。
浮かび上がらせた色が、綾人のことを語る香さんと重なりました。
違う環境で育った二人ですが、確かに姉妹なのだと感じます。
「あとなにより」
そこで光さんの色が何故かどんよりとした紫に変わります。
この色、よく昆明が朱子殿下に巻き込まれた時にする色ですね。
「澪の性格上……私に会いに来ると思うのです」
なんでしょう、そんなに落ち込まなくてもよいかと思いますよ。
どうやら『澪』さんはうちの母親と似たタイプかもしれませんね。
いきなり破天荒なことをやり始めて、気が付いたら全部うまくまとめる、先頭を走る確変者みたいな女性なのでしょうね。
「なるほど……なんとなくですが、昌澄と昆明とは仲良くなれそうな気がしますね。
その『澪』さんと」
まあ、振り回されるのは昌澄と昆明でしょうが、なんて言いつつ、転送ゲートの列が残りわずかになってきた。
これが終われば王都から第一騎士団が飛んでくる。
そうなれば――攻勢に出られる。
「綾人と千歳のことだ、準備は抜かりないだろう」
「随分と信頼されているのですね?」
「そうだね、あの二人は、私が背中を預けてもいいと思える友人だよ」
そう言いながらも転送ゲートを眺めました。
戦火は近づいている。
転移が終わるまであと二十分。
炎に照らされて、喜哉の石畳がじわりと赤黒く見える。
まるで、この街がこれから浴びる血を、先に映しているかのように。




