五十五節 地下施設3
私と昆明、静寂の中で見つめ合います。
あ、誤解なきように言いますが困って見つめ合っているだけです。
床に寝かせている彼女――
『鷹司 澪』か、『篠宮 澪』か、判断しかねる女性に視線を下ろしました。
彼女の左右で私と、昆明が膝を付いた状態で、悩みます。
「……どっちだと思う?」
昆明の言葉に答えなど見つけられません。
「何故……ここに光さんがいないのでしょうか」
ええ、頭を抱えて悩まざるを得ません。
思わず自分の髪をぐしゃっと掴んだ。
「いない人を呼びに行く暇は流石にないよ」
昆明も困ったように笑いました。
こうしている間にも、彼女の胸に刺さる杭が少しずつ沈んでいるのを感じる。
「例え話をしよう……母上、俺の母上!」
ハッと思いついたように昆明が言いました。
「王妃殿下ですか?」
「母上なら……いや、今の名だな」
昆明が言い出したのは昆明の母、王妃殿下。
思い浮かべてみましたが、確かに王妃殿下が旧姓を名乗るところを想像できませんね。
まあ、秋里のお家の方ですが……。
「お前の母は?」
「母上ですか……」
我が母と申しますと……ないですね、『朝比奈 日葵』という名以外思い浮かびません。
というか、生まれた時から母は朝比奈姓ですからね。
「今の姓でしょうね」
「だよな~」
この辺り、冬の国と感覚が違うのでしょう。
「ヤバい、悩んでいる間に杭が……」
そう言った瞬間にキラッと左手に何かを握っているのを見ました。
恐る恐るそれを見ると、緑色の魔石が加工されたネックレス。
大きな緑の魔石の周りには、小さな緑の魔石が複数嵌め込まれた、明らかに逸品物のネックレスです。
それをぎゅっと、力強く握ったままでした。
僅かに手の拳の隙間から見えるその魔石のネックレスを見ながら、
その魔石の色である人物を思い出します。
『篠宮 成継』
冬の国の第四師団の師団長。
彼には敵としてかなり苦しめられたのでよく覚えております。
膨大な魔力を操る風の魔法使いで、確か魔法陣の色は緑色でした。
兄上が渡した人造魔石に対する光さんの反応が脳裏をよぎりました。
大切そうに、そして嬉しそうに、兄上が作った青の人造魔石を見て、
それを見ながら何も言わずに悲しげな表情で胸に抱いた姿。
今、目の前で全くピクリとも動かない彼女を見比べます。
なんとなくですが、目の前の彼女が魔石を握りしめるのと、
光さんが兄上の作った魔石を握りしめていた姿が重なってきます。
「『篠宮 澪』では、ないでしょうか?」
ぽつり、と呟いた言葉に、昆明が「え?」と小さな声を出しました。
「えっと、確証は?」
「ないですね」
「つまりは、勘?」
「ええ。ですが……。」
そう言いながらこんな状態でも握りしめ続けている魔石に視線を向けました。
「この緑の魔石が、私が想像した通りのものであれば……。
彼女は『篠宮 澪』だと思うのです」
「魔石?」
昆明は私の言葉に彼女の手のひらを見ました。
緑色の魔石がはめ込まれたネックレス。
どうしても、兄上に魔石を渡された光さんの表情が頭をよぎるのです。
文化の違いと呟いておりましたが、人造の魔石を異性に送ることに意味があるように思えました。
この緑の魔石が、彼女が『夫からもらったもの』だと仮定するなら――
『鷹司 澪』として戦場で名を馳せた英雄よりも、
『篠宮 澪』として夫の隣で笑う未来を、この人はきっと選ぶ――。
そうであってほしいと、勝手に願ってしまった。
我が母や、王妃殿下と同じように。
グルり、とまた一段、彼女の心臓を突く杭が低くなる。
一段沈むたびに、残りの命が目に見える形で削られていくようだった。
あと十回。十回息を吐ききる間に、この杭は心臓を貫いてしまう。
そこから考えられる残り時間は、およそ10分。
「もう時間がない、そっちに掛けるしかないか……。」
「昆明、もしも外したときは、『澪』さんの心臓を結界魔法でくり貫いてください」
「は?」
私の言葉に驚いた顔をする昆明。
――ですか、保険は必要です。
「万が一の時は心臓をくり貫いて、心臓は私が治癒魔法で再生させます。」
「え……ええ?」
「昔、一度、母を救うためにやりました」
「は?」
昆明の言葉が出なくなるほど驚く声を聞きながら、思い出したのは十二歳……士官学校に通っていた頃の記憶。
目の前で私を庇った母――その心臓に毒が付与された槍が突き刺さった。
誰にも助けを求める時間などなく、しかも当時の私は解毒魔法と治癒魔法の併用が出来ませんでした。
苦肉の策が……母の心臓をくり貫き再生させるという荒業でした。
今でも、母の胸には直らない傷が残っております。
「やりたくはありませんが、壊れるよりは……いいでしょう」
「た、確かに……原理としては呪いを排除できるかもしれない」
私の言葉に衝撃を受けたような昆明が戸惑ったような声でそう言いました。
もちろんそんな真似を正気であれば、医師でも治癒士でも口にしないでしょう。
正直、かつて、自分でやったことですが、今考えてもゾッとします。
本音では二度とやりたくはありません。
あの後、私は悪夢に苛まれ続けることになったのですから。
それでも――この人が『壊れる様子を見ている』よりは、まだマシだと思ってしまいました。
オロオロするように困惑した昆明の視線が私に向きました。
ふう、と落ち着くように息を抜いてから笑いかけます。
「ダメだった時ですよ?」
「いや、その発想自体が俺には無かったから……お前が敵じゃなくて良かったよ」
昆明が杭の周りに展開していた魔法陣に一気に魔力を注ぎ込みます。
補助するように治癒魔法を展開します。
「この杭に彼女の『本当の名前』を打ち込む。
その名前が『正しければ』、彼女は自分を思い出すはずだ」
ゴクリと、昆明の喉が鳴るのを感じました。
気づかぬふりをしたいほど、彼の手が震えているのは分かります。
私自身も、手が震えているのです。
ですが、私は自分の記憶のピースを組み合わせて、出した結論を信じるしかありません。
昆明の魔法が一気に起動しました。
昆明の黄色い魔力が杭の打ち込まれる彼女の心臓へと収束させます。
奪われるように赤黒い魔力で塗りつぶされた文字。
彼女に『自分』を取り戻させるために黄色い魔法陣で赤黒い魔力を包んでいく。
勢いよく魔力が吸われていくのを感じます。
予想以上に昆明の魔力が目減りしていくのを感じまして、自分の魔力も昆明の魔法陣に注ぎ込みます。
昆明が膨大な魔力を持つのも知っております。
でもそれ以上に減っていく魔力。
ふと横を見れば頬を伝う汗をそのままに、肩を震わせるように魔力をコントロールする昆明。
ただ、これ以上は昆明の魔力が足りなくなる!
咄嗟にポケットから魔力回復ポーションを出し、その赤色の液体を一気に煽ります。
跳ね上がった私の魔力をまた、昆明の魔法陣に注ぎ込みます。
「頼む!目覚めてくれっ!」
昆明の悲痛な言葉に反応したのか、ドクンっと杭を押し返すように彼女の胸が跳ねました。
杭が、グルリ、と時計と逆回りしました。
「起きてくれ!
『篠宮 澪』!
君は『一条 光』に会いに来たんだろう!?」
昆明の声に反応したのか、またグルり、と時計と逆回転する杭。
その杭を包み込むように黄色い魔力が湧き上がる。
ごぼっと、口に注ぎ込まれている高濃度の魔力水かから、息が漏れた。
呼吸が、戻った!
魔力を確認しながら彼女に口に繋がれたその器具を取り外します。
薄く、消えそうなほど僅かに黄色く色付いたその身体。
瞬間、その黄色が――昆明の魔力でないと気が付きました。
「だ、れ?」
擦れた声が、僅かに聞こえました。
薄っすらと開かれた紫の瞳には、僅かな光が宿る。
僅かに、感情の色が――
灰色が湧き出た。
「『澪』さん!
しっかりしてください!
自分を思い出して下さい!」
咄嗟に彼女の名を呼びました。ぐっと手を握って、そして治癒魔法を直接流し込みます。
バキバキッと音を立てて、杭に黄色い魔力が流れていきます。
まるで稲妻が走るように、幾重にも、幾重にも、その魔力は亀裂を作ります。
「『澪』さん!?
ご自分が、誰か分かりますか!?
貴女は誰だかわかりますか!?」
続けるように紫の瞳に語り掛けます。
「みお、」
小さく、でも確実に、彼女はそう発しました。
唇が震えながら、でも確実に言葉を紡ぎます。
「しの、」
乾いた声が、確かに言葉を発しました。
「しの、みや、みお」
その唇が、震えるように、でも確実に言葉を紡ぎました。
瞬間にビキビキっと音を立てて心臓に突き刺さる杭が崩れていく。
同時に、彼女の身体の機能が一気に戻ったのを感じました。
ここで――回復させないと後遺症が残ります!
自分の残りの魔力を全て、『朝比奈の水』に注ぎ込みます。
すっからかんになるぐらい、限界まで注ぎ込んだ魔力が、ギリギリで耐えていたこの方の身体を癒していきます。
傷ひとつ残す気などありません。
魔法陣から浮かび上がる水が、彼女の中に吸い込まれ、そして目に見える傷を癒していく。
それでも魔法陣から水が浮き上がり続けるのは、彼女の中がまだ癒えていないということだ。
ギリギリまで魔力を絞り出して、そして彼女を癒していく。
この『血統魔法』は少量の魔力で多くを回復できる魔法だ。
ただ、その魔法をもってしても、彼女を癒すには膨大な魔力が必要ということだ。
――それだけ、内臓もボロボロなのだろう。
ガンガンと頭を叩かれるような頭痛が鳴り響き始める。
気持ち悪さが上回り始めてきた。
自分に身体から水が抜けていくように、異常なまでの喉の渇き。
視界がぼやけているのを感じながら、それでも魔力を、治癒を止めないでその手を握り続けた。
握っている手の感覚がなくなるのは、私の手が冷えてきているからですかね。
「昌澄!それ以上はダメだ!お前が魔力欠乏症になる!」
焦ったように叫ぶ昆明の声。
それとほぼ同時に、『朝比奈の水』の展開が止まりました。
そして握っていた手に力が入ります。
驚きながら、その力を込めた手から、視線をその顔に向けました。
「えっと、ご無事、ですか?」
そう聞いた先の女性は何とも驚いた顔をしていた。
黒い髪に、アメジストを思わせる紫の瞳。
その紫の瞳を瞬かせながら、
かすかに浮かべた色は濃い灰と――ごく薄い黄色だった。
混乱と、微かな安堵。
そして驚いた顔が、光さんとよく似ておりました。
同時に思うのです。
彼女が、光さんの『姉弟子』であり、『従姉』である、と。




