四十八節 『追跡者』1
ドタバタと走る音が聞こえてきました。足音は軽いので、光さんと千歳さんかな、と漠然と思いながら、珍しく兄上に入れていただいた紅茶でのどを潤しました。
「清澄さん!」
「昌澄くん!」
バタンっと勢いよくドアを開けてきた光さんと千歳さん。
髪にタオルは掛かっておりますが、滴る水がシャツを透け……。
私、今、千歳さんを見たらとんでもないことをしそうなので光さんの方を見ました。
髪から落ちる雫で濡れている所は見られませんので、もう少し下の胸に視線が行きましたが、千歳さんを見るよりはマシ!と心に念じます。
……兄上、勇者ですね。光さんを凝視できるなんて。
私には無理ですっ!!
お風呂上がりの女性は直視するとマズイ……なんて第二騎士団の部下たちが言っていたのを今更、思い出しました。
『なら、ウチの母親の姿でもですか?』
自分の言ったことまで思い出しましたね。
……申し訳ございません、部下の皆様。
確かにマズいです。でも母を思い浮かべたのは正解でした、煩悩キャンセルされました。
「とりあえず、光さんと千歳は髪を乾かしましょうか?」
そう言って兄上はスマートに自分の席に光さんを腰かけさせ、優雅にその髪を水魔法で水を集めて乾かします。
私も!と思い、千歳さんを見た瞬間、彼女は風魔法で髪を乾かし終えておりました。
くっ、出遅れた!合法的に触れるタイミングだったのにっ!
「で、どうなさったのですか?」
兄上が集めた水を思いっきり握りつぶして、少し乾燥した部屋に水気が入りました。
……兄上、加湿器いらずですね、やはりすごいです。
兄上の言葉に光さんと千歳さんが見つめ合って、頷き合ってから光さんが口を開きます。
……なんでしょう、めちゃくちゃ仲良くなっておりませんか?
「まず、先ほどの『追跡者』の件です」
光さんの言葉に兄上がコクリと頷き、私も結界魔法を更にもう一重に増やします。
「何か分かったことがありますか?」
兄上の落ち着いた声に私も『追跡者』について思い出します。
「まず、あの人物は『認識阻害の仮面』と黒の外套だった。背丈は私よりも高いですが、清澄さんより低い、だったと思いますが、合っていますか?」
「ええ、私もそう見ました」
光さんの確認に兄上も答えました。私から見ても『追跡者』はそのぐらいの身長だったと思います。
「手は、見ましたか?」
「手?」
光さんが言った言葉と、兄上の疑問。私は思わず自分の手を見ました。光さんは兄上の手を取って、そして自分の手と重ねます。兄上と光さんの手は一回り程さはあるでしょう。
「見ていただければ分ると思いますが、女が男装しようと思っても、唯一隠せないのは『手』です」
そう言われて、兄上と光さんの手を見比べます。
兄上は筋張っていて、男にしては細い方ではありますが、光さんと比べれば明らかに太い。
いや光さんの手は指がすらりと伸びていますが、剣士としてしっかりしていても、女性らしさが見える手です。
思いだしてみても、最強と言われた剣士の母でさえ、父と比べても、私たちと比べても手は小さく、女性と分かる。
全員から湧き上がる色は紫。
不信感、不安感、何と言えばいいか分からない気持ち悪さを浮き上がらせる。
それと同時に、ぞわりとした感覚に襲われます。
あの剣士は明らかに強かった。
それこそ、兄上、光さん、千歳さんの最強クラスの剣士を三人相手にしても、余裕を感じさせる剣士だった。
「……そう言えば、使っていた剣の柄は細身でしたね。剣自体も細身なものでした」
兄上がハッと気が付いたようにそう言います。
「確かに体格では『男性』だと思い込んでいましたが、『追跡者』が女と思うと納得する点があります」
兄上はそう言いながら光さんを見ました。
「光さんは空中で身体を反転させることが出来ますよね?」
「反転、ですか?」
「要は後方の回転からの切り替えしです」
兄上の言うことをすぐに理解しました。光さんは空中で身体を反転させて攻勢に出ることが出来ます。
身体を空中で反転できますが、私も、兄上も、多分ですが綾人さんも出来ないでしょう。
ですから、私がいつも結界魔法で足場を作ります。
たぶん女性であるが故の身体の軽さ、重心の低さ、骨盤の柔らかさ、この辺りが関係するのでしょう。
思いだして私が映像魔法で、光さんが『蝕毒』と戦闘した時、空中で後方宙返りして触手から逃げた映像を映し出しました。
私の記憶から持ち出す映像ですが、こういった記憶を映し出すのは得意なのでかなり綺麗な映像が映し出されました。
光さんは着地したところからすぐに、次の攻勢に出ている。
しかも自分を狙って通り過ぎた触手の付け根に走り込み、ソコを切り落とした。
「ああ、これです」と、兄上が言うのに対して、光さんも、千歳さんも、首を傾げます。
……千歳さんの服を乾かすべきでしょうか?今は母上を思い浮かべて落ち着きましょう。
とりあえず煩悩を追い払ってから自分の記憶の映像を見ました。
「こういう動きをするとき、男ではすぐに反転攻勢に出られません。ですから、違う場所を薙いで時間を稼ぐのです」
兄上の言いたい所を理解して、兄上が同じく『蝕毒』と戦った際に、触手から避けた際の映像を映し出します。兄上は触手の通った近くを切り落としてから付け根を切り落としに行きました。
「「あ、なるほど」」
光さんと千歳さんの声が揃いました。
「確かに『追跡者』はすぐに反転攻勢に出ていましたね」
光さんは納得したように映像を凝視しています。
「ついでに言えば光さんが上から切って、私が足元狙って、清澄様が横薙ぎで切った際も空中でそのまま捌きましたね」
千歳さんの言葉に、確かに『追跡者』は空中で兄上の剣を受け流しました。
考えれば、考えるほど、『追跡者』が女であると考える方が自然な気がしてきました。
「あと、もう一つ気になったのですけれども」
千歳さんが思案し続けるような顔でそう続けます。
「あの『追跡者』は春の国の人間かと思います」
「「えっ?」」
千歳さんの言葉に思わず驚く声が出たのは私と光さんです。兄上も驚いて目を丸くしていますが、声は出ませんでした。
「何故そう思ったのです、千歳?」
兄上は冷静に千歳さんに質問しました。すると千歳さんが見たのは光さんでした。
「……光さんにお尋ねしたいのですが、冬の国の剣……『刀』とは、片刃の武器、ではないでしょうか?」
その言葉に光さんの方が目を丸くしました。
「ええ、その通りです」
光さんが静かに答えますが、それに対して千歳さんは「やっぱり」とだけ呟きます。私たちの視線に応えるように、千歳さんは言葉を続けます。
「光さんが剣を使う時、そのまま戻すことはせずに、必ず剣の向きを変えるのが気になっていました。それで、思い出せば、冬の国の騎士たちは、同じように剣を振り返すときは刃の向きを変えます。」
そう言われて見て、光さんを見ました。
光さんは何も言わずに持たされている剣を抜いて下から上に振り上げ、下に降り下げる。
その瞬間に、確かに剣をくるりと向け変えていた。
「……確かに、『刀』を使うとこの動きが出ますね」
光さんは納得したようにそう言われました。
「『追跡者』はこの動きがありませんでした。『剣』に慣れた人間……そうなると、あの『追跡者』が冬の国の人間ではないと思います」
千歳さんが浮かび上がらせる色が水のような透明感のある青。彼女は心からそう思っているのだと伝わってくる。
兄上も同じような青を浮かべます。
ただ、光さんは少し色を変えました。僅かに紫に似た色。
疑念――何か気になることがあるのだろう。
兄上も同じ色を見たのでしょう。
「光さん、気になることがありますか?」
兄上の言葉にハッとして顔を上げた彼女が浮かべた色は紫。
「あの使い魔について、気になりまして」
「使い魔?」
兄上が繰り返すように言って思い出したのは、私が撃ち落として、結界に焼かせたあの黒い鳥。
「私は、ずっと『追跡者』を冬の人間だと思っていたのですが……考えてみれば使い魔の目の色は赤だったな、と」
光さんの言葉が、我々はよく分からず首を傾げてしまうのでした。




