二十九節 『兄』と『姉』
Side 秋里 綾人
昌澄の魔力コントロールは目を見張るものがあるな、と思いながら、目配せをしてからこっそりとその場を離れた男の後を歩いた。
俺は魔力量の所為もあるだろうが魔力コントロールが苦手なもんで大規模にぶち壊すなら得意だが、昌澄のように仔細に、細かく、正確に魔法を放つのは苦手だ。
清澄もまたコントロールは一般の騎士から見れば得意な方だろうが、どちらかと言えば俺と同じで魔力量で押し切ってしまう方が得意だ。
で、目の前のこの方、第三王子昆明殿下もまた、魔力量が膨大で、子細なコントロールは得意ではない。
王家の『血統魔法』――結界術の魔法を持たれるこの方は、王家の中でも代わりのいない存在だ。
「で、なんのコソコソ話ですか『殿下』」
いつものような口調で、臣下として話を聞く。
「すみませんね。ただ、違和感が拭えないんっすよ」
「違和感?」
「川上副団長の件です」
昆明からの言葉にハッと息を呑んだ。
俺が納得しきれなかった件だ。
川上は俺よりもかなり年上だが、長年第一騎士団の副団長を務めた人間だ。本人は二番手の参謀職の方が性に合うと言って、三度に渡る『団長任命』を断り続けた男だ。
『団長任命』は基本的に団長の独断で行われる。要は前団長が、次の団長を選ぶ制度だ。
しかし、彼は三度も断り、副団長であり続けた参謀だ。
なにより――『娘の悲劇を繰り返さない』と常々言っていた男だ。
俺を息子のように導いてくれた男でもある。
その川上が、裏切るのは呑み込み切れない事実だった。
「俺は、おかしいと思っています。川上副団長は娘さんの悲劇を繰り返さないために、ストッパー役の副団長であり続けた方です。その彼が、娘さんの件を今更ぶり返すのは何かおかしい気がします」
昆明の言葉で、自分の中の違和感が、ぼんやりした霧から形あるものに変わった。
「……殿下、俺に、第一騎士団に、川上の捜索命令できないでしょうか?」
臣下として、その願いを口にする。でも昆明は苦笑いを浮かべた。
「現実的には、難しいです」
上部の言葉でなく、事実を伝えてくる昆明。俺がコイツを信頼しているのはこういうところだ。正面切って、俺に話をしてくる。
王族らしくなくて、それでも王族らしい。
「ですが、第二騎士団に調査を命ずることは可能です。」
力強く言い切った昆明は俺をまっすぐに見つめる。
「『一条 光』を人質交換とすることが今朝の閣議で正式に決定しました。」
その事実は先ほど聞いた。春の国の先日の王都での戦闘を見た上層部が、あの力を我が国でコントロールは不可と判断した結果だ。
まあ香の秋里の血統魔法――『業火』と、光の一条の闇の魔法。
どちらか一つならば、『業火』を取ったということだ。
「三か月後に『秋里 香』と人質交換となります。」
昆明の言葉に迷いはなく、ただ、思ったよりも早いと感じた。
いや、香に害が及ぶ前にと急いだ結果かもしれない。
「場所は喜哉になります。」
その言葉にハッとした。そして昆明の意図が読めた。
――光の移送。
「故に、『一条 光』の身柄を喜哉に移さねばなりません。ですから、今回の調査団を移送の護衛として第二騎士団を、要人警護として『瞬木 千歳』を組み込む。俺が出来る精一杯はそこになります」
真剣な眼差しで、そう言い切った昆明に、俺は笑うしかない。本当に、最大限の譲歩だと、理解できるからだ。
「いえ、ありがたい申し出です」
「すみません。精一杯の落としどころはその辺りです」
悔しそうにそう言う昆明は、むしろ俺の気持ちを最大限に慮っての処理だと思う。
それに、昆明もまた王都から出ることが出来ない。
コイツが担う国の防衛システムは王家の『結界術』と本人が作り上げた結界魔法の複合だ。
――あと数年ほどすれば、昆明に、万が一の事態があっても、今後百年は持つだろうと言われるシステムが完成する。
今は、時期が悪い。
「川上副団長の件は朝比奈兄弟にお任せするのが一番適任かと思いましたので……」
「そうだな。清澄も昌澄も……俺と同じようにあの人に騎士団の何たるかを教わった。あの人の娘の悲劇を繰り返さないために」
そう言って目を瞑る。
懐かしいが、父が最初に剣の稽古を頼んだのは若かりし日の川上だった。
まさかその場に居たのが同じ年の清澄で、川上を取り合って喧嘩したのも懐かしい思い出だ。
どっちが先に稽古をつけてもらうかで揉めて、互いに覚えたての炎と水の魔法をぶつけ合って……川上に思いっきりゲンコツをもらった。
思えば――初めて水蒸気爆発を起こしたのはあの時だったな。
まだあの頃は、今ほどの威力は無かったが、それでも、訓練場の壁は見事に壊れた。
『お前らの魔法は人を傷つけるものではなく、人を守るための魔法だ!互いを傷つけあうな!互いを守れ!』
「まあ、清澄ならやってくれるだろう」
フッと笑いながら、ケーキを食べる『一条 光』をとろけるような視線で見続けている清澄。
ありゃ、自覚してねぇかもしれねぇが、清澄の父親が母親を見る甘ったるい視線とよく似ている。
「……皮肉なもんだ。光もまとめて春の国に送ってくれればこんなことにならなかったのにな」
思わず口にしてしまった言葉に、嫌気がさす。
ソレはどう考えても不可能なことで、兄弟一緒でなくとも、幸せになるように決断した親の最大級の愛情だ。
俺も、殿下も、そして清澄にも、どうにもできないことだ。
あの黒髪と金色の太陽眼。それを持っていた時点で、光が春の国で安全に暮らせるわけがない。
逆も然り。
香もまた、紅茶色の髪と、業火の瞳を持っている時点で、向こうの国で安全には暮らせない。
「どんな運命だ。探していた『姉』が敵国の『姫』なんぞ……物語よりも残酷じゃねぇか」
俺は思わず目を覆った。
『妹』は甘いものが大好きで、甘えん坊で、愛される末っ子で。
泣き虫で――それでも『絶対に姉と弟に会うんだ!』と泣きながら剣を握り続けた頑固者で……。
どうにもならない、そう思っても、どうにか一目でいいから、妹に『姉』を見せてやりたかった。
おい、香――お前の自慢していた『姉』、凄いぞ。
何だあの剣技、頭脳、聞いていたより数倍……いや数十倍凄い姉ちゃんだぞ。
『ねえ、綾人兄さん!聞いて!
私の姉さんね、この本を読んでくれたんだよ!全く同じ本!あの時の姉さん、たしか5歳だよ!?すごくない!?」
明るい声で自分の記憶の兄弟を思い出す度に嬉しそうにしていた『妹』。
『姉さんと会えたら、ケーキ食べて、お茶して、何していたか聞くの!
それでね、一緒に寝るんだ、同じベッドで……昔みたいに」
お前の夢は叶えてやれない。
ただ、どうにか、人質交換の時、対面させてやりたい。
可能な範囲で最大限、出来ることをしようと、俺は笑う。
「まあ、幸いにして俺は第一騎士団の騎士団長だ。使えるものは、全部使うさ」
俺の独り言のような決意を聞くのは昆明だけだった。




