十五節 ラブレター
Side 一条 光
渡された手紙に、一年と少し前を思い出した。
吐いた息が白く凍りつき、脇腹の傷がじくじくと痛む暗く辛い戦場。
振り落ちる雪が濁った目も、動かなくなった四肢も、全てを白く覆い隠した。
パチッ、パチッと響く篝火の跳ねる音が、まだ耳に残っている。
仲間を守りたかった。
家族を喪いたくなかった。
『一条家』という重荷を八歳から背負い続けた私は、あの戦場で、決断をしなければならなかった。
仲間を盾に自分が生き残るか、
自分を質に仲間を生かすか。
傷を負った篠宮さんを見た瞬間、澪が泣き出す未来を想像してしまった。
もう、その時点で、自分は死ぬ覚悟をした。
でもあの雪の戦場で、私はオアシスのような彼を見てしまった。
穏やかで、水のような落ち着き方で、戦場にいると思えないほど高潔な騎士。
その人を目に捕らえた瞬間、私は一世一代の賭けをすることにした。
それは騎士としてではなく、女としての賭けだった。
『一条 光』という、冬の国で一番高貴な女性。
この肩書を、存分に使うつもりだった。
最悪は……向こうの慰み者になる覚悟だってしていた。
怖くない――と言えば、嘘になる。
でも身体一つで済むのなら、構わないと思っていた。
でも、待っていたのは、幸せな世界だった。
女であることが悪いことでもなく、女であっても立っていられる世界。
そこが、探し続けた『妹』の世界と知り、私は人知れず涙を流した。
誰にも見られないように、毛布にくるまり、袖に涙をしみこませて、
鉄格子の窓から見える夜空を見ながら、貴族牢の中でひっそりと。
その内に、私を捕らえた騎士……朝比奈 清澄は私の暇つぶしに本を持ってきた。
本は好きだが、読む暇なんてなかった。
読んだ本は、優しい話ばかりだった。
彼はそっと本にメモを挟んでいた。
『続きものですから、赤い表紙の本から読むと良いですよ』
『この本は私のお気に入りです』
『こちらは怖い話なので昼間に読むことをお勧めします』
小さなメモが、乾いていた心を潤すような気がしていた。
僅かな時間を春の国で過ごし、私は世界の広さを知った。
ふと、首に掛かるネックレスを見た。
彼から渡された魔石。
薔薇のような形に作られた、精巧な人造魔石。
弟は、コレを見た瞬間、感激で言葉になっていなかった。
コレに相応しいチェーンを作ると、せっかくの休暇の内、3日も使ってチェーンを作っていた。
そんな労力を掛けなくても……。
なんて言おうとしたのを弟は気づいたのかもしれない。
『姉さんが魔石を贈った時点で、俺たちの中ではその人は姉さんの旦那になるんだよ』
嬉しい反面、複雑な気分でもあった。
『あとね……本当は香姉さんにも同じぐらいのモノ作りたかった。でも時間が無かった。次に会う時に、もっといいものつくれるように、姉さんが実験台になってよ』
弟の言葉に、複雑に笑った。
思い出したそんな記憶を頭の片隅に追いやって、私は白紙の紙を見た。
折りたたまれた紙を開き、ゆっくりと浮かび上がるのは、本に挟まれていたメモとよく似た筆跡。
『お久しぶりです。寒い日が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか?』
そんな文面で始まった手紙をゆっくりと読み進める。
『春の国でも魔物の狂暴化は多く確認されております。
昌澄と香さんは冬の国との国境近くで原因解明の特別任務と言うことで、三か月ほどの長期任務と言うことになっております』
「清澄さんらしい」
余りに明快な手紙に、流石だな、と感心してしまう。
春の国は、こういう時の統率が早い。
逆に我が国は烏合の衆と化し、決定がまとまらない。
皇帝が傀儡なのだから、仕方ないとも思う。
あの人は周りに言われるがまま、特権階級に甘い蜜を吸わされ、吸わしている。
その息子……皇太子はもっとひどい。
『弟が迷惑かけていないか心配ではありますが、優秀な子なので上手く使ってください』
「確かに、破天荒な弟さんですよね」
『もし昌澄が暴走しかけたら、脇腹に手を突っ込んでみてください。昔からの弱点です』
「へえ、もしその機会があればやってみます」
思わずくすりと笑って手紙を読み進める。
近況が書き連ねられ、あの短い期間で出会った春の国の人間のことまで書いてくれていた。
昌澄さんは、千歳さんとデート出来るぐらいに仲が進んだらしい。
あれだけ『好き好き』オーラを出す昌澄さんと、全く気付いていない千歳さんを思い出して、ふふっと笑いを溢した。
ただ、少しだけ、その日常を羨ましく思った。
『この前、冬の国の出身だという女性と会いました。』
急に手紙の内容が変わった。
『その女性に、人造魔石のことを聞きました』
ドクッ、ドクッと心臓が鳴り響くような感覚。
それでも手紙の文字を読み進めてしまう。
『魔石を家族に加工して貰うということは、教えてくださいませんでしたね?』
「……え?」
読んだ文字をもう一度、読んだが、同じ言葉だ。
『婚約の証だとは聞きましたが、まさか家族に認めてもらうまでが儀礼だと知りませんでした』
「……わざとですよ。だって、誰にも祝福されない」
言葉にした瞬間、自分でも卑怯だと思った。
苦し紛れに出た言い訳の言葉が、舌の上でひっかかった。
どう考えたって、貴方との未来は茨の道。
胸に広がってくる黒が、妙に苦しくなった。
『つきましては、そちらにいる間に、昌澄に加工の仕方を教え込んでおいてください』
昌澄さんに魔石の加工。
「はっ?……た、確かにできそうですけれども、え?」
混乱しつつも、彼の兄弟で加工できそうなのは昌澄さんしか思い浮かばない。
お父様は知らないけれども、お母様はそれこそ澪と一緒で魔力爆発を起こしそうだ。
『光さんへ渡した魔石は冬の国の基準で考えておりますので、ちゃんと家族に加工して貰ってくださいね』
「……もう、加工も終わっていますよ」
思わず魔石を握りしめて、手紙の文字を指先でなぞった。
手のひらで感じるチェーンで、
満が、誇らしげに差し出してきた日のことを思い出した。
そうか、満がこのチェーンに労力を掛けたのは
――私を祝福しているのだと、伝えたかったのね。
『貴女が憂いなく私の隣に帰ってくる日をお待ちしております』
手紙の文字が滲んだ。
その柔らかな文字を、思わず胸に抱いた。
ふー、と小さく息を抜いた。
何故か、胸の重さが取れ、息がしやすくなった。
「……ふふ、困った人ですね」
思わぬ手紙の内容に、笑いが、零れた。
春の国を見て、母国に帰った私は、この国を変えるために立つことを決意した。
女でも、自分の脚で立てる世界。
私は、そんな世界にこの国をしたかった。
何よりも、それを望む、正光殿下が立ち上がった。
戦うつもりで、『一条家』の全権を使って、正光殿下を支えるのを決めた。
その矢先に、正光殿下は『呪術』に侵された。
私の母は……『呪術』に殺された。
私の父は……母を救うために、『一条の闇』で母を灰にした。
あの恐怖の夜を私は忘れられない。
『一条の闇』は愛する人間ですら……奪っていく。
あの恐怖と――もう一度戦わないとならない。
その恐怖に立ち向かう勇気は、彼がくれた短く、温かい、淡い春の夢。
私の勘違いでもいいから、それを心の拠り所にした。
でも、この手紙は――勘違いでないと、言ってくるような気がした。
「ラブレター……初めて、貰ったかもしれませんね」
彼の整った文字を指でなぞれば、胸の奥がじんわりと熱くなった。
彼の文字で書かれた白紙を畳んだ。
幼い頃、父が母に手紙を送っていた。
その時の母は、とても嬉しそうだった。
「ねえ、母様……私、初めて、母様の気持ち、分かりましたよ」
そう呟きながら、私が手を掛けたのは、執務机の二段目の引き出し。
私の黒髪には似合わない豪華な黒い簪。
母の紅茶色の髪で揺れる綺麗な黒。
その記憶を呼び起こすように、黒い魔石を指で撫でる。
父親の黒い魔石が埋め込まれ、いくつもの小さな黒い魔石が波を表すように流れている。
急に香の姿が頭に浮かんだ。
母親と同じ紅茶色の髪に流れる黒は、香に似合うだろうな。
大切な簪――母の唯一の形見。
この加工をして、両親を祝福した家族を、私は知らない。
折りたたんだ手紙は簪と共に閉じ込めた。
引き出しを閉めた音が、やけに大きく響いた。




