五節 一条の女帝
転移魔法で変わった視界は、鮮やかな赤を基調とした屋敷だった。
なんというか、古風というか、長く丁寧に使われた建物、というような感じがします。
なんというのでしたっけ?確か、唐風とか言われる建物様式だったと思います。
「おや、お嬢様。お帰りなさいませ」
スッと頭を下げながら出てきた初老の男性。
冬の国の伝統衣装の前袷のある服を纏ったその人は気品を感じさせる所作で出迎えました。
白髪に交じる黒髪が、元は黒髪であったのでしょう。
頭を上げた男性の顔には皺が刻まれています。
「……あと、お客様、で、え?」
優しげな視線が真っすぐに向いたのは『ケイト』さんの肩に乗せられた香さん。
彼女を見た瞬間、彼はその小さな目をこれでもかと大きく開いた。
「よもや……よもや、そのお方は!」
「爺、時間がないの。挨拶は後。とにかく急いで『清酒』を持ってきて。あと篠宮さんに急いで……」
「光、成継は私が連れてくるから、とりあえず、『清酒』で応急処置しておいて」
そう言った澪さんに、反応したのは『リク』さんだった。
澪さんをエスコートするように手を差し出し、そして二人は魔法陣とともに消えていきました。
『成宮さん』『成継』と聞いて思い浮かぶのは冬の国の第四師団の師団長の男。
澪さんの旦那さんという方がいいでしょうか?
しかし、彼は風の魔法を使う軍人のイメージが強く、何故彼が?と疑問が浮かびます。
「まさか!?誰か!すぐに『清酒』をお持ちしろ!蔵の神棚の物を持ってきなさい!」
私の思考に答えはなく、『爺』と呼ばれた男性の通る声に、慌てるように若そうな男性が走り出した。
バタバタと動き出す屋敷内。
そんな中、『ケイト』さんが香さんを床に降ろしました。
「香様でございますね?」
ニコリと笑う初老の男性は香さんの手を取りました。
「ご安心ください。こちらの『呪術』は成継様がお越しになられれば、間違いなく元通りでございます、ご安心なさってくだされ」
「おい、ジジイ。まだ、何も説明しとらん。混乱させること言うんじゃなき」
「なっ!?なんですと!?我が孫は脳まで筋肉になったのか!?このぐらい説明しとかんか!」
「じゃかしい!つべこべ言わんと、さっさと清めのもん用意せんか!」
「お前が言い出したのだろうが!」
パンパン、っと綺麗な音が響きました。
それが、光さんが手を叩いた音だと気づき、ケイトさんと初老の男性はピタッと止まりました。
「そこまで。とりあえず、爺は清めの準備を。ケイト悪いけど女中に香の着替えを持って来させて。私の服で問題ないわ」
「「承知致しました。」」
「で、香、昌澄さん、とりあえず私に付いて来てくれる?」
そう言った光さんは靴を脱いでから、屋敷に入りました。
少々慣れない文化ですが、知識としては知っていたので、とりあえず靴を脱ぎます。
香さんも、習うように靴を脱いで、光さんに続きました。
一歩上がったところで、女性が近づいて、光さんが脱いだ外套を受け取ります。
その女性は私の外套も脱がせ、香さんの外套を取ろうとして手を止めました。
「お着替えを急いでお持ちしますね。お嬢様、応接間にお持ちすればよろしいですか?」
「ええ、お願い。出来れば湯殿も準備しておいて」
「承知しました。」
スッと頭を下げた女性はそのまま小走りで去って行く。
光さんが歩く後ろを、香さんと私が並んで歩きます。
いざという時のことを考えて、香さんの右手を掴んでおりました。
「昌澄さん」
急に話しかけられて、驚きつつも「なんでしょう?」となるべく普通に答えました。
「一条家の屋敷内なら警戒を緩めても問題はありませんよ。貴方なら見えていたでしょう?」
光さんの言葉を正しく理解するならば、『一条家の人間が見せた色は安心できる色だったでしょう?』とのことでしょう。
確かにこの場に来てから見える色は緑、黄色、親愛、信頼の色ばかり。
だからと言って、いきなり警戒を解けるほど、私は図太い性格をしておりません。
「もう少し、慣れてからにします」
そう答えれば、光さんがニコリと笑います。
光さんが足を止めた部屋。
その中に入れば、パっと明かりがつきました。
「魔道具?」
香さんの声に光さんがフッと笑いました。
「覚えている?」
その言葉に、香さんが静かに頷きました。
二人にしか分からない言葉なのでしょう。
ただ、光さんが私たちを室内に招き入れ、そして彼女が床に腰かけました。
意外にも香さんは抵抗感もなく、ストンと、光さんの隣に座ります。
「ああ、昌澄さん。慣れないようなら椅子を持って来させますよ」
そう言った光さんに「ご心配なく」とそのまま床に腰かけました。
床に敷かれた敷物は、思ったよりも柔らかく、座り心地が良いモノでした。
「お嬢様、清酒をお持ちしました。あと香お嬢様のお洋服も」
そう言いながら入ってきたのは、先ほどの初老の男性。
瓶に入った多分『清酒』と思われるものと、木でできた桶のようなものを持って入ってきました。
後ろから来たのは先ほどの『ケイト』さん。
洋服……ではなく、上着だけ持って来たらしく、香さんに掛かる外套を取り、そしてその上着を掛けてあげていました。
なんというか、本当に言葉のわりに紳士な方だな、と場違いに思ってしまいました。
「では……」
そう言って初老の男性が瓶を持ったところで、光さんが手で制しました。
「私にやらせてくれる?」
そう言われれば、一瞬驚いた顔をした『爺』と呼ばれる男性がニコリと笑って光さんに瓶を手渡します。
「まず香、この痣は端的に言えば『呪い』なの」
そう言いながら、きゅぽん、っと瓶の栓を抜く音が響きました。
「呪い?」
「ええ。冬の国でも使える一族は限られている。そして、この『呪い』は腐食の呪い……」
「腐るって、こと?」
香さんの問いに、光さんは頷きました。
その言葉に、私は彩眼で香さんの腕を見ました。
確かに気持ち悪い、まるで無数のミミズのような形の黒い影が、香さんの腕に巻き付いています。
「しかも、国から出ると発動するようになっているの。……亡命できないように国に縛り付ける手段として……ね」
「つまり、私の腕は、春の国に帰ったら腐るって、こと?」
「そう。それでこの『清酒』はまあ『御神酒』とも言うけれども……神聖力の込められたお酒で、『邪悪なもの』はこの酒に溶かされ、浄化される」
そう言いながら光さんは香さんの腕の裾をまくり上げ、桶の上に腕を置きます。
ゆっくりと腕にかけられた『清酒』はじゅわじゅわッと蒸発するような湯気を出します。
その湯気に混ざるのは間違いなくアルコールの匂い。
光さんの言葉は正しいようで、アルコールの匂いに混ざる黒い靄がシュッと消えていくのが見えました。
「まあ、篠宮さんが来れば多分、大丈夫だと思うけれども」
ただ、香さんは全く痛みを感じていないらしく、驚いた顔で自分の腕を見ます。
彩眼で見える腕の周りに巻き付いたミミズのような黒い影が、苦しむように暴れまわっています。
じゅわじゅわ、とした音がだんだんと治まってくれば、香さんの腕の痣の色が、薄い赤色に変化しています。
ただ、まだら模様のように、紫色の斑も残りました。
「軽い呪いだったみたいね……篠宮さんが来れば問題ないわ」
「じゃけんな。前に食らったやつは骨まで腐ったからな」
光さんの言葉を補足するように『ケイト』さんが続けました。
ただ、光さんの顔から笑顔が零れたことで、香さんもホッとした表情になりました。
二人が浮かべた緑色が徐々に混ざるのは、何と言えない気分になります。
「さて、香は一度、湯殿に行って温まってきなさい。顔色が悪いわ」
そう言いながら、光さんは香さんの頬に手を当てて、穏やかな表情で見つめました。
「え?」
突然の言葉に香さんは驚いた表情になりました。
確かに香さんの顔色は非常に悪いですし、唇は血の気を失って白に近くなっております。
心配になるのは同意しますが、どうやら光さんの意図は……そう思い、戸惑う香さんの視線にニコリと笑いました。
「爺、香を湯殿へ」
そう言った光さんは近くにいた女性に手招きして、そして耳元でコソコソと何かを話しました。
光さんの言葉に、女性は目を輝かせて光さんを見ます。
そして光さんも楽しそうに笑いました。
「じゃあ、よろしく」
「ええ、お任せください」
そう言って去っていた女性を見つつ、私に集まった視線に、私も視線を向けました。
「さて、昌澄さん。色々とお話ししましょうか?」
ニコリと笑う光さんに、なんでしょうね、背筋が伸びるような感覚になります。
ええ、香さんが居なくなった途端に、私に向けられた殺気は、正直に言えば胃が痛くなりそうです。
氷点下に冷え切り、鋭い殺気が無数に飛んできます。
まるで女帝のような空気を纏う光さんに、思わず冷や汗が流れそうでした。
「みんなちょっと落ち着こう。彼は信頼できる。……し、その頭脳を借りたい」
光さんが歪めた唇は愉快そうな弧を描いておりました。




