私は嫌々掃除をしているのではなく、大好きだから掃除をしてるんです
「ルナージュ! この部屋、午前中に掃除しておきなさい!」
「分かりました、お義母様」
一日の大半は掃除をして過ごす。
ハタキで埃を落とすところから始まり、箒、モップ、雑巾がけ、タワシ……。
朝、昼、晩に粗末な食事を出され、夕食後には物置きのような一室で読書や勉強をして過ごす。
夜が更けたら、木箱を積み重ねただけのベッドで眠る。
これが私の一日だった。
5歳の頃、子爵であった父とその妻である母が、同時に亡くなった。
馬車で領内を視察中の不幸な事故だった。
病院に運ばれた両親は、最後まで領民と、そして娘である私を案じて息を引き取った。
自宅にいた私は使用人に連れられて、どうにか看取ることができ、そんな二人の姿は今も私の誇りだ。
私は父の弟――つまり叔父の家に引き取られることになった。
当主を受け継ぐことになった叔父はこう言って笑っていた。
「『掃除をしていたら金塊が見つかる』とはこのことだな」
これは“思いがけない幸運”という意味のことわざで、叔父の一家に父の死を悼む気持ちは一片もなかった。
幼い私から見ても、明らかに当主としての器量に欠けていた。
叔父夫婦には一男一女がおり、私は年齢が一番下だったので、末妹として引き取られた。
養子にしたのはおそらく世間体のためだろう。悲劇の少女を家族として迎え入れる、というシナリオにしたかったのだ。
叔父――いえ、義父の邸宅は汚かった……。
ただでさえ使用人を雇うのをケチっている上、本人たちもだらしがなかったので、当然といえば当然だった。
棚を指でこすると埃がつく。
義父一家からすれば、私はタダで雇える使用人のようなものだった。
徹底的にこき使われることになる。
「ルナージュ、リビングを掃除しておけ!」
「キッチンも頼むわね」
「俺の部屋、掃除しとけよ!」
「ちょっとぉ、廊下が汚いわよ!」
掃除、掃除、また掃除……。
もちろん、これは義父たちのいびりでもあった。
彼らは私の父という存在によって、本来日の当たらない存在だった。
それが当主の座をちゃっかりゲットし、前子爵の愛娘という憎しみをぶつけるのにちょうどいいサンドバッグまで手に入れた。
私をいびり、いじめ、苦しませるのはさぞ楽しかったに違いない。
「靴を磨いておけ」
「屋根裏部屋が汚れてるから掃除しておいてね」
「倉庫も綺麗にしておけよ。最近ネズミが出るんだ」
「庭の掃除もお願いね、大至急」
私は要求に応え続けた。
おかげで邸宅はピカピカになり、よそから訪れた人も「レーゼン家の邸宅は素晴らしく綺麗だ」と評するようになった。
もちろん、そうなっても義父たちは私を褒めることは一切なく、まるで自分の手柄のようにそれを誇った。
「我々は綺麗好きですからな。これくらい当然ですよ」
こうしておよそ10年の年月が流れた。
ふと、鏡に目をやる。
私によって磨き上げられた鏡には、成長した私が映っている。
肩まで伸びた栗色の髪は外側に跳ね、父譲りの赤褐色の瞳。服装は安物のブラウスとスカート。
私は思わずため息をつく。
この10年、本当に大変だった……。
何が一番大変だったかっていうと、それはやっぱり……“大変なフリ”をすることだったと思う。
だって私は、掃除が大好きだから。
3歳ぐらいの頃、母に初めてモップを持たせてもらったことがあった。
まだ物心もつかないのに、私はこう思ったのをよく覚えている。
(あ、私はこれが大好きだ)
歴史に名を残すような騎士は、初めて剣を握った時に「自分はこれが得意だ」と気づくと言われる。
お茶会で名を馳せたある夫人は、初めてティーカップを持った時に「私はこれで生きるべき」と直感したという。
ちょうど、そんな感じだった。
私は掃除が大好きなんだ、とあの時気づいてしまった。
そんな私にとって、義父たちのいびりは最高の環境だった。
大好きな掃除を思う存分楽しむことができる。
だけど、もし「この子は掃除を楽しんでる」と気づかれたら、彼らはきっと私から掃除を取り上げるに違いない。そうしなければ、いびりにならないもの。
だから私は掃除を頼まれたら、嫌そうな顔をしたり、悲しそうな顔をしたり、演技をした。
それでも時々見抜かれそうなことはあった。
義姉にこんなことを言われた。
「あんた、掃除を楽しんでない?」
私は「しまった」と思いつつ、考えた。
正直に「楽しんでます!」は当然ダメだし、ここで全力で「楽しんでません!」と答えるのもあまりに不自然。
だから、視線を逸らして――
「は、はい……楽しんでやらせてもらってます」
と答えた。
義姉は得意げに鼻から息を吐いた。
「そうよね。屈辱よね。当主の一人娘だったあんたが、私たちにこき使われるなんてさ」
狙い通りの結果になった。
この時の私は、一流劇団の女優にも負けない演技力だったと自画自賛したい。
――というわけで、この10年間はある意味大変だった。
しかし、おかげで私はめきめきと掃除の才能を伸ばすことができた。
亡き両親には「心配しないで。私は元気だから」と言いたいし、どうせならもっと広くて汚い場所を掃除したいなぁ、とすら思っていた。
そして、その夢は16歳を迎えようとする頃、叶うこととなる。
***
夕食の時間。私だけは食卓に座らず、周辺の掃除をさせられている。
肉を頬張りつつ、義父が言った。
「今、王都がゴミだらけで汚いと問題になっているようだ」
ゴミ? 汚い? 私もつい耳をそばだててしまう。
「そこで貴族の間で、王家への忠誠心を示すため、掃除する人間を出さないかという話になったんだが……ウチが槍玉に上げられてしまってな。レーゼン家から王都掃除人を出すことになってしまった」
「まあ……断れなかったの?」と義母。
「私の立場も考えてくれよ。なにしろ兄貴の死で当主をやらされてるような身分だ」
やらされている、か。
日頃、当主として甘い汁を吸いまくっているのに、当主としての責任を問われる時になるとこういうことを言う。少なくとも父なら考えられなかった。
「だったらルナージュを出せば?」
義姉の言葉だった。
「それいい! ピッタリじゃん! あいつの趣味・特技は掃除だし!」
義兄も同意する。
バカにするようなニュアンスで言ってるけど、全く間違ってないのよね。
ついでにいうと、好物も掃除だわ。
さっそく義父が私を呼びつける。
「ルナージュ、お前は来月から王都の掃除に行け! ただし、週に一日はこの家の掃除に戻ってくるようにな」
「分かりました、お義父様」
週に六日は王都の清掃、週に一日は領地に戻って邸宅の清掃、という日々が決まった。
私は努めて辛そうな表情をしたが、心の中では大きなお祭りが二つ同時に開催されるような気分だった。
***
翌月、私は王都にやってきた。
王都内の空き民家を借りて一人暮らしをしつつ、週六日は掃除人として働くことになる。
街をパッと見る。
石造りの建物が整然と並び、石畳の道路は逞しく伸び、活気に溢れ、各家庭が家事をするための用水路も行き渡っている。
今、王都は産業の発展に伴い、空前の好景気に沸いていて、それがそのまま景観に反映されているかのようだ。
一見、美しい街並みに見える。
だけど、よく見てみると、とても汚い。
あちこちにゴミが捨てられ、道路には食べ物やジュースの跡がベトベト落ちている。
王都の中心には初代国王陛下の銅像があるのだけど、全く掃除がなされていない。
用水路もゴミや泥が沈殿し、水が濁っている。今は大丈夫でも、いずれ病気を引き起こしてしまいそう。
これは貴族の間でも話題になるわけだわ……。
王都にも掃除人はいるのだろうけど、産業の発達にモラルが追いついていないのでしょうね。
しかも、こんな有様では大変で賃金の安い清掃は辞めて、他の仕事に……となってしまうだろう。
だけど、私にとっては――
(まるで……宝の山だわ!)
なんて掃除しがいのある都市だろう。
いいの? これ私が掃除しちゃっていいの? と尋ねたくすらなってくる。
大多数の人にとっては汚い都でも、私にとっては甘党大食いの人の前に巨大ケーキが置かれたような光景だ。
嬉しさで身震いさえしてしまう。
「……始めますか!」
白いバンダナとエプロン姿の私は腕まくりをして、王都の清掃に着手した。
私はある一画を綺麗にしようと決めて、ひとまず箒でゴミを掃いて全て集める。これだけでだいぶマシになった。
続いて道路の本格的な掃除に入る。食べ歩きをしている人が多いのか、食べ物の汚れが目立つ。
しつこい汚れは水とデッキブラシでしっかり落とす。それでも落ちない汚れは洗剤を使って落とす。
開始一時間でだいぶ綺麗になってきた。
突然街中で掃除を始めた私を、人々は好奇の目で見つめる。
大勢の前で掃除をするのは初めてだったけど、見られる恥ずかしさはなかった。
それよりもこの汚れをそのままにしておく恥ずかしさを払拭したい思いだった。
なので私は行き交う人々の邪魔にならないよう、箒で掃き、ブラシで磨き、モップで拭き、を繰り返した。
私が手を入れた箇所は見違えるように綺麗になった。
一日目としては上出来でしょう。満足した私は王都での自宅である民家に行き、しばしの勉強の後、ぐっすりと眠った。
二日目以降も、私は王都の中心部を一生懸命掃除した。
道路を掃き、磨き、拭き、私が掃除した場所はどんどん綺麗になっていく。
ある時、クレープを食べている青年が包みの紙を地面に捨てようとしたから「こちらへどうぞ」とばかりにゴミ袋を捧げた。
すると、「すみません」と謝って、袋にゴミを入れてくれた。
なんだ、王都民のモラルも捨てたものじゃないじゃない。
注意すれば、きちんとゴミを所定の場所に捨ててくれる。
一週間も経つと、かなりの広範囲が綺麗になった。
ある小さな子が母親に、
「ママ、このあたりだけ街が新品になったみたい!」
と話しかけてる姿を見た時は嬉しかった。
こうした小さな成功体験が積み重なると、私のモチベーションはさらに高まる。
今日も私は掃除道具を手に、街のあちこちを掃除していく。
***
王都に来てから一ヶ月ほど経った頃だった。
私がいつものように掃除していると、ある視線に気づいた。
振り向くと、そこには男の人がいた。
年は私と同じか、少し上だろうか。
耳とうなじにかかるほどの鮮やかな金髪、美しい琥珀色の瞳、白いシャツの上に青いベストをまとっている。黒のスラックスを履いた脚はとても長い。
高貴な人だというのは一目で分かったけど、何者だろう。
すると、私に気づいたのか、向こうから近づいてきた。
「こんにちは」
「ええと……こんにちは」
ニコリと笑いかけられ、私も戸惑いつつ笑みを返す。
「佇まいで分かる。君は貴族の令嬢だね?」
「ええ、そうですけど……」
「なぜ、王都の清掃を?」
「えーと……まず、私はルナージュ・レーゼンと申しまして……」
自己紹介から入りつつ、私は貴族間で王都の掃除人を出すことになり、私の家が選ばれたことを明かした。
彼は腕を組む。
「事情は分かった。しかし、それは君がやることではないのでは?」
「……え?」
「家から掃除人を出すのであれば、君ではなくプロの使用人を出すのが適切だろうし、君は明らかに家族から嫌がらせを受けている」
「そうかも、しれませんけど……」
「同じ貴族として、そのような卑劣な行為を見過ごすわけにはいかない」
……まずいことになった。
私の話を聞いたら、嫌がらせを受けていることは明白なのだけど、私はこの仕事を楽しんでいる。できれば、というより絶対に続けたい。
正直に話しすぎた。と後悔した。
「申し遅れた。僕はアルハイム・エヴリスという。父は王国で宰相を務めている」
「……!」
エヴリス家は貴族なら誰でも知っている名門――公爵家の方だった。
しかも、宰相といえば王国のナンバー2だ。将来的にはアルハイム様も宰相になるのだろう。
まさか、そんな大物が話しかけてくるなんて。
「僕は君をこの窮地から救いたい」
窮地って……窮地でも何でもないんだけど。むしろ楽園なのだけど。
「僕から父に言えば、君がこんなことをする必要はなくなる」
「へ?」
まずい、話がどんどん進んでいく。
「すぐに父に全てを話そう。そうすれば君はこの仕事から解放される。君の義父上たちにもしかるべき罰を……」
「待って下さい!!!」
アルハイム様は目を見開いて驚いていた。
それはそう。たかが子爵家令嬢に怒鳴りつけられたのだから。
「私は……私は……」
一瞬迷ったけど、はっきり言うことにした。
「私は嫌々掃除をしているのではなく、大好きだから掃除をしてるんです。だから……邪魔しないで下さい!」
……はっきり言いすぎてしまった。
前半部分はともかく、「邪魔しないで」は明らかに言いすぎだ。
でも、つい興奮して付け加えてしまった。
この場で「無礼な女だ」と処罰されてもおかしくない失態だった。
しかし――
「ご、ごめん」
アルハイム様は一言謝った。
しかも上からではない、素朴な謝罪だった。
「いえ……」
私も動揺しており、こう返すのが精一杯だった。
気まずい沈黙。
そのままアルハイム様は立ち去っていった。
「しまった」と思った。
もしアルハイム様が怒って、掃除の仕事を取り上げられてしまったら……。
その上で義父一家にそのことを告げられたら……。
私の頭に暗雲が立ち込めた。
それでも掃除はやはり楽しく、私は日没までみっちり掃除をした。
もしかしたら今日で最後になるかもしれないしね。
次の日、思いがけない出来事が起こる。
「やぁ、おはよう」
「あ、あなたは……」
アルハイム様だ。
しかも、昨日とはまるでファッションが違う。
灰色のシャツに、ゆったりとした黒いズボン。焦げ茶色のブーツを履いている。さらに手には箒やモップを持っている。
明らかに作業をする服装であり、アルハイム様は言った。
「掃除を……教えてくれないか?」
「……え!?」
アルハイム様は目を背ける。
「実は何日も前に君のことを知って、ちょくちょく見てたんだけど、掃除をしてる姿が実に生き生きとしていて……。だけど、君が貴族なのは見抜いていたし、望んでいない仕事をしているのだろうと勝手に決めつけ、余計なことをしてしまった。本当にごめん」
「いえ……」
「それで……君を見ていたら僕も掃除をしたくなってしまった。恥ずかしながら、今までやったことはないんだけど、よかったら教えてくれないか?」
私は改めてアルハイム様の全身を見る。
服装だけじゃない。雰囲気からも単なる道楽や興味本位ではない“本気”を感じ取ることができた。
――であるなら、拒否する理由はどこにもなかった。
「いいですよ!」
アルハイム様は本当に掃除のやり方を知らなかった。
基本中の基本、箒の持ち方、掃き方から教えなければならなかった。
当然のことだ。本来、貴族とはそうしたものなのだから。自分の手足は使用人なのだから。
だけど足手まといに感じるとか、教えるのが大変だとか、そういう気持ちには一切ならなかった。
なぜなら、アルハイム様は真剣だったから。
単に面白がって私に教えを乞うのではなく、本当に本気で掃除をやりたがっている。
だから、私も真剣に、そして楽しく教えられた。
「掃除の基本は上から下ですよ! 上から下!」
「な、なるほど……」
「日に日に、あまり疲れなくなってるよ」
「アルハイム様の動きから無駄がなくなっている証拠ですね!」
「この汚れはどうしようか……?」
「任せて下さい! 私オリジナルの洗剤なら落とせます!」
「すごい……洗剤の研究まで……」
一緒に掃除を始めてから二週間もすると、私の教えをだいぶ吸収してくれた。
試しに王都の一角を任せたら、私も満足いくぐらい綺麗にしてくれた。
「ふぅ……どうだい?」
「バッチリですよ!」
「本当かい? 嬉しいよ!」
立派に私の相棒を務められるまでになった。
ただし、私の心に芽生えたのは喜びばかりではない。
「でも、ちょっと悔しいですね。私の10年間を瞬く間に吸収しちゃうんですから」
アルハイム様は首を横に振る。
「いや、そうじゃないよ」
「え?」
「君の教え方がとても上手いんだ。こればかりは実際に教えてもらった僕だから分かる。もし他の人に教えてもらっていたら、僕はまだ箒の掃き方すらままならなかったと思う。君は掃除をする才能だけじゃなく、教える才能もあるんだよ」
アルハイム様は私をまっすぐ見つめ、まっすぐに褒める。
褒められ慣れていない私はどうしていいか分からず、曖昧な返事しかできない。
すると、アルハイム様は私の両肩に手を優しく置いた。
「君のその力は……誇っていいことなんだ」
心の芯が熱せられるような感覚を味わった。
こんなことは生まれて初めてのことだった。
「は、はい……!」
私の両の眼からは自然と――
「あ、あれ……?」
涙がこぼれてくる。
「ご、ごめんなさい。なんでかな……なんでだろ」
アルハイム様はニッコリと微笑む。
「その涙は君がこれまでずっと頑張ってきたという証明だよ」
「……はい」
私は掃除が大好きで、掃除をしていれば満足だった。
だけど、やっぱり心の中には「認められたい」「自分を誇りたい」という思いもあった。
義父一家との暮らしで私が褒めてもらえたことは一度もなかったけど、王都では私の掃除が認められるようになって本当に楽しかった。
そして今、アルハイム様からはっきりと「誇っていい」とおっしゃってもらえた。
嬉しかった……。
私が密かに抱えていた夢がやっと叶った瞬間だった。
この涙はその証なのだろう。
私が落ち着くと、アルハイム様は言った。
「君のその力は、もしかするとこの王国を変える可能性をも秘めているかもしれない」
「どういうことです?」
「うーん……まだアイディアは固まらないけど……そんな気がするんだ」
「ありがとうございます、アルハイム様!」
さすがに私の力で王国を変えることなんてできないと思う。
だけどアルハイム様に褒められて嬉しかった。
最初はただ一緒に掃除をする仲だったけど、私の心の中でアルハイム様はどんどん大きくなっていった……。
***
王都に来てから三ヶ月が経った。
私とアルハイム様の掃除で、王都の中心部はすっかりピカピカになった。
いいえ、中心部だけではなかった。
王都の至るところで、掃除がなされ、綺麗さ清潔さが伝播していった。
私たちの掃除を見ていた市民たちが真似をし始めたのだ。
「俺たちも掃除してみないか?」
「あの二人のやり方をやってみましょうよ!」
「すげーよく取れる! 掃除って面白いな!」
私たちのやり方を見て覚えたようだ。
これにより、王都は加速度的に綺麗になっていく。
かつては汚れだらけだった建物や通りが、今やキラキラと光り輝くかのようだ。
ゴミや汚れを気にしないのが人間であるなら、一度綺麗にしたらそれを維持したいと思うのも人間だ。
王都の人間に、いわゆる美化意識が目覚めつつあった。
これは間違いなく喜ばしいことなのだろう。
だけど私にとっては――
「うう……どんどん綺麗になっていく」
歯がゆかった。
「ああっ、あそこの看板が綺麗になってる! 私がやろうと思っていたのに……! あああっ、噴水も! もう私がやる必要がない……!」
王都民が掃除をするということは、私のお宝がどんどん減っていくということでもあった。
認められるという夢は叶ったけど、私の本質は「掃除したがり」のままだった。
本気で悔しがる私を、アルハイム様は笑顔でなだめる。
「まあまあ、市民たちが自分で掃除するようになったのはいいことだし……」
「そうですけど……」
「向こうの通りにまだ汚れのある区画を見つけた。一緒に掃除しないか?」
「はい、やりましょう!」
アルハイム様との掃除は楽しかった。
おそらく普通の令嬢や令息は、異性とはデートやダンスを楽しむものなのだろう。
ただし、私たちの場合は掃除がそれだった。
アルハイム様との掃除は、息ピッタリで、デートのように楽しく、ダンスのように軽やかだった。
だけど、それだけに――
「あっという間に終わっちゃったね」
「残念です……。もっと二人で楽しみたかったのに……」
「じゃあ、夕方まで街でも散歩する?」
「はい!」
いつしか本当のデートも楽しむようになってたけどね。
***
週に一度、レーゼン家の邸宅にいた時のことだった。
王家からの使者がやってきた。使者といっても王宮の高官であり、義父たちはへりくだって応対する。
リビングに招かれた使者の用件は――
「レーゼン家のおかげで王都は見違えるようになりました。この上はぜひその腕で王宮の掃除をお願いしたい」
私としては願ってもない話だ。王宮の掃除なんてとても楽しそう。
だけど義父が言った。
「そういうことでしたら、我ら一家にお任せ下さい! 一家四人で綺麗にしてみせましょう」
私は驚いた。
てっきり私にやらせる――やらせてくれるものと思っていたから。
使者が帰った後、義父は理由を話す。
「王宮に入るなどめったにないチャンスだ。それにここで王家に恩を売れば、今後の我々は安泰だぞ! 爵位の昇格さえ夢ではない!」
義父の領地経営はお世辞にも上手くいってるとは言えないから、ここで一発逆転したいという思いもあるのだろう。
義母たちは大喜びするが、私は抗議する。
こんな楽しそうな仕事を逃すわけにはいかない。
「待って下さい! 王都を綺麗にしたのは私なんですよ!? どうして……」
義父は眉間にしわを寄せ、敵意に満ちた眼で私を睨みつけた。
「お前如きに王宮掃除など任せられるか! この仕事は我々が担う! お前はすっこんでいろ! 分かったか!」
「……はい」
王宮の大掃除というやりがいのありそうな仕事は義父たちに奪われてしまった。
この日、私はショックのあまり邸宅をいつもより多めに掃除した。
とても綺麗になったけど、気分は晴れなかった。
***
後日、王都でアルハイム様と会った時、私はつい愚痴をこぼしてしまった。
「……というわけなんです。王宮の掃除ができなくなってしまいました」
ところが、アルハイム様の反応は意外なものだった。
「まあ、いいじゃないか」
「どこがいいんですか!?」
つい声を荒げてしまった私に、アルハイム様は温かく笑む。
「君の家族はずっと君に掃除を任せてたんだろう?」
「ええ、そうですけど」
「君にとって掃除は“いつもやっていること”だけど、彼らは初心者に過ぎない。初心者が王宮掃除なんて、剣を初めて握る人が激戦地に飛び込むようなものさ」
言われてみればその通りだ。
あの一家が、まともな掃除ができるとは思えない。
「だとすると、心配ですね……。何かやらかさなければいいんですが……」
「君をいいように使ってきた人たちの心配をするのかい?」
「というより、掃除を任されておいて、かえって汚したりしないかという心配が大きいですね。そんなことは絶対あってはいけませんから!」
「ふふ、君らしい」
アルハイム様は微笑むと、モップを握り締める。
「彼らは彼らだ。僕たちはしっかり王都を掃除しようじゃないか」
「はいっ!」
アルハイム様との掃除はやはり楽しく、夢中になってしまった。
終わる頃には美しい夕焼けが、私たちを紅く照らし出してくれた。
***
――さて、義父たちは大失態を犯した。
それも私の想像を大きく超えるものだった。
王宮の掃除に入ったはいいけど、全く綺麗にできず、評価はむしろ下がってしまう。それどころか、名誉挽回しようと頼まれてもいない箇所を掃除した結果、なんと家宝の一つであるお皿を割ってしまったらしい。
これには陛下も大いに怒ったそう。怒るに決まってる。
だけど、陛下は「依頼をしたのは自分だし不問にする」という判断を下そうとしていたそうだ。
しかし、その後義父は――
「家宝を割ってしまったのは全てルナージュのせいなのです! あいつが『家宝を割れ』と私に命令して……!」
全てを私に押し付けるような言い訳をした。義母たちも同意したそう。
ルナージュに命令された。ルナージュが悪い、と。
だけどこれが陛下の逆鱗に触れてしまった。
「ルナージュという令嬢は、エヴリス公の嫡子アルハイム殿と仲睦まじいという。そのような女性がそんな命令をするわけなかろうが! この期に及んで虚言を弄するとは、余を甘く見ておるのか!!!」
「ひいいっ……!」
「もはや貴様に貴族である資格などない! 貴様らは全てをルナージュ嬢に譲り渡し、国より立ち去れ!!!」
こんなやり取りがなされた後、私はレーゼン家の全てを引き継ぐことになってしまった。
最初は戸惑ったけど、領民を見捨てるわけにはいかない。私は受け入れた。
私はふと『掃除をしていたら金塊が見つかる』のことわざを思い出した。
私は『掃除をしていたら素敵な人と出会う』ことができ、今また子爵の娘としての名誉も取り戻すことができた。
だけど義父たちは『掃除をしていたら全てを失う』ことになってしまったわね。
***
それから、私とアルハイム様は婚約を交わした。
エヴリス家の公爵様もご夫人様も温かく私を迎えてくれた。
アルハイム様と二人で父と母の墓前に報告する。
「お父様、お母様、私はエヴリス家に嫁ぐことになりました。レーゼン家のことは託すことになりますが、どうかこれからも見守っていて下さい」
「あなた方が愛した土地と民は、必ず僕たちで守り抜いてみせます」
祈りを捧げる。
すると――
幸せになりなさい……。
二人でいつまでも仲良くね……。
おぼろげに、父と母の声が――
私はアルハイム様に振り向く。
「アルハイム様、あのっ……」
興奮する私に、アルハイム様もうなずく。
「うん……僕にも聞こえた。君のご両親からのメッセージが……。きっとずっと君のことを心配してくれていたんだろう」
「はい……」
しばらく、私たちは余韻を味わった。
もう声が聞こえることはなかった。
だけど、あの一言だけで十分だった。
お父様、お母様、ありがとう……。私はアルハイム様と幸せになります。
私たちは手を繋いで墓地を後にした。
また掃除しに来るからね。
***
私とアルハイム様は結婚した。
結婚後、アルハイム様は当主の座を受け継ぎ、さらには若くして宰相となった。
その政務能力は高く、めきめきと頭角を現していく。「宰相には若すぎる」なんて声はすぐに抑え込んでしまった。
そして、アルハイム様は思い切った政策を実行する。
なんと“美化大臣”という新たな役職を作り、私を初代大臣に任命してくれた。
私は一度、アルハイム様と王国中を巡り、掃除の仕方を指導した。
王国民は私のやり方を瞬く間に吸収し、あちこちの町が綺麗になっていく。
他国から賓客を招いた時は――
「こんなに綺麗な国は初めて見た」
「この国に来ると、恥ずかしながら我が国が薄汚れているように思えてしまうよ」
「なんと美しい国だ……」
私自身もある国の王様に、
「王国の美しさの秘訣である大臣は、やはり美しいものですな」
と言われた時は悪い気はしなくて、
「よろしければ、私がぜひお掃除をお教えします!」
と答えてしまい、本当にレクチャーして感謝されてしまった。
やがて、王国は『世界一美しい国』と呼ばれるようになっていく。
私も初代“美化大臣”として鼻が高い。
レーゼン家の邸宅で、私は子供たちに囲まれ幸せな日々を過ごしている。
のだけど……。
「お父様、お母様、今日も掃除したよ!」
「お兄様と頑張ったの! 綺麗でしょ~!」
アルハイム様似の長男のアロード、私の子供の頃を思わせる長女のルネス。どちらも可愛らしく、すくすくと、そして掃除好きに育ってくれている。
埃一つない部屋を見て、私は複雑な気持ちになる。
「うん……。綺麗だけど……少しは私にも残しておいてね」
みんながきちんと掃除するから、私が掃除する機会がめっきり減ってしまった。
時には使用人に「掃除は私にやらせて」と言って、困らせてしまうこともあった。
そんな私をアルハイム様はニコリとして慰めてくれる。
「まあまあ、僕たちは庭でも掃除しよう。ちょうど木の葉が散り始める季節だから」
「そうね! よーし、張り切ってやりましょう!」
私は箒を手に、久しぶりに夫との掃除に出向いた。
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。