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ライジング!  作者: 御堂志生
第一章 山を守る女神
8/80

(8)黒い羊

「どう? 水原は」

「ええ、なんとか抑えていますが……」

 水原の着任から一週間が過ぎた。

 眞理子は本部に帰投したばかりの南を掴まえ、水原の様子を確認する。



 富士で、現在使用されている主な登山道には、四箇所の登山口がある。

 その中で、富士山岳警備隊の管轄にある登山口は三箇所。五合本部のすぐ近くにある富士宮口、神奈川に近い須走口すばしりぐち、新五合目が一番低い標高になる御殿場口ごてんばぐちだ。最も登山客の多い吉田口のみ山梨県側にあり、そちらは消防の管轄であった。

 この山開きの二ヶ月で、管轄三箇所に約十万人近くが押し寄せる。事故だけでなく、盗難をはじめ発生する事件も多い。もちろん、それぞれの所轄署から多数の警官が出動するが……突発的な事故に備えて、隊員が各登山口を中心にパトロールに回っていた。

 眞理子と南は実質二人で新人の島崎と水原、二年目の結城を見ている。それと出動を兼任なのだから、仕事はかなりハードだ。幸いにも、山開きからこっち好天が続いていて、大きな事故は起こっていなかった。



「水原の腕は大したものですね。ただ、自信過剰が周囲に悪影響を与えています。特に……島崎でしょうか」


 そのことは眞理子も気づいていた。

 新人は競わせればより一層努力する。安全に対する配慮は必要だが、互いに刺激し合えれば良い関係になるケースが多い。それを見込んで二度ほど本部の壁で同時に訓練を行った。しかし、水原と島崎の場合、登攀技術の差が歴然としていて、逆効果となってしまった。

 眞理子としては、初めから島崎を下として扱うのではなく、それぞれの自覚を促す意味もあったのだ。ところが、調子に乗ると天狗になる水原と、自己内省的な島崎とでは水と油だ。相互扶助的な精神は期待できないことが判り、眞理子は南と相談して、訓練を完全に分けたのである。


「ま、悩むのも訓練の一つだからね。島崎は若いし、精々悩んで貰うとしよう。南は、水原が怪我しないように、充分に注意してやってくれ」

「了解しました」



 そんな試行錯誤を繰り返す中、現在Aシフトで出動している麻生幸広あそうゆきひろ巡査部長と内海敦也うつみあつや巡査の両名から眞理子にクレームが来た。


 隊員十一名を五つのパーティに分け、A~Dのシフトを組んでいる。Aシフトに入るのは、登攀救助において要救助者の傍まで行く、レスキュー隊のエース的ポジションである。

 三十三歳の麻生と二十五歳の内海は、他の山岳警備隊から富士への転属組だ。理論的で慎重派の麻生をリーダーに置き、命令を正確に実行出来る内海をサポートにつけている。

 

 今回、麻生・内海が出動した滑落事故で、補助で入った水原が二人のレスキュー方法に口を挟んだという。

「とにかく、私らには私らなりのやり方がある。確かに奴の登攀技術は優れてるよ。でもそれだけだ。救助とは別なんだってこと、ちゃんと教えておいて貰わないと、安心して仕事が出来ない」

「何で俺が新人に叱られなきゃならないんすか? 俺が麻生さんの足を引っ張ってるって言ったんすよ。冗談じゃねえ」


 どうやら、水原が年下の内海に意見したようだ。麻生の判断待ちの内海に「少しは自分の脳ミソも使えよ」と言ったらしい。

 十五時を回ってようやく昼食にありつけた眞理子の前で二人は怒り心頭だ。


「うん、気持ちは判る。言ってる事も判るよ。でもね、その程度で任務に支障をきたすと言うのなら、問題は自分の中にあると思う。慢心してはいないか、改善すべき点はないか……見つけるチャンスだよ。それに、麻生には内海だけでなく他の後輩にも救助の意味を教えてやって欲しい。内海も投げるのじゃなく、自分がAシフトに相応しいと奴に見せてやれ」


 眞理子の言葉に麻生は何か思う所があったようだ。

 一方の内海は……大事な隊長を水原に盗られたようで面白くないらしい。

「なんか、隊長は水原がお気に入りなんすね? 腕はいいし、隊長の好みはアウトローって奴っすか?」


 内海は、山男らしからぬ茶髪で、おしゃれにも気を配る男だ。水原の指摘通り、言われたことは出来るが、言われなければ出来ない、これは彼の長所であり欠点でもあった。

 そんな内海も二年前の富士着任当初、なんと個室の眞理子を訪ね強引に口説こうとしたことがある。結果は、二階の窓から放り出され散々なものであったが……。

 今では麓に彼女がいるというが、それでも緒方や結城とは隊長の取り合いになることもしょっちゅうだ。先日の食堂での喧嘩も、彼らが当直でなければ内海も喧嘩に加わっていたことだろう。


 眞理子はため息を吐くと、 

「私の好みは……色白で細身で守ってあげたくなるような美少年だ。他に質問は?」



~*~*~*~*~



「……ってタイプが好みなんだって?」


 笑いながら眞理子を茶化すのは、ヘリの整備士、倉元哲明くらもとてつあきであった。皆に倉さんと呼ばれ慕われている。

 二十年前、山岳警察設立と同時に五合本部が建てられ、レスキューヘリも一機配置された。倉元はその整備場が出来た時からここに勤務している。現在は六十代で嘱託扱いだ。

 宿舎管理人の愛子同様、眞理子を十年前から知る人物である。

 

 着任当初、眞理子は右も左も判らず、何ひとつ言われた通りに出来なかった。当時の隊長には叱られ、キャリアの副長には苛められ、他の隊員からは無視されていたのだ。落ち込む度に整備場の隅、ヘリの影で泣いていたこともある。

 倉元はそんな眞理子の弱さと強さを知っていた。


「お前、そんな男と付き合ったこともねぇくせに」

 だいぶ白い物の混じったボサボサの髪と、同じく無精ひげを揺らしつつ、倉元はさも楽しげに笑う。

「好みを聞かれたから答えただけですよ。それとも、定年過ぎの無精ひげを生やしたナイスミドルと答えておきましょうか?」


 眞理子は倉元の希望でお茶を淹れた。簡易テーブルには湯呑が三個並んでいる。

 整備場は独特のオイルの臭いでいっぱいだ。慣れるまではお茶など飲む気にもならないだろう。慣れた今となっては、眞理子の息抜き場所の一つになっている。


「結構なことじゃねえか。奴らは皆、お前さんに惚れ込んでるんだ。部下にとっちゃ隊長さんは神様だからな」

「私は神様には程遠いですよ」

「馬鹿言っちゃいけねえよ。奴らが迷わないように、しっかり見といてやれよ。それがお前さんの仕事だ」

「神様は……羊が何匹も迷ったらどうするんでしょうねぇ」


 眞理子はズズッとお茶を啜りながらそんなことを呟いていた。


「なあ、隊長さんよ」

「……判ってます。大丈夫ですよ。神様目指して頑張ります」

 倉元の言い掛けた言葉を察し、それを遮った。眞理子は自分の使った湯呑をサッと濯ぐと、最敬礼でその場を立ち去るのだった。




 倉元は、そんな眞理子の背中をジッと見送る。

「どうしたんだ? 倉さん」

 声を掛けたのはヘリの操縦士・美樹原一也みきはらかずや警部補だ。山岳警察と同じカーキ色のツナギを着ていた。


 この美樹原は、元山岳レスキュー隊員である。

 五年前、出動中の事故で左足に怪我を負い、リハビリと再訓練を経て、ヘリの操縦士として復帰した。美樹原は操縦士のほかに航空整備士の資格も持っており、倉元の補佐も務めている。


「いや……沖はよくやってるさ。立て続けにあれだけの事故を経験して、隊長になった。大した精神力だ」

「ええ、僕が復帰出来たのも沖のおかげですよ。本当なら五年前に死んでたんですから」

「水原の野郎にも、それが伝わればいいんだがな」


 倉元の願いも虚しく、それは簡単には伝わらなかったのだった。




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