(18)最後の命令
二十分後、今度は担架を背負って眞理子が一人で降下してきた。担架は頭部が固定でき、縦置きで傾斜面に設置して引き上げるタイプのため、総重量は十キロ以上ある。
「上は予想以上に状態が悪い。ロープを延長して隊員たちは後退させた。我々も一気に行くぞ」
眞理子の言葉に、南と光次郎にも緊張が走った。
担架に遠藤隊員を収容し、ベルトでしっかり固定する。先導は南だ。その後に担架の脇に光次郎が付き、万一に備える。最後方が眞理子だった。
斜面は崖というより、泥壁と言うべきか。掴まる場所もなくロープ一本を頼りに眞理子らは上を目指す。
数分後、南から無線が入る。
『隊長、残り二十メートルを切りました。もうすぐ斜面がなだらかになります。一気に担架の引き上げを要請しますか?』
『駄目だ。大型機材の重量で真上の地盤に亀裂が入ってる。わずかな負荷でも耐えられないだろう。上まで昇りきった時点で、全員で担架を抱えて安全地帯まで走るぞ』
『了解』
あと少し……担架が南の言うなだらかな部分に差し掛かったその時、地面に振動が走る。眞理子らは慌てて負傷者を庇った。
大型昇降機本体付近の地盤がめり込み、地面を揺らしたものだったが……これに慌てたのが重機の運転手だった。
彼はあれほど止められていたにも関わらず、ワイヤーの巻き上げ機を作動させてしまう。傾いた大型機材は更に地盤を震わせながら、救助用ゴンドラを引き上げ始めた。
眞理子の横でワイヤーが動き始めた。傾いたゴンドラが上昇してくる。巻き上げに掛かる圧力に耐えられず、大型機材が落ちてきたら……。それに眞理子らのロープがわずかでも絡まれば、底まで一緒に落ちることになる。そうならないまでも、バランスの崩れたゴンドラの動きは読めないのだ。
眞理子はインカムに向かって叫ぶ。
『重機担当、巻上げを止めろ! ワイヤーを動かすな! ゴンドラの引き上げを止めるんだ!』
無線から流れる眞理子の声に、運転手はパニックに陥った。逆の操作で巻き取りスピードを上げたうえに、重機そのものをエンストさせてしまう。
「バカ野郎! 何をやってんだ!」
「早くしろ、早くエンジンを掛けろっ!」
重機付近では罵声が飛び交い、俄に殺気立った。
『大丈夫だ、焦るな! 慌てなくていい。ゆっくりやるんだ』
眞理子は懸命に無線で呼びかけるが、運転手の耳までは到底届かず……。
その瞬間――大型昇降機本体が完全に横倒しになったのだ。傾いた状態で巻き上げようとした為、地盤が持たなかった。落下ではなく、横に倒れたのが幸いだ。しかし、それに繋がった救助用ゴンドラは、四本のワイヤーのうち一本が外れているため大きく斜面を擦るように揺れた。
『南――担架を引き上げろ! すぐだ!』
傾斜の緩い位置まで上がっていた南は、咄嗟に足場を固め、力任せに担架を引き上げた。それには担架の真横にいた光次郎も、一緒になって引っ張り上げる。
ちょうどその時、バランスを崩したゴンドラが不気味にうねりながら眞理子たちの方に戻ってきた!
しかもゴンドラは巻き上げられ、最悪なことに担架と眞理子を直撃する高さだ。
「眞理子っ! 早く、早く上がって来い。担架は俺らが上げる。だから、先に上がって来てくれっ」
眞理子の耳に光次郎の叫び声が聞こえる。
だが、たとえどんな状況であれ、怪我人を乗せた担架から手を離すことなど出来ない。眞理子は渾身の力で担架を押し上げた。
「隊長! ゴンドラが来ます。限界です。避難して下さいっ」
「逃げろ、眞理子ーっ!」
南と光次郎は同時に叫んだ。
その僅か五秒後、巨大な凶器と化したゴンドラは担架の端を掠め、ワイヤーが南たちの前を横切った。南はそれでも担架を引き上げようとし、光次郎は遠藤隊員に覆い被さる。
ゴンドラは斜面の泥をかきながら、今度は勢いをつけて反対側に振られた。
直後、真下にいたはずの眞理子の姿が掻き消えていた!
「隊長ーーっ!?」
「眞理子……眞理子ーーーっ!」
二人は息が止まり、顔面蒼白になる。互いに最悪のケースが頭をよぎり……。
~*~*~*~*~
『――こちら沖。現状確認だ、南』
突如復活した眞理子の無線に、大多数のレスキュー隊員が一斉に息を吐く。
それは南と光次郎も同じであった。
『はい。異常なしです』
すぐに冷静さを取り戻したらしく、南は素早く答えた。
『光次郎……大丈夫か?』
『あ、ああ。そっちこそ、心配させんな』
一方、隊長としての眞理子に慣れていない分だけ、光次郎は立ち直りが遅い。よほど慌てたのか、声も震えている。
『遠藤隊員はどうだ?』
『咄嗟に押さえた、大丈夫だ』
『了解。こっちは救助用のゴンドラを避けて十メートルほど降下した』
眞理子の声は落ち着き払っている。無線を聞いていた消防のレスキュー隊員は、大したことにならず良かった、と安堵した。
しかし、南はいつもと違うものを感じたようだ。
『待って下さい、隊長! 目視出来る位置に隊長の姿がありません。――どうぞ』
眞理子は心の中で舌打ちすると同時に苦笑した。
(やっぱり南は騙せない、か)
一呼吸置き、彼女はインカムに向かって答える。
『ゴンドラにロープを巻き取られ、二十メートルほど左に引き摺られた。更に振り回されそうになったんでロープは切った。現在、フリーで待機中だ』
無線の向こうで南が息を呑む。
『了解しました、ではすぐに』
『南! まず、負傷者の救助が先だ。お前が先に上がってすぐに引っ張り上げろ。これは命令だ』
南が黙ると今度は光次郎だ。
『判った。じゃあ俺が行く。左だな』
『吉田班長! レスキュー隊員として優先すべきことは何だ!? 班長として為すべきことをやれ! ――以上だ』
光次郎は部下を優先する。そして、南は命令に従うはずだ。
『南、了解。隊長はそのまま待機していて下さい。遠藤隊員を救助して、必ずそちらに向かいます。――どうぞ』
言葉遣いは丁寧だが南も頑固な男だ。今回の一件で更に判ったつもりである。
『――了解』
眞理子はそう返事をしたのだった。
振り子のようになったゴンドラが襲い掛かった瞬間、眞理子はロープを弛めて間一髪、降下というより落下した。だが、体勢を整える間もなく、ゴンドラはロープを巻き込み眞理子の体を攫った。
このままでは左右に振り回された挙げ句、ゴンドラや大型機材の落下で下敷きになる可能性が高い。
ゴンドラが左に振り切ったタイミングで眞理子はロープを切断し、土砂に残った木に掴まった。体をキープしたくても斜面にはその場所すらない。今、彼女がかろうじて掴まっている木も、すぐにも底まで滑り落ち、土砂に埋もれそうだ。
眞理子はどうにかバランスを取り、急ぎ連絡を入れたのである。
南の言葉に「了解」と答えたが……眞理子は自分に、そんな時間が残されていないことを知っていた。
『隊長、南です。遠藤隊員を救助しました。吉田班長も無事です。これより、吉田班長と共に応援に向かいます!』
無線から聞こえた南の声に、眞理子は心の底からホッとする。
残すは、遠藤隊員の怪我が命に別状ないことを祈るだけだ。光次郎が無事で父も喜ぶだろう。誰も死なせずに済んだ。それは眞理子が隊長である限り、決して揺るがない信念だった。
深呼吸して眞理子はインカムに向かい、この日最後の命令を出す。
『崖上部にいる全員に命令する。前線を県道まで後退させ、土砂崩れに備えろ。下方の消防・警察にも連絡、二次災害に警戒するよう伝えるんだ。全員の後退が完了した時点で、源氏山における山岳警備隊の救助活動は終了、以降の指揮権を消防に戻す。――以上』