(15)後悔の痛み
倒壊家屋が滑落した影響で、傾斜はほぼ直角となっている。そして、南の数メートル頭上には不気味な音を出しながら揺れる救助用のゴンドラが……。その時、カゴの四方を吊るしたワイヤーから奇妙な音が聞こえた気がした。次の瞬間、南は動いた。
遠藤隊員の頚部を固定する間もなく、彼を背負い南はゴンドラの真下から飛び退く!
直後、ゴンドラのワイヤーが一本切れたのだ。
不均衡な重量は昇降機に一層の負荷を掛け、引き摺られるように傾く。ゴンドラは倒壊家屋の上まで落下し、ぎりぎりで踏み止まっていた家屋に駄目押しの衝撃を与えた。
南の足場が小刻みに震える。
(これは……マズイ)
ズズズッという鈍い音と共に家屋が再び落ち始めた。それが途中で止まるようなものではないことを、南は肌で感じ取る。
立て続けで迷っている暇すらなかった。南は遠藤隊員を担いだまま、家屋を蹴るようにロープに掴まりぶら下がった。薄闇の中、轟音を響かせ倒壊家屋は五十メートル以上の高さを転がり落ちていく。屋根は砕け、柱は折れ、壁はバラバラになり土砂の一部と化すのだった。
――ギギギギギーッ。
南のすぐ横で救助用のゴンドラは巨体を揺らしている。
最早、安全確保などと言っている場合ではない。それがどうして本部に伝わらないのか。南の焦りと苛立ちが限界まで到達した時、彼は命綱に微妙な振動を感じた。
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全てが一瞬の出来事だった。
ゴンドラのワイヤーが一本切れた。それは上に行くほど大きな影響を与えたのだ。昇降機に掛かった負担は重機に直結する。重機も一瞬引っ張られる形になり、重機を固定するストッパーはその力に耐えられなかった。ストッパーは全部で四箇所。そのうちの一つが外れ、重機のバランスが崩れた。
しかも、それだけでは済まなかった。外れた勢いでストッパーは回転しながら地表を飛び、最悪なことに隊員の命綱に襲い掛かったのだ。
「やばいぞ、ロープがっ!」
周囲に居た三人の消防隊員が切れ掛かったロープに飛び付いた。
この時、眞理子は重機の傍に居た。
ストッパーが外れたことで更に引き摺られそうになり、操縦する隊員は慌てて巻き上げ機を作動させようとした。
「動かすな!」
「でも……このままじゃ引き摺られて」
眞理子は隊員の手を押さえ、
「重機そのものを後退だ。ゆっくり、パワーを掛けすぎないように。今のバランスを維持するんだ」
時間稼ぎに過ぎないのは承知の上だ。誰が見ても長時間維持できるような事態ではない。だが、現場の状況も判らないままでは、昇降機を落とさないように最善を尽くすよりほかなかった。
その時、眞理子の目にロープに飛びつく三人の姿が映る。
「三人じゃ無理だ! もっと飛び付け!」
一人を支えるなら三人でも可能だ。しかし、二人分の体重が掛かっている可能性が高い。「誰かっ!」眞理子は懸命に叫ぶが、重機のディーゼル音と相まって誰かの耳に届いている様子はない。
(クソッ!)
眞理子は心の中で舌打ちして、
「安定したら再びストッパーを噛ますんだ。現場と連絡が取れ、昇降機を撤去するまでワイヤーに負荷は掛けるなっ」
どこまで彼らは従うだろうか。眞理子は内心不安だったが、ロープが切れそうになるのを黙って見過ごすことは出来なかった。
眞理子の声は聞こえなかったが、三人いれば、と目にした誰もが思った。
ところが、ロープが切断された瞬間、予想外の重量が彼らに掛かる。支えきれずにズルズル地面を引き摺られて行く。一人……二人……と力尽き、その時になってようやく危険を覚り、周囲の人間もロープに向かって飛びついた。
彼らを嘲笑うかのようにロープは指先を掠め、先端が小躍りしながら崖に向かう!
刹那―― 一本の腕が伸び、ロープの端を捉えた。眞理子である。
しかし、体重五十キロ台の眞理子ひとりに支えきれるはずがない。数メートル引き摺られ、舗装された道路に出た瞬間、彼女はガッとコンクリートブロックに足を掛けた。そのまま、渾身の力を籠め踏ん張る。眞理子は腕力だけでロープを手繰り寄せ、肩に数回巻きつけた。
駆けつけてきた隊員が、
「すぐに引き上げま……」
「そうじゃない。新しいロープをしっかり固定して下に垂らせ。早くしろ!」
「はいっ!」
今の眞理子の様子を目にして、誰も「ノー」とは言えなかった。
「よし。それまで全員でロープを支えるんだ。――誰か、無線を貸してくれ」
すぐに若い隊員が駆け寄り、無線のインカムを眞理子の耳にセットしてくれた。全員で支えるとはいえ、こちらに振れる人数は知れている。眞理子が手を離すわけにはいかなかった。
『南。私だ、聞こえるか?』
『はい! こちら南です。――どうぞ』
心なしか南の声に安堵の色が滲み出る。眞理子もホッとしながら口を開いた。
『状況報告を頼む』
『民間人二名は無事。レスキュー隊員一名が救助用ゴンドラの落下に巻き込まれ負傷。意識なし。可能なら担架を要請します。倒壊家屋は落下。現在は全員がゴンドラから離れ、ロープのみにて待機中です。――どうぞ』
『アクシデントでロープが一本切断された。破損の可能性を考え、新しいロープを三十センチ右に下ろす。ロープが緩んだのは……南か?』
『はい。負傷隊員と共に十メートルほど滑落しました。それによる怪我はありません。――どうぞ』
『了解。ロープ交換後、そのまま待機だ。――以上』
『了解しました』
数分後、眞理子は文字通り肩の荷を下ろし、大きく息を吐く。
骨折や脱臼はない。しかし、爪がニ~三枚剥がれ、手の平は血だらけだ。眞理子は顔を顰め、手を動かしてみる。登攀は可能だが、相当な我慢を強いられそうだ。
このまま本部に飛び込み、強引に言いくるめて指揮権を奪い取るしかないだろう。だが、他県で消防と問題を起こせば懲戒処分は免れない。
眞理子は重機の近くで放り出した上着を受け取りながら、中の警察手帳を確認した。免職になるのは自業自得だ。だが、こんな形で部下を失うのだけは避けねばならない。やってしまったミスを悔やむより、この先如何に犠牲を出さず全員を救出するか、であった。
ミスを自覚した人間は、マイナス点を取り戻そうと挽回に走る。すると、挽回どころか更にマイナスに突き進むケースも多かった。或いは、ミスを認めようとせずごり押しするか……最悪、責任転嫁を始めるのだ。その場合、事態は膠着する。まさに今の救助本部がそれだった。
誰が悪い、誰のせいだ、と責任を押し付けあっている。窮地にある六人は棚上げ状態だ。
ミスはミスで認めて、次善の策をみつける。眞理子の長所は、そのミスが自分の責任であっても動揺しない点だろう。
眞理子は来た道を逆に向かって走り出した。
ほんの数十分前と違い、消防隊員たちは一斉に道を開ける。今この時、眞理子の行く手を阻む者はいなかった。