(14)新たな危機
本来なら昇降機だけでゴンドラを上下することが出来る。それが今回はあまりに地盤が安定していない為、後方に配した重機でワイヤーを操作し、ゴンドラを下ろしたのだ。加えて、昇降機の固定もその重機に依存している。負担を掛けないように、ワイヤーで引っ張りバランスを取る、という危険極まりない状態だった。
下から駆け上がってきた眞理子だが、現場の手前で数人の消防隊員に行く手を阻まれた。重機は目の前だが動くに動けない。
「いい加減にしてくれよ! 何だよこの女……誰か、警察を呼べ!」
「警察なら此処に居る! すぐに予備のロープを下ろして、大型の昇降機を引き下げるんだ。頼むから言う通りにしてくれ!」
――嫌な予感がした。
行かせるんじゃなかった。いや、自分が行くべきだった。もし、こんな場所で南を失うことになったら……悔やんでも悔やみ切れない。
眞理子は理性を総動員し、消防隊員に手を出さぬよう我慢していた。しかし、それも時間の問題か。手順を踏むのであれば、すぐに救助本部に行き、身分を名乗って南と同じように協力を申し出る。だが、それはあくまで〝民間協力〟だ。眞理子が現場の指揮を取れる訳ではない。
残る手段は力任せで現場の連中を納得させ、指揮権を奪うしかない。
眞理子が拳を握り締めた、その時――。
暗がりの中、金属の擦れる耳障りな音が響き渡る。そして、鈍い音と共に緩んだ地盤に小さな衝撃が加わった。
「まずい! 倒れるぞーーっ!」
現場に悲鳴と怒声がこだました。
「落ちたら全員死ぬぞ! 引け、引き上げるんだ!」
誰かが怒鳴り、重機を操縦していた隊員が慌ててロープを巻き上げようとする。
「駄目だ! 動かすなっ!」
そう叫んだのは眞理子だった。
突発的なトラブルに、誰もが訳の判らない女の相手どころではなくなっていた。眞理子はその隙を逃さず重機に駆け寄り、操縦者の動きを制止する。
「何をするんだ! 早く引き上げないと」
重機を操縦している男の出動服は消防隊のものだ。彼は血相を変えながら眞理子を押し退けようとする。
確かに緊迫した事態であることは間違いない。昇降機は、負荷の掛かった前の支柱二本が地面にめり込み、前方に傾斜していた。おそらく、その衝撃はゴンドラまで伝わっただろう。何かしらの被害が出ている可能性もある。その状況を確認してからでないと、どんな判断も下せないはずだ。
一部の人間は本部の指示を仰ごう奔走していた。だが、現場の若い隊員まで指示が回らないらしい。彼らの多くが右往左往している。
スゥーと息を吸い込むと、眞理子は腹から声を張り上げた。
「全員、静かにしろ!」
――その大音声に全員の動きが止まった。現場は一瞬で静まり返る。
「今、巻き上げ機を使えば、下手をすればワイヤーが切れる。そうなったら、トン単位の昇降機本体が六人の頭上に落ちるんだ。まず落ち着け。次は現場の被害を確認。残った人間は本体を固定するワイヤーを増やせ!」
あまりに自然な眞理子の指示に、疑問を口にする余裕もないまま彼らは走った。
眞理子は操縦者の肩を叩きながら、
「いいか……機械は便利だが正しいポジションで使ってこそだ。傾いた状態で使うことは想定されておらず、安全性も保証されていない。まずは状況の確認だ」
彼は無言で頷いた。
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そして眞理子が案じた現場では、昇降機本体が前方に倒れ込んだ瞬間、救護用のゴンドラは数メートル落下したのだった。
頭上からの異音をいち早く感じた南は、まさに考える間もなく叫び、本能で動いていた。
「吉田さん女性を! 全員ゴンドラから離れろっ」
南は男性を引っ掴むように抱きかかえ、ロープに身体を預ける。そのまま、ゴンドラから距離を取った。光次郎も同様だ。取り付けたばかりの命綱の安全性を確認する間もなく、要救助者の女性をゴンドラの外に連れ出していた。南と一緒に降下した佐久間隊員は、ゴンドラ近くにはおらず事なきを得たが……。
問題は、最初に光次郎と共に取り残された遠藤隊員である。
彼が逃げ出そうとした瞬間、セットしたばかりの命綱がゴンドラのワイヤーに絡んだ。わずかな高さとはいえ、遠藤隊員はゴンドラの落下に巻き込まれてしまう。直後、ゴンドラは急制動が掛かり、彼は放り出され倒壊家屋の外壁に叩きつけられた。
「遠藤! 遠藤ーーっ!」
南の耳に光次郎の叫び声が聞こえた。
遠藤隊員は家屋の上に投げ出されたまま動かない。ところが、不快な音を発しながらゴンドラのワイヤーが上に動き始めたのだ。
『馬鹿ヤロー! ゴンドラは停止だ! 動かすなっ!』
光次郎が無線に向かって怒鳴りつけている。
南が遠藤隊員の命綱に気付いたのはこの時だ。ゴンドラの上昇に伴い、彼の体が引き摺られたのである。怪我の状態によっては動かすのは甚だ不味い。しかも、再びゴンドラが落下したら……。
『吉田さん、自分が行きます』
南は光次郎の返事を待たず、要救助者の男性を佐久間隊員に預けた。ロープを伸ばすと再び倒壊家屋まで下りて行く。外壁に足を下ろしつつ、体重は出来る限りロープに掛ける。
その時、ゴンドラの上昇が止まった。南はワイヤーの動きに注意しつつ、絡まった遠藤隊員の命綱を切ったのだった。
無線からはひっきりなしに光次郎の声が聞こえる。上で何があったのか説明を求めているのだが、まるで要領を得ない。
南はそこを割り込むように、
『南です。遠藤さんの状態を報告します。意識は不明、脈拍と呼吸は浅いですが確認。外傷は見当たりません。落下の衝撃で頭部か脊椎を損傷した可能性あり。全身固定での救助と搬送が妥当と思われます。――どうぞ』
『……了解』
無線からは光次郎の悔しそうな声が聞こえた。
警察内部にも色々あるように、消防には消防の問題があるらしい。上から下まで一丸となり人命救助にあたる、とは言い難いようだ。集中豪雨で他の現場にも人員を割かれたり……。眞理子が言った様な特別高度救助部隊の出動要請は簡単には出来なかったり……。
そんな中、本部は救助方針が定まらない上に責任問題まで持ち上がり、迷走していた。
南は遠藤隊員に声を掛けつつ、次の指示を待つ。だが、無線から聞こえる声は……『待機』の一言。
(この足場をロープ一本でどうしろと言うんだ!?)
こうしてる間にも三度目の土砂崩れが発生すれば、ここにいる全員がお陀仏だろう。それを光次郎が無線で伝えるものの、お題目のように『待機』の指示しか戻って来ない。
南の中に焦りが生まれる。心の何処かで隊長としての眞理子を求める思いが横切り、懸命に振り払った。
(駄目だ……隊長を頼るんじゃない! 考えろ。何か手段があるはずだ、考えろ)
だが、彼に与えられた時間は本当に短く。答えを見出せぬまま、南は更なる窮地に追い詰められる。