(12)決意
オレンジ色の出動服はどことなく納まりが悪い。ベルトを締めながら、南はそんなことを考えていた。
用意された装備は、見慣れたものがほとんどだ。当然だが、北富士の消防レスキューが使用している物と同じ規格である。ただ、登攀用の装備は急ごしらえらしい。
眞理子が屋久島で出動した時、ロープの太さが違って大変だったという。それを思い出し、南は九ミリのダブルロープを予め指定したのだ。そして渡されたのは、たった今パッケージから出したばかりの新品であった。結局、眞理子の手を借りロープの巻き癖は解消したが、新しい物は使い込んだ物に比べて制動が掛かり難い。使い古しで磨耗したロープに比べればましとはいえ、ここはかなり慎重に行かなければ危険だ。
小雨の中、装備を背負って南は地滑りを起こした現場まで歩いた。
道路は舗装されており、車二台がすれ違える程度の幅はある。片側は斜面で所々地肌が見えており、土砂災害を防ぐ為の防護柵が設置されている箇所もあった。道を挟んだ反対側にはガードレールが取り付けられていた。
斜面には急階段も見える。上部の住人が利用しているらしい。現在はロープが張られ使用禁止だ。
南はふと、眞理子の不安そうな顔を思い出した。あんな表情を見たのは、この四年間で初めてのことかも知れない。
――君は此処で待機だ。私が戻るまで余計なことはしないように。
思えば、何と言う強気な発言だろう。
眞理子は驚き、言葉もなかった。言った南自身が驚いていたのだから無理はない。だが、ああでも言わなければ彼女は階級と役職の名乗り、自ら出動したように思う。
眞理子が両親についた嘘は、決して彼女自身の為ではない。婚約者であり、前任の隊長が足を切断するほどの大怪我を負い、彼女自身もその現場にいたという。しかも、直後に同じレスキュー隊員が殉職。そんな危険な仕事に娘を就かせたいと望む親はいない。
ましてや、隊長という過大な責務を背負って働いていると知れば……電話が鳴るだけで親は寿命の縮む思いをするだろう。子供の頃から両親には心配の掛け通しだという。必要以上に病院に居たがらないのも、年老いた両親に連絡されることを案じているに違いない。
――やりますよ、上司でも恋人でも……私にもそれくらいの芝居は出来ます。
偉そうな口を叩いたのは彼自身だ。与えられた課題をやると決めた以上、可能な限り努力をするのが南の長所であった。
「ここから地盤が緩くなります。十分に注意して下さい」
南と一緒に降下することになっているレスキュー隊の佐久間隊員である。おそらく二十代半ばであろう。彼は光次郎の部下だという。佐久間は要救助者同様、光次郎らの身を案じていた。
「判りました。よろしくお願いします」
南は気持ちを引き締め、改めて背筋を正した。
この応援救助を終えて、無事に眞理子の許に戻った時――正式に交際を申し込もう。今度こそ決してごまかさずに、想いを告げるのだ。南はそう心に誓った。
~*~*~*~*~
「何であんたがココに居るんだ!?」
それは光次郎と合流した時の第一声である。
光次郎らは無線を破損したらしく、無事なことは目視で確認できたが詳細は不明だった。そのため、上層部が南に応援を頼んだことを、彼らは知らなかったのだ。
降下直前、南はいつも通りしつこいほど手順を確認してから動こうとした。佐久間隊員は一刻も早く降りたいらしく、南を急かそうとする。だが、そこは昇降装置が使用不可能な現場であった。佐久間隊員は南の指示に従わざるを得ず……。
二人はロープを使い、ゆっくりと急斜面を降りて来たのだった。
「倉地消防署長の協力要請に応じました。静岡県警山岳警察の南です。怪我人を優先で、いなければ子供さんから一人ずつ救助します」
光次郎は憤懣やる方がないという表情だ。だが、南が渡した無線で確認を取ると、彼も態度を改め指示に従った。
(なるほど、『山送り』と言うだけのことはある)
エリートと目されるレスキュー隊にあって、山岳レスキューを中心とした富士に配属されることは、一段下の扱いと聞いている。光次郎をはじめレスキュー隊員の動きを見て、南はその言葉に納得していた。彼らは皆、登攀に不慣れとはいえ基本動作は適確だ。私心も挟まず、黙々と作業にあたっていた。
これまで、富士以外のレスキュー隊員と間近で接する機会はなかった。北と南の合同訓練すら一度もない。仲の悪さもさることながら、それも含めて縦割り行政の弊害とも言えよう。
今回の南に関する件もそうだ。あくまで、『一民間人としての協力』と念を押された。その為、これは正式な出動ではない。万に一つ、命を落とした時でも殉職扱いにはならないのだ。逆に、彼の失態でレスキュー隊員や民間人に犠牲が出た場合、協力自体が問題視され、警察官としての職を辞する羽目になるかも知れない。
眞理子が危惧したのはその点だった。
「あんたにだけは、助けられたくなかったな……」
これまで無言で作業していた光次郎がポツリと呟く。
眞理子の前では高校生の少年のようだった。だがレスキュー隊において、彼は第一分隊で最年少の班長だという。
――部下を見れば指揮官の能力は判る。
以前、眞理子がそんなことを言っていた。光次郎の部下たちの動きを見れば、彼がいかに有能なレスキュー隊員で統率力も備えたリーダーであるか明白だ。
「私がどうかしましたか?」
ひとりの怪我人もなく、全員の避難が完了していた。それも光次郎の手腕だろう。心の底から感心しながら、南は質問で返した。
「当たり前じゃねーか。恋敵に助けられて喜ぶバカはいねーよ」
他の人間には聞こえないように、小さな声で光次郎は言う。
「私はただの応援です。それも民間協力という形ですから……。気にしないで下さい」
同じように、南も穏やかに小声で返した。
光次郎は独り言のように「……気にするだろ、フツー」ブツブツ言いながら、子供の体にロープを結ぶのだった。
現在、レスキュー隊員をはじめ要救助者たちは、崩落しつつある家の外壁に立っている。上からの距離はおよそ三十メートル。斜面は刻々と状況が変わりつつあり、今の時点では傾斜角度は約六十度。しっかりとした地盤であれば、ロープを辿って登れない角度ではなかった。
だが、可能な限り負荷は掛けたくない。南は一人ずつ確実に引き上げる方法を選んだのである。
子供二人を救助し、無線からその報告が聞こえた時、両親は大袈裟なくらい安堵していた。残る要救助者は大人二人。レスキュー隊員の中にも安心感が広がった直後――。
倒壊家屋が小刻みに震え、南の体は〝フォール〟の感覚に包まれた!