表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ライジング!  作者: 御堂志生
第四章 女神の休日
69/80

(11)誤断


「これは、正式な出動要請ではありませんよね?」

 眞理子の言葉に、消防の制服組は視線を逸らせた。

「正式なものなら、ここに県警の方がいるはずです。我々は警察官です。民間のレスキューならともかく、万一の時は越権行為とも言われかねない。どうしてもと仰るなら、山岳警察本部の了解を取って下さい。話はそれからです。行こう、南」

 事態は一刻を争うのかも知れない。ならば尚のこと、指令系統が不確かなまま南を出動させる訳にはいかなかった。

 眞理子はいつも通りに答えただけだったが……。


「なんだ君は? いったい誰なんだ。何の権限があって、そんなえらそうな口を叩いている!?」

「私は……」

 警察手帳を出そうとして、眞理子は躊躇した。

 父の目の前で、役職や階級を名乗るわけにはいかない。四年以上も嘘を吐いて来たのがばれてしまう。その一瞬の迷いを南は察したのだろう。

 彼は眞理子を制し、落ち着いた表情で消防本部の人間に尋ねた。

「もし、私が断わればどうなりますか?」

「その時は、我々だけでどうにかするしかないが……。何分なにぶん、大型の昇降機を使うことに賛否両論あってね。これほどまでに脆い地盤は想定の範囲外だった」

 答えたのは倉地署長だ。

 だが、眞理子はそんな倉地に言い返した。

「こういう時のためにレスキュー隊がいるはずだ。横浜には特別高度救助部隊スーパーレンジャーもいる。彼らに任せればいい」

「いい加減にしたまえ! 南さんと話しているんだ。横から口を挟まんでくれ!」

 レスキュー隊の制服を着た男性が眞理子を叱責した。彼は先ほど隊長の中江なかえと名乗る。光次郎たちの直属の上司にあたる人物だ。帽子を取った姿はかなり年上に思えたが、被り直すと三十代後半に印象が変わった。

「すまん、うちの娘なんだ。娘も警官で山岳警察に勤務していてな」

 眞理子の父がそんな風に言うと、彼らは不満を父に向けた。「お嬢さんを連れて外に出てくれ」「話が先に進まん」「我々は一民間人の南さんにお願いしてるんだ」などと口にする。

 だが、眞理子としてもそれで引くわけにはいかない。

「そんな御託が通ると本気で思ってるんですか? 何かあったら責任は確実に南に掛かるはずです。違いますか?」

 図星を差されたんだろう、消防本部の連中は一斉に黙り込む。


「……光次郎が取り残されてるんだ」

 ポツリと父が言った。

「お前の同級生の家族と一緒に。この次、土砂崩れが起きれば……」


 その言葉に眞理子は息を呑んだ。そして、今度こそ覚悟を決める。

 誰かが行かなければならないなら、眞理子自身が行く。自分勝手な理由で部下を危険に晒す訳にはいかない。軽く羽織ったジャケットの内ポケットに手を入れ、警察手帳を取り出そうとした。

 そんな眞理子の腕を南が掴む。「すみません、三分下さい」と言い、テントの端に引っ張った。



「駄目だ、南。行くなら私が行く」

「ご両親にバレます」

「構わない。お前にそんな危険なマネをさせて、私ひとり高みの見物は出来ない」

 眞理子は言い切ると南の腕を振り払う。

 横をすり抜けようとした時、南はそれをさせまいと、眞理子の前に立ちはだかった。

「充分に注意します。安全を確保して、人命第一の救助にあたります」

「南……」

「私を信じて下さい」

「認められない。ここは富士じゃないんだ。それを……」

 南は眞理子の体を押しやり、スッと距離を取った。


「副隊長として命令する。沖、君は此処で待機だ。私が戻るまで余計なことはしないように……いいな」


 それは名前を呼ばれた時以上の衝撃だ。南に「沖」と呼び捨てにされた瞬間、彼の姿が藤堂と重なった。

「……はい」

 胸に受けた打撃は眞理子の足を止め、その判断を狂わせた。

 


~*~*~*~*~



 救助本部とは別のテントに案内され、眞理子は父と共に南たちの帰りを待つことになった。

 長テーブルにパイプ椅子が数脚、無造作に置かれている。テーブルの上にはお茶の入ったポット、その横に伏せられた湯呑があった。


「……すまんな」

 父の言葉に眞理子はハッと顔を上げる。

「え、何? なんか言った?」

 これまでとは全く逆の立場だ。アクシデントに見舞われた部下を信じ、黙って見守ることはあった。だが、危険を承知で飛び出して行く部下を見送ったのは初めての経験だ。待たされる身の辛さを味わい、やり場のない思いで眞理子はそこにいた。


「部外者に頼むのは気が引けたんだ。だが……光次郎は死なせたくない。お前は知らんだろうが、アイツはわしにとっちゃ倅同然でな。子供たちは誰も父さんの仕事を認めてはくれなんだが、光次郎はわしのようになりたいと言ってくれた。それで、南くんのことを話してしまった。すまん……勘弁してくれ」


 父に頭を下げられるのは初めてだった。

 登攀救助が可能な人間がいない、というのが名目だが。神奈川県警の山岳救助隊では、管轄や装備の問題でも対応出来なかったのだろう。眞理子が口にしたように、万一の場合は責任の所在がネックになる。そんな時に、父が南の名前を出したのだとしても責めるわけにはいかない。

 そして眞理子は父の言葉に驚いていた。

 上の兄は大学卒業後に、下の兄はそれより早く将来を決めて家を出ている。最後に家を出たのが眞理子で、今からもう十二年近く前だ。子供たちは自分のことに必死で、誰も両親の寂しさなど顧みることはなかった。

 その間、光次郎は息子同様に眞理子の実家に出入りし、両親にとっては心の支えだったに違いない。申し訳なさと不甲斐なさに、眞理子も思わず本音を口にした。


「私たちだって父さんのことは尊敬してたよ。私も消防士になりたかったけど……事情があってなれなかった。それでも警官になったのは、父さんみたいに誰かを守りたかったから。山岳レスキューに配属された時、それも運命かと思った。光次郎は……大丈夫だと言ってた。それに、私は南を信じてる。全員無事に帰ってくる――大丈夫だよ」


 眞理子は力強い言葉で父を励ました。だが、それは普段の彼女からは程遠く……。この時の眞理子は、南を呼び捨てにしていることに、気づく余裕もなかった。


 ――今日は南さんが上司だからね。よろしく、副長!


 わずか数時間後、眞理子はその言葉を後悔と共に噛み締めることになる。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ