(5)幼なじみ
(南は一体どうしたんだろう?)
和室に座り、母と談笑する〝恋人〟の顔を見つめ、眞理子は頭を捻った。
一階には六畳の和室が二間ある。襖を開け放すと、比較的大きな部屋と言えるだろう。普段は一つが両親の寝室。もう一つはコタツが置かれ、家族団らんの間となっていた。
今夜はテーブル代わりのコタツに座卓を繋げ、その上には母が用意したご馳走が並んでいる。眞理子も少しは手伝った。主にキッチンから運んだ程度だが、余計なことをしないのも充分な手伝いだと眞理子は自己評価している。
奥の上座に眞理子の父、武士が苦虫を噛み潰したような顔で座っていた。
高卒で四十二年間勤め上げた叩き上げの火消しだ。思うところがあったのか、五十代で現場から退いた。最終的に署長までなったのは、学歴ではなく職務熱心さと人望と聞いている。
眞理子には七歳年上の長兄・卓也と四歳年上の次兄・直人がいる。
お堅い性格の卓也は弁護士で、同じ弁護士の女性と七年前に結婚、二人の息子に恵まれた。かたや、直人は財務省に務める官僚だが、融通の利く性格をしている。今年の春に女子大生と結婚し、年末にはハネムーンベビーが生まれる……という建前だ。
母も中卒の美容師、父方も高学歴とは縁遠い家系にあって、国立大学を卒業した兄二人は異色の存在であった。まさに『鳶が鷹を生む』状態で、両親にとって自慢の息子たちである。唯一つ、父には不満があった。父にとって最大の願いは、息子を消防士にすることだったからだ。
そして今、その夢を娘の夫で叶えようとしている。
帰省の度に、夕食会と称して自宅に独身の消防士が並んでいた。さあ好きな男を選べ、と言われても、八百屋で大根を選ぶような訳にはいかない。
眞理子には隠し事があり、婚約破棄の件では親に心配を掛けたという自覚もある。帰省の回数を減らすか、父の我がままに付き合ってくれた彼らに礼を言い、その都度お断りを言うしか方法がなかった。
(うーん、レスキュー隊か……面が割れてなきゃいいが)
前回は三十代後半の男がずらりと並んでいた。どうやら、少しでも藤堂に近い年齢の男を、と思ったらしい。
一転して今回は特別救助隊、通称レスキュー隊からの選抜だ。三人とも立派な体格で、二人は眞理子より年下だという。
「そんなにレスキューの男がいいなら消防から選べ。レスキューは消防が本職だ!」
父は戻るなり腰を押さえつつ、そう宣言した。
その中に、眞理子は男連れで帰ってきたのだ。「夕食会の前にご挨拶を」という南の言葉を、父は腰が痛いと断わり、会おうとはしなかった。夕食会が始まっても、父は南のことを無視し続けている。まさかこれほどの頑固親父とは思わず、眞理子もため息を吐くしかない。
南には申し訳ないことをした、と様子を窺うが……。
「お恥ずかしい話なんですけど。この子はカレーを作らせたら、野菜を皮ごと煮込むし。お皿を洗わせたら必ず割る子なの。学校の家庭科では雑巾をスカートに縫いつけちゃうし……」
などと赤面ものの過去を暴露し、母は笑っている。これが見合いと忘れているか、娘が本気で嫁に行く気がないことを承知しているらしい。
一方、南は母にお酌をしつつ、
「眞理子さんらしいですね。でも、宿舎では台所仕事を手伝っていらっしゃいますよ。ちゃんと、ジャガイモの皮も剥いておられますからご安心下さい」
ここに来るまでの動揺ぶりは何処に行ったのだろう。笑みを絶やさない、見事な受け答えだった。
「南さんはお幾つでしたっけ?」
唐突に横から口を挟んだのは、眞理子と同じ歳の幼なじみ、吉田光次郎である。
商店街から程近い場所にあるお寺の次男坊だ。眞理子とは幼稚園から高校まで同じところに通い、光次郎は高卒で消防士の採用試験に合格した。
小学生の頃、男の子たちの中でガキ大将だった彼とは、取っ組み合いの喧嘩もした仲である。だが、高校では他校の生徒から売られた喧嘩は二人で買い捲り……そこまで思い出し、眞理子は軽く頭を振った。
その光次郎が、さっきから喧嘩腰で南に話しかけている。
「三十二歳です」
「それで警部補ってことは、大卒だけどキャリアじゃないんだ」
光次郎にとって学歴はコンプレックスになっている。彼には兄と弟がいて両方とも大卒だ。両親とも大学を出ており、眞理子より疎外感が大きいのだろう。
この南も、眞理子の兄たちと同じく国立大学を出ていると聞いた時、光次郎の顔は曇っていた。
「はい、違います。大卒一般の採用で、卒配と同時に山岳警察を志願しました」
「そんないい学校出て、何も山岳レスキューにならなくても……。いや、俺なんかこの就職難で、公務員になれただけもラッキーなんですけどね」
自嘲気味に話す光次郎に、「私も同じようなものです」と南は笑った。
余裕綽々のライバルに、光次郎は悔しかったらしい。今度は方向を変えて突っかかる。
「でも、山岳警察って普段は何してるんですか? だって富士の山開きなんて二ヶ月間もないし、道案内とか、パトロールとか? それにわざわざ住み込まなくても……」
「失礼な言い方はやめな、光次郎!」
眞理子が口を挟んだ。
光次郎はその口調が気に食わなかったらしい。
「うるせぇんだよ、女は黙ってろ。第一、富士には消防の山岳レスキューがあるじゃねぇか」
幼なじみの気安さか、眞理子の父から息子同然に可愛がられている自信からか、昔から光次郎は彼女に対して言いたい放題だ。
眞理子のほうも、いつもなら怒鳴り返すところである……これが仕事のことでさえなければ。光次郎に怪しまれ、調べられたら一発でバレるだろう。
「レスキューの日常なんて、あんたらと一緒に決まってんじゃない」
「お前に聞いてんじゃねえよ」
その偉そうな態度に眞理子はカチンと来た。
「へえぇ。レスキューに選ばれた途端、随分偉そうじゃん。〝泣き虫光ちゃん〟」
光次郎が嫌がる昔の呼び名をわざと口にする。
彼は幼稚園の頃、遊園地のおばけ屋敷で泣き出したのだ。「寺の息子のくせにオバケが怖いのか」と皆にからかわれた。……それを腕力で黙らせたのは眞理子だが。
「カビの生えた昔話を持ち出すんじゃねぇっ! 第一なぁ、女のお前にレスキューなんか関係ねぇだろ! 無線士は引っ込んでろ!」
光次郎の反撃に今度は言い返すことが出来ない。
黙り込む眞理子に代わり、南が穏やかに口を開いた。
「出動件数は所属する山岳警備隊によって違います。富士の場合、事件事故合わせて年間百件以上で、年々増加傾向にあります。それとは別に、状況に応じて北富士の消防レスキューの応援にも廻ります。逆に応援を頼むこともあるので、消防さんとは協力関係にあるんですよ。当然ですが、事故は急激な天候悪化などで一度に起きますから」
光次郎以外のレスキュー隊員は「へえ、以外に多いんですね」などと頷き、南としばし和やかに歓談するが……。
その時、光次郎はとんでもないことを尋ねたのだ。
「南さんが副隊長ってことは、隊長さんってどんな人ですか?」