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ライジング!  作者: 御堂志生
第四章 女神の休日
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(3)恋人ですか?


 五年前、眞理子は当時の隊長・藤堂と婚約した。

 ヘリの墜落事故はその直後に起こった。死者も出す大惨事に、眞理子の両親は娘の身を案じたのである。頼りにしていた藤堂はその事故で右足を切断、揉めた挙げ句に眞理子との婚約は解消に至った。

 それから約半年間、眞理子の荒れ様は今の彼女からは想像出来ないものだったという。

 そして止めを刺すように、レスキューパートナーを山で失い……。とうとう両親は、眞理子に山岳警察を辞め、神奈川県警に戻るよう説得し始めた。


 

「美樹原さんから聞きました。ヘリの墜落現場に隊長もいらしたんですよね。隊長独り軽傷で、他の全員を助けた、と」

 美樹原は、眞理子がいなければ自分も藤堂も死んでいただろう、そんなことを言っていた。

 詳しい事情は南には判らない。だが、藤堂が身を引いた気持ちは南にも痛いほど判る。もし自分だったら、やはり、対等でいられないなら眞理子の隣に立つ資格はないと思うだろう。


 五年前のことを口にした南に、眞理子は舌先で唇を舐め、下唇を噛んだ。

 それを見た瞬間、南の鼓動がトクンと打った。眞理子が感情を殺し、何かに耐える時の仕草だ。地雷を踏んだような気がして、南は言葉に詰まる。とても、今の藤堂に対する想いなど聞ける様子ではない。


 眞理子は大きく息を吐くと、

「大袈裟だよ。レスキュー隊員として出来る限りのことをした。……それだけだから」

「はあ……。それで、どうして隊長と呼ぶのが不味いんですか? ご両親が心配されるから、とか」

 さりげなくとは程遠い口調で、南は話を戻した。

 南の心遣いに眞理子も気付いたようだ。パッと表情を変え、底抜けに明るい声で信じられない言葉を口にしたのである。


「いや、危険だ危険だとうるさいからさ……ついつい、言っちゃったのよねぇ。レスキューは辞めて、無線士に転向した、って」


 眞理子の告白に、南は絶句した。

 よくもまあ、四年以上もそんな嘘をつき通せたものだ。


「一応ね、親が呼ばれる程の大怪我はしてないし、連絡先は下の兄貴になってる。上の兄貴は堅物だからさ、下は官僚の割りにアバウトな奴だからね」


 アハハハハ、と眞理子は声を立てて笑った。


 

 実家のある商店街はすぐ近くだと眞理子は言う。南には断わる理由もなく、そのまま引っ張って行かれそうだ。

 若干及び腰になりつつ、南は眞理子の後に続くが、

「それにしたって……。私は隊長のことは何と呼べばいいんです?」

「うーーん……沖、とか? 眞理子でもいいよ」


 他意のない眞理子は気楽に答えるが、南にとっては堪らない。

 ご両親の前で「眞理子」なんて呼ぼうものなら、舞い上がって「お嬢さんを下さい!」とか言ってしまいそうだ。

 十月だというのに、額にじんわりと汗が浮かぶ。南は迷いながら、ピタリと立ち止まった。


「それは、その……やっぱり私はホテルに泊まったほうが……」

「待った待った! じゃあさ、ただの上司でいいから。お願いだから、うちに来てよ。ホント、毎回毎回二十代から三十代の消防士を呼ばれて参ってんのよ」

「上司、ですか? それも、ただの上司でなかったら、一体何を演じろと?」

「そりゃあ、恋人役をやってくれたら助かるけど」


 〝恋人〟の言葉に南の心臓がスキップを始める。頭の中では『最大のチャンスだ、昔の男から奪い取れ!』と誰かが囁く。だが、見た目には体は硬直して顔面蒼白だった。

 眞理子も南の青褪めた顔に引いたらしい。


「い、いや、無理にとは言わないよ。南だって、彼女に誤解されたら困るだろうし」

「かっ、かのじょ!? 何ですか、それはっ! どうしてそうなるんです? 私がいつ、恋人がいると言いました?」

 彼らしくなく、裏返った声で叫んだ。

 一方慌てふためく南とは逆で、眞理子はきょとんとした表情だ。

「南から聞いた訳じゃないけど、他の連中が言ってたんだ。南には好きな女性がいて、結婚まで考えているって。だからてっきり彼女がいるんだと思ってた」


 休日すら山から下りず、緊急出動に備えて待機している。と言えば聞こえはいいが、少しでも眞理子の傍に居たいのが本音だ。しかし、それを口にする訳にもいかない。


 南はわざとらしくため息を吐きつつ、

「あれだけずっと山にいて、隊長と行動を共にしているのに、どうやって彼女を作るんです?」

「それは……ごめん、仕事減らそうか?」


(しまった! これじゃまるで仕事に不満があるみたいだ)


「いえ、そうではなく。そういう相手がいないことは隊長が一番ご存知のはずでは、と言いたかっただけです」

「まあね。時間的に考えたら厳しいんだけど。でも、いつの間に? って感じで、上手くやる奴もいるからさ。でも、南はそれほど器用なタイプじゃない、か」


 しみじみ言われると、そこはかとなく悲しくなる。

 確かに器用ではない。学生時代はそれなりにクライマーとして幾つかの大会で優勝し、女性のほうから声を掛けられてきた。そのため、彼自身から女性に声を掛けて付き合ったことは一度もない。

 ――南さんて本当にいい人ですよね。

 繰り返し言われた言葉だ。当時は間抜けにも、褒め言葉とばかり思っていた。真面目に、誠実に、女性には紳士的に接しようと努力した。母子家庭に育ち、母の苦労する姿を見て育ったせいもあるだろう。女性に優しくすることは美徳だと信じていた。

 ――南さんて、一緒にいても退屈だし、常識的過ぎて面白くないよね。

 それが女性の本音だと知った時は仰天した。だが、判ったからと言ってどうなるものでも……。

 

 南はキュッと唇を噛み、


「やりますよ、上司でも恋人でも……私にもそれくらいの芝居は出来ます」


 迂闊にも、そう答えてしまったのである。


「ホント? それは助かる! みな……いや、苗字の呼び捨ては不味いよね? 副長ならいいか」

 眞理子は本当に嬉しそうだ。助っ人を見つけてあからさまにホッとした顔をしている。

「今日は南さんが上司だからね。よろしく、副長!」

 

 無邪気な笑顔を見せ、眞理子は南の腕に自分の腕を絡めた。中学高校を通してクラス委員を務めた男の頭から〝常識〟の文字が消え、俄に楽天家へと変貌を遂げる。


(まあ……何とかなるかも知れない)


 予定外の休日は、南にとって薔薇色の幕開けとなった。




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