(9)台風上陸
(ったく、どいつもこいつも)
眞理子は俯き、誰にも気付かれぬようにため息を吐いた。そのまま会場から逃げるように走り去る……わけはなく。次に顔を上げた瞬間、フッと魅惑的に微笑み返した。
「パトロンの意味は判りませんが……確かに、私の直属の上司は風見警視です。しかし、私を『最高のレスキュー隊員』と評して下さったのは那智総本部長殿ですので、ご不満は直接お願いします」
そう言うと、眞理子は右手の指を揃えてスッと後方を指し示した。瀧川らが怪訝そうに振り返り……そこに立っていたのは、那智総本部長であった。
眞理子はしらっとした口調で、
「いえ、大したことではありません。ただ、総本部長殿のお言葉に瀧川警部はご不満とか」
「それは――誤解ですよ、おじさん。僕はただ」
瀧川の言葉に那智は軽く咳払いをした。
「瀧川くん、言葉が砕けすぎじゃないかね?」
「失礼致しました、総本部長。私はただ、眞理子さんが一番なら夫になる自分の立場がない、と思っただけです。どれほど優秀でも、所詮女は女ですからね。女に出来ることはたかが知れてる。眞理子さんはその辺が判っている人だと思ったんですが……」
直後、那智の眉が微妙に動いた。
しかし、瀧川は気づかなかったらしい。ここぞとばかり、眞理子は畳み掛けるように言った。
「瀧川警部には、スタイルやファッションをお褒め頂きました。しかし、高卒で何の取り得もない私に、キャリアの妻は荷が重過ぎるかと。勿体ないお話ですが、今回はご辞退させて頂きます」
恐ろしく丁寧な言葉遣いだが……。
眞理子とはそれなりに長い付き合いの那智である。彼女の怒りをひしひしと感じ、那智は気まずそうに視線を逸らした。
「総本部長殿、私が呼ばれた用件がこれだけでしたら、すぐにでも屋久島を出発させて頂きたいのですが」
十八時ちょうどの便なら間に合う。だが、そんな眞理子を瀧川は鼻で笑った。
「君はホテルに戻ってから一歩も外に出ていないようだな。だが、仮にもレスキュー隊員なら天気予報ぐらいチェックしたらどうだい?」
台風ならまだ三日程度は猶予が……そこまで考えハッと気がついた。ここは富士ではなく、鹿児島の更に南、屋久島だ。
「台風のスピードが速まったようだ。ついさっき屋久島は暴風域に入った。飛行機も船も全便欠航だ」
思った通りの答えを那智がくれる。
ここ十年以上、関西より西に来たことのない眞理子はうっかりしていた。
「では……明日は?」
「動くわけがないだろう? 我々は屋久島に閉じ込められたわけだ。どうです、眞理子さん。もう一日掛けてお互いの理解を深め合うと言うのは。私が君のレベルに合わせてあげてもいいんだが……」
頭の良い馬鹿とは、こういう男を言うのだろう。
皮肉も通用しないとなれば、眞理子も半ば自棄である。
「いえ、残念ながら、亡き祖父の遺言で婚前交渉は禁じられております。申し訳ありませんが、これ以上理解を深め合うことは不可能なようです。そのことは……総本部長殿にお伝えしたはずですが」
眞理子の爆弾発言に、那智はアタフタしながらもフォローを入れる。
「そ、そうだったかな。瀧川くんには、言い忘れていたかも知れん。……ああ、そうだ! 瀧川くん、表彰の件で打ち合わせがしたいと担当者が言っていたぞ。早く行きたまえ」
そう言って那智は瀧川を追い払ってくれたのだった。
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「いや、すまんな……以前話した時は、もう少しリベラルな考え方をしていたんだが」
「以前って、いつのことですか?」
「彼が大学生の頃か……」
頭を抱える眞理子に、今回仕組んだ見合いについて、那智は説明し始めた。
藤堂の事故、その翌年に起こった秋月の事故……立て続けに富士を襲った災難に、那智が最も心配したのは眞理子のことであった。眞理子は藤堂を追いかけず、富士に残り、山岳警備隊の立て直しに全力を注いだ。無責任とは思いつつ、那智もそのことを希望し、眞理子の隊長就任を後押しした一人である。
その後、風見との交際を聞いた時、今度は引き止めるべきではない、と思ったのだ。だが、状況が許さず……最終的には慰留してしまった。
もちろん、決めたのは眞理子だ。しかし、那智にすれば――。
「給料も役得も、決して君の働きに見合うものではないだろう。なのに、二十代の全てをレスキューに捧げてくれた。せめて、君の警察内での身分や将来を見越した上で、藤堂や風見以上の男を、と」
「総本部長殿……なら、もう少しマシなのをお願いします」
眞理子の絶望的な様子に、那智は乾いた笑いを浮かべつつ、付け足した。
「だが、藤堂くんに似てるだろう? レスキューの腕も上々と聞くが」
「顔だけ似てても論外です。それに……彼は“隊長”として尊敬に値しません」
バッサリ斬り捨てる眞理子の口調に、那智も絶句してしまった。
(……少し、言い過ぎたかな)
眞理子は那智に向き直り、穏やかに切り出した。
「総本部長殿、私と風見警視の仲をお疑いなら、見当違いです。それから、藤堂さんに夢中だったことは認めますが、過去のことです。それとも……私はもう、富士に不要の人間ですか?」
そんな眞理子の様子に、那智は「いや」と一言だけ口にする。
眞理子はようやくいつものように悪戯っぽく微笑み、
「花束贈呈役は他の方にお願いします。勢いあまって、花束で殴ってはいけませんので……失礼します」
今度こそ、眞理子はレセプションに参加することなく、会場から立ち去ったのだった。
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ガンガンッ! ガンガンガンッ!
激しくドアを叩く音がする。眞理子は心地良い眠りの国から、首に縄をつけて引き摺り出される気分だ。最後の抵抗を試みるべく、枕で頭を押さえていた。
(喧しい! どこの馬鹿だ!)
緊急なら警報が鳴るはずである。警報が鳴れば、何があっても飛び起き……いや、鳴らないか。ここは富士じゃない。屋久島において、眞理子はごく普通の客だった。
しかも外は台風である。もし今、富士で何かあっても、眞理子に出来ることは一つもない。人生には努力と根性では動かせないことがあるのだ。
そんな彼女に残された手段は『不貞寝』しかなかった。
眞理子は部屋に戻るなり、動き辛いドレスを脱ぎ捨て、シャワーを浴び、冷蔵庫にあった発泡酒を一気に飲んだ。それでも、酔わない程度に一缶だけ、という辺りが眞理子らしい。
今日の早起きは無意味だった。明日は一日寝てやろう……そう思っていたのだが。
ガンガンガンガンッ!
「沖っ! 貴様ぁーー起きんかぁっ! 寝たふりを続けると、クビだぞっ!」
それは長岡の声だ。眞理子は布団から顔を出し、時計に目をやる。まだ、二十二時――不貞寝を始めて三時間も経ってはいない。だが、ドアの外は只ならぬ様子である。とても静かに寝かせて貰えそうにない。眞理子は仕方なく起き上がったのだった。
「私のことを馬鹿にしおって……。さっさと開かんか! ……うおっ!」
早く開けろと言うので眞理子はそのまま開けたのだ。
しかし、今の眞理子はシャツを一枚羽織っただけの姿である。波をイメージした水色のアロハは、前のボタンを一個留めただけの状態だ。脚を動かせば太腿の付け根が見え隠れし、下に何も着ていないことが丸判りであった。
「寝込みを襲ったのはそっちでしょ? で、何ですか? 夜這いにしちゃ派手ですね」
「誰が夜這いなんぞするか! 那智総本部長殿がお前を呼んで来いと仰ってる。トラブルが発生したんだ。さっさと着替えてレセプション会場に来い!」
(トラブル発生? あの瀧川を夢の中で殴ったことがバレたのか?)
――この時、嵐は眞理子のすぐ近くまで来ていたのだった。