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ライジング!  作者: 御堂志生
第一章 山を守る女神
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(4)隊長

「叩き出してやればいいんだ。死にたい奴は勝手に死ねってな」

 廊下の奥からその様子を見つめつつ、水原はボソッと呟いた。


「そう言ってやりたいのはヤマヤマなんだけどなぁ」

 不意に隣から男の声が聞こえる。

 驚いて横を見た水原の目に山岳警察の制服が映った。暗がりで階級は確認出来ない。

 男は自分から、七原充ななはらみつる、階級は巡査部長だと名乗った。年齢は二十九歳――この部隊には比較的三十歳前後の隊員が多いという。水原も同じように名前と階級を告げた。


「なんで言えないんだ。その為の山岳警察だろう?」

「ご理解いただく……ってのが趣旨だからな。悲しき公務員って奴さ」


 この七原によると、議員秘書の相手をしていたのが南の相棒で、結城真人ゆうきまさひと巡査。二十六歳だが今年で二年目のまだまだ新人だと言う。

 更に――。

 こういったクレームは別に珍しいことではない。特に登頂禁止が“隊長判断”と決まってすぐの頃が一番酷かった。だが、安全の為の対応に特例はない。そのことが富士登山常連組の間で浸透して行き……。最近では文句を言い出すのは、この手の俗物がほとんどとなった。

 

「民間人なら副長が上手くやるんだけどな。お偉い議員秘書様は……引っ込みそうもないよなぁ。困ったもんだ」

 言葉とは裏腹に、七原は別段困った顔はしておらず。彼は水原に劣らない、広い肩を揺らして笑った。

 その予想通り、南は仕方がないといった風情でため息を一つ吐き、結城を振り返る。おそらく、隊長を呼んでくるように指示したのであろう。結城は南の言葉に頷き、水原たちの方向に小走りにやって来た。



 だが、水原はこういった手合いには我慢が出来ない性質だ。

 眞理子が「元刑事さん」と呼んでいた通り、転属前は捜査課の私服刑事であった。刑事時代も、三ヵ月だけ所属した長野の山岳警察でも、横柄な民間人との間にしょっちゅうトラブルを起こしていた。始末書の原因である。


「偉そうに命令しおって。たかだかレスキューの分際で!」


 議員秘書の台詞に、南以外の全員、顔色が変わった。水原も同じだ。彼の脳内で我慢の糸がぶち切れる。 

 水原が玄関ホールに向かって一歩踏み出した――その時。



~*~*~*~*~



「どうした? 何があった?」


 さっきの謎の女、眞理子が水原らの背後に立っていた。

 予想外にも他の連中と同じ、山岳警察の夏服姿だ。宿舎で会った時と違うのは、肩に垂らしていた髪を高い位置で一つに括っているくらいだろうか。襟首に掛かる数本の後れ毛が、水原の目を妙に刺激した。


「どっかの議員秘書が、責任者を出せって言ってます。登頂禁止のクレームですよ」

「そんな登山計画書が出てたっけ?」

 七原は肩を竦め、両手を左右に広げて見せる。眞理子は苦笑すると「……仕方ないな」そう呟いて水原の横を通り抜けて行った。

「え? おい」

 彼女は結城の肩を叩き、階段下をくぐり抜けた。そのまま、議員秘書に直接声を掛ける。


「これは山岳警察本部からの通達です。登頂禁止要項と気象庁の予報に基づき決定しました。許可は出せません。下山いただくか待機願います」

 眞理子はスッと手を挙げ、南に向かって頷いた。

 南は軽く頭を下げ、二歩後退……下を向いたまま、ホッと息を吐く。


「誰が女を出せと言った。隊長だ、責任者を出せ!」

「私が隊長の沖です。登頂禁止の判断は私がしました」


「なっ……」

 議員秘書は一瞬絶句した。

「こ、こんな女が責任者なのか? お前みたいなちゃらちゃらした若い女が、こんな所で何をやってるんだ! 女にレスキューが出来るはずがないだろう。何でこんな馬鹿なことになってるんだ!」

 馬鹿なクレーマーの言動には怒りを覚える。だが、こればかりは水原も同意であった。

 議員秘書は怒りが収まるどころか、更に激昂して顔を真っ赤にしている。


 一方、お前呼ばわりされた割に、眞理子に怒った様子はない。 

「用件はそれだけですね。では、全員仕事がありますのでお引取り願います。――副長、出口にご案内を」

「はい。お疲れ様でした。お帰りはこちらです」

 南は眞理子の言葉を受けて、玄関のガラス戸を押し開けた。


「き、貴様ら、こんな女の下で働いとるのか!? 女に山の何が判る。全く、警察はどういう人事をしとるんだ。まともな神経を持った人間も居らんのか。この税金泥棒めが!」


 怒り狂う議員秘書に向かって、眞理子の口調は全く変わらない。


「人事についてのご不満は静岡県警か山岳警察本部にお願いします。年齢性別に関わりなく、私が五合本部ここの責任者です。警察官の手を振り払って行かれるなら、お偉い議員様と言えども、公務執行妨害で逮捕します。その点、ご承知置き下さい」


「そ、そんなことして……ただで済むと思っとるのか! 先生を怒らせたら、貴様らなんぞすぐにクビだぞ!」

 男は口から泡を飛ばしながら叫ぶ。


「では、クビになる前に、我々の仕事をしましょう。これ以上、警察施設内で暴言を吐かれるなら、二階の留置場でお迎えを待つことになりますよ。――お帰りはあちらです」

 なんと眞理子は、傲岸不遜を絵に描いたような議員秘書を、木で鼻を扱くる対応で追い返した。


「隊長、塩でも撒きますか?」軽口で尋ねる結城に、「いや、塩が勿体ない」眞理子も調子を合わせる。

 本部内は瞬く間に、和やかな笑い声に包まれたのだった。



~*~*~*~*~



「ちょっと待てよ! あんたが隊長だと?」

 唯ひとり、納得がいかない様子で水原は叫んだ。


「俺をからかって遊んでたのか?」

「ちゃんと名乗ったはずだ。隊長のフルネームくらい覚えておくべきだったね」

「まさか、女だなんて……誰も思わないだろうがっ!」


 それは否定出来ない。全員が胸の中でそう思った。


「うん判る判る。お前さんの気持ちはよぉく判るぜ。だが、諦めろ。何事も諦めが肝心だ」

 七原は冗談めかした言葉を口にしつつ、二~三度水原の肩を叩く。

「本部の連中も酷いですよね? わざと教えないんですよ。上司が女と聞いただけで、嫌がる奴がいるから」

「それって、お前だろうが」

「そうでしたっけ?」

 気づけば、七原の横にヒョロッとした男が立っていた。二人は楽しそうに冗談を言い合う。佐々木俊輔ささきしゅんすけ巡査、七原のパートナーである。だが、今の水原にはそれどころではなかった。



「ちょっと待てよ。あのオッサンじゃないが、普通おかしいだろ? そりゃ一人くらい女の隊員が居てもいいさ。でもなんで隊長なんだ? そもそも女に登攀なんて……自分独り登るのに精一杯だろう?」

 次第に水原は声を荒げ始める。そんな彼を南がたしなめた。

「水原くん。着任早々、上司の性別に不満を上げるべきではないと思います。隊長の力量云々ではなく、あなた自身の問題ですよ」

「――でも」

「関係ない」

 南の言葉にも従う気配を見せない水原に、眞理子はバッサリと言った。

「さっき言った通りだ。人事の不満は人事に言えばいい。仮に、私に五メートルの壁を登る力がなかったとしても、隊長は私だ。ここに居る限り、私の命令に従って貰う。出来ないなら、荷物を纏めて山を下りろ。以上だ」


 それは容赦ない言葉であった。

 水原は無言できびすを返す。裏口の扉を体当たりで開け、閉める時は叩き付けた。その勢いから察するに、麓の富士宮警察署に置かれた山岳警察本部に乗り込むつもりかも知れない。


「よろしいんですか、隊長? また嫌味を言われますよ」

 南は心配そうに眞理子の顔色を伺う。

 だが、

「うーん。そうだね……胸の谷間を隠したのが失敗だったかな?」

 相変わらず、何処吹く風の眞理子であった。




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