(1)神の島へ
改めまして、まずはじめに、本作は“なんちゃってレスキュー物語”です。
★リアルを追求される方、富士山・登山・レスキューそして、今回はとくに屋久島! に詳しい方には突っ込みどころ満載のお話です。
★人物や組織・施設などの固有名詞は、全て架空のものです。実在のものとは一切関係ございません。
以上の点、ご了承の上、よろしくお願い致しますm(__)m
――当機は間もなく鹿児島空港に到着いたします。正面のベルト着用のサインが消えるまで、お立ちにならないようお願いいたします。
朝七時に富士を出発し、富士山静岡空港を発ったのが正午、今は十四時前……目的地の屋久島まではまだまだ遠い。
七十六人乗りの赤い機体は小柄なボディを震わせ、眞理子を東海から九州まで運んでくれたのだった。
しかし、問題はそこからだ。
空路を使えばひとっ飛びで三十分、にも関わらず、なんと本部から渡されたチケットは海路であった。空港から鹿児島本港まで約一時間を掛け、更に船で三時間弱……ホテルに到着するのは十九時を軽く回る。
眞理子は、隣に座る長岡副本部長を横目で見ながら、そっと溜息を吐いたのだった。
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富士山の南部分、静岡県側に位置する新五合目に、富士山岳警備隊本部がある。通称、五合本部だ。
隊員は隊長以下十一名。標高二四〇〇メートルで生活し、高地での任務を余儀なくされる。そういった仕事の過酷さから、主に三十歳前後の人間を中心に構成されていた。
沖眞理子は山岳レスキュー隊の総指揮官、隊長を勤める。階級は警部。二十九歳にして人生の三分の一を富士で過ごすベテランである。そして、副隊長以下、隊員たちからは絶大な信頼を得ていた。
そんな眞理子が、九月末の三日間、富士を空けることになったのだ。
それも片道十二時間も掛かる距離に、である。隊長に就任して以降、眞理子が富士から片道三時間以上の場所に離れたことはない。
この話を聞き、最初に困惑したのが南であった。
「って訳だから、隊長代行をお願いね」
「いえ、あの。代わりに私が出席というわけには?」
あの長岡のような神経質な男との二人旅であっても、眞理子に代わって隊を率いる責任に比べれば……百倍楽というものだ。いや、南は決して無責任な男ではない。だが、命に関わることを即断するのには、若干の自信が足りなかった。性格によるものかも知れない。
「私自身が本部長の代行だからね。以前世話になった、那智総本部長殿の呼び出しだから……断わるわけにはいかないんだ」
「はぁ」
「いつも通りやればいい。手順通りに。大丈夫、南ならやれるよ」
最後には「お気をつけて」と、隊員一同、笑顔で眞理子を送り出した。
例年通り八月末に山じまいとなったが、今年は天気に恵まれたおかげで九月も結構な人出であった。しかし、さすがに後半となると八割の山小屋が閉じたため入山者も減ってくる。何と言っても、山小屋が締まるとトイレが使えない。女性の登山客が激減するのは当然のことであった。
「とりあえず、台風等の情報は入ってきてませんし、平日です。隊長不在ですが、皆で力を合わせて乗り切りましょう」
南が朝礼でそう宣言した直後、無線室から森田千賀子巡査が顔を出し、申し訳なさそうに言った。
「あの……気象庁からです。台風が大東島の南、約百キロの海上にあり……明日の午後、沖縄に上陸する、と……すみません」
蒼白になる隊長代行から、さりげなく視線を逸らす隊員たちであった。
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今回、風見本部長の命令により、眞理子は山岳警察定例会議に出席することになった。名目は、本部長の代理である。だが、これは異例のことだ。副本部長が出席するのに、二つ三つ役職をすっ飛ばしてまで、隊長の眞理子が出る理由はない。
山岳警察定例会議は年一回行われる……早く言えば山岳警察キャリア組の顔合わせパーティである。持ち回りで行い、毎年開催場所は違っていた。会議とは名ばかりで、実際の目的はその後のレセプションパーティであろう。
今回はなんと屋久島最大のホテルを貸切にして、地元の警察幹部や民間の山岳救助隊も招いて行われるという。官民の親睦も兼ねており、山岳救助において功績のあったレスキュー隊員の表彰式などもある。
実は……眞理子も表彰された経験があった。隊長になる前なので二十代前半の頃だ。
だが、酔った幹部にホステスやキャバクラ嬢のような扱いをされ……。藤堂隊長がフォローに入ってくれなければ、危うくシャンパンボトルで殴り倒すところだった。
入隊した年に富士でも行われ、十九歳の彼女は散々な思いをしている。どちらにしても、この会議には良い印象はなかった。
屋久島は有名な観光地だ。標高約二千メートル、九州地方最高峰の宮之浦岳があり、他にも千メートルを越す山が連なっていて『洋上のアルプス』の呼び名があった。
島は外周道路がメインで、約三時間あればグルッと一周出来る。人口は約一万三千人、警察や消防も完備していた。
ただ、山岳警察の警備隊本部は屋久島にはない。総観光客数と島の規模、そして屋久島には民間のレスキューが充実していることもあり、何かあれば県南部の霧島山岳警備隊から応援が来る形であった。
「ふう……」
高速船の中は意外と狭い。
全席指定のため、眞理子と長岡は少し動くと足や腕が触れる距離である。
「長岡さん。その溜息止めて貰えませんか? コレに乗ってからで、もう二十回は超えてますよ」
「数えていたのかね?」
「大凡です」
「トラブルメーカーの君と一緒だと思うと……ああ、胃が痛い」
「そんな……屋久島まで来て、私が何をすると言うんです?」
軽く答える眞理子に、長岡は血相を変えて怒鳴った。
「じゃあ、そのカッコはなんだ! どう見ても警官じゃあるまいっ!」
いつぞやの消防本部を訪ねた時ほど過激ではない。
黒いシフォンのキャミソールワンピースだ。膝が少し見える程度で、首には共布の短めのスカーフを巻いていた。華奢でも細身でもないが、眞理子は決して筋肉質でもない。軽く肩に羽織った麻のジャケットが彼女を上品に見せていた。ちなみに、生足に履いた黒いエナメルのサンダルは、ヒールが八センチ以上あるだろう。立つと一八〇近くになり、まるでモデルを思わせた。
確かに婦人警官とは誰も思うまい。とくに、隣にくたびれた中年男がいると……。周囲からは“愛人同伴の不倫旅行”に見られていることは間違いない。
「君の……その格好のせいだぞ! 妙な目で見られて……恥もいいとこだ!」
「いいじゃないですか。少女連れでロリコンに見られるより。それとも……私が愛人じゃご不満ですか?」
眞理子は狭いスペースで足を組みかえ、スカートの裾は太腿の上まで捲れ上がった。長岡はその脚線美に釘付けだ。数秒後にようやくハッとして、涎が垂れそうになるのを必死で誤魔化している。
「わ、わ、私を……ゆ、ゆう、誘惑したりしたら……ク、クビだからなっ」
眞理子はフッと笑うと座席から優雅に立ち上がった。
「それって逆でしょ? 涎を垂らして飛び掛ったりしたら……泳いで屋久島まで渡ってもらいますよ。お忘れなく」
投げキッスで長岡をからかい、眞理子は通路を歩いて行く。彼女に目を留めた男たちは、最低でも十秒は見惚れていて……女連れの男は尻を捻られていた。
その様子を見ながら、長岡はボソッと呟いた。
「魔女め――」
だが、もうしばらくの辛抱だ。上手く行けば、奴を富士から追い払うことが出来る。青二才の風見がどう思おうが知ったことか。総本部長さまさまだ。
眞理子が呼ばれた意味を思い浮かべ、ほくそ笑む長岡であった。