(3)因縁
装備の点検作業を終え、巡回に出る直前、消防より応援要請が入る。
五合本部からは、緒方・立花組と結城・水原・南組の五名が北富士に向かったのだった。
山岳警備隊の面々が呼ばれるのは、登攀救助を必要としている場合がほとんどだ。位置的に要救助者をヘリでの吊り上げが不可能な場合、場所を移動させなければならない。意識があり軽傷ならばさほど問題はない。或いは、足の骨折等であれば背負っての移動も可能だ。しかし、中には頚椎や脊椎、頭蓋骨を損傷しているケースもある。その場合、損傷箇所に与える僅かな荷重が命取りになることも。助かっても、非常に大きな後遺症を残しかねないのだ。
今回もそういったケースだったため、消防の指示で熟練者の立花と南が現場まで行くことになった。残りの三人は後方待機――と呼ばれる雑用である。
消防主導で行われた救助活動は問題なく進んでいた。
水原はここまで消防の応援に出たことはなく、今回が初顔合わせだ。当然、大掛かりな昇降装置を使うのも初めてである。
昇降装置から伸びたロープは、救助に向かうレスキュー隊員の速度に合わせて自動で緩む。墜落等で一定の負荷を感知すると急制動が掛かり、しかもボタン一つで巻き上げも自動、という優れものだ。
問題はそれなりに重量があるので持ち運びが大変であった。他にも、ビル等の建造物で使用する際にはしっかりと固定出来るので安全だが、山で……特に地盤の緩んだ箇所では安全確保が難しいことであろうか。
救助を終え、撤収の段階でそれは起こった。
彼らは当初から、装置の操作に不慣れな水原に対して「教えてやる」と尊大な態度を取り続けていた。他の二人は、ただでさえ短気な水原がいつ爆発するか、ヒヤヒヤしていたのだ。
だが、水原より先に口を開いたのは結城だった。
「救助完了で任務終了じゃない。全て撤収して、全員無事に帰投するまでが任務なんです。真面目にやって下さい!」
眞理子の訓導よろしく、結城は声を荒げる。
だが、ごく当たり前のことが、彼らには通用しなかった。
「こっちは教えてやってるんだ。ったく、警察官ってのは口の聞き方を知らないな」
まるで意に介さず、嘲弄するだけだ。
今の消防は……眞理子の言葉を借りるなら、親馬鹿が過ぎて子供も馬鹿になっている状態であろうか。
彼らは応援を要請しては、最も危険な場所に警察のレスキューを送り込む。その汚いやり口に、五合本部の全員が辟易していた。
「ヤメヤメ、結城さん。ここの連中には何を言っても無駄だよ。話が通じる相手じゃねぇんだからさ」
緒方がそう言って結城を抑える。
それに調子に乗ったのか、
「そうそう、お前らは俺たちの言う通りにしてればいいんだよ。どうせ山岳警察なんか、なくてもいいんだからな」
「――だったら呼ぶなよ」
水原が苛々した口調で吐き捨てるように言う。
「なんだと? 元々富士は消防のエリアなんだよ。山岳警察があるから使ってやってるだけなんだ! 覚えとけっ!」
「嘘つけ。出来ねえから、助けて下さいって言えよ」
水原の台詞に、周囲にいた消防レスキュー隊員の顔色が変わった。
結城はケンカ腰の水原を抑えるべく、双方の間に立つ。
「ふざけるな! お前らの女の隊長が、富士の警備隊を潰しかけたんだろうがっ。俺らのおかげで残っていられるくせに、調子こいてんじゃねぇよ!」
それは水原には初耳であった。
言葉の途切れた水原に代わって、緒方が言い返す。
「違うだろ? 消防が富士を全部カバーするって言い出して、富士山岳警備隊の規模を縮小させたんだろうが! 隊長は割を食っただけだ」
五年前、山岳警備隊で事故が相次いだ。その結果、史上最年少で眞理子が隊長に就任したのである。
だが、その事故で欠員が増え、挙げ句、女の隊長に反発する者も出てきた。しかも、消防が規模拡大の方針を打ち出した時期とも重なり……山岳警備隊は縮小を余儀なくされる。
その時、隊に残っていたレスキューの主力メンバーまで削られ、存続の危機に立たされたのだった。
「女を隊長にするしかないんだからな。人材不足もいいとこだろ?」
「その隊長に、結局出来ないからやっぱ南富士を頼むって、泣きを入れてきたのはそっちだろうが!」
「馬鹿言うな! たかが女じゃねえか。お前ら、女のケツに張り付いてて、よく恥ずかしくないな」
眞理子に“たかが”を付けるのは禁句だ。緒方の表情が一変した。
だがその緒方以上に、燃え上がった男が独り――結城である。
結城にとって眞理子は神様同然だ。彼は登攀・レスキュー技術の全てを、隊長である眞理子から教わった。
「なんだとぉ! 隊長は最高の山岳レスキューだ。お前らチンピラに、“たかが女”呼ばわりされる覚えはない!」
結城の怒声を聞き、水原は一瞬で我に返る。
自分を押さえていたはずの結城が、逆に血相を変えて怒鳴ったのだ。それは驚くだろう。横を見れば、緒方の顔も真っ赤である。
その時、水原はハッと思い出した。隊の中でこの二人は、最も熱狂的な隊長信者であることを……。水原が噂を真に受けて眞理子を罵った時、椅子を蹴飛ばし表に出ろと叫んだ連中だ。
二人ともそれなりに反発して、水原同様に助けられたという。
こればかりは、経験しなければ判らない。訓練中と出動中では眞理子の印象ががらりと変わる。いや、眞理子自身が変わらない、というべきか。いざという時、あれほど肝が据わった人間はめったにいないだろう。
水原が後から聞いた話によると――。
切断されたロープと転落の痕跡を見つけた瞬間、眞理子はロープ一本を頼りに、迷わず暗闇に飛び降りたという。斜面を滑り降り、更に崖からも飛び降りたからこそ間に合ったのだ。
しかし、それ程の腕を持ちながら、眞理子が消防の応援に廻ることはない。
「うちの隊長は、消防のぼんくら分隊長とは訳が違うんだ! あんな役立たずに、よく命を預けられるもんだぜ」
そんな緒方の言葉を受け、彼らはとうとう地雷を踏んだ。
「お飾りの隊長に何でそこまで……。ああ、なるほどな。確かに美人だよな」
「同じ宿舎に住んでんだろ? お楽しみの順番は決まってんのか?」
「いいねぇ、俺たちも胸のデッカイ隊長が欲しいぜ」
揶揄が下劣な妄想に変わる。更には、腰を動かす素振りで笑い合う十数名の消防レスキュー隊員を見て、三人を止める人間はいなくなった。