(13)消えた二人
『……登頂禁止にすべきです。……ええ、もちろんそれは判っています。ですが……副本部長? 長岡さん!?』
そのまま眞理子は受話器を叩きつけた。「くそったれ!」思わず、部下には聞かせられない言葉が口をつく。
「やはり、登頂禁止は出せませんか?」
「ああ、そうだ。――最善を尽くそう」
眞理子の答えに、後ろに立つ南の表情は、いつも以上に厳しくなるのだった。
七月も後半に突入した。
大学や高校が夏休みに入り、眞理子らの仕事も右肩上がりに慌しさを増していく。この日はすでに小粒の雨が降り始め、天候悪化は必至であった。
それを麓の本部に連絡し『登頂禁止』の発令許可を申し出たが、いともあっさり却下される。
夏期限定営業の山小屋や売店側にすれば、登山そのものを禁止されることが一番困るのだ。その辺りの兼ね合いもあり、県警の山岳警察本部は中々許可を出そうとはしないのである。
――以前はもっと自由だった。何も起こらないかも知れないのに。それがお前たちの仕事だろう。
挙げ句、必ず最後に言われるのが“給料泥棒”の一言。
警察官なら誰でも、一度は言われたことがあるくらい、よく聞く言葉であった。
だが、警察や消防は暇が一番だ、と眞理子は思っている。厳しい状況を想定した訓練が無駄になるように、事故発生防止が彼らの最大の任務であった。
この日は早朝から出動事案が立て続けに二件発生し、本来休日であった南も事務室に待機していた。
そんな中、問題児水原は、
「休日に山に登るのは勝手だろ」
と言い放ち、朝から山に入ってしまう。
利己主義な水原の言動に、怒りを露にする隊員もいた。
だが……。
「自分も休日返上で出動します。なんて、奴に言えるはずがないだろう? 何かあったら出動出来るように、登山道を回ってるはずだよ」
そんな眞理子の言葉に、全員呆れて納得したのであった。
午後、天候は悪化の一途を辿る。
昼間でありながら、森の中は薄い闇に包まれていた。七合目を過ぎると遮るものがなくなり、雨は体に当たると痛いほど降り注ぐ。視界は狭まり、足場も悪くなる一方だ。
再三再四、眞理子の突き上げにより、十四時を過ぎてようやく登頂禁止となる。
それに伴い、各登山口が閉じられた。眞理子は島崎を同行して、登山者に下山か山小屋への避難を勧告して廻る。だが、多くの登山客にとって、ご来光を見ることも目的の一つだ。そのため、ほとんどが山小屋までの登山を強行したのであった。
しかし、当然のように転倒や滑落が相次いだ。
眞理子が腰に下げた携帯無線機が、ひっきりなしに鳴り続ける。一つ片付けばすぐに次で、本部に帰投する余裕もない。彼らは連続して救助活動を続けた。
「島崎! 御殿場のルートで滑落者の一報だ。登攀での救助が必要らしい。私はそっちに回る――」
各五合目の登山口は所轄の警察官が巡回している。眞理子が島崎に命じたのは、須走口から六合目までの暗い森を抜ける下山道の安全確保だ。
登山者の一部はまだ山小屋まで到着していなかった。だが下山者は、時間的にもほとんどが五合目で確認済みである。だが念のため、遭難事例の出ている現場に島崎を残したのだった。
「下山客がいた場合は五合目まで誘導するように。万一、上から事故の連絡があれば、無線で報告した後、現場の確認。どんなに短い距離であっても、単独で救助には向かわないこと。いいね」
「はいっ! 了解しました」
完全防水の雨具を着用し、島崎は敬礼する。
まさかこの数時間後、島崎の所在が確認出来なくなるとは、思うはずのない眞理子であった。
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激しい雨が降り続く――。
十八時直前、眞理子は下山完了を判断し五合本部に連絡を入れた。無線担当の森田千賀子巡査に、島崎への帰投命令を頼んだのである。
ところが数分後、
『こちら五合本部。島崎隊員からの応答がありません。どうぞ』
『――了解』
眞理子は直接島崎との連絡を試みるが、何度呼び出せど無線の返事はない。
「雨で電波の状態が悪いんでしょうか?」
と南は言うが……。
眞理子は無線を取ると、別行動の麻生・内海組に連絡を取る。
『麻生、聞こえるか? こちら沖だ』
『はい麻生です』
『下山ルートを変更。須走口六合目付近の島崎を回収してきてくれ。どうぞ』
『了~解!』
この時、眞理子の中に嫌な予感が走った。
だが、島崎は水原とは違い、単独で無茶をして二次遭難を引き起こすタイプではない。とくに、まだまだ出来ることが限られている。問題が発生すれば、すぐに連絡を入れるはずであった。
ところが、眞理子らが五合本部帰投後、事態は混迷を極めることになる。
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『いない? 荷物は?』
『ありません。争った形跡や血痕などもありません。どうぞ』
『判った。事故の痕跡を確認しつつ戻ってくれ。ご苦労だった。以上』
『麻生――了解』
眞理子らのほうが先に五合本部に戻り、麻生の報告を受けたのは十九時を回っていた。
仮に、島崎の無線にトラブルがあったとしても、須走の五合口には警官もいてパトカーも待機している。警察無線を使えば、五合本部に連絡は可能なのだ。
眞理子はしばらく考えを巡らせ、部下に命令した。
「誰か、宿舎に戻って水原を確認してきてくれ」
眞理子の言葉に弾かれたように緒方が駆け出した。
それぞれが濡れた出動着を脱ぎ、シャワーを浴びてジャージ姿だ。
その中で、眞理子は着替えだけを済ませていた。解けた髪は首筋に張り付き、それを拭くために頭からバスタオルを被っている。彼女は今、森田巡査に代わり、無線器の前を陣取っていた。
「隊長……これはどういうことでしょう? 事故……まさか事件なんてことは」
南も島崎が命令違反をするとは思っていないらしい。
下山者を発見して誘導などで動く場合は、その都度本部に連絡を入れることになっている。どんな理由であれ、命令された場所を移動する時は無線連絡が鉄則だ。
現在地の報告は徹底してきたはずである。それを怠る島崎とは思えなかった。
「ん……とにかく」
眞理子が口を開きかけた時、事務室に緒方が飛び込んで来る。
「隊長! 水原がいません。戻った気配もありません!」
緒方の報告に五合本部の空気は一瞬で凍りついた。