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ライジング!  作者: 御堂志生
第一章 山を守る女神
12/80

(12)たった一つ

 眞理子は手当てを済ませると、すぐに仮眠室から出た。

 工具箱は倉庫にある。それを取りに行ってから、無線室にいるはずの島崎と交代しよう……そんなことを考えながら階段を下りる。

 ドアは蝶番を付け直せば使えるだろう。ホワイトボードは脚の部分が曲がっていたが、ボード部分が無事なら構わない。他に何を壊しただろう? 眞理子が思案した時、人の声が聞こえた。


「くっそーなんだよ、これ。全然使えねえ」

 廊下の真ん中、壊れたドアの前に座り込む男がいた。水原である。

「水原? 島崎と代わったのか?」

「アイツ……飯がまだだって言うからさ」

 水原は眞理子から微妙に視線を逸らせつつ答えた。 

「そうか、ありがとう。もういいよ。お前もまだだろう? 早く食って来ないと、緊急呼び出しが掛かったらアウトだぞ」

 眞理子は何もなかったかのように微笑み、「お疲れさん」と声を掛けた。


 事務室の床に落ちていた書類は、全て机の上に戻っている。ホワイトボードは僅かに傾いたまま、壁際に置かれていた。パーテーションのへこみも遠目には目立たない。この短時間に水原ひとりで片付けられるものではないだろう。眞理子は部下たちに感謝しつつ、微苦笑びくしょうを浮かべる。


「なんで言わなかったんだ……肩を痛めてたって」

 水原は憮然とした表情で、チラリと眞理子を見ながら尋ねた。

 ドアには剥がれたような穴が開いている。彼はその穴を板切れで塞ぐつもりらしい。

「大したことはない。ひょっとしてドアを直してるのか?」

「喧嘩は基本的に両成敗だろ」

「ふーん」

 眞理子はそれ以上は何も言わず……水原の傍らにある工具箱からドライバーを取り出していた。そして、桟に残ったままの蝶番の残骸を取り外し始める。


「べ、べつに……お前の心配してるわけじゃ」

 水原の声はどんどん小さくなる。

 小声でぶつぶつと――女を武器にする奴は信用出来ない。何で恥ずかしげもなく隊長なんかやってるんだ。そんなことを口にしている。

「南さんに色々教わって判った。やっぱり、隊長に相応しいのはあの人だ」

 少しボリュームを上げ、水原はキッパリと言い切った。

 

「確かに、南は素晴らしいレスキュー隊員だよ。いい男だしね」

「顔は関係ないだろうが!」

「年上のくせに喧嘩っ早い馬鹿男とは雲泥の差だ」

「それは俺のことか?」


 眞理子が口を閉じると、水原も黙り込む。

 二人はしばし、無言で作業を続けたのだった。



~*~*~*~*~



「なあ、水原……」

 口火を切ったのは眞理子のほうであった。

 水原は何も答えず、手にした金槌で短い釘を打ち込む。

「みんな命懸けだよ。生きて戻る覚悟が、死ぬ覚悟に劣るとは思えない」


 眞理子の声は静謐せいひつに包まれていた。思わず納得してしまいそうなほど、穏やかで心地良い。その凛とした声は、廊下から玄関ホールの闇を漂い、本部玄関に点る赤色灯に吸い込まれて行くような錯覚すら感じ……。

 水原は慌てて頭を振り、まったりと流れる時間を斬り捨てた。

 

「びびってて仕事になるかよっ! そんなんで、いざって時に人のために死ねるのか?」

「私は怖いよ……死にたくない」

 ガンッ!

 水原は釘を思い切り打ち付けると頭を上げた。

「だったらさっさとレスキューを辞めろ!」

「怖いけど……助けたいと思う。私が落ちたら、ロープで繋がってる相棒も落ちる。背負った遭難者も一緒に……。誰も死なせない為には、生きて戻らなければならないんだ」


 ガンッガンッ――。

 水原の金槌の音が大きくなる。


「俺だったら独りで死ぬよ。……ロープを切る」

「後は任せた、か。結局、人には生きて帰れって言うんだな」

 

 眞理子の口元には悲しげな顰笑ひんしょうが浮かんでいる。水原には彼女の言葉の意味が判りそうで判らない。

 ――ガンガンガンッバゴッ! 

 思い切り釘を叩いたつもりが……穴の上を叩き、金槌は板にのめり込む。

 ドアの向こうでは壁に顔を伏せるように眞理子が笑っている。



「なあ……なんで、今日のがそんなに不味いんだよ。俺が気に入らないだけだろ? 結城は関係ないよ」

 ――自分に靡かない男を見せしめに処分した。

 水原の目に眞理子の行動は、女性独特のヒステリーとしか映っていなかった。


「たったこれだけ、大したことない……それを慢心と言うんだ。素人でも出来るなら素人に戻ればいい。決められたルールには意味がある。守らなければ、重大な過失を招く可能性があるんだ」

「馬鹿馬鹿しい! 大袈裟なんだよ。そんな」

 取り合おうとしない水原に眞理子が口にした内容は、密かに彼の心に衝撃を与える。



 今回、眞理子が神経質になった理由。それは、要救助者が子供だったからだ。

 その場合、親をはじめ同行者は冷静さを欠き、自ら無茶をしようとする。結果、最も二次災害を招きやすいケースであった。

 加えて、レスキューに入っても必ず口を出してくる。

 ――それで助けられるのか? もっと早くしろ! 子供に何かあったらお前たちのせいだ!

 そんな横槍を無視し、同行者の安全を確保しつつ、適確に救助する。

 問題はそれだけではない。

 子供の場合、怪我の状態を正確に知ることが難しいのだ。それは伝える力が拙いというだけではなかった。悪ふざけが事故に繋がった場合、子供は叱られること恐れて口を閉じる。様々な不都合を言わない時も、大仰に言う時もある。それが取り返しのつかないことにならないよう、細心の注意を払いつつ、レスキュー隊員は任務を遂行する必要があった。


 

「万に一つの可能性を考えて動く。――命は一つだ。無駄に懸けるものじゃない」


 それは、金槌で殴られたような衝撃だった。

 さすがの水原にも、思い当たる節がいくつもある。彼自身、遭難者の祖父母に急かされて救助に向かったのだ。幸い、病院の検査でも異常なしだったと言う。だが、もし頭でも打っていたら……。ろくな確認もせず、痛い所はないという子供の言葉を鵜呑みにしていた。

 考えたくはない。認めたくもなかった。だが、眞理子の言うことは……正しいのかも知れない。

 

 水原の動きが止まったのを見て、眞理子がボソッと呟いた。

 

「なあ、水原。気付いたんだが……お前これ、上下逆じゃないか?」

「もっと、早く言え!」




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