第三話 姫と竜と、勇者の対話
ドラゴの朝は、竜たちの咆哮から始まる。
竜の訓練場の奥、石の厩舎から吹き出すような熱気。巨大な鱗がこすれる音。鎖が鳴る。そんな煉獄のような場に、一際柔らかな笑い声が響いた。
「ほら、じっとして。そこはくすぐったいのね、ふふっ」
アルベルトは、その声に足を止めた。
目の前にいたのは、あの“修羅の姫”ミッシェル・ガンエレファント。
だが、そこにいたのは王族の威厳に満ちた姫ではなく、ひとりの竜を慈しむ女性だった。
短く切りそろえた黒髪が朝露に濡れ、太陽の光が虹色の水飛沫を跳ね返す。竜の背にまたがり、鱗の隙間を丁寧に磨く彼女の表情は、まるで母のように優しい。
「……あれが、本当に“修羅の姫”か……?」
驚きに声を漏らすアルベルトの肩に、ベビーサタンのさっちゃんがとことん軽やかに降りてきた。
「ね、驚いた? あの子ね、竜が本当に大好きなのよ。玉座のミッシェルと、ここにいるミッシェルは別人よ」
「どうして……その顔を、玉座では見せない?」
「そんな顔を見せたら、国が崩れるからよ。彼女は、“優しさ”を封じ込めて、全部一人で背負ったの」
アルベルトは黙って歩みを進め、竜の足元に立った。
「姫、いい磨きっぷりだな。俺にも手伝わせてくれ」
振り返ったミッシェルの目が、驚きに見開かれる。
「……貴様……なぜここに……私の訓練場だぞ」
「人事部の活動の一環ってことで。俺も竜は好きなんだ。ほら、これでも魔王のペットを救ったこともある」
彼女は、しばらく無言だったが――やがて小さくため息をついた。
「……勝手にしろ。だが、竜が嫌がったら即刻退場だ」
「了解だ、優しい姫さま」
二人で竜の背を磨く。その作業の静けさの中に、奇妙な連帯感が生まれ始めていた。
アルベルトはふと口を開いた。
「竜の治療施設、作れたらいいな。俺の国に、魔法医術の研究者がいる。協力してくれるはずだ」
ミッシェルの手が止まる。
「……貴様の国に、竜を任せるとでも?」
「任せるんじゃない。連携だ。姫の国に研究施設を作る。俺は金と人を集める。姫は現場の指揮を取る。そして――竜を“生き物”として守る」
「……そんな金、どこにある?」
アルベルトはにやりと笑った。
「俺が広告塔になる。勇者アルベルトが“竜保護のための募金”を始めるって言えば、貴族も庶民も企業も、こぞって金を出すさ。子どもたちだって募金箱を持って走り回るだろう」
「……貴様、自分の顔がそんなに売れると思っているのか?」
「売れるさ。残念ながらな。見ろよ、この爽やかスマイル」
「……バカか、貴様は」
そう言いながらも、ミッシェルの声に笑みが混じっていた。
彼女は竜の首に頬を寄せ、しばらく黙っていたがやがて、ぽつりと呟いた。
「そんな未来が……もし、本当にあるなら……」
「あるさ。勇者の俺と、優しい竜の姫様がやるんだろ?」
その瞬間、ミッシェルの瞳の奥に、わずかだが確かに光が差し込んだ。
それは、絶望を越えて差し伸べられた手に、心が触れた証。
竜が二人の間に鼻先を寄せ、柔らかな鳴き声を上げた。
新たな風が、ドラゴの空を吹き抜けた。
それは始まりの風だった。