20.自粛
呆然と立ち尽くす私達。
だけど一気に緊張感がほぐれたのか、それとも感じ続けていた恐怖が蘇ったのかレロサーナとエステルが呟いた。
「……怖かったわ…」
「ええ。あれが瘴気の魔物…なのね」
そんな二人の言葉に、あれがそうなのか、と私は思った。
そして同時に不思議な感覚を思い出す。
まるで何かを伝えたくて訴えかけているかのような、そんな風に感じた自分の感情がわからなかった。
(魔物が、人間になにかを伝えたい…だなんて、ある筈もないのに…)
それに私はクロコッタを資料でしかみたことはない。
マーオ町でもクロコッタが現れたなんて聞いたこともなかった。
そんなクロコッタが私を知っているわけないから、私を見ていたわけではない筈なのだ。
だから、クロコッタが何かを伝えたいのかとそう錯覚したことが私は不思議だった。
「……サラ、どうして泣いているの?」
「え?」
エステルが私に手を伸ばす。
目尻にそっと触れたエステルの指先から小さく震えが伝わってきた。
さっきまでの恐怖が残っているのだろう。
それでも私を気遣うエステルに、私は震えるエステルの手に手を重ねた。
「……無事に帰ってこれたからかも!
さっきはなにがなんだかわからなかったしさ!」
そう言って笑うと、やっとエステルに笑みが戻る。
レロサーナもやっと笑ってくれた。
自分が涙を流していた理由よりも、エステルとレロサーナがいつもの表情に戻ってくれたことの方が大切だったから、泣いていた原因だなんて全く気にならなかった。
「二人はここにいて。
私は先生に報告しに行くから」
学園内は安全だ。
ここには魔法や剣術、様々な方面に長けた先生たちがたくさんいる。
それに加え学園には高度な防御魔法がかけられていた。
だから今私達がいる場所が正門近くだとしても、学園内ということは変わりなくて、そして安全な場所であることも保証されている。
私はもう少し休んだ方がいいレロサーナとエステルを残して、先生を探しに学園の中へと駆けた。
□
私の報告を受けて、学園外に出ていた生徒達はすぐに戻された。
私の学年だけではなく、一つ上の学年も学園外で授業を受けている為に同様の対応がされたのだ。
そして全員が集まった教室で、先生が真剣な面持ちで告げる。
「今後の方針が決まるまで、校外授業は自粛することになった」
生徒の安全が保障されない限り、学園としては生徒を学園の外に出すことは出来ないと判断されたのだろう。
実際にこの学園には身分の高い子息令嬢が多く通っている。
そのような子たちを引き受けている手前、安直な行動は出来ないのだろう。
「あの、先生…」
「どうした?」
「瘴気の魔物はここ最近目撃されるようになったと聞きました。
その上で今回僕たちは学園外で、それも騎士団と共に赴いたと思っていたのですが違うのですか?」
私と同じ水属性のナオ・メシュジが先生に質問した。
確かに以前レロサーナから瘴気の魔物が目撃された話を聞いたことがあるが、今回実際に遭遇したわけでもない人がそれをいうかと思ってしまう。
先生も軽く考えていそうなメシュジに対して、はぁと一つため息をついてから答えた。
「確かに瘴気の魔物の目撃情報は先生も学園側も知っていた。
その上で対策としてお前らにワープ機能を持たせたブレスレットを渡し、不測の事態が起きても問題ないように騎士団への協力を求め、今回行動を共にすることを条件として学園外へと送り出したことは事実だ」
メシュジの言葉に同意しながらも先生は続ける。
「だが今まで目撃されていた瘴気の魔物はいずれも低レベルの魔物だった。過去の資料をみても高レベルの魔物が瘴気に侵された事例はない。……少なくとも人間の目に触れるところではの話だがな。
それが今回高レベルに区分けされた魔物で瘴気を纏ったことがわかった。だからこそ騎士団の人たちは帰還するように指示した。
これがどういうことかわかるか?」
目を細めて問いかける先生に、メシュジは小さく首を振る。
「……学園側で対策として取り入れていた一つが意味をなさなくなった。
騎士団の協力だけではお前らの安全を保障できないってことだ」
だからこそ、お前らに校外授業は自粛させるしかなくなった。と話した先生に私は恐る恐るといった感じで手を挙げた。
「なんだ?」
「あの、瘴気の魔物ってどうやって倒すんですか?よく聖女様が瘴気を浄化するって話は聞いたことがあるんですけど…」
その聖女様を今召喚中、なんですよね?と以前聞いた話を交えながら問うと、先生は目をぱちくりとさせながら驚いた様子を見せる。
「え、違いました?」
「いや、違くないが……。お前が知らなかったことに驚いただけだよ」
前にレロサーナにもいわれたことがあるけど、私は授業で習ったことくらいしか知らない。
色々知っているのは貴族の方だろう。
そして先生は黒板に文字を書いた。
例によって先生は魔法でチョークを動かしているから、話と同時にチョークはイラストを書き綴っていった。
「サラの言う通り、瘴気は聖女の特別な力によって浄化される。が、聖女は別の世界から召喚されるんだ。
その聖女がいない間、瘴気を浄化できるものが聖水と呼ばれるものだ」
「聖水?」
「ああ。聖女の子孫たち、それも一部の人たちが作れる特別な水のことだ。
だが、一つの聖水で必ずしも瘴気を浄化出来るものではない。
瘴気に飲まれた魔物の種類によっては大量の聖水が必要になる場合もあるし、最悪な場合聖水では対処できない可能性だってある。
それに聖水を作ることができる子孫も限られている為、聖水を作ってもらうにしても限界があるんだよ。
だから瘴気の魔物が現れ始めたら、必ず浄化できると言われている聖女を呼ぶんだ」
そう教えてもらった私は納得し、今回の場合はどうなったかを尋ねる。
やっぱり気になるからだ。
「今回は神殿に近かったこともあり、早急に聖水が届いたことで瘴気を浄化し魔物を退治することができたようだ」
その言葉に私は少しだけ安堵した。
聖水が届けられる間、少なからず被害を受けたかもしれないけれど、最終的に魔物を討伐できたということは無事だったということだから。
シモンさんの指示とは言え、早々に逃げてしまった手前私の中に罪悪感があった。
「その結果も踏まえて、学園側は今回の件を重く見ることにしたんだ。
例え転移魔法陣を刻んでいるブレスレットを持っていたとしても絶対の安全はない。
魔法の発動中に魔法陣を消されてしまえば魔法を無効化され帰還すらできなかっただろうし、騎士の判断が少しでも遅れていたらお前たちも巻き込まれていただろう」
そして私達は本来ならば学園外で学ぶ全ての授業を当分の間見送ることとなり、その埋め合わせとして騎士科との合同授業が企画された。




