10 礼儀作法
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魔法に剣術、ポーション作成と、多岐にわたる授業内容が繰り広げられる中、私が最も苦手な授業をお伝えしよう。
それは礼儀作法だ。
人が社会生活を円滑に送るため秩序を保つために用いるのが作法。
礼儀とは他人との関係において判断・評価・行為の基準であり、礼儀に基づいて社会的に様式化された言動が礼儀作法である。
でもそれがなんだというのかということを、私はこの後心底思うこととなる。
「では、これから皆さんには礼儀作法についてお話させていただきます」
三学年となった私達の前には、礼儀作法を教えてくれる二人の先生がいて、そのうちの一人がそう告げた。
真っ赤な髪の毛と同じくらい輝く眼鏡の奥には、鋭く生徒を捕らえる眼差しが窺える。
その眼差しに思わず背筋を伸ばしたのは私だけではない筈だ。
「マナーを心得ている人は、中庸や調和の法則を知っており、決して調和を乱しません。
また、多くの細かい事柄や思いやり、そしてテーブルマナーの全てを心得ております」
そして双子なのかだろうか、とても良く似た容姿のもう一人の先生がそう話す。
先生たちの違いは性別だけで、女性の先生はリーベル・オフィリウス。
男性の先生はウィアル・オフィリウスと名乗った。
私達生徒はまず男女に別れると、女性のリーベル先生が私達女子生徒に近寄った。
男子生徒側にはウィアル先生がつく。
性別ごとにそれぞれの先生が指導するようだ。
さて、はっきり言おう。
このクラスの女子生徒の平民は私だけである。
他は全て貴族の生まれで、爵位がいくら低かろうとも貴族である以上幼い頃にマナーを身に着けているのである。
だから……
「サラ・ハールさん。カーテシ―は丁寧な挨拶を意味します。
そんな浅い挨拶では相手の方に敬意を表すことなど出来ませんよ」
「ヒールが高いからなんです。ヒールを履き慣れていないから、など理由にもなりません。
寧ろヒールを履いた状態での深いカーテシ―は敬意を感じさせるだけではなく、女性らしさや品のある優雅なイメージを与えるのです」
「………辛いですか?ですがマナーを心得ている女性は、決して疲れたりしません。
疲れだけではなく、暑がったり、寒がったり、お腹を空かすことも。
絶対に嘆いたり打ちひしがれた様子をみせないのです」
「サラ・ハールさん。私は思うのです。教育の不平等は最も不当なものなのだと……。
私は貴方の事を思って、こうして指導しているのです」
履きなれない、というより履いたこともないヒールのある靴を履いて、平民がやる機会もない作法を初めて行った私が先生を独り占めすることはいうまでもなく、当然の結果だった。
「基本中の基本。挨拶を見せてください」と指示した先生にカーテシ―と呼ばれる挨拶を披露する皆の中、見よう見まねで真似た私はすぐに先生の目についた。
そこからはもう指導、指摘の嵐。
片足を斜め後ろの内側に引き、もう片方の足の膝を曲げ、背筋を伸ばしたままの姿勢は思ったよりもきつかった。
ただでさえやってみてキツイと感じた挨拶の仕方を最初からヒールのある靴で行い、更に笑顔を忘れることなくと告げられた時なんてもう。
私は先生を独り占めしカーテシ―に取り組んだのだ。
ちなみに他の皆は自習だ。
なんて羨ましい。
一日で出来るようになんてなるはずもなく、私は何日も何日も繰り返した。
笑顔が引き攣っている。足が震えている。手の角度が違う。頭の位置が高いと、指摘が多かった為だ。
そして、やっとのことで先生の顔が明るくなった。
「おめでとうございます!
とても素晴らしいカーテシ―ですよ!」
パチパチと称賛され私はホッと胸をなでおろす。
「まぁ貴族の令嬢であれば五歳の子供ですら完璧に出来ることですけど」
その一言が私の胸を突き刺したことはいうまでもない。
そして、次の授業ではダンスをやりますよ。とさらりと告げられ、私が白目をむいたことも当たり前のことだった。
◇
「あーーーーー、無理無理無理無理……、ダンスとかしたことないし…。
町でも皆が楽し気に踊ってる様子はみたことあっても、きっと先生の言うのはそういうダンスじゃないよね……、あぁあああぁぁああ!!!!」
日課となった放課後のレルリラ考案の特訓中にももやもやとした気持ちのまま取り組んでいた私に対し、レルリラが心配そうな目を向けていたが、さすがにダンスが嫌だなんて言えないし、まだやってもいなかったからその場はごまかしていたけれど、それでももやもやする気持ちは特訓が終わっても引きずっていた。
お陰でご飯もいつもは美味しいのに、今日はよくわからなかった。
ちゃんと味わって食べたいのにごめんね。
でもこういう時もあると理解してもらいたい。
「…はぁ…あれ?」
私はもう日課となった扉の清掃魔法を終え、自室に入るためドアノブに手をかけた時だった。
扉の隙間に一通の手紙が挟まっていることに気がついた。
「なんだろう…?」
思わず拾ったが凄く嫌な予感がする。
差出人の名前もない手紙は、三学年になってから始まった嫌がらせを思い出させるからだ。
レロサーナとエステルが確認するようになってから、扉への嫌がらせは毎日ではないがかなり減った。
それでも虫の死骸から始まった嫌がらせによる贈り物攻撃は止まることがなかった。
まぁ贈り物攻撃については、部屋に届けてもらうのではなく寮に帰宅した段階で受け取らせてもらえるように変えたから、精神的なダメージはかなりなくなったけどね。
虫の死骸とか全然平気な方だけど、それを部屋にいれるとかいやじゃない?
消去魔法を使って消すことは出来るけど、流石に命があったものにそれはやりたくない。
じゃあどう処分するかと悩んだ時、先生に魔物に食べさせてもいいと確認をとったため、私は贈り物をそのまま魔物にプレゼントするようになったのだ。
そして今回の手紙。
とりあえず見るかと私は封を開封する。
手触りからして何かを入れているわけでも、汚れているわけでもなさそうだったので、普通に開けた。
そして手紙の内容に目を通す。
【明日の早朝、寮の食堂入り口でお待ちしております】
「…………え、これだけ?」
思わず裏返してみるも、手紙の内容はこの一文のみだった。
今までの陰湿的な嫌がらせと比べ、あっさりとした内容に私は目を瞬いた。
同じ人による手紙とは思えないからだ。
名前を書いていない点は同じだけど、どうにも違和感を感じてしまう。
(まぁそれでもいい呼び出しではないよね…)
私は机に向かうと手紙を書いた。
両親に毎月手紙を書いている私は便せんを常に用意していたからだ。
その手紙を誰に出すかというと答えは簡単だ。
今の状況から私が何故嫌がらせを受けることになったのか、一番原因が濃厚でありそうなレルリラに手紙を出す。
手助けを求める為だ。
ちなみに何故手紙なのかというと、ここは寮で直接訪ねることが難しく、また時間も遅い。
この魔法便せんは即座に相手に届けてくれるため、緊急で人に伝えたい事があるときには効果的なのだ。
『明日の朝のトレーニングだけど、いつもより早めに来て欲しい』
私はそう書いて手紙を折りたたむと息を吹きかけた。
勿論レルリラがこの言葉だけで察してくれることには期待していないので、早めに来て欲しい理由もちゃんと書いた。
手紙は鳥の形に姿を変え、窓を開けると飛んでいく。
私はその鳥の形をした手紙を見送ってシャワーを浴びた。