10 自覚する気持ち
(みました?やっぱりあの噂は本当なのですね)
__噂?噂ってなに?
(ええ見ましたわ。うちの娘から聞いたのですが、学園時代では一切女性関係のトラブルもなかったそうですよ)
__それはアイツが恋愛ごととは無縁だから。だから告白されても断ってきたってだけでしょう?
(王女様の婚約者なのだから当然のことね)
__婚、約者?
なにそれ、どういうこと…?
レルリラの腕に手を添えた女性は、この国の王女であられるフィオーナ・ロッテ・キュオーレ王女殿下だったのだ。
あのレルリラが、女性に腕を組まれているのに拒否しないなんてと、私はそう思ったと同時に当たり前だということを突き付けられる。
レルリラは公爵家の息子なのだ。
後継者という枠組みからほぼ外れた三男であろうが、レルリラ公爵家の子息という事実なのは変わらない。
十分に見合う家柄の女性と結婚することは当然である。
それが王女様なんだというのは驚きだが。
でもこれでわかった。
レルリラが断ってきたのは、婚約者である王女様の存在があったからなんだ。
恋愛に興味がないわけじゃなかった。
ただ、王女様を優先した結果だったんだ。
私の心は悲鳴を上げていた。
ズキズキと痛む心臓に、いつものように断ってよという自己中心的な考えが浮かんでいた。
将来を約束した者同士なら当たり前の行動で当たり前の光景の筈なのに、私は今そんな二人に対して最低なことを考えてしまっている。
そんな時思い出した。
“その人の隣に寄り添って歩いている女の人がいたら嫌じゃない?”
いつか言われた言葉。
私はその時自然とレルリラの姿を思い浮かべていた。
なんでレルリラだったのか、ある意味一番関わってきた男の人だからとか思っていたけど、そうじゃなかったんだ。
レルリラの隣に女性がいたことを想像しても嫌じゃなかったのは、レルリラが当たり前のように拒否すると思っていたから。
実際レルリラは誰の告白も断っていた。
色んな女性から呼び出されるレルリラに何も思わなかったのは、レルリラが付き合うわけがないと、勝手に思い込んでいたからなんだ。
相手に考える素振りも見せず、余計な期待も抱かせず断ってきたから、私はそう思いこんで、勝手に安心してしまっていた。
(“誰かに、とられちゃうよ”か……)
もう遅いよ。
ううん、遅いというか……気持ちに気づかなかったほうがよかったかもしれない。
レルリラが王女様と婚約してなくても、結局私とは結ばれることがないんだから。
そうだ。そうだよ。
ずっと気持ちに気付かなければよかったんだ。
そうしたら、レルリラの友達として笑顔で祝福が出来た。
胸を痛めながら笑顔で祝福なんて出来そうになかったし、王女に対する嫉妬心も湧き上がることがなかったんだ。
でもそんな事は出来ない。
苦しいほどに悲鳴を上げる自分の気持ちを無視することなんて、できるわけがない。
婚約者同士だと言われている二人の姿を、私は顔を上げて見つめた。
ズキズキと痛む心臓を必死で受け止めながら、ドレスを握りしめようとしたところで我に返った。
このドレスはレルリラが……、といってもレルリラ本人が選んだとは限らないが、それでもレルリラ公爵家から送られたドレスなのは間違いない。
黒髪の聖女様に合うようになのか、薄い緑色のドレスに、真っ赤に色づく宝石のアクセサリーを、聖女様に扮した私は身に着けていた。
(考えないようにしていただけだった……)
きっと私自身ずっと前からレルリラのことが好きだったんだ。
でも私とレルリラには未来がないから、だから気づかないふりをしていただけ。
このドレスも聖女様に用意されたドレスだとわかりながらも、それでもレルリラが少しでも関わっていたかもしれないって、あまり見ることがないレルリラのもう一つの色を使っているドレスに、袖を通すことを楽しみにしていた。
だけど今はどうだろう。
婚約者がいると知って、その気持ちでドレスを見ると途端に脱いでしまいたくなる気持ちになる。
(レルリラは、どういうつもりで……私にあんな事を言ったのか…)
レルリラが選んだ以外のドレスを着て欲しくないって、はっきり伝えた気持ちがわからない。
婚約者という存在がいるにも関わらず、女の私にそう言ったというのはなんとも不思議だ。
だって学生の頃のレルリラはちゃんとはっきりと告白を断る人だから。
もしかしたら、初めての友達を取られたくない、みたいな…?
友達に対しての独占欲。
それをレルリラが抱いているのだとしたら…
(……そっか、そういうことだったのね…)
いつだったかレロサーナとエステルの話から、今の時代、政略結婚とはいっても愛情もかけらもない結婚は殆どないと聞いたことがあった。
実際レルリラと王女との間に愛情はあるのかを私は知らないが、それでも二人の寄り添う姿が視界に映る。
レロサーナとエステルが話していた話の内容が、今更わかるだなんて思わなかった。
(本当ね、レロサーナ……)
恋を自覚した今の私ならレロサーナの言葉の意味がやっと分かった。
報われる筈がない私の恋。
例えレルリラにこの感情を打ち明けたとしても、受け入れられることはあるはずがない。
だって私とレルリラは友達で、平民と貴族という絶対の身分差があるのだから。
(…いや、身分の差については私の勝手な言い訳だ)
受け入れられる筈がないと自分自身を納得させる勝手な理由。
それよりも、ちゃんとした理由がある。
婚約をした相手がいるから、というちゃんとした理由が。
だからもし私が貴族だったとしても、レルリラに想いを伝えることはたぶんできなかっただろう。
友達だと思ってくれているレルリラに、思いを伝えて関係を終わらせることなんて出来ないし、もし断られてそれでも友達としてこれからも仲良くしたいだなんていわれたら、一体今後どのようにレルリラに接していいのかすらわからなくなってしまう。
そう自惚れてしまうくらい、レルリラにとって私は友達として好かれていると思っているから。
そして告白が断られていても、友達として離したくないと、離れたくないと同じ言葉をレルリラが言ってくれたのなら、私はきっと、ずっと期待し続けるだろう。
報われない恋心がいつか成就するのではないのか、と。
だから
(友情を続けたいというのが、愛されたいと思っていることだって、レロサーナはいったのね)
私は言う立場ではなかったけど、そんな言葉を言われたらと考えて、初めてレロサーナたちの言葉の意味が分かった。
自傷気味に笑みを浮かべた私はもう一度だけレルリラに視線を向ける。
綺麗な紅色の瞳は、真っ直ぐに王女様に向けられていた。
基本的にレルリラの表情筋は年中休日のようなものだから、優しく微笑むということはなかったけれど、どうみても婚約者を気遣う男性そのものだ。
__あぁ、いいな。
私は思った。
レルリラの瞳に映る人物は、自分でありたかったと。
私は肺の中にある空気を、震わせながら吐き出した。
「体調が優れないですか?」と問いかける殿下に私は苦笑しながら首を振った。
初めての失恋で心臓がズキズキと痛いだけで、体調はすこぶる健康だ。
そもそもこれは冒険者としての私に向ける依頼だ。
個人的な理由で放棄してはならない。
そんなことは当たり前だ。
当然のことなのだ。
だから平然を装い前を向いた。
気持ちを切り替えろ。
私自身聖女様を守るために、役に立ちたいとそう願っていたじゃないか。
そして私はアルヴァルト殿下に尋ねる。
「殿下、第二王子の姿が見えませんね」




