3 確かな一歩③
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衝撃的な事実を知ってしまった翌日、王宮へと戻ってきたアルヴァルトは新たな情報に頭を抱えた。
アルヴァルトが得た情報は第二王子でありアルヴァルトの実の弟であるエルフォンスが、聖女が瘴気の魔物討伐に向けて出発を行うという、デタラメなことを口走っているというものだった。
だがいくらデタラメといっても王族の口からでた情報は真実にもなる。
眞子が召喚された当初の監督責任者であったエルフォンスであり、次の責任者として引き継いだのが兄であるアルヴァルトなのだから、まったくの嘘ではないと広まってしまったのだ。
まだ何の対策もしていないというのに。
寧ろ新たな事実を知ってしまった今、何をどうすればいいのかが余計わからなくなったばかりだというのに。と頭を抱えていた。
アルヴァルトは痛む頭を押さえながら自室へと戻る。
山積みの仕事はあったが、今は少しでも休みたいとアルヴァルトは思った。
なにもしていない状態で一度頭を空っぽにしたかった。
そうすれば何か別のアイディアが浮かぶのではないかと思ったのだ。
ベッドに横になったアルヴァルトは眞子に翻訳してもらった学習ノート、と聖女たちの間で呼ばれるそれに目を向けた。
『初めて魔物を見せられた。怖かった。
地球では辞典でもテレビでも見たことがない生き物の見た目をしていたことは勿論だけど、でもそれ以上に怖かったのはこの国の皆が瘴気とよんでいた悪霊が、悪霊の数がもっと怖い』
『いくつもの恐ろしい顔が魔物に纏わりついて、悪霊たちは私に手を伸ばしてくる』
『アレに触れられたくない。呪われたくない。なのに王子たちは私の背中を押す。魔物に近づいて浄化しろと命じてくる。アレに必要なのは聖女でも何でもない。悪霊を祓ってくれる霊媒師だ!』
『誰もわかってくれない。説明しても私がおかしいもののようにみてくる。黒いもやのようなものが見えるということは、みんなが悪霊を見えているということなのに、誰も私の話を理解しない』
『苦しい…、本当にこれが正しいやり方なの?私の体が私の物じゃなくなる感覚、そして私にこの国の人達が言う浄化という除霊のやり方をするたびに、私の心がなくなっていく気がする。あぁ、帰りたい。家に。国に。元の世界に。日本に帰りたい』
『もし私以外に召喚され、そして日記を読んでいたのなら、絶対に言う通りに浄化はしてはダメ。
あなたの身を滅ぼすことになる』
アルヴァルトは眞子の言葉を思い出す。
正しくは眞子が読み上げてくれた冊子に書かれていた内容を思い出していた。
最初は戸惑い、中盤になると苦しみが伝わってくる内容が綴られていた。
所々説明が必要になりアルヴァルトは眞子に確認していたが、それでも聖女の苦しみが伝わってきたことは事実。
だが最後に聖女が書き残した文が今までの内容を覆す。
『……過去の私はこんなことを書いていたのね。
今はそう思っていないことは伝えておくわ。魔物に取り憑いていた悪霊たちを浄化してきて今ではよかったと思っているの。だって私のこの苦しみまで受け入れてくれたあの方に出会えたのだから。そして私の願いを叶えてくれた。
本当に感謝しているわ』
以上です、と眞子は冊子の内容を読み終える。
アルヴァルトは最後に綴られていた内容で更に分からなくなったが、それよりも気になるのは“悪霊”と綴られていた言葉だった。
悪霊と呼ばれる魔物はいない。だからこそアルヴァルトは眞子に尋ねた。
『聖女の世界でも魔物は存在しているのか』と。
だが眞子は否定した。
『いません。最初の方にも書かれていた通り魔物なんて存在は創作上の存在でした』
『では悪霊とはなんだ?』
『人が亡くなる前に抱いていた感情等から、未練を残す幽霊となるのですが、生前に悪い感情が強く人に害を与える存在のことを指します』
眞子の言葉にアルヴァルトは口を開けた。
それはもうパックリと。
アルヴァルトにとっては眞子の言葉が想定外だったからだ。
何故なら…
『人は次の生を受けるために神の元へと向かうだろう。平民の子供でも、知っていることだ』
『あぁ、亡くなった人間の魂は神の元にいき、そして次の生を与えられる。神の元に行かず、ゆ、れい?という存在になっているなどありえない』
公爵とラルクは眞子にそう言った。
『あの、その考えも理解できます。私の世界では様々な国がありましたので、その分信教もあり伝えられていた説が違っていました』
『だが我が国は一つだ。聖女の世界でそうであってもこの国では聖女の国での常識は通用しない部分もある』
『あの……』
眞子は困っていた。
ラルク達の言っている通り眞子の世界の常識が通用しないからこそ、眞子は懸命に教育に励んでいるところだ。
通用するのなら勉強なんてしなくてもいいことは眞子だってわかっている。
だが何故そんなに頑なに拒まれているのかがわからない。
それでも眞子がこれ以上反論しないのは宗教というものは面倒なものだとわかっているからだった。
眞子の世界では宗教に入ったら最後、洗脳され、金を絞りに絞られる。自分の人生ではなく神のためにという、見たこともあったこともない存在に金を差し出さなければならないという認識だった。
勿論宗教によって違いはあるだろう。だがちょうどよく見たテレビで、信者から集めたお金で贅沢していると詐欺罪で捕まえられた場面をみてしまえば、宗教はそんなものだと高校生の眞子がそう思ってしまっても仕方がなかった。
『そう責め立てるな』
微妙な空気を止めたのはそもそもの話の場を作ったアルヴァルトだった。
そしてアルヴァルトは眞子の方に顔を向けると尋ねる。
『先程この日誌を書いた聖女は瘴気の中に顔のようなものが見えると書いていた…とのことだが、眞子嬢はそれが見えるのか?』
その言葉に眞子は察した。
この日記に書いている通り、眞子とこの国の人が見えているものが違うということを。
そうでなければ恐ろしい顔と断言していた言葉を曖昧な表現に直すわけがないからだ。
『……その通りです。この人のように複数の顔が見えたわけではありませんが、それでも恨みが込められた人間の顔が見えました』
眞子は指先を少し震えさせながら、日記が書かれたノートを撫でながら答える。
眞子の様子をみたアルヴァルトは目を伏せた。
『……そうか』
アルヴァルトは呟くように答えた。
そして絞り出すように眞子に再び尋ねる。
『……君は浄化ができないということだが、幽霊、というものが瘴気の正体ならば、状況は変えられたりするのだろうか…?』
アルヴァルトの目はどうか肯定してくれと言っているようだった。
眞子もアルヴァルトが自分を助けてくれようとしていることを知っていた。眞子自身が助けを求め、そして第二王子から離れることになったのもアルヴァルトのアイディアのおかげだったからだ。
だからアルヴァルトの言葉に頷きたい。勿論です、と自信満々に答えたい。
だがそうはできなかった。
眞子は霊感が多少あるだけの普通の女子高校生だからだ。
霊媒師でも何でもない、ただの平凡な女の子。
幽霊なんて、それも恨みがたっぷりと込められた悪霊なんて払えるわけなかった。
だから眞子は俯きながら首を振る。
ごめんなさいと呟きながら。
そんな昨日のことを思い返していたアルヴァルトは、ふと思い出す。
学生の頃にみた聖女によく似た一人の少女を。
名前はサラ・ハール。
王都より南下した場所にある町で生まれ、父と母の三人家族。
然程優れたわけでもない両親のもとで、魔法の才があっただけの平民の子だ。
学生時代では朝から晩まで励んだことで、努力が実を結び、卒業では優秀な成績を残した。
だが王立騎士団に入団するわけでもなく、父と同じ冒険者の道に進んだ。
冒険者としての活動も、学園の成績を考えれば不自然な点もない。
唯一挙げられるのなら、聖女として召喚されたはずの眞子とよく似た容姿なだけだ。
だが力も何も無い眞子を助けるには、これしか無かった。
これ以外考えられなかった。
例え一時的なものだとしても、力のない者を戦地に向かわせることなどアルヴァルトにはできなかった。
だからこそ、決断した。
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