1 確かな一歩
第一王子のアルヴァルト・エレク・キュオーレは焦っていた。
だが焦りを表情に出すことはせず、通常よりも広い歩幅ではあるがそれでも優雅な笑みと動きで歩みを進めるために、その焦りに気付く者はいなかった。
唯一気付く者と言えば護衛、そして側近など長い時間傍にいつづけた者だけだろう。
アルヴァルトは馬小屋に辿り着くと愛馬に近寄り、「飯は食べさせたか?」と尋ねた。
どこかに出掛けるという話を聞いていなかった馬小屋の担当は慌てながらも「済ませております」と答えたことで、アルヴァルトは愛馬が小屋へと繋がっているロープを解く。
一方馬小屋の担当者は青ざめた。
まさか王子の指示を無視してしまっていたのかと、だが傍にいる護衛の「大丈夫だ。通常業務に戻ってくれ」という一言で少しだけ落ち着いた。
そして馬に跨り駆けていく王子に頭を下げた後、通常業務に戻っていった。
■
アルヴァルトは急いでいた。
もしかしてこれが解決につながる糸筋になるかもしれないと感じていたからだ。
少し前にあった学園が催す卒業試験というイベントにアルヴァルトは出席していた。
表向きは優秀な人材を発掘するためだが、本来の理由は婚約者の一言だった。
『たまには息抜きをしてください』
真剣に御身を心配してくれる婚約者に胸を打たれたアルヴァルトは、婚約者の言葉通り、息抜きとして自らも経験したことがある卒業試験のイベントに出席を決めたのだ。
だがその場で解決につながる一つの可能性が頭を現した。
王族も知らない聖女の遺品。
それがどんなものかはわかっていないが、それでもなにかしらの文字が書かれているということは、なにかしらの情報を得ることができる可能性を秘めているということだ。
なんでもいい。
いや何でもよくはないが、それでも現状よりは一歩でも進みたいと願っているだけに、アルヴァルトは焦り急いでいるのだ。
王族も知らない聖女の遺品とは何か。
公爵の話通り、その数冊の薄い本は魔法研究所で働いているヘルムートのもとにあった。
本人に元に訪ね、聖女の遺品を出すように命じたところ『これは呪具ではありません!』と、まるで罪でも犯したかのように言われたが、経緯を説明するとヘルムートは目を丸くしていた。
『…ですが、これを手に入れてからうちの両親は不幸が訪れるようになったらしいのですよ。聖女の物とは思えません』と話すヘルムートにアルヴァルトはそれでもいいから差し出せとばかりに手を伸ばす。
そして恐る恐る手渡したヘルムートにアルヴァルトはいった。
『聖女が読めた字がここにかいていると聞いたのだ。聖女の物かどうかはこちらで判断する』
そういってヘルムートが所持していた数冊の薄い本を手に入れたアルヴァルトは王城に持ち帰り、王家で保管していた聖女の日記と見比べる。
そして確かにヘルムートの言う通り、王族が保管していた聖女の遺品とは一風変わった文字だということを確かめた。
それでもヘルムートに告げたように、眞子が読めたということは聖女たちが使っていたもう一つの文字である可能性がある。
ここに書かれている内容を明らかにするために、そして王族が保管していた聖女の遺品が本物かどうかも確認するために、公爵家に身を置く聖女の元へと急いでいたのだ。
そしてアルヴァルトが公爵家に辿り着いた時には空が暗くなっていた。
だがそれがなんだというかのように、いつもなら次の日になるまで待つことを選択するだろうアルヴァルトは、ガンガンガンと扉を叩き公爵家で雇われている従者を起こす。
傍迷惑な人物だと眠い目を擦りながら屋敷の扉を開けた従者は、その犯人を見て驚いた。
無理もない。顔には笑みを浮かべているが、それでも余裕のなさを感じ取れる第一王子の顔がそこにあったのだ。
そして従者はすぐに公爵の元へと向かう。
そうして起こされた公爵と眞子の教育責任者であるラルク、そして今回の重大な存在である眞子はアルヴァルトの前に集まった。
いつ来訪者が訪れてもいいように綺麗に保たれている応接室で四人は座っていた。
勿論アルヴァルトに着いてきた護衛はソファの傍に立ち控えている。
「夜分遅くに申し訳ない。眞子嬢に見てもらいたいものがあってきたんだ」
アルヴァルトは公の場や眞子の事情を知らない者の前では、眞子の事を聖女と呼ぶが、眞子が普通の、いや一般よりも弱い立場の人間であることを知っている者たちの前では名前で呼ぶようにしていた。
眞子がそう望んだからだ。
本来は婚約者がいる男性が、他の女性を名前で呼ぶことはあまりいい顔をされていないが、眞子に関しては婚約者の了承も得ている。
眞子たちは、いや眞子だけが眠そうな目をしていたが、アルヴァルトが取り出した“見慣れたノート”を見るなり目を見開いた。
その目はとてもキラキラと輝いているように見え、先ほどまで眠そうにしていたのが信じられない程だった。
「学習ノートだ!」
眞子は明るい声でそういった。
同じ部屋にいる眞子以外の人たちは(学習ノート?)と首を傾げる。
いや、学習するために必要な冊子をそう呼んでいるのだろうと考えることはできるが、目を輝かせていうほどでもないだろうと思い疑問に思ったのだ。
「…学習ノートということは、これは眞子嬢たちの世界では学習するために使用していた冊子ということだろうか?」
アルヴァルトは眞子に尋ねた。
だが眞子は首を振る。
「あ、そういうわけじゃないんです。あ、いえ、基本的には勉強する時に使う人が大半だと思うのですが、…この鳥とか花とかを表紙にしたノートは私の世界、というか国ではジャポンカっていう会社が学習ノートという名前で販売している商品なんです。
一目みればすぐに誰でもわかるノートなので、昔の聖女たちもこのノートを使っていたんだと嬉しくなりました」
「そういうことか。ならこれは聖女の国の物ということで間違いないな?」
「はい、間違いありません。表紙にも学習ノートって大きく書かれていますし」
眞子の言葉にアルヴァルトは薄い冊子を見る。
そしてこう思った。
(これは文字だったのか)と。
保管管理状態が良くなかった為に、描かれている鳥や花の絵はかなり見えづらくなっていた。
その為眞子が文字といった記号も含めてアルヴァルトは絵の一部だと思っていたのだ。
そして「よろしければ中をみてもいいですか?」と尋ねる眞子に、アルヴァルトは「勿論だ」と手渡した。
「それは最近発見されたものでね、私も中を確認したのだが王家で保管していた物と全く文字が違っていた。
どちらかが偽物か、もしくはどちらかが本物である可能性がある為、眞子嬢に確認してもらいたいのだが、よろしいか?」
「はい。構いません」




