プロローグ
これは現在のキュオーレ王国が、まだ王国となっていない時代の話。
木で頑丈に作られた家が不均等に並ぶ、まだ名もない村の中で一回り大きな家の一室で、多くの皺と白いひげを生やした男性は、肌に艶とハリのある若い女性と向かい合っていた。
男は老人のような見た目から五十をとうに過ぎているだろう。
女は肌の艶があるが、あまり手入れがされていない茶色の髪の毛から実年齢よりも年上に見えたが、まだ発達していない体型からまだ十代なのだろうと考えられる。
油を入れた皿に灯された小さなともし火が、部屋の隙間風を受け、暗闇の中の部屋をかすかに照らしながらゆらゆらと二人の影を揺らしていた。
「…お主にばかり、…負担をかけてすまなんだ…」
「いえ、私は役に立てて嬉しいのです」
女性は男性に微笑みながら、首を振る。
その言葉は決して嘘偽りのない言葉だとわかっているからこそ、男性は女性のその言葉を聞いて眉間に皺を寄せた。
それは決して嫌悪からのものではない。
自らを犠牲にしながら、村の人々を守る姿勢を崩さない女性を本当に大切に思っているからこその反応だ。
村には、今この場にいる人間、いや人族と言われるものの他、エルフやドワーフ、獣人等の亜人族といわれる人種が暮らしていた。
人種が違ければ、思考も違う。
またその身体にあった特性も変わってくる。
エルフは自然を好み、魔力をその身に多く宿す。
ドワーフは物や建築が大好きだが、作り上げるために必要な素材を確保するために、自然を破壊する。
獣人族は縄張り意識が激しかったが、身体的な戦闘力が高かった。
そして人族は、自然をエルフよりも愛することはなく、創作物にもドワーフほどのめり込まない。それなりの魔力、そしてそれなりの戦闘力、どれをとっても中途半端な存在だった。
だが圧倒的に他の人種と違うのはその知識欲求。
他の人種が言葉通りに受けとることに対して、人族は深く追及する。
住んでいる近くに生えている葉を調べ、安全な食べ物だと判別し、そして薬になるものだと区別した。
雨風をやり過ごすためだけに作られた藁や草の家から、新しい木の家を提案し、そして異なる人種同士が暮らしやすい村へと作り上げたのが人族だった。
だが他種族が共に生活を送るとなると必ず問題が起こる。
それを解決、とまではいかないものの、種族間をまとめるきっかけになったのは、魔物という人間_人族や亜人族の総称_を捕食する生物の存在だった。
共通の敵を持った者たちは団結しあい、絆を深めた。
戦闘力が高い獣人族は前線で戦い、魔力量が多いエルフは後方で援護。
創作能力が高いドワーフはおいそれと魔物が侵入できないバリケードを作り上げ、人族は他の種族の為に知恵を絞った。
だがそれも長くは続かなかった。
他種族を軽視する者が現れ始めたのだ。
種族の違う人間同士の争いが絶え間なく起こるようになり、そして遂には捕らえた他種族を奴隷のように扱う者が出始めた。
それも人族を中心に。
そんなとき人族の女性が声を大にして訴えた。
声にはまるで力でも宿っているかのように、女性の訴えに耳を傾けた者たちはたちまち過ちを認め、心を静めたのだ。
その女性が、この場で男性に微笑んでいる彼女だった。
だが彼女の活躍を称える者が多くいる中、少数の者が憎らし気に彼女を睨みつけたのもまた事実。
彼女のお陰で人族は獣人が見つけてきた素材で出来た道具を使うことが出来る。
彼女のお陰でドワーフが作り上げた屋根や壁がある家に住むことが出来る。
彼女のお陰で人族、いや人間は身を守ることが出来ていた。
だが、それがどうした。
人族こそ尊い種族なのだ。
人族のお陰で他の種族も人間らしい生活が送れるというもの。
なのに何故、彼らと同等の扱いでいなければならない。
そう思う人族が数を増やした。
女性は気付かない。
それどころか、目の前の老人も彼女を憎むものの存在が増えていることに気付かなかった。
それは……
「私の持つ力で、皆が平和に過ごすことができるのなら、この力を使わないほかないですよね?」
少女は両手を組み、祈りを捧げる。
魔物と戦うエルフや獣人に匹敵する力を何故か持つ彼女は、人族でありながら他の亜人達と同じように戦っていたのだ。
だからこそ他の亜人達は彼女の声には耳を傾ける。
自分たちと同じように命を賭けて戦っているからだ。
そして人族でありながら、そしてまだ子どもと言える年齢でありながら恐ろしい魔物と戦う女性が自らの命を賭けることの重みを感じさせない、いやわからないのか飄々とした様子に難しい顔をする人間が、赤子の頃捨てられていた彼女を拾い育てた男性_村の村長だった。
平和を維持する為。
種族の違いがある皆をまとめる為には、上に立つものにも力が必要である。
男性は、この村の村長であり女性の父親的な存在でもある男性はもういい年の老人だ。
だからこそ、その老人の近しい存在が力を見せなくてはならないことは男性にもわかっていること。
それでも他の人族とは明らかに違う彼女の力は、何か他に彼女自身にも気付かない負担がかかっているのではないかと男性は感じていたのだ。
「ワシは………、お前に負担をかけてないかが不安でたまらんのだ…」
「…お父様…」
険しい顔で俯く村長に、女性は胸がズキンと痛む。
女性と男の間に血の繋がりはない。
ただ籠に入れられた状態で“森に捨てられていた赤子”だった彼女を拾い、育ててきたのが目の前の男性である。
だが、だからこそ女性にとっての男性は、父親のような存在であり、例え血の繋がりがなくともそう呼んでいた。
男性も彼女を赤子の頃から育てたことで、実の娘のように思っていた。
堅く握りしめられた皺がある男性の手を、女性はそっと手に取った。
「私はこの通りなんら問題ありません」
女性は父親代わりとなる男性の顔を覗き込み、落ち着かせるようにニコリと笑った。
「私にとって、村長が私の親であり、そして村の人たちが私の家族なんです。……だから、皆の為にこの力を使わせてください」
それから数年後、村長である男性は亡くなった。
女性は涙を流し、これからも父が大切にしてきた村を守り通すことを、父の亡骸を見つめながら誓う。
次の村長には男性の実の息子が村をまとめることとなった。
それはこの村で、女性を気遣う唯一の人間がいなくなった瞬間でもある。
そして
村の一つの家から、女性のくぐもった声が小さく漏れる。
「…あ”…、ウッ…」
ギリギリと細い女性の首を絞めつける太い男性の指に、更に力が入った。
男はイラついていた。
彼の父親でもある前村長が亡くなった後も、女性が村を維持するために力を使い、そして支持を集めていた事。
何故この女なんだ。
村長は俺だ。
いつまでも偉そうにしやがって。
何様のつもりなんだ。
そして男性は思った。
____そもそもこの女がいなければいいんだ。
そうすれば、俺はなんの憂いもなくなり、そして人族は頂点に立てる。
他の種族を敬う必要なんてどこにもない。
男の言葉にはどんな理屈があるのか。
それはこの男以外誰にもわからない。いや、この男のように彼女を憎らしく思っていた人以外誰にもわからないのだ。
女性は一筋の涙を流して目を瞑る。
決して大好きだった”父親”の実の息子である、目の前の男性に愛想がついたわけではなかった。
ただ、これから自身の手でこの村を守ることが出来ないのだと、亡くなった父に対し申し訳なさが募り、涙として流れた。
「…せ…なる……守…せ…」
女性の口が僅かに動き、小さく消えてしまいそうな声が男に届く。
「なんだ…?」
男はビクリと体を跳ねらせたが、女性の首から手を退けることはなかった。
そして、____女性は力尽きた。
後に男は手足となる者たちと共に、人気がない時間帯を見計らいながら女性を藁で包み、魔物が多くいると言われている森に彼女を捨てに行った。
__若い女だが、普通じゃない力を持つ女の体なんだ。
__それを村に一番近い森に捨てれば、森からやってくる魔物は村には寄り付かないだろう。
彼女の力は他種族のエルフや獣人といった、魔物と戦う事ができる力のことをさしていた。
男が思う“魔物を遠ざける普通じゃない力”など持ってはいなかった。
ただ男は何故亜人たちが彼女の言葉に耳を貸すのか、何故彼女の言葉は皆の心に響くのか。
それを不思議な力のせいだと思い込んだ。
だからこそ普通の人間ならば思わない事を、この男は本気で考えたのだ。
だがそう思わせる程、殺害した男も彼女の力を認めていた。
魔物と戦う力ではない。
皆をまとめる力のことである。
だから、男性は彼女の存在を許せなかった。
その現村長である男性の行動を目の当たりにした人物などいるわけがないと高をくくり、遺体を森へと捨てた男たちは村へと戻ろうと踵を返す。
そんな男達に黒い影が忍び寄った。