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Ⅲ.崩壊〈Der Untergang〉1


 アリーが薔薇宮殿(ローゼンホーフ)に戻ったのは16時を少し回った頃だった。


 半装軌式(ハーフトラック)の兵員輸送車はあまり乗り心地のよい代物ではない。アリーは降車すると大きく伸びをして腰を伸ばした。


指揮官どのフロイライン・コマンダ


 彼女をそう呼んだのはエヴァだった。堅い表情でアリーを見ていた。


「どうかして?」


 帰還の道中、彼女はついに一言も喋っていなかった。どこか思い詰めた様子に見えた。


「本日はいろいろと申し訳ありませんでした」


 律儀にそんなことを言う。アリーは笑顔を見せて、


「気にしないで。今日の事はあなたに落ち度があったわけじゃないし」


 それでもエヴァはもの問いたげに口をもごもごと動かしていた。アリーはそんな彼女の肩を叩き、執務室のある東棟に向かって歩いてゆく。


 エヴァは無言のままその背を見送っていた。


 執務室に戻ったアリーは、ムッター・ハイジにローゼンシルト協会のマルレーネ伯爵夫人に会ったことを告げた。


「あー、あの方にお会いになったの」


 微苦笑を浮かべるムッター・ハイジ。アリーはその表情から諸々察した。


「正直に言うけれど、私は苦手だわ、あの人」


 アリーがそう言うとムッター・ハイジも、


「そうね。私もお会いしたことあるけど・・・。なんというか、変な“圧”を感じるのよね。落ち着いた様子なのに穏やかじゃない感じがするというか」

「本能的な忌避感?」

「そうかも知れないわ」


 それはまったく非論理的な話だった。だが、アリーはムッター・ハイジの感性を信じていた。マルレーネ伯爵夫人と距離を置いたのは間違いではないと思うことにしたのだ。


 その時。


 緊急警報のアラーム音が執務室に鳴り響いた。


 それは王宮(ホープブルク)での火災を告げる自動警報だった。


 ほぼ同時に幾つもの報告が届いた。


「フロイライン・コマンダ、緊急です」

「王宮で事故発生の模様」

「火災報知器が作動との連絡です」

「詳細不明、詳細不明!」 


 いちどきに執務室に流れ込んでくる情報は錯綜しており、意味を成さなかった。無線連絡と、電話、そしてメールも、それぞれ辻褄の合わない情報の断片に過ぎなかった。そして地上波のテレビ、ラジオ、電話回線も不通になり、軍用無線もインターネットも繋がらなくなっていた。


 だが、情報収集のために点けっぱなしにしてあったテレビの衛星放送の国際ニュースが答えを教えてくれた。


「ローゼンラントから速報です。本日午後、首都ローゼンブルクにて騒乱が発生、国王夫妻が亡くなったとの情報があります。これは建国記念式典の取材のために当地を訪れていた当ニュースクルーによるスクープ映像です」


 テレビの画面に映し出されたのは王宮(ホーフブルク)の前に陣取る装輪装甲車と兵員輸送トラックの群れ。突撃小銃を携えた兵士たちが走り回り、王宮(ホーフブルク)のあちこちからは煙が噴き出していた。


「たった今情報が入りました。ローゼンラント臨時政府( ・ ・ ・ ・)より、国王夫妻の崩御が発表されました。繰り返します、ローゼンラント国王夫妻の死亡が発表されました」


「陛下の身にいったい何が。事故かしら」


 ハイジは緊張の面持ちでアリーを見てそう言った。


「事故ではないわ」


 アリーは断言した。


「複数ある通信系統が同時に途絶することは通常ありえない」

「それじゃあテロだというの」

「いいえ。衛星テレビを見たでしょ。あれはローゼンラント正規軍だった」

「だったらいったい何なの」


 アリーは冷静に応えた。


「クーデター。もしくは革命」


 その言葉を聞くと、ハイジは口を閉じてアリーの顔を見つめた。アリーは無理に笑って見せた。


「心配しないで。対処の仕方は心得ているわ。伊達に士官学校を出ているわけじゃない」


 アリーは小型無線機(ウォーキートーキー)のボタンを押した。有効範囲が1㎞程度の戦術無線機だったが、この場合はそれで十分だった。


全員傾注せよ(アハトゥンク)。こちらは《ローゼン(アインス)》。武装護衛官(ワッヘン)は作業を中断してこの無線を聞きなさい」


 いったん言葉を切って、


王宮 (ホーフブルク)にて不穏な動きがあります。各員は緊急マニュアル(アー)に従って不測の事態に備えなさい。特別行動班アインザッツ・グルッペは姫さまの所在確認と身柄の確保を最優先。班長(フューラー)クラスの者は中庭に集合」


 指示を終えると、アリーはスーツケースを開け、紫檀のガンケースから大型の自動拳銃を取り出した。そして七連発の45口径弾入りの弾倉(マガジン)を装填してジャケットの下のズボンのベルトに挟んだ。


 ハイジはそんなアリーの様子を呆然と見ていた。


「では私は行くわ、ムッター・ハイジ」


 ハイジははっと我にかえって、


「待って、私たち一般団員(アルゲマイネ)はどうすればいいの。こんな場合の訓練なんて受けていないわ」

「逃げて」


 というのがアリーの答えだった。


「逃げる・・・どこへ?」

「それは任せるわ。でも、そうね、制服は脱いだ方がいい」

「え」

薔薇の御盾団(ローゼンシルト)と知れたら、当然姫さまの居所を聞かれるわ。姫さまを守るためには、まず自分自身を守る必要があるわ」


 そう聞くと、ハイジは大きく深呼吸した。落ち着きを取り戻すと、さすがに肝の据わったところを見せた。


「わかったわ。私たちは足手まといなのね? 一般団員(アルゲマイネ)は直ちに撤収します。姫さまのことをお願い」

「もちろん。また会いましょう、ハイジ。気をつけて」

「あなたも」


 二人はしっかりと抱き合った。抱擁を解くと、アリーは執務室を出た。もしかしたらハイジとは二度と会えないのではないか、と思いながら。



 廊下を急ぎ足で歩くアリー。


 その耳に全館放送のスピーカ―から流れるムッター・ハイジの声が聞こえた。


傾注(アハトゥンク)一般団員(アルゲマイネ)に告げる。緊急事態です。一般団員(アルゲマイネ)はこの放送に従いなさい」


 落ち着いた声だった。


一般団員(アルゲマイネ)はすべての業務を止め、直ちに薔薇宮殿(ローゼンホーフ)から退去すること。その際、制服を捨て私服に着替えること。繰り返します。制服を捨て私服に着替えること。

 退去先は各人に任せますが、自宅に帰ることを勧めます。知っての通り村からのバスは夕方の一便だけです。乗り遅れたものは各自移動手段を確保するか、村のホテルに宿泊して明日の便に乗りなさい。または自らの才覚で適宜対応するように。その後については・・・後日連絡します」


 最後の言葉だけ微妙にトーンが異なっていた。だがそのことに気づくものは何人いるだろう、とアリーは思った。


(そうだ「後日の連絡」なんてないかも知れない。もしかしたら命すらも)

 アリーはそんなことを思いながら靴音高く歩み続けた。中庭に行かなければならなかったのだ。


 中庭にはすでに班長(フューラー)クラスのものが集まっていた。十人にも満たない数だったが、全員が陸軍幼年学校の出身者だった。咲き誇る薔薇の花畑の中に、ぽつり、ぽつりとばらばらに立っていた。副官のヒルデの姿も見えた。


(整列させないなんて、ヒルデらしくもない。いいえ、それくらい動転している、ということかしら)

(だとしたら完全無欠に見えるヒルデにも人間らしい部分があるということね)


 そのヒルデが報告した。


「フロイライン・コマンダ、班長(フューラー)は全員集合しました。また、姫さまは寝所にいらっしゃいます。私の部下を警護につけてあります」

けっこう(グート)


 短く答える。そして部下たちに向かって、


傾注せよ(アハトゥンク)。緊急事態です。首都にて騒乱発生との情報です。状況は未だ明らかではありませんが、クーデターないし武力革命の可能性があります。ですが我らの使命はただひとつ。姫さまをお守りすることです。全員、そのことだけを考えなさい」


 アリーは真剣な目で自分を見つめている少女たちにこう付け加えた。


「この先なにがあろうと、私たちは薔薇の御盾団(ローゼンシルト)です。それさえ忘れなければ、怖いものなど一つもありません」


 ヒルデは一歩進み出ると、


「一つ提案があります」

「なんです」


 ヒルデの視線はアリーの腰の大型拳銃に向けられていた。


「武装勢力による襲撃が予想されます。全員に銃器による武装を許可願います」

「許可します。ただし、私の許可なく発砲しないように。特に相手が重武装の場合は、思わぬ反撃を受ける場合があります」

「心得ています」

「私は姫さまの寝所に行きます。何かあったらすぐに連絡を。回線はオープンにしておきます」

「ヤボール、フロイライン・コマンダ」


 ヒルデは踵をカツン、と鳴らして答えた。その表情は生き生きとしており、どこかこの状況を楽しんでいるかのようだった。


 アリーは足音を立てて廊下を進みながら思った。


(百年、兵を養うは一日(いちじつ)これを用いるためにあり)


 アリーは昂る気持ちを引き締めながら、背筋を伸ばした。


薔薇の御盾団(ローゼンシルト)の千年は今日この日のためにあったのだわ)


Ⅲ.崩壊〈Der Untergang〉2 に続く

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