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Ⅱ.首都〈ローゼンブルク〉5


 アリーがシュバルツハイム基地の正面ゲートにたどり着いたのは13時を少し過ぎた頃だった。


 徒歩で現れた彼女に歩哨は奇異の目を向けていたが、当のアリーは意に介さずにIDを表示して門をくぐった。


 この基地へは何度も来たことがあった。武装護衛官(ワッヘン)には年に数回の実弾射撃訓練が義務付けられていたが、専用の射撃場が無いために陸軍基地の施設を拝借することになっていたのだ。


 アリーがカフェテリアのある管理棟へ行くと、入り口で偶然にもハンナと出会うことが出来た。つなぎの飛行服姿の小柄な女性で、飛行士らしく明るいブラウンの髪を短く刈り上げていた。瞳の色もブラウンで、包容力のある落ち着いた面差しをしていた。その口から朗らかな声が発せられた。


「よく来てくれたわねアリー」

「はい。ハンナ姉さま」


 そして二人は昼時を過ぎて閑散としているカフェテリアの隅の席についた。二人とも既に食事は済ませていたのでコーヒーだけだった。ハンナは「まずいコーヒー」といっていたが、軍隊式に塩を効かせたコーヒーはまずまずの味だった。


 互いの近況に話の花が咲き、談笑する二人だったが、ややしてハンナは真面目な顔でこんなことを問うた。 


「あなたはこれからどうするの、アリー」

「どう、とおっしゃいますと」

「将来のことよ」


 薔薇の御盾団(ローゼンシルト)退団後の進路は様々だったが、士官学校や陸軍幼年学校の出身者の多くは軍に戻る場合が多かった。


 その場合、要人警護などの対外的な任務に配属されるのが常だった。なにしろ王宮で王族方と身近に接するために厳しく躾られているのだ。当然、式典や行事にも馴れている。


 加えて、公式には否定されているものの、団員には見目麗しい者が採用される傾向があった。国外の賓客のエスコート役にも最適と考えられていたのだ。


 もちろん、士官学校の出身者の中には参謀本部や連隊本部のスタッフに迎えられる者もあった。


「まだ決めていません。できればずっと薔薇の御盾団(ローゼンシルト)でいたいとは思っていますけれど」

「まあそういう訳にはいかないでしょうね。後進に道を譲ることも考えないと。それに」


 笑いを含んだ声で、


「お婆ちゃんになっても続けていたら、薔薇の御盾団(ローゼンシルト)のイメージが悪くなるわよ」

「まさか」


 二人の笑い声が重なる。ひとしきり笑った後でハンナがまじめな声で、


「ね、アリー。もしよかったらだけど」

「はい?」 

「あなた、私のところに来ない?」

「え・・・」

「第三ヘリコプター輸送中隊。要人輸送の専門飛行隊によ」


 突然の申し出にアリーは即答できなかった。


「もちろん今すぐではないわ。何年か先でしょうけどね」

「・・・」

「私が指導教官だったとき、あなたは何でもそつなくこなしていたじゃない。ヘリコプターの操縦も見事だったわ」

「基礎訓練を受けただけですけど」

「あなたならウイングマークを取得するのも難しくないわ。軍に転籍してから回転翼機のパイロット課程を受ければいいの。もちろん、参謀本部を狙っているなら話は別だけど」

「具体的には、まだなにも」

「なら、考えておいてくれないかしら。ね、空はいいわよ。自由だし。何より自分の運命を、命を自分の腕で支えている、という実感があるわ。高級士官になって机で書類に埋もれるよりもあなたに向いていると思うけどな。どう?」


 しばらく考えた後、アリーは、


「今はまだ何とも」

「いいの。当然よね」

「はい。でも選択肢の一つにさせていただきます」


 ハンナは返事を聞くと、


「よかった。そうだ、今度またうちに遊びにきて。ロッテにも会ってあげてよ」

「はい。娘さんですよね。おいくつでしたっけ」

「もう二歳よ。赤ちゃんの頃に会っただけでしょ」


 そしてハンナに別れを告げ、屋内射撃場へと向かう。今日はずいぶんと引き合いがある日だわ、と思いながら。



 屋内射撃場は灰色のコンクリートの建物だった。その横の駐車場に見慣れた旧式の半装軌式(ハーフトラック)の兵員輸送車が二台、並んで停車しているのが見えた。


 わが軍でもこんな古い車両を使っているのは薔薇の御盾団(ローゼンシルト)くらいよね、とアリーが自嘲気味に思っていると、背後から声を掛けられた。


指揮官どのフロイライン・コマンダ?」


 振り向くとそばかすで三つ編みの武装護衛官(ワッヘン)の少女がいた。


「フロイライン・エヴァ?」

「ヤー」


 それは昨夜の宿直だったエヴァ・ケッセルだった。射撃場の入り口で偶然にアリーを見かけたので声を掛けたらしい。


「あなたも射撃訓練なの? でも非番の筈じゃないの。どうしてこんなところに居るのよ」


 宿直の翌日は非番で、十分な休息が与えられる筈だった。成長過程の少女たちに過度の負担を強いることは禁忌とされていたのだ。


「射撃訓練のノルマが残っておりまして」


 エヴァは申し訳なさそうに目を伏せた。朝の事といい、日に二度も上官に睨まれたのだ。彼女にとっては厄日かも知れなかった。


特別行動班アインザッツ・グルッペの業務が増えましたので、ついつい先延ばしにしてしまって」


 だがアリーは苦笑しつつも、


「安心なさい、あなたに怒っている訳ではないの。ただ、班長のヒルデにはもう少し部下たちの業務に気を配るよう話しておかないと」


 けれど、そう言われてもエヴァは愁眉を開かなかった。


「申し訳ありません」


 思い詰めた顔をしている生真面目な少女の肩に手をやり、


「まあいいわ。私も忙しさにかまけて今日まで遅らせていたのだし。人の事は言えないわね」


 努めて微笑んで見せる。その笑顔にエヴァも幾分表情を和らげた。


「行きましょう。一緒に来た子たちはもう中なのでしょう?」

「ヤー」



 所定の手続きを済ませると、アリーたちは拳銃用の射撃場に入った。そこはコンクリートの打ち放しの壁と天井に囲まれた空間で、全長は20メートル、幅は10メートルほどだった。射撃ブースは五つあり、五人が同時に射撃することが出来た。


 今回の射撃訓練に参加しているのはアリーを含めて10名だった。アリーとエヴァは同じブースを交互に使用することになった。順番はアリーが先だった。


 薔薇の御盾団(ローゼンシルト)に支給されているのは射程の短い25口径の自動拳銃なので、今回は12メートルの距離にペーパーターゲットが据えられていた。使用する弾薬は標準的なフルメタルジャケットの25ACP弾で各自6発とされていた。


 アリーが持参のスーツケースから大ぶりな紫檀のガンケースを取り出すのを後ろで見ていたエヴァは戸惑いの表情を浮かべた。どうしてあんな大きなケースを使うのだろう、と疑問に思ったのだ。


 彼女たちに支給されているのはコルトの護身用小型拳銃で、鍵付きの強化プラスチック製のケースはペーパーブックほどの大きさしかなかったのだ。


 アリーがガンケースから取り出したのは大型のコルト自動拳銃だった。同じコルトでもエヴァたちの銃よりも二回りも大きい。45口径の大型拳銃だった。


 銃を手にしたアリーはエヴァを振り返り、いたずらっぽい笑みを見せた。


「これは私物よ。父上の形見なの」


 陸軍幼年学校の出身だったエヴァは将校は私物の拳銃を持つことが出来ることは知っていた。だが指定外の弾薬を使用する場合には弾薬も自前で調達しなければならない(軍の制式拳銃は38口径のベレッタだった)。そうした煩雑さを嫌って、今は私物の銃を使う将校は少ないと聞いていた。


 見ていると、安全点検を型通りに終えたアリーはずんぐりした45口径弾を装填し、ターゲットに向けて銃を構えた。


 ズドン、と重々しい発砲音が響く。それは小型拳銃のパン、パン、と言う軽い音とは比較にならない。耳栓をしていても脳に直接響くような暴力的な銃声が続いた。


 射撃場の係官(レンジ・マスター)の指示でペーパーターゲットが交換される。回収されたアリーのターゲットを見たエヴァは小さく息を呑んだ。


(すごい。全弾三センチ以内に集束してる。反動が大きくて撃ち辛い45口径なのに)


 他のブースは新しいペーパーターゲットに交換された。が、アリーのブースにだけは20センチ四方の粘土塊(クレイターゲット)が据えられていた。


 銃をかまえて射撃姿勢を取るアリー。けれど何を思ったか拳銃に安全装置を掛けると、振り向いてエヴァを手招いた。


「何でしょうか」


 アリーはエヴァと入れ替わり、耳栓を外して言った。


「あなた特別行動班アインザッツ・グルッペよね」

「はい」

「ならクレイターゲットを試してごらんなさい」

「はい?」

「あの粘土は人体と同じ硬さに調整してあるの。人を撃つとどうなるか、模擬でも経験しておくといいわ」

「はあ」


 恐ろしいことを言う、とは思ったが、アリーが自分に配慮してくれているのは理解できた。


 エヴァは弾丸を装填して慎重に狙いを定めて引き金を引いた。


 パン、という軽い音と共にクレイターゲットのほぼ中央に小さな黒い点が出来るのが見えた。25口径、つまり6.35ミリの黒い穴が穿たれていた。


「いい腕ね」


 アリーに褒められてエヴァは得意げに微笑んで見せた。射撃には自信があったのだ。


「では私も。今日はこれで最後にするわ」


 そう言ってふたたびエヴァと入れ替わったアリーは、拳銃の安全装置を外すと無造作に銃を構えた。


 45口径だからきっと11.43ミリの穴が開くのね、とエヴァが思っていると、ズドンと銃声が響いた。


「え・・・」


 クレイターゲットの上半分がきれいにえぐられ、吹き飛ばされていた。もしこれが人体だったら、と思うとエヴァは恐怖に足がすくんだ。


「45口径のホローポイント弾よ。姫様を害する輩は確実に打ち倒してやるわ」


 そんなことを真顔で言うと、アリーは蒼い顔をしたエヴァの肩を軽く叩いた。


 ホローポイント弾は人体に当たると弾頭が拡張して威力を増す対人用の強力な弾薬で、殺傷能力が大き過ぎるために軍隊での使用は禁止されていた。


 他方、警察用としては制限なく広く使われており、警察に準じた護衛任務が主体の薔薇の御盾団(ローゼンシルト)での使用は一応は認められていた。もっとも、主に予算の面から制式採用はされていないため、薔薇の御盾団(ローゼンシルト)ではアリーだけが私物のコルトに用いていたのだ。


(こんな強力な弾薬を使うなんて。いくら姫様を守るためとは言えどうかしてる)


 射撃場を出て行くアリーの後姿を見ながら、エヴァはそっとため息をついた。


(やっぱり狂信者(ファナティカー)なのね、あのひと・・・)


 アリーを含めた武装護衛官(ワッヘン)たちが射撃訓練を終え、帰り支度を済ませて駐車場の兵員輸送車に乗り込んでいると、一人の伝令兵がやって来てエヴァの名を呼んだ。


特別行動班アインザッツ・グルッペのエヴァ・ケッセルはいますか」

「ヤー。ここに」


 エヴァはそう答えると、その伝令兵は、


「班長のエバーバッハ下級中隊指揮官ウンターシュトゥルム・フューラー宛の伝言があります」


 そう聞くとエヴァは即座に兵員輸送車を下りて伝令兵の前に立った。


「口頭で伝えます。よろしいか」

「願います」


 伝令兵は何事かを低い声で告げた。だが、復唱するエヴァの声は意外によく通り、すでに車中の人となっていたアリーの耳にも届いた。


「“ヒメルスキント”、受領しました」


 アリーは聞き覚えの無い符丁に首を傾げた。


空の子ども(ヒメルスキント)ですって? 空の子ども・・・天の子?)


 エヴァは兵員輸送車に乗り込み、アリーの隣のベンチシートに腰を下ろした。その顔は緊張に引き締まり、微かに頬の筋肉が痙攣していた。


 アリーとしては気になったが、問いただすことはしなかった。ヒルデの直属の部下なのだ。指揮系統を乱したくはなかった。


 それにこの日の朝、アリーはムッター・ハイジの部下のエリカを勝手に呼び出していた。薔薇宮殿(ローゼンホーフ)の指揮権はアリーにあり、その意味では厳密には越権行為とは言えないが、頭越しに命令したのはあまり好ましいことではなかった、と反省していたのだ。 



 武装護衛官(ワッヘン)たちを乗せた兵員輸送車が帰路についた頃、参謀本部の一室にある薔薇の御盾団(ローゼンシルト)の本部には、近衛師団との打ち合わせを終えたアガーテ・ベルナウ大隊指揮官とデンペルモーザー将軍の姿があった。


 そこは薔薇の御盾団(ローゼンシルト)の本部とは言いながら、実際には数名の連絡員がいるだけの小さな部屋だった。打ち合わせスペースには申し訳程度の応接セットが据えられ、赤毛のアガーテとデンペルモーザー将軍の二人が向かい合って座っていた。


「近衛師団との調整は済んでいるのだな」


 とやや横柄な態度でデンペルモーザー将軍が問うと、アガーテはこくりとうなずいた。


「ヤー。首都(ローゼンブルク)の主要拠点への展開は問題なく。ですが」

「問題は薔薇宮殿(ローゼンホーフ)だな」

「ヤー。まさか姫様が発熱あそばされるとは」

「ふん、だが不測の事態とまでは言えんよ。そのための予備計画が“ヒメルスキント”と特別行動班アインザッツ・グルッペだろう」

「ヤー。ですが特別行動班アインザッツ・グルッペに加えて、現地の近衛第一連隊まで動員することになるなんて」


 将軍は煩そうに手をふって、


「仕方あるまい。特別行動班アインザッツ・グルッペの娘たちだけではいささか心もとない」


 しかし赤毛のアガーテは心外そうに、


「班長のヒルデガルドは優秀です。彼女に任せておけば万に一つはないかと存じますが」

「だと良いのだがね。だが彼女にあのクロイツァー上級中隊指揮官を掣肘できると思うかね」


 そう聞いてアガーテは苦笑して、


「・・・確かに難しいかもしれません。あの子はあれでなかなか厄介ですし」

「まったくだ。今日の会議でも余計なことを質問しおって」

「中々に核心を突いた質問でしたわね」


 アガーテの軽口にデンペルモーザー将軍は不快そうに、


「あの娘を抑えるのは一苦労だよ」

「ははあ」


 アガーテはうなずきながら言った。


「だから近衛第一連隊ですか。たしか連絡将校はあの子と士官学校が同期でしたわね」

「若い娘には若い男をあてがっておけば良いということさ。が、それだけでは不十分だ」

「それでマルレーネ様が直々に?」

「そうだ。あの方のカリスマ(・・・・)をお借りして心理的に支配下に置ければ一安心というものだよ」

「会食でのアリーはどんな様子でしたか」

「うむ、すっかり心酔しているようだったぞ」

「本当ですか? まあ確かに薔薇の御盾団(ローゼンシルト)の中でもアリーは特に狂信的・・・熱心な団員ですから。マルレーネ様の理想に感化されやすいのかもしれません」

「そうとも。マルレーネ様は伝統を重んじる方だ。薔薇の御盾団(ローゼンシルト)の本来の姿を知ればアリーのような ローゼンシルト原理主義者はひとたまりもなく篭絡されよう」

「そうですわね。ええ」


 だが二人は知らなかった。アリーが想像以上に“原理主義”だったことに。彼女が信を置いていたのは組織としての薔薇の御盾団(ローゼンシルト)などではなく、その結団のきっかけとなった一人の少女の姫への愛だったのだ。


「マルレーネ様と言えば」


 アガーテは声を落として、


「今回の計画を立案されたのもあの方なのだとお聞きしました。資金もローゼンシルト協会から出ていると」

「その通りだ」

「それなのにマルレーネ様本人は表舞台には出て来られないのですね」

「ああ。奥ゆかしい方だからな。対外的にはわしが取り仕切ることになっておる」

「ご心労、お察し申し上げます」


 これにはデンペルモーザー将軍は満足げに髭を撫でながら、


「何、あのお方のお手を煩わせないためだ。喜んで雑用は引き受けよう」


 先ほどの会食での酔いがまだ残っているのか、将軍はこんなことを口走った。


「いやはや、国家運営(・・・・)というものはなかなか骨が折れる仕事だろうて。しばらくは忙しくなるぞ」


 アガーテも釣られてこんなことを言った。


「参謀本部はお任せ下さい。制圧(・ ・)次第すぐに動けます」

「うむ。いよいよだな」

「ヤー。いよいよです」


 そして目を合わせて微笑み合う。だが二人のその笑みにはどこか昏い陰りがあった。


Ⅲ.崩壊〈Der Untergang〉1 に続く 

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