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Ⅱ.首都〈ローゼンブルク〉4


 アリーが将軍に連れてこられたのは、首都でも最高級とされるホテルのレストランだった。しかも案内されたのは専属の給仕つきの豪華な内装の個室だった。戸惑いの表情を浮かべるアリーに、


「どうしたねアリーくん。ここは初めてでもなかろう」

「はい。それはそうですが」


 じっさい、父親であるクロイツァー伯爵が亡くなる前には家族でよく利用していたのだ。薔薇の御盾団(ローゼンシルト)になった後もクラーラ姫のお供で何度か訪れたことがあった。


 二人にやや遅れて入ってきたのは朱色のドレスを纏った一人の貴婦人だった。


「これはこれはマルレーネ伯爵夫人」


 将軍は大仰な仕草で夫人の手を取ると、儀礼的にキスをした。


「この度はお時間を取っていただき光栄に存じます」

「いいえ、他ならぬ将軍閣下のお誘いですもの」


 優雅に微笑む夫人を見て、お美しい人だ、とアリーは思った。年齢はよく分からなかったが、自分の母親と同年代だろうか、と思う。


「部下のグラーフィン・アリアドーネ・フォン・クロイツァー上級中隊指揮官です。アリー、マルレーネ伯爵夫人だ」


 紹介されたアリーは、一瞬、淑女のように膝を折って挨拶(カーテシー)すべきか迷った。


 身分としてはアリーは伯爵家を継ぐ立場にあったが、まだ成人しておらず、立場としては伯爵令嬢に当たる。が、社会的には事実上の女伯爵として扱われていた。マルレーネ伯爵夫人とは同格と言ってよかったのだ。


 迷った末、アリーは敢えて男性のように夫人の手を取ってキスをした。


「はじめまして伯爵夫人」

「ほほ。はじめまして、ではないわね」

「は?」


 戸惑うアリーに、


「入団式の時にお会いしているわ」

「入団式?」


 将軍が笑いながら、


「マルレーネ伯爵夫人はローゼンシルト協会の理事長なのだよ。客席にいらしただろう?」


 と補足した。


 アリーははっとして、


「失礼いたしました」

「ほほ。確かに個人的にお会いするのは初めてよね」


 そしてアリーの手を取り、友達のように握った。


「わたくしも娘時代には薔薇の御盾団(ローゼンシルト)でしたのよ。懐かしいわ、その制服」

武装護衛官(ワッヘン)だったのですか」

「ええそう。最終階級は大隊指揮官だったわ」


 そう聞いてアリーはほっとした。この人は仲間だ、と思えたのだ。


「ね、あなたのこと、お名前で呼んでもいいかしら」

「はい。もちろん」

「ではフロイライン・アリアドーネ、わたくしのことも名前で呼んでね。今日はいろいろとお話がしたいわ」

「はい、マルレーネさま」


 ところが会食が始まると、主にしゃべるのはデンペルモーザー将軍だった。供されたワインをほとんど一人で飲みながら、こんにちのローゼンラントの政治、経済についての意見を開陳しはじめたのだ。アリーは辛抱強く将軍の話につきあっていた。


「つまりだ、アリーくん。問題は我が国の後進性なのだよ」

「はあ」

「今のような旧態依然とした政治体制ではいけないのだ」

「はあ」

「経済もそうだ。我が国の強みは豊富な地下資源と、勤勉な労働力だよ。一度は日本から半導体工場を誘致したものの、それも中途半端に終わってしまった。政府の経済政策は場当たりに過ぎる。もっと長期的な視野が必要なのだよ」

「はあ」

「この国には抜本的な改革が必要なのだ。ヨーロッパの多く国は冷戦終結を契機として、自国の政治・経済を見直し、刷新してきた。だが我がローゼンラントだけは古い体制が生き残り、新たな時代への一歩が踏み出せずにいるのだ」

「・・・」


(なにを話しているのだろう、この人は)


 アリーはいいかげんうんざりしながら将軍の長弁舌を聞いていた。


(言っている意味は分かるけど。天下国家を論ずるのは軍人の仕事ではないのに)


 マルレーネ伯爵夫人は将軍の言葉を聞いているのかいないのか、優雅なものごしを崩してはいなかった。適度に相づちを打ちつつ、穏やかな笑みを絶やさない。


(どういう会合なのかしら、これ)


 やがてデザートの時間になり、ようやく将軍の演説も終わった。というより、しゃべりたいことはすべて言ってしまい、満足したらしかった。


 アリーがやれやれと思った頃、これまであまり会話に参加していなかったマルレーネ夫人がアリーに話しかけてきた。


「ね、わたくしあなたにお願いがあるのだけれど」

「何でしょうマルレーネさま」


 アリーは将軍の時とは異なる熱心さで答えた。


「あなた、わたくしのところで働く気はないかしら」

「え」

「もちろん今すぐではないの。あなたが薔薇の御盾団(ローゼンシルト)を退団してからの話よ」

「それは協会の仕事を、ということでしょうか」

「もちろんよ。わたくしの片腕となってもらいたいの・・・それとももう将来の進路は決めてしまった? 軍に戻るつもりかしら」


 アリーは首を振って、


「今はまだなにも」


 そう聞いてマルレーネ夫人は笑みを絶やさずに、


「そうでしょうね。でもさきほどの将軍の話ではないけれど、この国には舵取りをする者が必要なの」

「はあ」

薔薇の御盾団(ローゼンシルト)や軍隊は所詮国家の道具だわ。その中にいてはただ流されるだけ。だからあなたのような優秀な人には、ぜひもっと大きな仕事をしてもらいたいの」

「それがローゼンシルト協会だと」

「ええそう」


 そして伯爵夫人はハンドバッグから細巻きの葉巻を優雅に取り出すと、形のよい唇にくわえた。それを見たデンペルモーザー将軍があわててライターを手に立ち上がる。


 将軍に火をつけさせると、マルレーネ伯爵夫人はふうっと煙を吐いて、


「わたくしの姉妹たち――もちろんあなたの姉妹たちでもあるわ――はこの国のさまざまな場所にいるの。責任ある地位にいるもの、責任ある地位にいる夫を持つものも」


 人をそらさない魅力的な瞳でアリーを見つめながら、


「ね、アリー。考えてみて。どうして薔薇の御盾団(ローゼンシルト)がこれほどの勢力を持つにいたったのかを。世間の人は秘密結社だの何だというけれど、それは違うの。

 薔薇の御盾団(ローゼンシルト)には国内から選りすぐりの少女たちが集まってくる。それは単なるお姫さまのための親衛隊などではないわ。最初はそうだったのかもしれないけれど、今やそれは一大政治勢力といってもいいの」


 アリーは目の前にいる美しい(かお)の優雅な貴婦人をまじまじと見つめた。


「わたくしたちローゼンシルト協会は、単なる互助組織ではないのよ」


 紫煙に包まれたマルレーネ夫人はアリーに艶然と笑いかけた。


「ねえ、フロイライン・アリアドーネ。どうして薔薇の御盾団(ローゼンシルト)には二十歳代の半ばで退団する、という不文律があるのかしら。そしてどうして団長は男性なのか」


 アリーは答えられずに黙って首を横に振った。


「かつてはね、ローゼンシルトは終身制だったの。中世の頃の話だけど。そして団長も女性だった」


 マルレーネ夫人は、抑揚のある声音(こわね)で続けた。


「姫様のため、国家のためを思う彼女たちの活動は先鋭化し、いつしか国政さえ左右するようになっていたの。これは公には語られていないことだけれどもね。

 そしてアイリス姉姫とアルブレヒト弟王子の時代、ついにはこの二人の後継者争いにまで発展したの。つまり姉姫を擁する薔薇の御盾団(ローゼンシルト)と、王子を奉ずる一派との。内戦一歩手前まで行ったこの争いは、従順な弟王子が姉姫に恭順を示したことで収拾したわ。

 けれどこのとき、将来の禍根を絶つために、薔薇の御盾団(ローゼンシルト)は体制の変革を余儀なくされた。つまり年齢制限が設けられたことと、団長は男性の近衛騎士団長が兼任することになったの。ちなみにこれは弟君のアルブレヒト王子の提案だったと伝えられているわ。賢弟アルブレヒト、と言われる由縁ね。

 その後、人徳あるアイリス女王と、それを支える実務に秀でた賢弟アルブレヒトによって国は繁栄したと伝えられているわ」


 初めて聞く話に、アリーはただ圧倒されてマルレーネ夫人の言葉に聞き入っていた。


「けれど、その結果薔薇の御盾団(ローゼンシルト)はお飾りの少女騎士団に成り下がってしまった。判断力を持った成熟した女性を排除することでね。でも」


 夫人は薄く笑って、


「退団した者たちは新たな組織を作った。そしてこの国を陰から支え続けて来たの」

「それがローゼンシルト協会、なのですね」


 アリーがそう訊くと、


「ええそう。だからわたくしたちは今でもその活動を続けているの。薔薇の御盾団(ローゼンシルト)本来の姿、それはね、この国を陰から支えるもうひとつの国家なの。そうよ、そしてそれは神からわたくしたちに与えられた聖なる義務なの。そうは思わない?」



 会食を終えると、車を手配しよう、という将軍の申し出を謝絶してアリーは一人でホテルを出た。


 石畳の路面にカッカッカッと小気味良い音を立てて歩く。首都の外れに位置するシュバルツハイム基地までは数キロあったが、考えをまとめる時間が欲しかったので徒歩で移動することにしたのだった。


 先ほどマルレーネ夫人に言われたことがアリーの胸をざわつかせていた。それは、これまで信じていた薔薇の御盾団(ローゼンシルト)がまったく違うものになってしまったかのような不安だった。


 ふと、亡き父の言葉を思い出す。


(いいかいアリー、よく覚えておおき。国家や神の御名を持ち出して頼みごとをする人間を信じてはいけないよ)

(そうした人間は誰かを操るために、自らの邪な目的を覆い隠すために国や神を持ち出すのだ)

(信ずるのは己の信念のみ。お前は、お前が大切だと思うことのためだけに生きなさい)

(人生は自ら選び取るものだ。他人の言葉尻に乗るのは愚者のすることだ)


 自分にとって何が大切なのか。何を信ずるのか。


薔薇の御盾団(ローゼンシルト)は姫様を守る美しき御盾(みたて)

(それは愛によって成り立ち、愛ゆえに選び取った道)

(そうだ。そう信ずるからこそわたしは薔薇の御盾団(ローゼンシルト)であることを選んだ)


 アリーはきっ、と眦を決して正面を見据えた。


(今はただ姫の盾としての職務を全うしよう。そして時が来て、そこから離れる時が来たら――それはその時が来てから考えよう)


 そう考えが纏まると、アリーは大きく息をついた。もやもやした霧が晴れるようなそんな思いだった。


(それにしてもなんなのだろうあの人たち)


 改めて先の会食のことを思い起こす。


(デンペルモーザー将軍は前からあまり好きではなかったけど。あのマルレーネ夫人も好きにはなれないわ)


 最初こそ薔薇の御盾団(ローゼンシルト)の先輩と思って親近感を感じたものの、今となっては将軍と同じくらいに遠い人のように思われた。


(こんな風に人を評するのは間違っているのかも知れないけど・・・いいわ、わたしは直感を信じよう。論理的ではない、て言われればそれまでだけど)


 亡き母親の言葉を思い出す。それは珍しく両親が夫婦喧嘩しているときに発せられた言葉だった。喧嘩の原因が何だったのかは、当時の幼いアリーには理解できなかったが、理路整然と考えを述べる父親に対して母親はきっぱりとこう言ったのだ。


「そのような小賢しい理屈など知りません! 女は子宮で考えるもの。あなたの言うことがどれほど条理に適っていようと、私には正しいこととは思えません!」


 非論理的ではあったが、アリーはその母の言葉にも共感するところがあった。


 世の中には理屈では割り切れないこともある。人の想いがそうだ。自分のクラーラ姫への想いもまた。


 幼いころから一緒に遊んでいたクラーラ姫の事は妹のように愛していた。けれどそれだけではなく、姫君を守る騎士になりたい、というロマンチックな動機も確かにあったのだ。


 その自分の想いとマルレーネ伯爵夫人の言うローゼンシルト協会の性格はあまりに違う様に思われたのだ。それになにより、


(マルレーネさまの言葉には姫様への愛がなかった。王室への敬意も)


 アリーは孤独な行軍を続けながらそんなことを考えていた。彼女の中で答えはもう出ているのだった。


(ローゼンシルト協会に愛はない。あるのは実利的な損得勘定だけ。あんなもの・・・薔薇の御盾でも何でもないわ)


Ⅱ.首都〈ローゼンブルク〉5 に続く

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