Ⅱ.首都〈ローゼンブルク〉3
薔薇宮殿では東棟にある食堂で団員たちが交代で昼食をとっていた。
かつて修道僧たちが使っていた大食堂はほぼそのまま使用されていた。いくつもの長テーブルが並べられた簡素な広間だった。
エリカがテーブルの端で一人で食べていると、トレイを持った少女がやってきた。
「ここ、いいかしらフロイライン・エーリカ」
エリカは顔を上げて答えた。
「ええ。どうぞご自由に」
「ありがとう」
そう言ってエリカの正面に座ったのは髪を三つ編みにした武装護衛官のエヴァ・ケッセルだった。
しばらくはお互い無言で食事をとっていたが、
「ごめんなさい、エーリカ」
突然そう言われて、エリカは食事の手を止めた。
「なに、なんのこと」
「今朝のこと。あなたのこと告げ口したみたいになって」
「ああ、そのこと」
すまなそうにしているエヴァを安心させるように、
「気にしないで。あなたは義務を果たしただけだもの。それに、元々の原因はわたしなのだし」
「そういってもらえると気が楽になるわ」
エリカはクスッと笑って、
「むしろわたしの方が悪いと思ってるの。あなたの方こそフロイライン・コマンダに叱られたのではないの?」
三つ編みの少女は首を振って、屈託のない善良そうな笑顔を見せた。そのエヴァを見ながらエリカはぽつりとつぶやいた。
「エヴァには感謝してるのよ」
「感謝? どうして」
「だって・・・親しくしてくれるのってあなたくらいだもの」
「そんなことないでしょ」
「いいえ、ほんとよ。わたし、人付き合いって苦手な方だから」
そんなことを言うエリカに、エヴァは唐突に話題を変えた。
「今日のお昼は豪華だったわ。ね、そう思わない?」
エリカは戸惑いながら、
「そうね。デザートが二種類もあったものね」
「そうそう。マドレーヌとイチゴのタルトだもの。でも、それ以外はいつも通りだったけど」
「黒パンと焼きソーセージと酢漬けのキャベツ、それにたっぷりのジャガイモ」
エリカが応じると、エヴァは、
「私には十分だわ。でも、あなたは平気なの?」
「平気、てなにが」
「日本食が恋しくないかってこと」
「ああ」
エリカはちらっと笑みを見せた。
「そうね。たまには、ね」
そう聞くとエヴァはうれしそうに、
「そりゃそうよね。この前のあれ、おいしかったもの。また作るんでしょ、あの、なんだっけ、ピザみたいなの」
「お好み焼き?」
「そうそれ」
「作ってもいいけど。あれは姫様に頼まれて、ここの材料でもできるかどうか試しただけだから」
「ふふ、あの時は楽しかったわね。他の子に見つからないようにこっそり作ったんだものね・・・私の手引きでさ」
エリカは小さな声で、
「あんまり言い触らさないでよ。フロイライン・コマンダに知られたらいろいろ面倒だから」
「わかっているわ。ね、今度非番の時に日本食パーティーをしましょうよ。私も手伝うし。あと何人か仲間に引き込んで」
エリカは困った顔をして、
「あんまり大っぴらにやるとバレてしまうわ」
「いいじゃない。やろうよ。そうすればみんなもエリカのことをわかってくれるわ」
そう聞くと、エリカはほっとため息をついた。
「ありがとうエヴァ。そう言ってくれるのはうれしいけど。わたしは」
「なぁに、姫様としか親しくしたくないの?」
「そういう訳じゃないけど」
ためらうエリカに、エヴァは熱心に言った。
「団員同士、友好を深めるのも立派な仕事よ。というか伝統なの」
「伝統?」
「そう。女の子ばかりの組織でしょう? だから任務外でお互い親しくすることが奨励されているの。まあこれは将来の人脈作りの一環でもあるのだけどね」
「そうなの?」
「そうよ。日本人のあなたは知らないでしょうけど、薔薇の御盾団の出身者は我が国の主要部門で働いているの。それと、閣僚や官僚の奥さんが元薔薇の御盾団、というのも多いわ」
エヴァの説明によると、退団後のために積極的に交友関係を広げておくのが一般的な風潮なのだという。だから非番の者たちが集まって、薔薇宮殿のそこここで小さなお茶会が頻繁に開かれているという。
「どこの国でもそうだと思うけど、昔は女性の地位が低かったでしょう? だからお姉さま方は大変な努力をされて来たの。退団後に政府や企業の高い地位についたり、あるいは社会的な影響力のある殿方の元に嫁いだりしてね」
「ふうん?」
ピンとこない様子のエリカに、
「まぁ、そこまで難しく考えなくても、みんなで楽しく過ごせればいいんじゃない? いうなればここは女子寄宿学校みたいなものなんだし」
「ああ、それはなんとなくわかるわ」
「でしょう? だからエーリカももっとなかよしを作ったほうがいいと思うの。もちろん」
いたずらっぽく笑って、
「恋人を作ったっていいのよ」
「だってここは女の子ばかりじゃない」
「そうよ。だから女の子同士でよ」
「そういう子って多いの?」
思わず身を乗り出したエリカにエヴァは首肯した。
「これも伝統なんだけどね。あと、特定のひとのファンになったりとか」
「ファン?」
「そう。ちなみに今一番人気はヒルデガルド下級中隊指揮官ね。あとはあなたのところのムッター・ハイジ」
「なんだか両極端ね」
「そうね。ヒルデ姉さまに叱られて、ムッター・ハイジに慰められる、というのが理想コースだそうよ」
「なにそれ」
エヴァはくすくす笑いながら、
「ヒルデ姉さまの容赦ない叱責って、けっこうクセになるのよ。丁寧な言葉なのに、まるで鞭打たれるような痛みがあるの。なんていうのかしら、心をえぐるような罵倒、ていうか」
「へえ」
どう反応したものか、戸惑った様子でエリカは首を傾げた。
「なんというか・・・変わってるわね」
「ふふふ。ちなみに私はヒルデさま派なの」
「ああ・・・それはなんとなく分かるわ」
エヴァは声を低めて、
「内緒だけどね、わたし、ヒルデ姉さまの直属になったのよ」
「そうなの?」
「ええ」
誇らしげに、
「新しく出来た特別行動班に選ばれたの」
「アイン・・・ってなんだっけ?」
「特別行動班。武装警備班のこと」
もとよりクラーラ姫の警護は武装護衛官の仕事だったが、担当は薔薇宮殿の内部と姫の周囲に限定されていた。屋外――というよりも、薔薇宮殿の周辺地域の防衛は近衛第一師団の武装兵に任されていたのだ。
だが、世界的なテロリズムの横溢を背景に、常時武装した警備隊の必要性を提案したのは副官のヒルデガルド・エバーバッハ下級中隊指揮官だった。
そして行きがかり上、彼女が班長を務めることになったのだという。ちなみに班員は銃の扱いに慣れている士官学校や陸軍幼年学校の出身者から選抜されていた。
それらのことをエヴァから説明されたエリカは率直に感心して、
「すごいじゃない」
「ふふふふ、私、こう見えても射撃は得意なの。陸軍幼年学校の出身だもの」
「驚いた。そうは見えなかったわ。だってエヴァ、とっても優しそうなんだもの」
「意外でしょ。そうそう、射撃と言えば今日の午後はシュバルツハイム基地へ射撃訓練に行かなきゃならないんだった」
「宿直明けなのに? 今日はこのあと非番でお休みじゃなかったの?」
そう問われたエヴァは照れ隠しに微笑みながら答えた。
「ホントはもっと前に行くはずだったんだけどね。特別行動班に選ばれたものだからいろいろ準備に時間を取られてしまって。でもヒルデ姉さまから、日ごろから銃の取り扱いに精通しておくように、て言われてたから」
そして嘆息しつつこう続けた。
「わたしも自分が軍人に向いてるとは思ってなかったの。でも、私の家は貧しくてね。陸軍幼年学校なら軍人か薔薇の御盾団になれば授業料が免除されるから」
「大変なのね、あなたも」
同情するエリカに、エヴァは明るく笑いながら、
「でも今は特別行動班になれてうれしいの」
「そうなんだ」
「うん。メンバーは私を含めてみんなヒルデ姉さまの熱烈なファンなの」
「それってハーレムなんじゃない?」
「たぶん。きっと深夜の秘密のお茶会とかあると思うの。いままでもそうだったんだもの。あのね、」
そして身を乗り出してエリカの耳元で何事か囁いた。
「そんなことを?」
驚くエリカに、エヴァはうれしそうに、
「みんなには秘密ね」
と唇に指を当てた。
エリカはふと気になって、
「ところで我らがフロイライン・コマンダはどうなの? 人気はないの?」
そう問われてエヴァは微妙な表情をした。
「フォン・クロイツァーのこと? うーん、あの人はねぇ、なんというかあんまりにも普通だから」
「普通? 十分エキセントリックな人だと思うけど」
「ああ、薔薇の御盾団としては、ということよ。昔からいるの。典型的薔薇の御盾団というか、職務に忠実過ぎるひと」
「狂信的、ということ?」
エヴァはうなずいた。
「伝説のロザリンデさまみたいに、姫様の盾となって死にたい、なんて本気で思ってる人ってこと。おかしいわよね? 伝説を真に受けるなんて」
けれどエリカは、
「わたしは分かる気がするけどな」
とつぶやいた。
「わたしだってクラーラ・・・姫様のためなら」
「そうなの? ああそういえば日本にはカミカゼなんてものがあったわよね」
エヴァは訳知り顔で、
「案外、気が合うかも知れないわよ」
「わたしとフロイライン・コマンダが? よしてよ」
エリカは笑いながら、
「好みのタイプじゃないわ。わたしはもっとかわいい子が好きなの・・・あなたやクラーラ姫みたいな」
「もう、エーリカったら、そんなこと言って。わたしなんかと姫様を並べないでよ」
そう言って二人は顔を寄せてクスクスと笑いあった。
Ⅱ.首都〈ローゼンブルク〉4 に続く