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Ⅱ.首都〈ローゼンブルク〉2


 ヘリコプターは定刻通りに到着した。


 それは旧式のUH-1型ヘリ“ヒューイ”だった。バタバタと騒がしいローター音を響かせて薔薇宮殿(ローゼンホーフ)の正面に設けられたヘリパッドに着陸したのだ。


 機体には濃い緑とオリーブ色のまだら模様のヨーロピアン迷彩が施され、胴体にはローゼンラント王国の国籍標識――模式化された深紅の薔薇に王冠を頂いたもの――が描かれていた。


 要人輸送用なので座席は多少マシなものが据え付けられていたが、有事の際には通常の折り畳み式のベンチシートに付け替えられて実戦に使用されることになっていた。予算が厳しい中でのやむを得ない措置だった


 アリーはアタッシュケースを小脇に抱えて姿勢を低くして後部座席に乗り込んだ。座席に腰を下ろしてシートベルトを締めると機内通話装置(インターコム)のヘッドセットを装着する。


「クロイツァー、着席しました」


 短く報告すると、操縦席のパイロットが振り返り、親指を立てて見せた。ヘルメットとサングラスで表情は見えなかった。


「了解。《ホルニッセ》離陸する」


 聞き覚えのある声が答える。“ヒューイ”はふわりと浮き上がった。


 窓からは薔薇宮殿の全体が見えた。郊外の田園地帯の中に、ぽつんと立っている石造りの修道院。少し離れたところに小さな集落と近衛の駐屯地。それらが見る見る小さくなって行く。


 巡航高度に達するとアリーは旧知の先輩に挨拶した。


「お久しぶりですハンナ姉さま・・・ガーランド大尉」

「ハンナでいいわよアリー。あなたもお元気?」


 いつもの気さくな言葉が返ってくる。


「はい。ハンナ姉さまもお元気そうで」

「まあね。紹介するわ、わたしの副操縦士のツィーグラー少尉よ」

「はじめまして、フォン・クロイツァー上級中隊指揮官」


 そう言ってハンナの隣の席の副操縦士が振り向く。同じヘルメットとサングラスでハンナと見分けはつかなかったが、若い女性であることは声でわかった。


「こちらこそ。アリーでいいわ」

「では私のことはゾフィーと」

「よろしくゾフィー」


 ハンナが補足した。


「ゾフィーも薔薇の御盾団(ローゼンシルト)の出身よ」

「まあ。では先輩ですね」

「正確にはドロップアウトしたんですけどね」


 とゾフィーは屈託なく答えた。


「そうなんですか」

「そう。名誉よりもキャリアを選んだの」


 そしておどけて、


「裏切り者なんて呼ばないでね」

「まさか」


 旧式ヘリの“ヒューイ”のローター音はバタバタとうるさい上に振動も大きい。けっして乗り心地が良いとはいえなかったが、操縦桿を握っているのが薔薇の御盾団(ローゼンシルト)の姉妹達だと思うとアリーは安心して身をゆだねることが出来た。騒音と振動さえも心地よいと思えるくらいだった。


 ほどなくしてヘリコプターは田園地帯を抜けて市街地の上空に差し掛かった。首都ローゼンブルクまではあと少しだった。


「そろそろ到着よアリー」


 ハンナはそう伝えると、


「ね、会議の後に時間は取れないかしら。久しぶりにお話しがしたいわ」


 アリーが午後からシュバルツハイム基地で射撃訓練の予定があると告げると、ハンナは嬉しそうに、

「よかった」と答えた。シュバルツハイム基地にはハンナの所属する第三ヘリコプター中隊が駐屯しているのだ。


「私も今日は午後の飛行予定はないの。姫様の復路の輸送任務はキャンセルになったし」


 キャンセルしたのは私です、とアリーは心の中で答えたが、口に出しては、


「訓練は1400時からですから、それまでなら」

「ならカフェテリアで会いましょう。まずいコーヒーでよければごちそうするわ」

「喜んでいただきます、ハンナ姉さま」


 やがてヘリコプターはローゼンブルクの上空に到達した。西に流れる河と東の山々に挟まれた小さな街だった。ヘリコプターは街の中央にある王宮 (ホーフブルク)へと近づいていった。

 

 王宮 (ホーフブルク)といっても、やや大きめな城館という程度だった。近くには行政府のビルがいくつか隣接していて、このわずか数ブロックが国家の中枢なのだった。


(いつ見ても「小さな政府」だこと)

(私だったら一個大隊もあれば制圧してしまえるわ)


 アリーは取り留めもなくそんなことを考えた。士官学校時代に学んだ対テロ作戦の図上演習(シミュレーション)を思い出したのだ。


 幸いなことに現在のローゼンラントの内外は安定しており、戦乱の兆しなどはないとアリーは信じていた。冷戦時代には東西両陣営の狭間で危ない綱渡りが何度かあったと聞いてはいたが、それもアリーが生まれる前の話だった。


 実際、ローゼンラントは東西どちらの陣営にも属さず、双方と良好な関係を保っていたのだ。その名残として、陸軍の装備はアメリカなど西側諸国から、空軍の装備は旧ソ連から導入していた。


 ただそれらの装備品も今となっては時代遅れのものばかりだった。アリーが今乗っている“ヒューイ”にしてもベトナム戦争の時代に活躍した旧式機だった。


 空軍に配備されている戦闘機も同様で、年代物のミグ21だった。共同訓練で訪れた他国の軍人から『戦争博物館』などと言われて笑われたこともあったくらいだ。


「《ホルニッセ》、着陸する」


 ハンナの声に我に返る。ヘリコプターは王宮の庭園の脇に設けられたヘリパッドへのアプローチに入っていた。


 警備会議は王宮の一隅にある「聖マリアの間」で行われた。近々行われる建国記念日の式典についての打ち合わせだった。


 首都の防衛は伝統として陸軍近衛師団の担当とされていたので、会議の主催者は師団長であるデンペルモーザー将軍だった。出席者は軍、警察、内務省と外務省の実務責任者ばかりで、この会議がきわめて実務的であることを物語っていた。


 薔薇の御盾団(ローゼンシルト)からは首都にある名目上の本部に詰めているアガーテ・ベルナウ大隊指揮官シュトゥルムバン・フューラーと、第二宮殿(薔薇宮殿)の指揮官であるアリーの二人が出席していた。


私たち(ローゼンシルト)は例年通りの警備体制よ」


 会議の前にアリーの直属の上官であるアガーテはそっと耳打ちして教えてくれた。がっしりした体つきで真っ赤な髪をショートにした二十四歳の彼女は『赤毛のアガーテ』と呼ばれていた。アリーと同じく士官学校の出身で、来年には軍に戻ることになっていた。


「この会議も形式だけね。だから雰囲気に馴れておきなさい」

「はい、お姉さま」


 形式だけとは言いながら、真面目なアリーは配布された資料を手に、式典の警備体制についての説明に注意深く耳を傾けていた。


「・・・以上だ。質問はあるかね」


 デンペルモーザー将軍の声に答える者はなかった。だが、アリーはふと気になったことがあって挙手をした。


 将軍は怪訝そうに、


「なにかなクロイツァーくん」

「はい。一点だけ確認をさせて下さい」


 将軍はちらりと他の出席者たちと視線を交わしてから、


「疑問があるのかね」

「はい」

「言って見たまえ」


 アリーは席を立ち、他の出席者たちの迷惑そうな表情にも気づかずに発言した。


「近衛師団が首都に二個大隊ということですが。なぜ例年に倍する戦力が必要なのでしょうか」


 指先でコツコツと机を叩きながら、デンペルモーザー将軍は幕僚の一人を指名した。


「ボルハルツ大佐、この年若い警備隊長を教育してあげてくれたまえ」

「ヤボール。かしこまりました」


 背の高い、頭髪の薄い痩せた大佐が立ち上がり、踵をかつんと鳴らした。そしてアリーに向かって、


「では座りたまえ、上級中隊指揮官くん。君のために分かりやすく説明してあげよう」


 どこか教師然とした口調でボルハルツ大佐は話し始めた。


「軍事的に見た場合、わが首都の天然の要害は、後背の山岳地帯と、その反対側を流れるタウラス河の二つだ。つまり、残りの二方向にそれぞれ一個大隊を配すれば首都の防備は万全ということになる・・・士官学校で習わなかったかね。基礎的なことだよ」


 出席者の間からくすくすとしのび笑いが聞こえた。アリーは感情を出さないよう注意しながら、


「しかし、例年は一個大隊を分散配置して、兵員輸送用のトラックと装輪装甲車の機動力をもって防備に当たっていたではありませんか。我が国は小国です。首都も道路が整備されており、機械化された部隊の展開は容易です。最小の戦力で最大の効果が上げられるのでは」


 隣に座っているアガーテがこっそり袖を引いているのにも気づかずに続ける。


 ボルハルツ大佐はわざとらしく頭を振りながら、


「戦力の分散は愚の骨頂だよ。十分な予備兵力があるなら、集中投入した方がよい。軍事上の常識だよ、君」

「それはそうですが、しかし」

「クロイツァーくん、これは数学の演習問題ではないのだよ。式典の防衛、という目的を達成する方法は一つではない。なるほど君の言う方法でも目的は達成できよう。だが、より確実な方策を考えるなら、今回の布陣は完璧といえる」

「・・・そうですか。安全策ということですね」

「そうとも」


 アリーは一瞬唇を噛み、そして言った。


「もう一つ質問をよろしいでしょうか」

「言ってみたまえ」

「これほどの防備を固める必要があるのですか。何か情勢の変化があったのでしょうか」


 ボルハルツ大佐が答えるよりも早く、将軍が口を開いた。


「いい加減にしたまえアリーくん。情勢の変化などはない。我々軍人は万全を期すものだ。それだけのことだよ・・・さあ、会議はこれで終わりだ。解散!」


 将軍の声に、出席者たちは三々五々席を立ち、退出していく。


「バカね、あなた」


 椅子に座ったまま固まっていたアリーに、アガーテが小さな声で、


「式典の防備は近衛にまかせておけばいいの。私たちは私たちの担当を全うすれば良いのよ」

 そう言われて、アリーは小さく「ヤボール」と答えた。


 デンペルモーザー将軍が近づいて声をかけた。


「いや、ご苦労だった」

「将軍閣下」


 アガーテとアリーは立ち上がり、踵をかつんと鳴らした。


 デンペルモーザー将軍はうむ、とうなずくと、


「アリーくん、良い質問だったよ」


 さっきとは一転してにこやかに語りかける。


「疑問点をおざなりにしないのは立派なことだ。だがね、実務会議は士官学校の講義とは違う」

「申し訳ありません将軍閣下」

「いやいや、気に病むことはないぞアリーくん。それと、君のために補足するなら、今回二個大隊の出動が決まった本当の理由はだな、予算が認められたからなのだよ」

「え、そんな理由なのですか」

「うむ。本来は二個大隊での警備がセオリーなのだ。だが、これまでは予算の都合で一個大隊しか投入出来なかったのだよ。

 ただ今回は国防省の制服組がやり手でね。正規の警備手順の履行をごり押ししたのだ。上層部の勢力争いの余波のようなものだ・・・まあそんなことを会議の席上で言うわけにもいかんのでな」

「そうとは知らず、申し訳ありません」


 将軍はアリーの肩を軽く叩いて、


「まあ良い。なにごとも経験だよ。わしも若い頃はずいぶんと上官にやられたものだよ・・・ところで」


 将軍は髭を撫でながら、


「二人とも、昼食を一緒にどうかね」

「残念ですが将軍閣下」


 アガーテは首を振って、


「わたくしはこれから近衛師団の担当者と当日の警備分担についての確認会議がありまして」

「ああ、そうだったね。ではアリーくんはどうかな」

「はあ」


 アリーがためらっていると、


「いやなにね、実は君に会わせたい人がおるのだよ」


 アリーは軽く首を傾げて将軍を見た。


Ⅱ.首都〈ローゼンブルク〉3 に続く

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