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Ⅱ.首都〈ローゼンブルク〉1


 執務室でバターを塗っただけの黒パンとコーヒーという簡単な朝食を終えた後、アリーは薔薇宮殿(ローゼンホーフ)の中を一回りしていた。いつもの朝の巡察だった。


 背筋を伸ばし足音をたてて堂々と歩むその姿に、すれ違う武装護衛官(ワッヘン)一般団員(アルゲマイネ)の少女たちは姿勢を正して挨拶した。


おはようございます(グーテンモルゲン)指揮官どのフロイライン・コマンダ


 声を掛けられる度にアリーは相手の目を見ながら、こくっ、とうなずいて返事に代えた。その姿は堂々としていて、とても十七歳の少女とは思えない。まるで将軍のような威厳があった。


 伝統により団員たちのほとんどは十四歳から二十歳台前半の少女だった。


 たいていは二十三、四までには退団して、それぞれの道を進むのだが(二十台後半で未だ現役のムッター・ハイジは、だから希有な存在だった)、この国では薔薇の御盾団(ローゼンシルト)出身、という事実はたいへんなステイタスと考えられていた。


 俗に『嫁にするなら薔薇の御盾団(ローゼンシルト)出』などと言われていたし、再就職先にも困らない。だから入団希望者は毎年一定数いた。少女たちの憧れの職業のひとつだったのだ。


 また、軍部や実業界にもOGが多く、元団員たちはローゼンシルト協会フィーアバンド・ディア・ローゼンシルトという民間の互助組織を結成し、独自のネットワークを築いてそれぞれの分野で活躍していた。


 もちろん、一部にはそうした組織のありよう、特に秘密結社めいた数々の伝統を毛嫌いする者もいたが、国民の大多数は薔薇の御盾団(ローゼンシルト)の制度を歓迎していた。


 それは、いまだ身分制が色濃く残る旧態依然とした社会にあって、実力さえあれば認められる薔薇の御盾団(ローゼンシルト)は社会的な自立を目指す女性にとって魅力があったからでもある。


 けれど、アリーは現在のそうした薔薇の御盾団(ローゼンシルト)を巡る状況に苛立ちを感じていた。


(私たちはそんな世俗的な組織ではないわ)


 そんな反発心があったのだ。


(姫さまのために、わが身を盾として差し出す。それは究極の忠義であり、美しい行為のはず。それなのに世間には薔薇の御盾団(ローゼンシルト)を出世の道具のように考えている人たちがいる)


 それはなにか汚らわしい考えのような気がしてアリーには許せなかった。


 幼い頃から聞かされていた薔薇の御盾団(ローゼンシルト)の成り立ちの伝説は彼女にとって神聖で犯すべからざるものだったのだ。


 伝説によるとローゼンラント王国の草創期にマリアという名の姫がおり、ロザリンデという名の貴族の娘と親交を結んでいたという。


 ある戦の折り、敵国の刺客がマリア姫暗殺を企てた。この時、たまたま居合わせたロザリンデは自らの体を盾として刃を受け、命と引き換えにマリア姫を守ったと伝えられていた。


 それがきっかけとなって王族の姫君を守るために少女騎士団が結成されたのだ。王国の名と、美しき薔薇(ロザリンデ)の名に因んで薔薇の御盾団(ローゼンシルト)と名づけられた。


(伝統ある、誇り高き薔薇の御盾団(ローゼンシルト)


 そのことを考える度にアリーの心は痺れるような感動を覚えるのだった。


(いつか私も姫の前にこの身を投げ出すのだ)


 それは彼女にとって信仰にも等しい思いだった。そのためにこそ自分はいる。アリーはそう信じていたのだ。


「フォン・クロイツァー上級中隊指揮官どのオーバーシュトゥルム・フューラー


 廊下でそう呼び止められてアリーは振り向いた。相手には心当たりがあった。こんな堅苦しい呼び方をするのは一人しかいなかったからだ。


「なにかしら、ヒルデ」


 彼女の後ろに直立不動で立っていたのは想像通り副官のヒルデガルド・エバーバッハ下級中隊指揮官ウンターシュトゥルム・フューラーだった。制服はむろん武装護衛官(ワッヘン)のものだ。


「報告いたします」


 くすんだ金髪を後頭部でひっつめたヒルデは手にした小型のタブレット・パソコンに視線を落としながら、


「陸軍の輸送ヘリはシュバルツハイム基地を離陸いたしました。到着予定時刻(E T A)は0925時。また、式典のリハーサルは姫さま不在を織り込んでスケジュールを変更。薔薇宮殿(ローゼンホーフ)の警備シフトには変更なし。以上であります」


 きびきびとした口調でそう報告すると、ヒルデは視線を上げてまっすぐにアリーの目を見た。その灰色の瞳は、いつものように冷静な輝きを放っていた。


けっこう(グート)


 アリーが短く答えるとヒルデはかつん、と踵を鳴らして姿勢を正した。


「いつも助かるわ、ヒルデ」


 アリーの労いの言葉にヒルデは片方の眉を吊り上げて見せた。


「副官として当然の仕事です」


 そして、言わずもがなのことを付け加えた。


「姫さまの件を除いて後はすべて予定どおりです」

「そうね。不測の事態だったわ」

「・・・少々お時間をよろしいでしょうか、指揮官どのフロイライン・コマンダ

「よろしくてよ」 


 ヒルデは少しためらってから、


一般団員(アルゲマイネ)のフロイライン・エーリカの件です」

「ああ。夕べの事ね」

「ヤー。彼女の行動は重大な規律違反です。何らかの処分が必要と考えます」


 真顔でそんなことを言う。


「なるほど。見過ごせない過失だと?」


 そう問い直すアリーにヒルデは首を横に振った。


「過失ではありません。ほとんど妨害行為(サボタージュ)と呼ぶべきものです」


 大げさな物言いにアリーは微かに眉を寄せた。


妨害行為(サボタージュ)ですって?」

「ヤー。彼女の勝手な行動のせいで姫さまは発熱され、式典のリハーサルが滞ってしまいました。国事行為に対する立派な妨害行為(サボタージュ)です」


 大真面目なヒルデにアリーも大真面目に答えた。


「あなたの指摘はもっともですフロイライン・ヒルデガルド。彼女の行動は罰に値します」


 うなずくヒルデに、しかしアリーはこう続けた。


「けれど、その行動は姫さまを想ってのこと。その想いを罰することは出来ません。それに彼女にはムッター・ハイジが口頭で注意を与えています。ひとまずは様子を見ます」

「そうでしたか」


 やや不服そうにヒルデは答えた。


「差し出たことを申し上げました」

「いえ、いいのです。助言に感謝します、フロイライン・ヒルデガルド」


 一礼するヒルデにアリーは満足げな視線を送った。自分以上に真面目なヒルデは彼女にとって得難い副官だった。多少融通のきかないところはあったものの、信頼できる部下だったのだ。



 アリーが宮殿を一巡りして執務室に戻ると、室内にはムッター・ハイジのほかにもう一人いた。


「マイヤー少尉。また来たの」

「なにね、コーヒーを目当てにね」


 そう言ってカップを上げて見せたのは近衛師団の制服を着た青年将校だった。


 薔薇宮殿(ローゼンホーフ)内の警備は薔薇の御盾団(ローゼンシルト)に任されていたが、宮殿を含む地域一体の防衛は近衛師団の第一連隊の担当だったのだ。


 そして、その第一連隊の連絡将校(リエゾン・オフィサー)であるハンス・マイヤー少尉は警備上の連絡と称して毎日のように薔薇宮殿(こ こ)を訪れていた。


「コーヒーなら近衛の詰所にもあるでしょうに」


 そう言うアリーに褐色の髪の青年は、


「いやあ、半径1㎞でフロイライン・アーデルハイトの煎れたコーヒーに勝るコーヒーはないですよ」


 そう言って片目をつぶる。ハイジはそう聞いて、


「あらあら、お上手ですこと」

「ほんとうですよフロイライン・アーデルハイト。あなたはコーヒーの天才ですね」


 この歯の浮くような軽薄な物言いにアリーは冷たい笑みを浮かべて、


「ムッター・ハイジ、ハンス坊やをあんまり甘やかさない方がいいわ」

「相変わらずきついなあ、アリー」


 そう笑いかけるマイヤー少尉にアリーは毅然として、


「ハンス・マイヤー少尉。職権乱用だわ。これ以上無駄話を続けるなら、職務怠慢を師団本部に連絡します」

「待てよ、そう堅いこと言うなよ。士官学校の同期じゃないか」

「公私混同はしません」


 とりつく島もないアリーの態度にマイヤー少尉は苦笑いを浮かべた。アリーはことさら冷たい口調で、


「仕事の最中に無駄話はしない主義なの」

「なら非番のときにでも・・・」

「そうね。非番の時ならね。でも今はあなたも私も任務中だわ。用が無いなら持ち場に戻りなさい」

「・・・せめてコーヒー一杯くらい」

「十秒上げます」


 マイヤー少尉は慌ててコーヒーを飲み干すと、挨拶もそこそこに部屋を出ていった。やがて窓の外から少尉が乗ってきた四輪駆動車のエンジンの音が聞えた。徐々に遠ざかって行くその音を聞きながらアリーは憤然として、


「まったく、なんて男かしら。呆れてしまうわ」


 けれどハイジはおかしそうに、


「かわいそうなマイヤー少尉。想いは伝わらず、ね」

「なによ、それ。あ、もしかしてあの男、ムッター・ハイジが目当てで毎日来ているのかしら」


 ハイジは奇妙な表情でアリーを見た。


「あなたはそう思うの?」

「違うの? コーヒーが目当てだって言っていたけど、口実でしょ、それは」


 少尉の飲んでいたカップを片付けながらハイジは、


「彼、コーヒーが冷えてしまうまでここにいたのよ。どうしてだと思う?」

「そりゃあ、ムッター・ハイジと一緒にいたかったから、でしょう」

「そういう解釈も成り立つわね、たしかに」


 くすくす笑いながら、


「でも他の可能性を考えても良いのではないかしら」

「なによ、いったい」

「誰かを待っていた、とか」

「待つ? 他にお目当ての子がいたということ? とんでもないわ、あの男。うちの子たちに手を出したらタダじゃおかないんだから」

「あ、そっちなのね」

「なに?」


 きょとんとしているアリーにハイジは笑いながら手を振った。


「いいの、気にしないで」


 なんとなく釈然としないままアリーは腕を組んで、


「まったく、あの男、士官学校を出てようやく縁が切れると思ったら。選りによってこの管区の担当になるなんて」

「そうなんだ」


 どこか楽しげなハイジの態度をいぶかしみながらアリーはつぶやいた。


「男なんてみんな始末に負えないんだから」


 そのとき、電話のベルが鳴った。ハイジが受話器を取る。二言三言話すと、送話口を押さえてアリーに手渡した。


「もうひとりの始末に負えない男からよ」


 怪訝な顔で受話器を耳に当てて、


「クロイツァーです」

「ああ、アリーくんか。わしだ」


 アリーは思わず背筋を伸ばした。


「デンペルモーザー将軍! どうされたのですか、直々のお電話とは」

「いや、なにね、姫さまのお加減はどうかと思ってね」


 電話の相手は近衛師団長であり、薔薇の御盾団(ローゼンシルト)の(名目上の)団長でもあるアロイス・デンペルモーザー上級大将ゲネラール・オーバーストだった。


「はい。ドクトル・ドレスナーの診察をお受けになられました。軽い風邪とのことで、本日はベッドで安静になさっておいでです」

「そうか。お部屋で休まれているのだね」

「はい、将軍閣下。ご心配をお掛けして申し訳ありません」


 将軍は穏やかな口調で、


「謝る必要はない。君の指導者ぶりは聞き及んでいるよ。立派なものだ」


 上機嫌でそんなことを言う。アリーは将軍が機嫌のいい時に自分のあご鬚をいじる癖があることを思い出していた。


(きっといま鬚をいじっているわ、この男)


 微かな不快感に苛立ちながら、けれどアリーは答えた。


「恐縮です」

「君を薔薇宮殿(ローゼンホーフ)の責任者に推したわしの面目も立つと言うものだ。これからも頼んだよ・・・それと、今日の警備会議には出席するのだろう?」

「ヤー」

「そうか。待っているよ」

了解いたしました(ヤボール)将軍閣下(ヘル・ゲネラール)


 そう答えて受話器を置く。


「アリー、眉間」


 ハイジにそう言われて苦笑する。


「そんなに不快な電話だったの?」

「いいえ。いつもほどじゃないわ。どうしてこんなくだらない電話をかけてくるんだろう、て思うだけよ」

「忠誠こそ我が誉れ、ではないの?」


 そうからかうハイジに、


「私の忠誠心はすべて姫さまに向けられているわ。首都でふんぞり返っている将軍なんて問題外よ」

「あらあら。優等生のアリーとも思えない答えね」

「私にだって感情はあります。それに、この場だけのことよ。ムッター・ハイジだから甘えているの」

「あらうれしい」


 ハイジは笑い、コーヒーポットに手を伸ばした。


「いかが? 私のコーヒーは半径1㎞では一番らしいわ」

「ありがとう。いただくわ」


Ⅱ.首都〈ローゼンブルク〉2 に続く

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