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Ⅰ.薔薇宮殿〈ローゼンホーフ〉3


 ベッドの中でクラーラはうつらうつらしていた。


 ドレスナー医師の処方薬はいつもよりも弱めだったが、敏感なクラーラには利きすぎるのだった。


 かすかな気配に目を開ける。ベッドサイドにはエリカがいて、昨夜の雑誌を片付けているところだった。


「エリカ、おはよう」


 整理の手を止めてエリカは姫に微笑みかけた。


「おはようございます、クラーラ姫」


 そして気遣わしげに、


「お加減はいかがですか」

「悪くないわよ。ドクトルのお薬で眠いだけ。みんなで寄ってたかってわたくしを病人みたいに扱うんだもの」

「でもお熱がおありでしょう」

「そんなの、いつものことじゃないの。だいたいアリーは大げさなのよ」


 エリカはそろえた雑誌をサイドテーブルに置くと、


「クロイツァー伯は心配性なのですわ。過保護の母親みたいなものです」

「もちろんわかっているわ。でも、真面目すぎる気がする。エリカぐらいものわかりが良ければいいのに」

「姫さまのお気に入りですものね、クロイツァー伯は」


 クラーラはくすっ、と小悪魔じみた笑みを浮かべた。


「妬いてるの、エリカ?」

「めっそうもない」

「安心して。アリーも好きだけど、あなたも好きよ、エリカ。同じ『好き』ではないけれど」

「わかっていますわ、姫さま」

「もう、二人きりの時はクラーラと呼んでよ。わたくしたち、友達でしょう」

「わかっています・・・クラーラ」


 エリカは声を低くして答えた。万が一にも隣室の武装護衛官(ワッヘン)に聞かれたら何を言われるかわからない。


 クラーラは満足そうに、


「他の人のことなんか気にしないで。あなたはただ一人の・・・わたくしのエリカなのだから」


 エリカはにっこりと笑って、クラーラの額にかかる前髪をやさしく直した。


「わたくしはあの時のことを忘れないわ、エリカ。初めて会った日のことを。あのパーティーの時、退屈していたわたくしと、同じように退屈していたあなた」

「半導体工場の竣工記念のパーティーですものね。地味なことこの上無かったです」

「わたくしね、正直出たくなかったの。でも急用の父王陛下の代理で仕方なく」

「私もです。風邪をひいて寝込んだ母の代わりに、工場長の父と一緒に出るハメになって。でも、」


 そのおかげで出会えたのだ、という言葉を呑み込む。それは二人にとってもはや当たり前の認識だった。


「あの頃、私はまだドイツ語が話せませんでした」


 エリカは当時を思い出しながらつぶやいた。


「なのに、どうして姫さま・・・クラーラのことが気になったのか。ただ目が合っただけだったのに。一言も言葉を交わさなかったのに。不思議です」

「すこしも不思議じゃないわ」


 クラーラは熱心に言った。


「わたくしたちは出会う運命だったのよ。あの時、目が合った瞬間にわかったの。ああ、この子とは友達になるって。あなたもそうだったのでしょ、エリカ?」

「はい。私、あのパーティーの翌日に父に頼んでドイツ語教室に編入してもらったんです。どうしてもクラーラとお話しできるようになりたくて」


 それが二年前のことだった。豊富な地下資源と、勤勉で有能な労働力を求めて日本の大手電子機器メーカーがローゼンラント王国に工場を建設したのだ。


 会社の重役だったエリカの父が工場長に任命され、家族を連れてやってきた。だが、世界的な不況の影響で、わずか一年で工場は閉鎖されることになった。当然、エリカも両親と一緒に日本に帰るはずだった。けれど、


「この国に残りたい、と無理を言ったのも、もう一度クラーラにお会いしたかったからです」

「よくお父様がお許しになったわね」

「私の頑固さはよく知っていますから。それに」

 

 ポケットから携帯電話を出して見せた。


「これで毎日連絡することを条件に許してもらいました」

「衛星携帯ね。それ、日本に直接通じるのでしょう?」

「世界中どこへでも、です。あと、今はインターネットもありますし」

「さすが日本はハイテクの国よね。わが国みたいな旧態依然とした古い国とは違うわ」

「日本だって歴史は古いですよ」

「でも、今ではサムライやニンジャはいないでしょう? わが国にはいまだに騎士団があるし。まるで中世みたいに」


 そう聞くと、エリカはベッドのクラーラに顔を近づけ、囁くように、


「でも、そのおかげで、こうしてお側に来られました」

「試験・・・たいへんだったでしょうに」

「いいえ。またクラーラに会えることを考えたら、ちっとも」


 そう聞いて、クラーラはうっとりと、


「去年の入団の儀式の時、あなたを見つけた時は夢かと思ったわ。わたくしもずっと、あのパーティーの夜以来、もういちどあなたに会いたいって思っていたから」

「はい。あの時、クラーラも私と同じ気持ちだったんだ、とすぐにわかりました」

「でも、その日からまたしばらく会えなかったのよね?」

「はい。新任の指揮官どのフロイライン・コマンダが厳しいお方で」


 エリカはくすくすと笑いながら、


「クロイツァー伯は礼儀と形式を重んじる方ですから。姫さまと過度に親しくなってはならない、といわれました」

「そうよね。だからわたくしが雑用を命じないと、満足に話す時間さえ取れない」


 常に姫の側で警護の任につく武装護衛官(ワッヘン)と違い、一般団員(アルゲマイネ)は事務などの支援業務が主な仕事だった。

 

 試験も筆記と面接のみで(身辺調査はあったが)比較的ひろく門戸が開かれていた。対照的に、武装護衛官(ワッヘン)になるには筆記と面接に加えて戦闘術の実地試験があった。


 そんな理由もあり、武装護衛官(ワッヘン)は陸軍幼年学校の出身者が大半だった。


 もともと薔薇の御盾団(ローゼンシルト)とは武装護衛官(ワッヘン)のみを指していたのだが、近代になって軍隊に準じた組織として再編されたときに、支援のために設けられたのが一般団員(アルゲマイネ)なのだった。


「でもね、悪いひとではないのよ」


 と、クラーラはアリーを弁護した。


「あのひと、士官学校出ということで、将来の 連隊指揮官シュタンダルテ・フューラーにと期待されているの。だからあの年で薔薇宮殿(ローゼンホーフ)の警備責任者を任されているのだし。職務に忠実な優秀なひとよ。まあ、忠実すぎるきらいはあるけれど」


 そう聞くと、エリカはおかしそうに、


「ええ。委員長タイプのひとですわね」

「イインチョー? ああ、あのマンガに出てくるアレね」


 クラーラもくすくす笑いながら、


「エリカの見せてくれる日本のマンガはとてもおもしろいわ。絵もきれいだし。お話も変っていて飽きないわ」

「どんなお話がお好みですか。よろしければまた用意しておきます」

「そうね。やっぱりわたくし、学園物がいいわ。日本の女の子たちの日常を描いた」


 クラーラは瞳を輝かせて、


「エリカが話してくれた日本の学校ってなんだか楽しそうなんだもの」

「どんなところがお気に入られたのですか」

「全部よ! でも、そうね、特に気に入ったのはお昼の時間かしら」

「お昼ですか」

「そうよ! 仲良しどうし机をくっつけて、オベントーを食べるの。オカズの交換をしたり、おしゃべりしたりしながら」


 妄想が止まらなくなったのか、クラーラはしゃべり続けた。


「それで学校の帰りに寄り道したり、誰かのうちにお泊まりしたり、好きな子の告白を手伝ったり、ケンカしたり、仲直りしたりするの」

「みんな普通のことですわね」


 エリカはぽつりとつぶやいた。


「ごく普通の、平凡な女の子たちの」


 けれど、クラーラは真剣な顔で言った。


「わたくしにとっては夢物語だわ。ああ、出来ることなら日本の学校に通いたい。エリカと並んで登校したり、授業中に私語をして先生に注意されたいわ」

「夢物語」


 エリカはそう聞くとふっと真顔になって、


「私には今の境遇が夢みたいです」

「夢?」

「はい。日本人の私がヨーロッパの王宮でお姫さまにお仕えしているなんて。まるで物語、いえ、お伽話です」

「そう。エリカにとっては今が夢なのね」

「はい。とても美しい夢です」


 クラーラは頬を染めて、


「ならわたくしはあなたの夢の一部なのね」

「ご無礼かと存じますが」

「無礼だなんて。うれしいわ。それに、わたくしにとってもエリカは夢なの。不思議な、日本という夢の国の消息を伝えてくれる黒い髪の天使」

「まあ」


 今度はエリカが頬を染める番だった。


「もったいないお言葉です、クラーラ姫」

「姫はやめてったら」


 ベッドの中から白い細い手を出す。エリカは当然のようにその手を握った。


「・・・やはりお熱があるようですわね」

「そうよ。エリカと一緒にいるといつもそう。体がぽっとして、なんだか踊り出したいような、歌いたくなるような気分になるの。この気持ちはきっと誰にもわからないわ・・・ああ、もちろんエリカは別だけど」


 そしてうっとりと、


「お父様にも、お母様にもわからない。残念だけどアリーにすら」


 クラーラはエリカの指に自らの指を絡めた。


「わたくしたちを理解できる人なんて、きっと地上には一人もいないんだわ。だからみんなしてわたくしたちを引き離そうとする。いじわるばかりするんだわ」 


 熱に浮かされたようなクラーラの言葉をエリカは静かに微笑みながら聞いていた。すべてを受容するような穏やかな表情だった。だが、無言で微笑むエリカに、クラーラは何かを察してはっとした。


「もしかして、誰かに何か言われた?」

「大したことではありません」

「叱られたの?」

「・・・クラーラに夜更かしをさせてしまいました。お熱が出たのはそのせいです」

「そんな! 無理を言って呼びつけたのはわたくしなのに」


 起き上がろうとするクラーラをエリカはやさしく押し留めた。


「私は何を言われても気にしません。そんなことはどうでもいいことなんです。ただクラーラをお慰めできれば」

「・・・ごめんなさいエリカ。わたくし、わがままだったわね?」


 涙ぐむクラーラに、エリカは静かに答えた。


「いくらでもわがままをおっしゃってください。エリカはどのような責めをも厭いません」


 そして憂い顔のクラーラを安心させるように、


「とはいえ反省すべき点はありますわ。そう、たとえば雑誌を出しっぱなしにして忘れてしまいました。スタンドも元の場所に戻しておくべきでしたわ」


 きょとんとしているクラーラに、


「私、ほんとうは悪い子なんですのよ。ズルをするのが得意なんです。今回は失敗しましたけれど、次はうまくやれると思います」

「エリカ、あなたって」


 クラーラは一転して笑いをこらえながら、


「最高だわ。すてきよ、わたくしのエリカ」

「光栄ですわ」


 そして二人の少女は、低い声でくすくすと笑いあった。


「さあ、朝食になさいませ。すこし遅くなりましたけど、抜いてしまうのはお体に障ります」

「よろしくてよ・・・エリカが食べされてくれるなら。いつかみたいに口移しで」

「まあ」


 頬を染めてそんなことを言うクラーラに、エリカはにかんで答えた。


「赤ちゃんみたいですわよ、クラーラ」

「いいわ、赤ちゃんでも。ねえ、エリカお母さん(ムッター・エリカ)

「はいはい、ではいい子にしていてくださいね」


 エリカはそう言うと、クラーラの頬に軽く唇を触れた。


 クラーラはくすっぐたそうに小さな笑い声を立てた。


Ⅱ.首都〈ローゼンブルク〉1 に続く 

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