Ⅳ.王国〈クインダム〉1
無線通話で《ホルニッセ》のハンナとの打ち合わせを終えると、アリーはクラーラ姫を先導して寝室を出た。日本刀を手にしたエリカが続く。
東棟の廊下には『元』ローゼンシルトの少女たちの姿は見えなかった。だが、建物の外からは複数の軍用車両のエンジン音が聞こえていた。走り回る軍靴の足音、戦闘服の装備品がぶつかるカチャカチャという音も聞こえる。
それは士官学校卒のアリーの良く知っている音だった。進軍する兵士たちが立てる音。戦闘の前触れの音だった。
「姫様、こちらの扉から中庭へ」
コルト大型拳銃を手にしたアリーが周囲を警戒しつつ建物を出る。クラーラ姫もそれに続いた。殿のエリカは油断なく背後に目を配りつつ姫の背後を守る。
甘い薔薇の香りが三人の少女たちを優しく包み込んだ。
だが、少女たちは一様に息を呑み、思わず立ち止まった。
アリーはクラーラ姫とエリカと一緒に中庭の薔薇園にいた。空は真っ青に晴れ上がり、どこまでも高い。が、もう西の空の端がオレンジの光を帯びつつあった。
薔薇園にいるのは三人だけではなかった。
突撃小銃で武装した完全装備の兵士たち――男たち――が中庭を取り囲んでいたのだ。
アリーは大型拳銃を持っていたし、エリカも日本刀を持ったままだったが、さっきのようなハッタリが効く相手ではないことは明白だった。
「抵抗はやめるんだアリー」
兵士たちの指揮を執っているのは近衛師団のハンス・マイヤー少尉だった。
「頼むから武器を捨ててくれ」
だが、アリーは銃を手放さなかった。薔薇の花畑の中で、クラーラ姫を挟んで日本刀を持ったエリカと背中合わせに立っている。
ハンスは必死に説得を続けていた。
「お願いだ、アリー。ぼくなら君を助けられる。だから武器を捨てて投降してくれ」
アリーはその言葉を聞きとがめた。
「助けられる? それは姫さまも、ということ?」
ハンスは弱々しく首を横に振った。
「君だけならなんとかなるということだよ。いや、エーリカもだ。その子は日本人だろう? 国外追放という形で日本に帰してあげられる」
「姫さまは? 姫さまは助けてくれないの?」
「無理だよ。それは無理だ。わかるだろう? これはクーデターであると同時に革命でもあるんだ。王室は、その存在そのものが悪なんだよ」
「それが近衛の言うことなの? この恥知らずの卑劣漢!」
罵声を浴びせられて、ハンスは顔を歪めた。
「わかってくれ、アリー。君を失いたくないんだ。今ならまだ間に合うんだ。姫を引き渡してくれれば、大統領代行を説得してみせる。反逆者にならなくて済むんだよ」
「それは違うわ、ハンス」
「違う? 違うって何が」
「反逆者はあなたたちでしょう」
ぴしゃりと言われて、ハンスは顔色をなくした。
「頼むよ、アリー。ぼくに撃たせないでくれ」
アリーはチラリと腕時計を見た。時間だった。
「聞いて、ハンス」
「なんだい」
アリーは思い切り顔を歪めて言った。
「裏切り者!」
そう言われてハンスは頭を抱えた。
その時、西棟の屋根の上に、突然ヘリコプターが現われた。同時にバッバッバッバッ、というローターの風切り音が辺りに響く。匍匐飛行(超低空飛行)で接近していたヘリが建物の手前でいきなり高度を上げたのだった。
ヘリは屋根を越えると、高度を下げて中庭に強行着陸した。激しい風圧に、薔薇の花弁がまるで吹雪のように舞い上がり、むせ返るような薔薇の花の香りが広がる。
「撃つな!」
ローター音に負けないようハンスが怒鳴っているのが聞えた。
「撃つんじゃない!」
機体後部のドアを開いてクラーラ姫とエリカを乗せると、アリーは操縦席のドアを開いた。
飛行服姿の女性パイロットが、にっこりと笑っていた。
「ハンナ姉さま」
「さあ、副操縦席に着きなさい」
見ると、隣の席には誰も乗っていない。
「副操縦士はどうしたのですか」
「置いて来たわ。反逆者は少ない方が良いでしょう?」
「そうですわよね。ええ、もちろん」
そして拳銃を操縦席のハンナに突きつけた。
「何の真似かしら」
落ち着いた声で問われてアリーは、
「“反逆者”は少ない方が良いでしょう? それにハンナ姉さまには旦那様とお子さんがいらっしゃるはずです」
「そ、か。気を使ってくれたのね?」
「はい。ですから手を上げて下さい」
ハンナが操縦席から降りるのと入れ替わりに、アリーが乗り込む。
「この機種は操縦に癖があるの。進み癖があるから気をつけて」
「ありがとうございます」
ハンナが機体から離れたのを確認して、アリーは左手のレバーを軽く引いた。ヘリはふわりと浮き上がり、そのままズルズルと前進を始めた。正面にいた兵士たちに向かって突っ込んで行く。
アリーは慌てて操縦桿を引いた。今度は機体は後ろへと流され、後方にいた兵士たちを慌てさせた。形の上ではヘリで兵士たちを蹴散らす格好になった。
「乱暴ね、アリー」
後部の客席にいるクラーラ姫から機内通話装置を通して非難の声が聞えた。
「いえ、これも作戦のうちです」
そう言って誤魔化すと、今度は慎重にレバーを引いて垂直に上昇する。薔薇園の隅で腕組みをして立っているハンナの姿がチラリと見えた。(だから言わんこっちゃない)という顔をしていた。
ヘリは見る見る高度を上げた。ハンスは発砲許可を出さなかった。兵士たちは夕映えの迫る空を背景に、遠ざかっていくヘリのシルエットを見上げているばかりだった。
Ⅳ.王国〈クインダム〉2 に続く