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Ⅰ.薔薇宮殿〈ローゼンホーフ〉1


薔薇誓詞ローゼンフェアシュプレッヒェン


 われはここに集いたる薔薇の姉妹たちの前に厳かに誓わん。


 われはわが愛する姫君の御盾(みたて)となり、もって国家安寧の礎とならんことを。


 わが生涯を清く過ごし、わが務めを忠実に果たさんことを。


 われは薔薇の姉妹たちに、姉妹として当然の尊敬と感謝の念を捧げんことを。


 ひとたび薔薇の御盾となったわれは、死した後までも未来永劫薔薇の御盾であることを。


 われはすべてを姫君に捧げ、姫君の御為(おんため)とあらば、いかなる犠牲をも厭わぬことを。


 われはこの崇高なる名誉と伝統とを堅持せん。



Ⅰ.薔薇宮殿(ローゼンホーフ)


 その日の朝もアリーは自室で身支度を整えるために鏡の前に立った。


 鏡に写っているのは黒いジャケットに黒いズボンという、凛々しい制服姿の十七歳の少女の姿だった。


 白い肌と淡い緑の瞳、ショートのプラチナブロンドの髪先は軽くカールして薔薇色の頬にかかっていた。その面差しは年齢の割には大人びて見える。


 アリーは鏡の中の自分の姿を見つめながら腰のベルトに短剣を()き、薔薇の紋章が入った深紅の腕章を左腕につけた。そして髪を軽くかき上げ、耳にイヤフォン型の小型無線機 (ウォーキートーキー)を装着する。


 朝の儀式ともいえる一連の動作を終えるとアリーは自室を出た。早朝の人気の無い廊下にカッカッカッと小気味良い靴音が響く。


 ここは中部ヨーロッパに位置するローゼンラント王国、その郊外の農村地域に建っている第二王宮だった。


 元々は数百年前に建てられた修道院であり、文化遺産とも言うべき歴史的建築物だった。石造りの古めかしい建物は宮殿と呼ぶにはあまりにも小さく、地味だった。


 王と妃の住む王宮(ホーフブルク)は首都にあり、この建物は王女の住まう離宮(ヴィラ)として使用されていたのだ。中庭には薔薇園(ローゼンガルテン)があり、それにちなんで薔薇宮殿(ローゼンホーフ)とも呼ばれていた。



 宿舎と執務室のある東棟を出たアリーは隣の西棟へとつながる渡り廊下に足を進めた。


 屋根と柱だけで吹きさらしの渡り廊下は薔薇園(ローゼンガルテン)に面しており、アリーは咲き乱れる薔薇を横目に見つつも歩を緩めずに通り過ぎる。


 頬に当たるひんやりした空気が彼女の気持ちを引き締める。秋の気配が漂う朝だった。


 西棟に入るとアリーはまっすぐに薔薇の間(ローゼンカンマー)に向かった。


 樫の木の重い扉を押し開いて室内に入る。中には美術品や昔の武器などが博物館のように陳列されていた。

 

 厳めしい甲冑や様々な剣や槍の数々。珍しいものでは友好国の日本から贈られた一振りの日本刀がガラスケースの中に展示されていた。


 アリーは部屋の正面の壁に掲げられた盾の前に立った。薔薇の紋様の浮彫りが施された盾。その紋様はアリーの腕章と同じデザインだった。


(われらが始祖、ロザリンデさま。どうかわれらを導きたまえ。あなたがそうであったように、われらもまた薔薇の御盾(ローゼンシルト)としての務めを果たせますように)


 声を出さずに祈りを捧げる。それは彼女のふたつ目の朝の儀式、誰にも話したことのない秘密の習慣だった。


 アリーはくるりと回れ右をして、ふたたび足音を立てて部屋を出た。そうした所作は士官学校で身に付けたものだ。


 階段を昇り二階の寝室のドアの前に立つ。トントントン、と三回ノックし声をかける。


「グラーフィン・アリアドーネ・フォン・クロイツァーです。お目覚めですか。ドアをお開けしてよろしいですか」


 部屋の中から、鈴の音のようなかわいらしい声で、


ええ(ヤー)


 という返事が返って来た。アリーはドアを開き室内に入った。


 部屋の中央には天蓋付きの古風なベッドがあり、ひとりの少女が横になっていた。


 金色の豊かな髪と青い瞳。気品のある顔立ちの美しい少女だった。上掛けから覗く薄い胸と華奢な手足は十四歳という年齢よりも幼く見えた。


おはようございます(グーテンモルゲン)クラーラ姫プリンツェス・クラーラ


 アリーの挨拶にベッドの少女は半身を起こしながら答えた。


おはよう(グーテンモルゲン)クロイツァー伯グラーフィン・クロイツァー。お役目ごくろうさま」


 そして気だるい笑みを見せて、


「今日の予定は何だったかしら、アリー」


 クラーラ姫がアリー、と愛称で呼ぶのは二人が幼いころから家族ぐるみでの付き合いがあったからだ。三つ年上のアリーのことをクラーラ姫は姉のように慕っていた。


 アリーは腰に手を当てて、怒ったふりをした。


「お忘れですか姫さま。今日は王宮で建国記念の式典のリハーサルが行われます」


 そう聞くとクラーラ姫はすねたように、


「またなの?  まったく、式典に儀式にリハーサル! わたくしの一生はその繰り返しなのね」

「姫さま」


 たしなめるように、


「未来の女王陛下のお言葉とも思えませんわ。姫さまは唯一の王位継承者なのですよ」

「わかっているわ、アリー」


 ため息をつくと、クラーラは口調を改めて、


「仕度をします。手伝って」

かしこまりました(ヤボール)姫さま(プリンツェス)


 他の国なら姫の身支度は侍女の仕事だった。だが、ローゼンラント王国では身の回りの世話と身辺警護は名誉ある仕事としてアリーのような少女護衛官が担当していた。


 アリーはクラーラの手を取りベッドから起きるのを手伝った。ふとその表情が曇る。


「姫さま、ご無礼を」


 そう断ってクラーラの額に手を当てる。アリーは眉をぴくりとさせて、自分の耳元に手をやり小型無線機(ウォーキートーキー)の通話ボタンを押した。


「こちら《ローゼン(アインス)》。姫さまの寝所です。宿直(とのい)の者はいますか?」


 隣の部屋には常に警護の者が控えているはずだった。イヤフォンを通して返事はすぐに返って来た。


「エヴァです。待機しています」

すぐ来なさい(コメン・ジー)

はい(ヤー)


 カーテンの陰に隠されたドアからアリーと同じ制服を着た少女が入ってきた。鼻のあたりにそばかすのある、あどけない顔立ちの少女だった。ブラウンの髪を三つ編みにしていた。


「お呼びでしょうか、指揮官どのフロイライン・コマンダ

「すぐに御殿医(ドクトル)をお呼びして。姫さまはご発熱のご様子、とお伝えして」

了解いたしました(ヤボール)」 


 姿勢を正してそう答えると、エヴァは部屋を出て行った。


「熱なんてないわ。さっさと着替えさせてちょうだい」


 そういうクラーラに、


「いけません、姫さま」


 断固として言い渡す。


「ドクトルの診察をお受け下さい。すべてはそれからです」

「お堅いこと」


 ややしてドアをノックする音が聞えた。アリーはきびきびと誰何(すいか)した。


「誰か」

「エヴァです。ドクトル・ドレスナーをお連れしました」

「お通しして」

「ヤボール、フロイライン・コマンダ」


 入って来たのは白い髪と髭を持ち、痩せたひょろ長い体を白衣に包んだ男性の御殿医だった。診療鞄を持ったエヴァが続く。

 

 ドレスナー医師はかなりの高齢で、クラーラが生まれた時から宮殿に仕えていた。じっさい、彼女を取り上げたのもこのドレスナー医師だったのだ。そしてこの薔薇宮殿(ローゼンホーフ)に勤める唯一の男性でもあった。


「おはようございます、姫さま。お熱がおありとか」

「そこの武装護衛官(ワッヘン)の隊長が大げさなだけです」


 そう言ってアリーをかるくにらむ。アリーはそしらぬ顔でその視線を受け止めた。


「ほっほっほっ。そう責められてはクロイツァー伯が気の毒というもの。姫さまをお護りたてまつるのが務めですからな」

「われら薔薇の御盾団(ローゼンシルト)はそのために・・・そのためだけに居ります」


 アリーは誇らしげに補足した。


「一千年前からの神聖な務めですわ」


 けれどクラーラはツンとしてこう言った。


「あら、アリー、あなたってそんなお婆さんだったの?」


 そう言われたアリーは澄まして答えた。


「ローゼンバッハ王家の歴史も同じくらいとうかがっております。姫さまもとってもお若く見えますわ。とても千年の姫君とは。そう思いませんこと、ドクトル・ドレスナー?」

「さよう、我ら医師には医学的な場合を除き女性(にょしょう)の年齢を話題にしてはならぬ、というヒポクラテスの誓いがありましてな」


 真面目な顔でそう答える老医師に二人の少女はぷっと吹き出した。


「さあ、姫さま。ご無礼ながらお召し物を。聴診器を使いますれば」

「ヤー」


 クラーラはためらうことなく薄物を脱ぎ捨て裸の上半身を晒した。クラーラにとってドレスナー医師は家族も同然でなんら恥らうことはなかったのだ。


 けれどアリーは、ささやかとはいえふくらみ始めたクラーラの胸を見てそろそろ女医を手配すべきかも知れないと思った。


 ベッドに腰掛けておとなしく診察を受けているクラーラ姫を横目で見ながらアリーは室内に注意を向けた。いつもならきちんと整理されているはずなのにベットサイドのテーブルには小型の電気スタンドと数冊の雑誌が雑然と置かれていた。


 さりげなくテーブルに近づいて表紙を確認する。タイトルは外国語だったので読めなかったが、ファッション雑誌とコミック誌らしいことは想像できた。つと手を伸ばし、ぱらぱらとページをめくる。


(いったい誰がこんな低俗なものを姫さまに)


 微かに眉をひそめる。


(いいえ、想像がつくわ。またあの子ね)


 ドレスナー医師がアリーを呼んだ。診察は終わったらしい。クラーラは再び薄物に袖を通していた。


「よろしいですかな、指揮官どのフロイライン・コマンダ

はい(ヤー)。いかがですか」


 重々しく、医師は答えた。


「さよう、お風邪を召してらっしゃいます」

「重篤ですか」

「いえ、ごく軽いものですな」

「お薬を?」

「必要です。あとで処方してお届けいたします」

「今日は王宮で式典のリハーサルがあるのですが・・・」

「屋外に立たれますか?」

「その予定です」

「それはお避けになった方が賢明ですな。風に当たられてはお体に障ります」

「わかりました。ありがとう(ダンケ・シェーン)、ドクトル」

 

 ドレスナー医師は一礼すると、ベッドに腰掛けたままのクラーラに向かい、


「それでは姫さま、やつがれはこれにて・・・姫さま、いかがなされましたか?」


 明らかに不機嫌そうなクラーラの様子をいぶかしんで、


「ご気分が()しゅうなられましたかな」

「王宮に行けと言ったり、行くなと言ったり」


 クラーラは仏頂面で、


「わたくしには自由はないのね? わたくしはお前たちの言いなりの人形なんだわ。笑えと言われれば笑い、手を振れと言われればそうする。お前たちの命令で右往左往する囚人なんだわ」

「何をおっしゃいます姫さま」


 アリーは強い口調で、


「みな姫さまのためを思ってのことです」

「いいえ違うわ。みんなあなたたちの都合じゃないの・・・もういいわ」


 そしてベッドに横になると、頭から上掛けを被った。


「安静にしていろ、そうでしょうドクトル?」

「さようでございます」

「ではそうします」

「その方がよろしいでしょう、ええ」

「風邪のせいか、少々気分がすぐれません。すこし眠ります。ふたりとも下がってけっこうです」


 老医師は丁寧に頭を下げると、寝室を退出した。


「あなたもです、クロイツァー伯」


 アリーはため息をついて、


「では失礼いたします、姫さま。のちほどお薬をお持ちいたします」


 だがクラーラは何も答えなかった。



 アリーはドレスナー医師を見送ると、控えの間でエヴァを問いただした。


「正直に言いなさい、フロイライン・エヴァ」


 そばかすの少女は何か叱られるのでは、と不安そうな表情をしていた。


「姫さまの枕元に怪しげな本がありました。誰が持ち込んだか知っていますね」


 エヴァは目をそらした。


「あの、それは」


 言い淀むエヴァにアリーは厳しい声で、


「エヴァ・ケッセル上級団員(オーバーメイデン)!」


 正式な階級で呼ばれたエヴァは気をつけの姿勢をとった。


「改めて聞きます。誰があの本を持ち込んだのです」

「・・・フロイライン・エーリカです。一般団員(アルゲマイネ)の」


(やっぱり)


 アリーは大きくため息をついた。


「説明なさい」

「ヤー。昨夜2300時、姫さまがフロイライン・エーリカを呼び出されて、それで、そのう」

「姫さまがお呼びになったのね」

「ヤー。お眠りになれないとのことで、お話し相手をご所望されました」

「そう・・・それで彼女は何時まで姫さまのお部屋に?」

「0200時頃までです」


 それでは姫は深夜二時まで夜更かしをしていたのか。アリーは口元を引き締め、


「なんてことを。それではお体のお弱い姫さまがお熱を出されたのも不思議ではないわ」


 そう聞くと、エヴァは青い顔で、


「も、申し訳ありません、私はただ、」

「いいえ。あなたを責めているわけではありません」


 エヴァの顔にほっとした表情が浮かぶ。アリーは、


「フロイライン・エヴァ。もうすぐ当直が明けますね。次の者と交代したら、フロイライン・エーリカを探して、執務室に来るよう伝えなさい」

「ヤボール、フロイライン・コマンダ」


 そう言って姿勢を正すエヴァに、アリーはこくっとうなずいて見せた。


Ⅰ.薔薇宮殿〈ローゼンホーフ〉2 に続く

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