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蘇った吉良上野介  作者: デギリ
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元禄14年3月14日(下)

「何卒、今しばらく江戸に留まり、奉答の儀をお務めくださいまし」


「何度も申させるな。

穢れが残るところで帝へのお言葉など預かれんわ。

穢れを祓う禊が終わったらまた来さしてもらいましょう。

おさらばじゃ」 


柳沢に命じられ、勅使を引き止めるべく食い下がる高家の畠山に対して、勅使二人はにべもなく言い放って京都に帰ろうとする。


「そうじゃ、帰る前に吉良上野介の見舞いをしていかねばならん。

畠山殿、上野介のところまで案内してもらえんかの」


「少々お待ちあれ」


畠山は御用部屋の柳沢に面会し、勅使は取り付く島もないが、吉良上野介ならばなんとかなるかもしれないと述べた。


「吉良上野じゃと!」


柳沢は睨みつけた。

吉良自体は無傷であったが、高齢でもあり念をとって医者に見せて控室で休ませている。


綱吉は、吉良義央が不忠者と罵って浅野を蹴り付けたことをひどく喜び、「予を襲おうとした浅野を取り押さえるとは上野介は忠義者よ」と褒めていた。


しかし、その前に義央を罵っていた柳沢にとって彼の功績を認め、更に勅使への依頼を頼むなどもっての外である。


「それ以外に手はないのか?」


「それがしには難しくござる。

長年、朝廷とのパイプを作り、厚い信頼を得られている上野介殿でなければこの難局をなんとかできますまい」


ここで勅使を帰して、これ以上綱吉の信頼を失うわけにはいかない。

苦虫を潰したような顔で柳沢は言った。


「勅使は待たせておけ。

その間に吉良を連れてきてくれ。

わしが頼もう」


やってきた義央に柳沢はにこやかに言う。


「上野介殿、今日はお手柄であった。

あの痴れ者を取り押さえたことには上様もお喜びじゃ。


さて、先日はすまなんだ。

やはり桂昌院様の昇進は貴殿の力が必要じゃ。

まずは穢れが出たゆえに京に戻ると言う勅使を引き留め、奉答の儀を行うようにとりなしてもらいたい」


それを聞いた義央は顔を顰めて言う。


「過分なお言葉をいただき、ありがとうございます。

しかしながら、今日の内匠頭の件、何が原因かわかりませぬが遺恨を抱かせた指南役として私にも責がございます。

謹慎して、柳沢様に先日言われたように隠居しようかと考えております」


ここで義央に責任と言われれば、そもそも内匠頭を選任した幕閣の責任にも及ぶ上に、朝廷とのパイプ役がなくなる。


「待て!

内匠頭は乱心であり、貴殿に責任などないことは明らか。

それよりも桂昌院様の件を途中で放り出すことこそ無責任であろう」


掌を返した柳沢の言葉に義央は心中苦笑いを浮かべる。


「しかし、世人はそうは思いません。

賄賂なり流言なりを弄して、この上野に処罰がないのは片手落ちと噂するでしょう。


職に留まるのであれば、内匠頭の件について幕府としての見解を明らかに示していただけますか」


義央の申し出に深く考えずに柳沢は頷いた。


「よかろう。

内匠頭は斬首じゃ。

その判決の申し渡しで上野介殿の責任ではないことをはっきりと言おう。

だから勅使の件、よろしく頼む」


「畏まりました。

どこまでできるかわかりませんが、微力を尽くしましょう」


義央はそう言って頭を下げた。


言質を取り早速出かけた義央に、宿で面会した勅使は親しげに話しかけた。


「上野介殿、そなたの言った通りになったな。

人が死ぬとは思わなかったが、更に穢れを言い立てやすくなった。

幕閣が慌てふためくのは面白かったのう。

で、次はどうする?」


「あまり強く出て、幕府を怒らせても面白くありません。

ここは駆け引きです。

弱みを見せた幕府に折れるふりをしながら、優位に交渉を行いましょう。


恩を着せて、京に帰るのは止め、場所を変えての奉答の儀は認める。

更に桂昌院の叙位もなんとかしよう、しかしそのためには、かなりの条件を満たす必要があると言うことでどうでしょう。

穢れも生じて焦る幕府に吹っ掛けることです」


義央の答えに勅使はほくそ笑む。


「そして、交渉役には吉良上野介しか認められんというわけじゃな。

よいよい、持ちつ持たれつじゃ。


さて、内々に朝廷でも相談してきた。

上皇様ご執心の大嘗会はもちろん、金のかかる各種儀式はことごとく復活じゃ。

荒れ果てている寺社仏閣の再建、更に関白は大内裏でも作らせるかと言っていたぞ」


大内裏など平安時代以来ではないか、どこまで要求するのかと、煽った義央も驚いたが、どうせ困るのは柳沢である。


「よろしいですな」

とさらりと言う。


「問題は下級公家どもじゃ。

本気で幕府に反対して動き回っておって、幕府と妥協する公家を闇討ちにするなどと抜かしておる。

落とし所というのがわからんとは困ったものやな。

上野介殿もそう思わんか」


老獪な上級公家の冷たい視線がよくわかる。

下級公家を踊らせて取引の材料とした挙句に、使い捨てるつもりであり、その処理を義央にやれと言っているのだ。


「おっしゃる通りでございます。

皆様方に害の及ばぬようにこの上野、全力を上げさせていただきましょう」


義央は淡々と頭を下げた。


勅使との話しは終え、三日後に場所を変えて上野寛永寺で奉答の儀を行うこととする。

朝廷の要求で将軍が江戸城を出るなど前代未聞。

これまで朝廷を押さえ込んでいた幕府の力の衰えと諸大名はとらえるであろう。


柳沢は義央の報告を聞いて苦い顔をするが、桂昌院の件についての話し合いで、勅使達の協力が得られたと聞き、愁眉を開いた。


「あの頑なな勅使達を宥めたとはさすがは上野介殿。

桂昌院様の叙位がうまくいくならば金は惜しまん。

よろしく頼むぞ」


これで綱吉にも報告できると、柳沢はもはや内匠頭のことなど念頭になく、浮き足だった。


陽も落ちようとする頃、内匠頭が預けられた田村家に幕府から目付がやってくる。


「浅野内匠頭儀、先刻御場所柄もわきまえずに、殿中にて梶川与惣兵衛を斬り殺したこと、誠に不届き千万。

よって斬首を申しつける。


なお、乱心した浅野を取り押さえた吉良上野介においてはその働き、見事なものであり、武士の誉であると上様からお褒めの言葉があったそうじゃ。

これも浅野に聴かせるべしとの上意である」


内匠頭はそれを聞き、目の前が暗くなった。

切腹は免れないと覚悟はしていたものの、斬首とは名誉すらも与えられない扱い、しかも仇敵の吉良は褒め称えられている。


「何故にこのような扱いをされるのか!

これは片手落ちでござる。

喧嘩両成敗として、上野も処罰あるべきであろう!」


内匠頭の叫び声は目付に嘲笑われる。


「貴様の乱行のせいで、なんの罪もない梶川殿は死んだのだぞ。

その反省もなく、手厚く世話をしてくれた吉良殿の逆恨みを申し立てるとは。

聞きしに勝る愚か者、それとも饗応役の重圧で乱心したか」


「何を!」


掴みかかる内匠頭は田村家の家臣に取り押さえられる。


「これではおとなしく首を切るのもできまい。

こやつを押さえつけろ」


目付はこのまま首を刎ねさせようとするが、内匠頭は押さえつけられながら叫ぶ。


「お待ちあれ!武士の情けでござる

せめて家臣に一言言い残したく、お許しくだされ」


それくらいなら良いかと許され、内匠頭は筆を取る。


「この段かねて知らせ申すべくそうらえども、今日やむをえざることにそうろうゆえ、知らせ申さず候。不審に申すべく候」


それだけを書いて筆を置く。


「これで終わりであるか?」


目付は不審に思う。

これだけ残されても家臣は何もわからないではないか。

まさに不審だけが残る置文となる。

しかも宛先は家老でなく、侍臣の片岡と申すもの。


(この男、大名の器ではなかったのであろう)


憐れむように見る目付をよそに、内匠頭はこれ以上書く様子もなく、呆けたように庭を見ていた。


その片岡だけが赤穂藩邸から呼ばれ、主君の最期を見守る中、内匠頭は全ての気力を失ったように人形の如く指示に従い、首を差し伸べた。


シュ!

山田浅右衛門の一閃で内匠頭の首は下に落ちた。


その報告を受けた柳沢は安堵する。

(やれやれ、長い一日だったが、なんとか収まった。

桂昌院様の件も見通しがつきそうだし、結果よければ全て良しだな)


一方、義央は忍者から内匠頭斬首の報告を受け、高笑いする。


「アッハッハ

まずはあのたわけ者を始末できたわ。

次は、浅野の遺臣どもと、わしを陥れた綱吉や柳沢、更にわしと吉良家を笑い者にした江戸の民どもへの報復じゃ。

これからが始まりよ」


その日の深夜、主君の不始末を知らせるべく赤穂まで急ぐ早駕籠に、黒装束の男達が襲いかかる。


「命が惜しければ失せろ!」


駕籠かきを追い払うと、籠の中でフラフラとなっている使者を外に蹴り出し、一刀で斬り伏せる。


「貴様に恨みはないが、赤穂の藩士どもに今の段階でこれを知らせるわけにはいかん。

すまんな」


師直は少しも悪いと思っていない口調でそう呟き、ニヤリとした。

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