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蘇った吉良上野介  作者: デギリ
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将軍綱吉との交渉

下城するため、玄関に歩みを進めた義央は、そこで興味深げに城を見ていた師直と落ち合った。

義央の無表情ながらも奥に潜む笑みを見て、師直はニヤリとする。


屋敷に戻った二人は、今日の柳沢との会談を踏まえて今後の方策を相談する。


「その柳沢という男、貴様の変貌を見てさぞや戸惑ったことだろうよ。

これまでは己の掌で踊っていた人形が突然意に反して勝手に動き出すのだからな。


おそらくこれから何度も貴様を脅しつけ、もとの人形にしようとするだろうが、ここで折れては元の木阿弥。

何としてもその圧力を跳ね除けろ」


そう吐き出すと師直は当時を思うように虚空を見ながら話す。


「権力者の威などその肩書だけのもの。

裸の人間として対峙した時に恐れる者などほとんどいない。


鎌倉幕府末期から死ぬまでの間に、後醍醐帝以下の公卿や武力を振るう武家などの権力者と会い、交渉してきたが、今思えばほとんどの人間は肩書きがなければ何もできない張子の虎よ。


我が真に恐れたのは主君の尊氏様唯一人。

あのお方はどんな大軍に囲まれた絶体絶命の死地でも笑みを浮かべておられておられ、死を恐れる素振りなど一度も見せられなかった。


それを見ると、敵軍に怯えて震えていた我らもおそれがなくなって存分に戦えたものだ。


お主も足利一門の末裔であろう。

少しは尊氏様を見習え」


師直は旧主尊氏を懐かしむかのようにそう言った。

乱世で頭角を現し、権勢無双と言われた男だけあり、その一言一言に重みがある。


「無論。

わしとて足利一門の端くれ、そして一度は殺された身。

何を恐れることがあろう」


義央はその痩せた胸を張って答えた。


「ならば良い。

お前の話を聞く限り、その綱吉という将軍、どうしても母親に従一位を欲しいのだろう。


だいたい将軍だの天皇だの高みにある者は言い出したらきかず、何としても手に入れろと命じるもの。


そして今回はその交渉相手が狡猾にして臆病、貪欲な朝廷という化け物。


朝廷の公家どもは自己を貴しとし、己が生き抜く為ならば誰を見捨てても、どんな手段を使っても構わないと思っている。


同時に、権力を奪った武家への怨みを奥底に持ち、武家から少しでも利を得ようとも企んでいる、煮ても焼いても食えない奴らだ。


そして、両者をつなぐのがお前しかいないときている。

これならばいくらでも仕掛けようはある。

朝廷相手の交渉は我の得意とするところ。


まずは思い上がっている、三河の何処の馬の骨ともしれぬ出の奴原に思いっきり吹っかけてこい!」


そう言って師直は、度胸を据えようとばかりに義央の背中を思い切り叩いた。

歴戦の武将の力は、鍛えたとはいえ義央には背骨が折れるかと思うほどの衝撃であった。



さて、それから何度も義央は登城を求められた。


その都度、柳沢に桂昌院の昇進を確実に実現できるかと問い詰められ、できなければ高家筆頭の責を果たせぬお前は切腹だと脅される。


何度言われても、義央は、命を取ると言われても嘘は言えぬ、努力はするが確約はできないとのらりくらりと躱した。


その義央に柳沢はほどほど手を焼いていた。


綱吉の絶大な信任を背景に今や幕閣の最高権力者である柳沢吉保が一言言えば、どんな大名でもその意を迎えようと奔走するのに、この小身の旗本風情はいくら脅しても一向に色よい返事をせぬ。


しかし、何十年と朝幕を繋いできたこの男を使わずに円滑に事が進むとは思えない。


一方で綱吉は桂昌院の叙位を早くしろと責め立てる。

遂に柳沢は、交渉役の吉良がこの件は難しいと言っている旨を話した。


天下に意のままにならぬものがあることを許せない将軍綱吉はそれに激怒し、自らが義央に問いただす。


「上総介、我が母君の従一位への昇進、難しいと言うのか!」


将軍の間に呼ばれ平伏した義央はいきなり上座からキンキン声で怒鳴りつけられる。

よほど怒っているようだ。


「はっ、朝廷は前例主義のかたまり。

何事を通すのにも前例が無ければ難しく・・」


義央の答えに綱吉はますます怒りが込み上げてきたのか、さらに怒鳴り声をあげる。


「それをなんとかするのが高家筆頭の役割。貴様が腹を切ってでも母の昇進を成し遂げよ!」


(勝手なことばかり言いおって)

義央も内心腹を立てる。


「恐れながら申し上げます。

できもしないことをできると申すのが真の忠誠でしょうか?

忠言は口に苦し、また上様お好みの論語には信なくば立たずとあります。

徳川家への忠誠を疑われ腹を切れと申されるなら、ここで切りましょう」


綱吉に真っ向から逆らう言葉である。

将軍就任に大きな功績のあった堀田正俊以来そのような者はいない。たかが4000石の旗本の言葉にその場は凍りついた。


周囲が蒼白となる中、義央は胡座をかいて腹を剥き出しにし、脇差を腹に突き立て血が噴き出る。


「待て!

貴様の忠誠はわかったから、脇差を納めよ」


驚いて何も言えない綱吉に代わり、柳沢が慌てて止め、小姓が義央の腕から脇差を取り上げる。

朝廷に精通した吉良が死ねば交渉の見通しが立たなくなるのだ。


綱吉は生まれて初めて見る切腹と噴き出る血を見て震えが止まらない。


それが怒りか恐れかわからぬままに綱吉は震えながら立ち上がって奥に逃げていった。


残された柳沢は義央と腹を割って話すこととし、まずは奥医師に手当をさせて、それを終えた義央と己の部屋で面談する。


血が出たせいか義央の顔色は青白いが、その眼光は鋭い。その気迫に柳沢は思わずたじろいだ。


「率直に聞こう。

上様はどんなことをしても桂昌院様の昇進を実現させるおつもりだ。

どうすれば桂昌院様の昇進は叶うのだ?」


柳沢は端的に聞いた。

吉良は腹をさすりながら平然と茶を啜っている。


(吉良はこんな男だったか?

いきなり腹を切る狂気とその後の落ち着き、この驚くべき豪胆さはなんだ!


前は家格を鼻にかけた小狡くて小心翼翼だけの男だったはずだが、仮面をかぶっていたのか)


そしておだて、脅せば言うがままに動かせた。

都合のいい道具が変貌したのを、柳沢は化け物を見るように義央を眺めた。


そんな柳沢の思いを知らずに、義央はつまらないことを言わせるなと言わんばかりに目も合わさずに呟いた。


「どうしてもと言われるならばやりますが、相当な覚悟をいただきたい。


朝廷は権威や前例を重んじますが、実利や脅しには弱い。

そこを徹底的に突くしかありません。

問題は院や今上ですが、そこは親子の対立や人脈を使うしかありますまい。


上様がそこまで御執心ならばこの上野介、命を賭けてなんとかしましょう。

その為に、無限定の資金供与と私兵による荒事を認めていただきまい。


そして朝廷工作の途中、おそらく私の動きを快く思わない方々は様々なルートを通じ上野介への誹謗中傷などがあるでしょうが、耳を貸さないでいただきたい。


この話ができねば上野介は腹を切る決意、事がなるかならないか決まるまですべて私にお任せあれ」


堂々と言い切った上野介に柳沢は感動し、ようやく義央が請け負ったことで安堵した。


「わかった。

そちの言うとおりにしよう。上様にも申し上げておく。

桂昌院様の叙位、困難であろうがよろしく頼む」


頭を下げて頼む柳沢を義央は冷ややかに見た。



「それで工作費として三万両を出させてきた。これを使って配下を強化せねばならん」


屋敷で義央は師直に語る。


「貴様も多少は腹が据わってきたな。

わしの言うように、腹の横の方を突けば臓物も傷まずに血が出るだけであろう。

公家もそうだが、口だけで命令する奴らには血や死骸を目の前で見せてやるのが一番効果的だ。


金のことだが、これからの仕掛けを考えればいくら金があっても足らないくらいだ。


今の世では、我の得意の荘園横領ができないのであれば、幕府から毟り取らねばならん」


朝廷交渉には金とともに暴力が必要だ。

そしてそれは今後の赤穂浪士対策にも、幕府からの襲撃を防ぐのかも役立つ。


その為に、一月に京都に向かうまでの間に腕の立つ浪人を雇い、私兵団を作らねばならない。


柳沢はこの話に京都所司代を使うつもりはなく、すべては義央に任せると言う。

つまり、幕府の正式な武力は使えず、何か問題が生じれば吉良の勝手な行動としてトカゲの尻尾切りにあうということだ。


それを聞いた師直は面白げに笑った。


「我が猛き武者団を作ってやろう。

この元禄の世を見てきたが、首の一つも取ったことのない、武士とは名ばかりの腑抜けばかり。

鎌倉武士の心意気を教えてやらねばならんな」


幸い綱吉に取り潰された藩は多く、仕官を求める浪人は世に溢れている。


私兵は師直に任せ、義央は京都に向けての準備に専念することにした。


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― 新着の感想 ―
赤穂浪士は大嫌いでしたので、吉良視点のお話しは大好物です 長編で話しも面白いですし、阿呆浪士の登場が楽しみです
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