その後の日本
家宣が将軍となると、権力を握ったのは家宣側近の新井白石と間部詮房、それに家宣を擁立した水戸・尾張などの一門である。
綱吉についた紀州藩などは露骨に冷遇された。
「悪政は正されるべし。
その責任者は責任を取るべきである」
儒学者である新井白石は道徳論からそう主張し、水戸藩主も後押しする。
この理屈により和議の条件などはたちどころに破られ、柳沢は綱吉時代の責任を取らされて、流罪とされた。
和議を斡旋した朝廷はメンツを潰され、抗議するが、白石は今の世を治めているのは徳川家であると言い、気にも留めなかった。
しかし元禄大地震で困窮した民衆の怒りは柳沢の処罰では収まらず、綱吉に対する批判は激しくなる。
家宣は白石の助言を受け入れ、綱吉の幽閉を決断した。
その一方で、家宣は幕府の威信の再建と大名の統制に努めようとするが、内戦の影響は大きい。
また、吉良上野介が鮮やかに討ちいってきた赤穂浪人を全滅させ武名を挙げたことも記憶に鮮やかであった。
「やはり武家の本分は武である」
各地の大名は文から武へと方向転換を始め、藩士は武芸を磨き、兵書を読むようになる。
戦国に戻ろうとする機運を抑えてなんとか家宣が体制を軌道に乗せんとする時に富士山が大噴火した。
宝暦大噴火と名付けられたこの噴火により、関東一円には火山灰が降り積もり、農作物は取れなくなった。
地震に続く噴火という立て続けの天変地異に民衆や反家宣派の大名は騒ぎ立て、幕府は動揺する。
そのような動きに白石は政策を打ち出すことでなく、名を正すことが先決であるとして、有能な勘定奉行、荻原重秀を執拗な讒言で失脚させるなど、混乱を増幅させていた。
そのような幕府の動きを、白石らに前政権の遺物と弾劾され、義央は家督を綱憲改め義宣とした息子に譲り隠居の身となっていた。
そして義央は表からは姿を消し、密かに各地を回っていた。
その傍には高家の末裔として名乗り出てきた高階師詮という男がいた。
義央の周り先は、室町幕府の名門家である島津、毛利、伊達、佐竹、京極、細川、南部などである。
表向きの目的は旧家の親睦を温まると謳っていたが、内実はこれからの世の乱れを見据えての仲間づくり。
足利一門きっての名門にして、赤穂事件で武名を挙げ、朝廷に通じる政界の実力者である吉良上野介の訪問をどの家も歓迎した。
「もはや徳川の天下は乱れが見えた。
一寸先は闇、外様同士での仲間を作っておかねばならん。
我らは外様の中でも織豊家からの成り上がりとは格が違う。
今後誼を通じていこう」
そう言って義央は外様大名によるゆるい同盟である室町倶楽部を作る。
義央の目的は、吉良家の安泰。
先に姿を消した高師直の言葉、吉良家は血の海を作るということが気になり、なんとか子孫を無事に生きさせてやるために仲間づくりに奔走していた。
こうして家宣時代の江戸幕府は、水戸・尾張などの主流派、紀州をはじめとする非主流派、蚊帳の外の外様に分かれる。
義央はもう70歳になり、このままでは日の本が割れ、大戦となろうと危惧し始める。
彼の望みは、大身となった吉良家の保全と子孫の無事である。
(吉良家の安泰のためには幕府が安定していなければならない。次の将軍は幕府をまとめられる有能な男でなければならぬ)
家宣の病気が篤くなり、次が蒲柳の質の幼児という時、義央が目をつけたのは紀州藩主の吉宗であった。
「この男、やるな。
身分の低い生母からの生まれであるにもかかわらず、二人の兄と父の急死、それも綱吉から家宣へ交代の混乱の時に藩主に就任か。
家宣も紀州の混乱はありがたいので調査もしなかったが、極めて怪しいな」
調査をした高階に、義央は話しかける。
この高階という男、師直が消えてしばらくして吉良屋敷にいきなり乗り込み、祖先から夢でここに行けと言われたと言った素性の怪しい男である。
だが有能であることは確か。
義央は自分の執事として彼を使っていた。
「吉宗を次の将軍に押し立てますか?
とすれば尾張公が邪魔ですな」
「水戸は格が低く、将軍にはなれん。
尾張と紀州の争いか。
わしは今の主流派の水戸・尾張に敬遠されておる。
紀州と繋ぎを取れ」
当初、何かあれば次の将軍は御三家筆頭である尾張家だろうと見られていたが、義央はそれを逆転させることを企む。
そのため、有力外様をまとめた室町倶楽部の面々で、吉宗を支持し、兵を連れて吉宗派であることをアピールする。
同時に外様大名は戦とならば紀州に付くという噂を流す。
動揺した幕閣への追い討ちは尾張藩主の吉通の死去であった。
好機と見た義央は、付き合いの深い近衛家出身の家宣の正妻の天英院を通じて大奥を動かし、吉宗の将軍への道を確かなものとした。
「吉宗という男、お庭番という忍びを使うのがうまいと聞くが、よくも立て続けに頓死させるものよ」
義央は感心するとともに、自藩の防諜体制を高階に命じる。
安芸吉良藩は義央が自ら作り上げたものであり、隠居したとはいえ義央が実権を掌握していた。
幼児の将軍家継が死ぬと、義央の思惑通り、吉宗が即位する。
吉宗は白石らを即座に追い払うとともにこれまでの派閥争いを退け、親藩や譜代、更に外様までも等しく扱うことを宣言する。
彼の行った享保の改革で、幕府の政治は安定を取り戻し、その権威は復活したように思えた。
それを見届け、吉良義央は死の床についた。
赤穂浪人を殲滅し、江戸城を救援した名将、幕府政治のフィクサー、朝廷との太いパイプ、虚名に塗れた彼を将軍から勅使までが見舞った。
義央は一通りの見舞いを受けると、あとは客を断り、家族を呼ぶ。
妻の富子、子の義宣、孫の義周他の親族を見渡す。
「あなた!」
富子がもう息も絶えんとする彼の手を握る。
一時は人が変わったかと思うほど険しい顔をしていた夫だが、その後はまた典雅な物腰に戻っていた。
「富子、綱憲いや義宣、上杉家を潰して悪かったな。
何を犠牲にしてもわしは家族と吉良家を守りたかった。
そしてわしと吉良の家をバカにした奴らに復讐したかった。
血に塗れた手で、将門様や師直には虫がいいと言われるだろうが、なんとか吉良の家を大事に、平和に生きてくれ」
苦しい息の下で言う言葉の意味はよくわからなかったが、偉大な父、祖父の言葉に皆従うことを誓う。
言うべきことは言ったと一人休む義央のところに、執事の高階が音もなく来た。
「上野介、死ぬ前に挨拶に来たぞ。なんだ先ほどのぬるい遺言は。
お前は復讐のために蘇った時点で、未来に何を願う資格もない。
お前の復讐の対価として、吉良の家はこれから血と破壊のシンボルとなるのだ。
はっはっは!」
「貴様は憑依した師直か!
わしの身であれば好きにしろ!
しかし我が子孫には手を出すな・・」
興奮のあまりか、そこで心臓が止まり、義央は息絶えた。
「人を呪わば穴二つ。
あれだけ人を陥れて、我が家だけ安泰などあるわけがなかろう」
そう独り言を言うと、高階は大声で
「御隠居様が亡くなられた!」
と叫んだ。
義央が亡くなっても吉良を中心とする室町倶楽部は健在であった。
加賀前田家も菅原道真の末裔を自称し、倶楽部に入会をしてきた。
吉宗は安芸吉良家を通じて外様大名と良好な関係を保ちつつ、親藩譜代をまとめ上げ、享保の改革により幕府を立て直すことに全力を傾けた。
その政策の一つは海外との交流の拡大が含まれる。江戸では医学や科学などの書物を解禁され、オランダ語を学ぶことも始まった。
安芸吉良家では、島津家と通じて琉球を拠点とした密貿易を実施。
特に義央死後の実権を握る執事の高階の指示により、欧州の武器と軍事についての情報を収集する。
お庭番を通じてその情報を得た吉宗であったが、擁立期の借りもあり、赤穂事件以来の武闘派を誇る吉良家を取り調べることはできなかった。
吉宗は幕府再建に一定の成果を挙げ、家重に家督を譲る。
家重・家治時代は幕府は安定しつつも、世の中は商品経済の度合いを深め、幕府や各藩の財政苦境は高まる。
その反面、淀屋をはじめ、三井、住友、鴻池などの豪商は繁栄を極める。
そんな時代を睨み、出頭人、田沼意次は田や米ではなく商品流通に着目した幕政を講じる。
「流通経済から課税するためには、世の中の物品を増やし、景気を良くしなければならない。
その為には、市場を広げるのが一番。
狭い各藩の領域にこだわるのでなく、日本全体、更に唐天竺、南蛮まで交易を広げることが重要だ」
田沼は祖法と言われる鎖国を解禁することを狙っていた。
そのためには頭が固い親藩や譜代よりも外様と手を結ぶことも厭わない。
外様大名のリーダーである吉良家、その実権を握る執事の高階を呼び、話をした。
「結構なことではありませんか。
我が吉良家は田沼様を全力で支援しましょう」
しかし、海外を知る人間は少ない。
田沼は浪人の平賀源内を使い、海外に通じていそうな者、杉田玄白、前野良沢、中川淳庵、工藤平助などをブレインに政策を考えさせる。
「阿蘭陀はもう落ち目。
勢いがあるのは英吉利や仏国、北方には露西亜がある。
これらの国と通商すれば良い。
そもそも神君様の時は海外との通商を奨励していたのだ」
工藤平助は北方を守る重要性を訴えるが、莫大な金がいる事業に幕府は二の足を踏む。
背後に豪商淀屋がいる吉良家と相談した。
しかし淀屋は儲けにつながらねば金は出さないと言う。
知恵を出し合い、阿蘭陀の東インド会社を見習い、北方開発会社を作り、そこに幕府、吉良家、淀屋で金を出す。
それは海外との交流を統制しつつ拡大する為に絞り出した知恵であった。
松前藩を移封し、蝦夷地を天領であるが、北方会社に委託する。
会社の幹部に本多利明、最上徳内、近藤重蔵、高田屋嘉兵衛らを使い、蝦夷地の物品を売り出し、その開発を進めるとともに択捉島から満洲やカムチャツカ半島に乗りだす。
蝦夷地から海外に行けるのは北方会社の社員のみ。
渡航の禁止はまだ守られていた。
そうして公には認められないが、蝦夷地を通じて、間接的に清やロシアと貿易を行い、会社は潤った。
吉良家は伊達や南部、佐竹などにも声をかけ出資させる。
財政に困窮する東北地方の諸大名は通商に多大な関心を寄せた。
田沼と吉良は、島津家や毛利家、細川家と図り、南西開発会社を設立し、琉球を拠点に台湾への進出、更に東南アジアへの交易を目論んでいた。
外様大名と通じて海外進出を図る田沼の政策には、徳川一門や譜代から激しい反発が出てくる。
「カネカネと武士の誇りはないのか!」
「鎖国は祖法である。
これを破る者は徳川の天下を危うくするものだ!」
ちょうど田沼を信頼する家治が亡くなり、幕府の権力闘争が激しさを増す。
田沼のバッグには大奥や外様がいるが、それに反対する急先鋒の松平定信には親藩譜代の支持が集まった。
「成り上がりの奸臣は刺し殺しても潰す!
奴にまかせておけば徳川の世は瓦解する!」
将軍の地位を奪われたと信じる定信は私憤と公憤双方から田沼の失脚に全力を傾けた。
双方の争いの中、天明の飢饉が起きる。
田沼は清や東南アジアから米の輸入を企てるが、定信は御三家御三卿の賛同を得て祖法を守るべしとそれを阻止。
政争にかまける間に多数の餓死者が出て、江戸では打ち壊しの一揆が起こる。
定信はその責任を迫り、田沼を退陣に追い込んだ。
政権を取った定信は、政治から外様大名を締め出し、対外政策を一変、蝦夷地や琉球から手を引くことを決め、海外交易に関係していた者を左遷、処罰する。
会社は取り潰し、財産は没収した。
定信は幕府の威信に逆らう者はなく、吉良たち外様大名は不満はあれど従うものと考えていた。
全く相談なく、北方会社と西南会社を潰され、吉良たち外様大名と淀屋は大きな損害を受けた。
更に密貿易が発覚すれば改易に処すとの脅しが内々に伝えられる。
しかし一度吸った蜜の味は忘れられなかった。
その時の吉良家の当主は義周の子、義治。
彼は父から曽祖父である義央の武勇伝を聞いて育ち、武術の鍛錬と西洋の軍学や武器に熱中する武闘派であった。
彼を補佐する執事は高階師満。
安芸藩は実質的に彼が切り回していた。
中興の祖である義央は、安芸藩は高階とともに作ったもの、藩の実権を高階に委ねよと遺言していた。
安芸藩は定信を倒すために、公然と運動を始めた。
朝廷と誼を通じ、今代の将軍、家斉が京都に征夷大将軍の任官に来ていないことを捉え、朝廷を蔑ろにするものと言いたて、尊王反幕を言い立てる。
そのために尊王家の高山彦九郎、蒲生君平を使い、公家や諸大名との連絡を図る。
彼らは全国を回り、反定信を訴えた。
また、蔦屋重三郎を使って反定信の出版を山東京伝や恋川春町に書かせる。
尊王反幕のスローガンが各地に広がると、幕府の威信を重視する定信は激怒。
寛政の大獄と呼ばれる徹底した弾圧を行い、彦九郎や山県大弐など活動していた者を死罪とし、その背後にいた吉良義治に蟄居・隠居を、執事の高階には切腹を申し渡した。
それに対して吉良家は公然と反抗、藩主義治は広島から各地の大名に倒幕を呼びかけた。
定信は安芸征討のための動員を行い、幕府軍対安芸藩の戦いは必至と思われたとき、ロシアからラクスマンが浦賀に来航した。
ロシアと通じた吉良家の手引きである。
突然の異国船の来航に幕閣は大混乱となった。
ラクスマンはエカチェリーナ女帝の国書を出し、開港と通商を要求した。
定信は長崎入港の許可書を与え帰らせようとするが、ラスクマンは、直ちに要求を認めねば江戸への砲撃も辞さないという強硬な姿勢を変えなかった。
(外夷への対処は内憂である吉良を叩き潰してからだ!)
定信はラスクマンの要求を飲み、条約に調印する。
しかし、帝の勅許も得ずに独断での調印は、鎖国という祖法を破り、朝廷を蔑ろにするものと轟々たる非難を浴び、水戸学を奉じる水戸藩は反定信となった。
水戸藩や反対者を弾圧し、安芸討伐に邁進する定信は登城途中に水戸藩士や浪人に襲われ、桜田門の前で落命した(桜田門外の変)。
その意志を受け継いだ定信の盟友である老中の本多は安芸討伐を強行したが、薩摩と長州を筆頭に有力外様大名は離反。
安芸国境で敗北した幕府軍は敗走。京都で立て直し、反攻に転じようとするも、鳥羽伏見で大敗。
大阪まで来ていた将軍家斉は船で江戸に逃げ帰った。
安芸藩は朝廷を担ぎ、王政復古と号して、倒幕を呼びかける。
西からは芸薩長、北からは加賀、東からは秋田・岩手・仙台藩が錦の御旗を振りかざして押し寄せるのを見て、家斉は隠居し、次の家慶は大政奉還を決めた。
江戸城に吉良義治と高階師満が入城し、家慶は幕臣を連れて駿河に退去した。
寛政12年(西暦1800年)江戸幕府は200年を経過し、瓦解した。
義治は帝をトップとし、王制復古と言いつつ、その実、薩長肥後と仙台・秋田・加賀などを中核とした政権を樹立。
武士の世を続けようとしたが、英国との交易を通じて、人権宣言などの海外思想が流入し、旧幕臣の太田南畝などがそれを流布する。
「四民平等だ!
天は人の上に人を造らずだ!」
アメリカ独立やフランス革命を知った義治は武士政権を断念し、帝の下で一君万民の国造りを行うこととした。
有能な下級藩士を集めて内政が軌道に乗ると、吉良義治は江戸幕府と第二次関ヶ原合戦を行うつもりであり、呆気ない幕切れに物足りなかったことを思い出した。
そんな義治に高階と淀屋は囁く。
「イギリスはナポレオンというフランスの将軍に手を焼き、兵の増援を求めています。そこに不満な武士を率いて戦えばいかがですか?」
義治はそれに乗る。
冷遇され、蝦夷地や北方に押し込まれた幕臣や譜代藩の家臣は凍死者も出るほどの寒い冬に耐えかね、淀屋の金に釣られて傭兵となることを承知した。
幕臣達はイギリスの金で戦備を整え、傭兵としてヨーロッパの凄惨な戦場に乗り込んだ。
新進気鋭の元大名、水野忠邦をリーダーに大塩平八郎など有能な幕臣が隊長となって、数千人の武士がここで稼ぐしか日本に帰る道はないと決死の覚悟である。
彼らはスペインのゲリラ戦に投入される。
日本刀で夜襲を仕掛け、死を恐れずに斬りまくる東洋人のことを、蒙古の再来とフランス軍は恐れた。
ナポレオンはスペインの泥沼の戦争から目を転じ、ロシアを攻めることとする。
シベリアを越えて、吉良義治はロシア軍の援軍にやって来た。
ナポレオンの撤退の時、ナポレオンを恐れるロシア軍が腰が引ける中、恐れ知らずの日本の武士は首を稼ぐときと暴れまわる。
ナポレオンが敗北を認めたとき、ヨーロッパの東と西には髷をした東洋人の死体がたくさん斃れていた。
ウィーン会議で、メッテルニヒは東洋の番人の価値を認め、ナポリからシチリアを与えてオーストリア帝国の用心棒とする。
ナポレオンがいなくなった後、ロシアやプロシア、フランス王国、オスマン・トルコなど敵は多い。
多民族のオーストリア帝国にもう一つ民族が加わっても問題はない。
このウォーモンガーのような侍達をうまく使えば、この脆い名門の帝国の支えとなるかもしれない。
「あと50年開国が遅ければ、この弱肉強食のヨーロッパ人の食い物にされていたな。
ナポレオンによる混乱の今こそチャンスだ」
新たな日本政府はそう話し合い、ナポレオンによって弱体化したオランダ領を救済するとの名目で乗っ取るともに、ハワイからアメリカ西部、豪州へ次々と進出していた。
ナポレオンが脱出し、ワーテルローで戦いが始まると、吉良義治に率いられたナポリ日本軍はオーストリア皇帝の命を受けて戦場に進出、イギリス・プロシア軍と激戦を繰り広げるフランス軍を横から奇襲した。
ナポレオン麾下のベテラン兵は奮戦し、多くの日本兵を斃すが、最後は敗退した。
この功績で、名目はオーストリア帝国の統治下で有るが、イタリア南部の日本自治領は確定した。
義治はワーテルローの戦いで自ら前線に出て戦い、戦勝を得る。
東京と名を改めた江戸に戻ってきた彼は、赤穂浪人を殲滅した偉大な先祖、吉良義央に参り、自らの功を誇る。
その晩、彼の夢に出てきた義央は嘆いていた。
「本当ならばまだ数十年以上、日本は平和を満喫するはずだった。
それをわざわざ遠い欧州の戦に出ていき、十万人もの戦死者を出すとは。
我が吉良家の名は死神のように言われるであろう」
その後ろからは大声が聞こえる。
「上野介、何を言う。
十万など少ない少ない。
これからの戦争は何百万人の死体が転がることとなるぞ。
お前の子孫のおかげで、シナ、インド、アメリカ、ヨーロッパと世界中で日の本の民が骸を晒すわ。
おまえに手を貸した我が目論見は見事に当たったわ
ハッハッハ」
義治はその笑い声を聞きながら、その後の血に塗れた世界の歴史を覗き見る。
植民地への進出と弾圧、ヨーロッパ各地の戦争、米国南北戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦、キューバ戦争、アジア・アメリカ戦争、日本は列強の一角となり、どこでも日本人は戦い、多くが死んでいた。
吉良は主戦派としてその戦争を作り出し、盟友の淀屋は死の商人として暗躍していた。
最後に義央の許してくれという懺悔の声が義治の耳に残った。
それから200年後、年号が令和となったのに慣れた頃、大柄な若者と痩身の若者が軍大学校のキャンパスの芝生で話をしていた。
「俺たちも今年は卒業して戦場行きだ。
どこに行かされることか。
ロシアがウクライナに苦戦している隙を狙って、シベリアに出兵するという噂があるな。
防寒具を買っておくべきか」
「やれやれ、世界の覇権を争う大日本帝国に栄光あれだな。
ただし我々に関係なければだ。
アメリカ共和国に強硬なトランプ大統領が当選して、戦争も辞さないと脅しをかけ、同盟国の新大和国やメキシコから軍事援助を求められている。
中東では暴れるイスラエルを抑えてくれとアラブから頼まれている。
ヨーロッパでは帝室と縁続きとオーストリア帝国がロシアの脅威に備えて駐留軍の増援を求めている。
徴兵されればどこに行かされることやら。
開国してから戦死者が絶えたことのない国に生まれたのが不幸だ」
二人は嘆くようにため息をつく。
「そもそも江戸時代に200年も平和が続いたのに、どこで間違ったのだ」
「江戸時代を鑑みると、パックストクガワーナを揺り動かしたのは、赤穂事件からだ。
それを契機に台頭した吉良家が開国倒幕を主導し、そのままナポレオン戦争と植民地拡大に乗り出した。
以来、日本と戦争は熱烈な恋人のように片時も離れない間柄だ」
「吉良といえば、弱腰と阿部政権を打倒した現総理の吉良茂も一族かい」
「彼は吉良の総領だ。
経済大臣の淀屋、官房長官の高階。皆、手が血で真っ赤な一族だ」
それを聞いた一人は芝生に寝転んで叫ぶ。
「あの赤穂浪人どもが吉良の中興の祖の義央を討ち取っていればなあ。
そのまま、江戸幕府は安定して鎖国し続け、ナポレオン戦争や各地に兵を出すこともなかっただろう。
アメリカも統一されて強大な力を持ち、出遅れた日本は対米戦に挑むが敗北。
それ以来、日本はアメリカの属国的立場だが、危ないことはアメリカに任せて、のほほんと徴兵もなく平和に暮らせていたんじゃなかったかなぁ」
「それは面白そうだ。
そんな仮想歴史を書いてみたらどうだ。
そんな日本に生まれたら俺たちは趣味の野球や将棋のプロになってたかもな」
「お前は仮想敵国のアメリカのメジャーリーグでMVPを取り、僕は将棋の最年少名人だったりしてな」
それはいいと笑う二人に声がかかる。
「陸軍機甲師団士官、大谷翔平。
海軍参謀、藤井聡太。
無駄話をやめて、早く来い!
100年に一度の俊英である貴様らが弛んでいては困る」
「「はい!」」
二人の若者は妄想をやめ、教官のもとに走っていった。




