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蘇った吉良上野介  作者: デギリ
19/20

復讐の完遂

正月が明けたが、江戸には各地から兵が送り込まれてきた。

東西に分かれた大軍に江戸の民衆は怯える。


いつ激突するか、いったん開戦すれば応仁の乱の時の京都のように、江戸の街は荒廃することは明らかである。


30万匹の犬に荒らされた後の被害も大きいまま。修復も行われていない。


すべては赤穂浪人の討ち入りがきっかけであることを思い出すと、江戸の民衆は一転して彼らのことを罵った。


「あの播州の田舎者が逆恨みして討ち入りなどを企てるからこんなことになる」


「そもそも浅野内匠頭という馬鹿殿が悪い。少しの意地悪くらい大人ならば我慢するものだろう」


「義士とか言って、赤穂浪人を持ち上げていたのは誰だ?」


金のある者は上方に逃げ出したが、庶民は行くあてもない。


この大軍が睨み合う状況をどうするわけにもいかず、自分たちではどうにもできないために赤穂浪人の悪口を言ってうさを晴らす。


東西両軍の兵力は拮抗し、どちらも攻めかかることはしなかった。

それには実戦経験がある者がおらず、戦のやり方がわからなかったこともある。


島原の乱以来70年ぶりの戦に、武士達は錆びついた刀槍を磨き、鉄砲を引き出し、鎧兜を買いに走る。

武具屋の在庫はたちまちに売り切れた。

両軍はひたすらに堀を深く、塀を高くし、防御を高めていた。


そんな中、吉良上野介は京都に赴いていた。

朝廷から和平の勅使を派遣してもらうためである。


綱吉は、綱豊側に予想を遥かに超える戦力が集まったことに衝撃を受け、和平を模索していたが、こちらから折れることは拒否し、朝廷に和平の仲介を頼むことにしたのだ。


「江戸で大戦が始まるんやて。

応仁の乱の時は京都が戦場となってえらい迷惑したわ。

今度は遠いところで東夷どもの戦いやから安心してられる。

それでどっちが勝ちそうや」


関白の近衛は他人事というのがよくわかる声でのんびりと話した。


「和平の勅使か、これで朝廷の権威も上がりそうやし、将軍にはようしてもらった。反対する理由はない。

でも、勅使を出したからには和平を成立させんと帝のメンツもあるからな」


上野介は帝の意向を背景に、綱豊側の間宮詮房と折衝した。


交渉で綱豊側は綱吉の隠居と綱豊の即位を条件としたことを聞き、綱吉は激怒し、決裂する。


綱吉は怒りに任せ、綱豊を討ち取れ!と下知を下す。

上野に攻めてきた綱吉軍(西軍)に対して、水戸を中心とした東軍は上野の山という地の利を得て、上から鉄砲を射掛け、散々に打ち破る。


綱吉軍の先鋒は、赤穂浪人の討ち入りで出兵するも、結局すべて吉良の家臣が始末し、何の役にも立たずに物笑いとなった上杉軍。

ここで名誉挽回しなければ謙信公以来との武名は地に落ちる。


意気込みだけで無防備に突撃した上杉軍はあっという間に鉄砲の餌食となり、山の上に辿り着いても柵で阻まれ、槍の餌食となる。


這々の体で退却する上杉軍に対して、高師直と師泰は密かに自らの手勢を率いて、横を突き、壊滅させた。


義央に頼まれて当主綱憲だけは見逃したが、あとは壊滅する。


「上杉に一族を惨殺された恨みの万分の一を晴らしたわ」


高兄弟はその夜、美味そうに酒を酌み交わした。


大勝に勢いに乗った綱豊の東軍は江戸城に攻め寄せた。


「かかれ!

城を落とし、赤穂義士の遺志を継ぐのだ!」


先鋒は安芸浅野藩。

城に攻め入った支藩藩士の志を引き継ぐとして、先鋒を命じられた。


綱豊も副将の水戸藩主も徳川一門で戦うのは避けたかった。

そこで成り行きで転がり込んできた浅野家を使うことにする。


浅野家には、ここで大功を上げれば、上杉の領地を与えようと甘言を囁く。

加増に釣られ打算で行った攻撃は惨めに失敗した。


防備を整えた江戸城は堅固であり、攻め立てても上から鉄砲を撃たれて被害を増すばかり。


退却したところを大手門から追撃されて大損害を被る。


互いに攻め手を欠き、江戸で膠着状態が続く中、徳川の跡目争いに中立を保っていた外様大名は戦国の世に戻ったと言わんばかりに蠢き出した。


島津家は肥後や日向に兵を派遣し、細川家と小競り合いを行う。


毛利家は、浅野家が留守となっている安芸を狙った動きをする。


伊達家や前田家も周囲の藩に物見を出すなど怪しい動きが報告されてきた。


このままでは徳川の天下は崩れる。

徳川一門や譜代大名は危機感を高める。


11月23日、江戸を始めとする南関東は大きく揺れた。元禄大地震の発生である。

その後、大津波もやってきて、江戸の街は大きな損害を受ける。


家族や家財を失った民衆は、怒りの矛先を将軍綱吉に向けた。


「犬公方に天が怒ったのだ!

将軍を変えろ!」


民衆は石垣の崩れた江戸城に入り込み、綱吉軍に襲いかかる。


儒学を信奉する綱吉は、天変地異は為政者の徳のなさを表すものと思い、ショックを受けていた。


義央はそこにつけ込み、再度、勅使による調停を図る。


和議の条件は、綱豊への譲位、綱吉とその家族を丁重に扱うこと、双方についた大名を処罰しないこと、生類憐みの令など綱吉の政策を受け継ぐことである。


江戸の荒廃、各地での外様大名の動きを考え、両陣営とも和平を結ぶべしとの声は強く,和議は成立した。


元禄の擾乱と名付けられた、この泥試合で明らかな勝者はいない。

強いて言えば、和議を斡旋した朝廷とその背後にいた吉良上野介であることは衆目が一致した。


綱吉、綱豊とも和議の最大の功労者、吉良に報奨を与えるべしという意見は一致した。


柳沢と間宮による話し合いの結果、赤穂浪人をけしかけ、また戦における無様な振る舞いがあったことを罪状として、安芸浅野家と米沢上杉家はお取り潰し、安芸国を吉良に与えることとする。


徳川一門や譜代は浅野や上杉に騙された、あとは水に流そうというのが、柳沢と間宮の考えた融和策である。


「吉良に与える知行も外様から出すことができ、徳川家は損をしていません。

これで雨降って地固まる。

両派仲良くして、徳川の天下を堅固にするようにいたします」


柳沢と間宮はそれぞれの主君にそう伝えた。


綱豊は家宣と改名し、征夷大将軍に任じられることとなるが、朝廷は京都まで来ることを求めた。


側近の新井白石は反対したが、朝廷の権威が上がった中、家宣はそれに従わざるを得ない。

幕府と朝廷の間を繋ぐのは吉良上野介しかいない。


義央は、朝廷の儀式に慣れない家宣のために影のように付き従い、すっかり側近となりおおせた。


江戸に帰った家宣は一年待って、綱吉側近をすべて排除し、権力を掌握すると、生類憐みの令などを廃止し、綱吉の政策を一変した。


約束違反だと激怒する綱吉を相手にせず、彼を西の丸から高輪泉岳寺に移し、柳沢家を取り潰して、吉保を諏訪高島藩預けとする。


吉保は供を二人だけ許され、罪人用の籠で諏訪に向かい、屋敷に閉じ込められた。


「何故だ!」


綱吉政権の最大の実力者から転落し、罪人として月代すら剃らせてもらえない吉保は日々呻いた。


「久しいの」


珍しく客が来たと思ったら、今をときめく吉良上野介が一人の供を連れてやってきた。


うまく綱吉から家宣に乗り換えたこの老人を吉保は憎しみの目で睨む。


「上様の寵臣となりながら、裏切り、家宣に取りいるとは武士の風上にもおけぬ男め!

何故そんなことをしたのだ?」


血を吐くような吉保の叫びに義央は淡々と答える。


「荘子に胡蝶の夢という話があるのはご存知だろう」


義央は全く違う話を始めた。


「わしは長い夢を見た。


そこでは浅野内匠頭に斬りつけられた後、逆恨みした赤穂浪人に討ち入られ、わしと家臣は惨殺された。


綱吉やお主はわし達を見捨て、郊外の屋敷に追いやり、浪人の討ち入りがあっても吉良を助けるなと指示していた。


おまけにわしを助けようと戦い、負傷した孫の義周を不心得と言う名目で流罪とし、吉良家をお取り潰しとした。


そう、流罪先はまさにここ諏訪高島藩だった。義周はここで数年後、わずか21歳で死んだ」


義央の目は憎しみで火を吹きそうだった。


「それは夢だろう!」


その目に恐怖した吉保の叫びに、義央は冷笑する。


「さあな。

わしには本当のことだった。

お前がここにいるのは自らの行いの報いではないか」


その時、義央の後ろから頭巾をした供が出てくる。


「私の夢もお聞きください。

夢では私は父祖から受け継いだ財産で、日の本一の豪商で,多額の金を幕府にも大名にもお貸ししていました。


ところが、当時の将軍は大の浪費家、金がなくなって困った幕府、いや柳沢様は私の金に目をつけて、身分不相応な贅沢をしているなどと因縁をつけ、家産を没収したのです。


商人にとって家財は命よりも大事なもの。まして父祖から受け継いだものを失い、私は憤死しました」


そう言ってその男は頭巾を取った。


「貴様は淀屋!」


柳沢は何度かこの男に会ったことがある。

確かにいずれこの男の財産を没収してやろうとは考えていた。


しかし、実行には移していないのに何故これほど憎しみの目で見るのだ!


呆然とする柳沢を置いて、義央は立ち上がった。


「さあて、この話、泉岳寺の綱吉にも聞かせねばならん。

泉岳寺というのは、わしの夢では赤穂浪人の墓所。

妙な因縁だ」


義央と淀屋は去っていった。


綱吉と柳沢が苦悶の表情で死んだのは、それからしばらく後のことであった。



綱吉の寂しい葬儀を終えて、義央は屋敷に戻った。


そこには、高師直、師泰兄弟と淀屋がいた。


「気が済んだか?」


師直が聞いた。


「ああ、おかげで前世での鬱憤を晴らすことができた。

浅野内匠頭は斬首、赤穂浪人は皆殺し、綱吉と柳沢は寂しく悶死した。


わしを悪役とするつまらん芝居もなくなった。


我が吉良家は四千石から四十五万石の大大名に成り上がった。

綱憲は上杉家から帰ってきて当主となり、妻の富子の頼みで上杉家からの家臣も召し抱えた。


朝廷とのパイプ役として吉良家の存在も大きくなっている。

わしとしては言うことはない。


すべては願いを聞き届けてくれた将門様のおかげ,我が身をどのようなしてくれても文句は言わぬ」


淀屋もニコニコしながら言う。


「あたしも店を取り潰した綱吉と柳沢の惨めな最後を見届け、店も安泰で満足ですわ。

おまけに武器の販売では事前に知っていたおかげで大儲けしました。


吉良様との復讐の契約はこれで終了ですが、吉良家とは末長くお付き合いさせてもらいます」


「ところでお前達には大変世話になった。

何か出来ることはないか」


義央は高師直に尋ねた。


「わしらも久しぶりに暴れることができ、そして仇敵の上杉の名を消せたので満足だ。


そろそろ怨霊の館に帰るとするか。

しかし、大戦にならなかったので血が流れるのが少ないと将門様はご立腹のようだ。折檻されるかもしれん。


もしわしらに何かしたいのであれば、衰微しているが高家を名乗る子孫がいるはず。

それを取り立ててもらえると、何かの時に憑依しやすい」


「憑依とはどういうことだ?」


怪訝に思った義央は尋ねる。


「将門様たちの命で、日の本を戦の大火に呑み込ませるためにまたこの世に行かされるかもしれないということだ。


本来の歴史であれば江戸幕府はまだ160年ほどの寿命がある。

しかし、将門様達はそれまで待てないと仰せだ。

今回の騒動で相当屋台骨に傷が入ったであろう。

あと何年後に幕府が瓦解し、この国が血の海となるか、楽しみなことだ」


そう言う師直と師泰の姿は薄くなってきた。


「待て!

我が子孫は太平の中で安楽に暮らさせてくれ!」


そう叫ぶ義央と淀屋を、師直は哄笑する。


「そんな身勝手な話はなかろう。

お前達の借りは子孫に受け継がれる。

吉良と淀屋は血と怨恨の源となるだろう」


そう言って彼は消える。


復讐が終わり、好々爺と愛想のいい商人に戻った吉良と淀屋は怖気を振るった。


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吉良上野介の復讐は終わりましたが、これで変わったこの後の歴史を少し書く予定です。



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― 新着の感想 ―
楊素処道の感想で思い出したのでもう一つ。 室町幕府だって、キリスト教布教と南蛮貿易による鉄砲伝来が為されるまで、ヨレヨレながらも続いたから、 江戸幕府だって、黒船来航までヨレヨレながらも続くんじゃ…
そりゃ、 「歴史いじって好き勝手やってただで済むと思うな」 ではあるよね……>高兄弟の呪詛
それにつけても思うのは、 大明帝国(1368~1644年)のこと 3代目皇帝は2代目皇帝を反乱で倒し、 6代目皇帝は野戦で捕虜となり、 14代目皇帝は20年以上親政を放棄… こんな国でも250年以…
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