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蘇った吉良上野介  作者: デギリ
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内匠頭の謀反に係る流言

事件から三日後、上野寛永寺で奉答の儀が行われた。

関係者は緊張したが、今度は何事もなく儀式は終わり、その後の懇談で綱吉が勅使に話しかけた。


「予は最近、高齢になった我が母、桂昌院に親孝行を心掛けているのじゃ。

この気持ち、朝廷にもわかってもらえると思うのだが、いかがか」


「孝心は大事なことでございます。

朝廷でも将軍のお気持ちは尊重されるべきと考えております。

我らにできることがあればご協力させていただきたいと思います。

色々と課題も多いかもしれませんが、吉良上野介を取次としていただければ、ご相談も円滑に進むかと存じます」


桂昌院の叙位に前向きな勅使の言葉を聞き、綱吉は上機嫌となる。


「予も帝や院のためにはできることをする所存じゃ。よろしく伝えてくれ」


下座で聞いていた義央は心中ニヤリとし

対照的に柳沢は調子づいた公家にいくらせびられるのかと顔を顰めた。


一方、事件の後始末はまだ残っている。

浅野内匠頭の跡継ぎ、浅野大学を信濃国の諏訪高島藩に預ける処分を行うことが決められた。


(諏訪高島藩と言えば、我が孫の預け先、死去したところではないか)


それを聞いた義央は不思議に思う。


師直は歴史の修正力というものがあり、なんでもできるわけではないと言う。


「何者かの不幸が無くなれば、それは誰かに移される。幸運も同じこと。合わせれば大きな変動はないということらしい。

これは晴明からの受け売りだがな」


ならば、吉良家の不幸を浅野家に押し付けることができたわけかと義央は安堵した。


吉良上野介に綱吉の名で褒美として、三千石の加増が行われる。


「上様からの褒美である。

一層奉公に励むが良い。

まずはすぐに京に向かい、桂昌院様の昇進を確実に実現せよ」


柳沢にそう言い渡され、謹んでお礼を申し上げる義央だが、その心中は感謝のかけらもない。


(前世ならば涙を流して喜んだことだろうが、一旦見捨てられた後はなんとも思わんな。

いや、目の前の男の昇進ぶりに比べれば、将軍の命を救い、桂昌院の昇進を実現するためには安すぎる褒美ではないか)


そう思いつつ退出し、京に行く支度を整える。


「師直、手筈は順調か?」

「赤穂への使者は全て途中で行方不明となっている。

城の受け取りの使者が赴けば、寝耳に水の大石はさぞや驚くであろう。


もう一つの方もすでに実行済み。

淀屋の金を大いに使わせてもらっているぞ」


「それは重畳」


義央は含み笑いをする。

実家の上杉家に帰した妻の富子が見れば、さぞ驚くような悪い顔であった。


それからしばらくして江戸の市中に妙な瓦版が撒かれ、噂が流れる。


「斬首となった浅野内匠頭は、生類憐れみの令などという悪政を行う将軍綱吉に憤り、勅使への奉答という近寄れる機会に斬り殺そうとして失敗したらしい」


「なるほど、前例のない斬首もそれならば理解できるな。

あの訳のわからない最期の置文も、そりゃ何も書けないはずだ」


「内匠頭は、チビの犬公方、豊臣家を滅ぼした徳川が忠義などちゃんちゃらおかしいと吠えたそうだ」


「それは愉快、世直し大明神の内匠頭様だな」


「その壮挙を邪魔したのが梶川と吉良。

内匠頭様は立ち塞がる梶川は討ち果たしたものの、吉良に取り押さえられ、顔面を何度も蹴りつけられたそうだぜ」


「吉良上野介と言えばジジイだろう。

そんなのに勝てないんじゃ、志は立派だが、内匠頭様も大したことはないな」


「素手で刀を払った吉良が達人だったのかもしれねえぞ。

いずれにしても、赤穂藩の遺臣は黙っちゃいねえだろう。

邪魔した吉良と斬首にした犬公方に復讐するんじゃねえか」


「そりゃ見ものだ。

オレ達は赤穂の浪人を応援してやらなきゃな」


その頃、対外交渉役である大名家の江戸留守居役は大忙しであった。


ここは吉原の引手茶屋。

外様大名の留守居役が数名集まっていた。

目的は浅野内匠頭の事件の背景を探ることである。


「ならば、内匠頭の大胆な犯行の裏には、甲府の綱豊卿がいたのか!」


「それだけではない。

水戸の光圀卿は先日亡くなられていたが、筋目を重んじ、自らの跡目を兄の子とされている。

同様に次期将軍は兄の子である綱豊卿とすべきと常々言われていた。

綱豊卿の背後には水戸、更に尾張もついているという噂だ」


「なるほど。

将軍には男子がいない。

娘婿の紀州綱教卿に跡を継がせるつもりというのがもっぱらの噂だ。

御三家筆頭の尾張には面白くなかろう」


「つまりだ、勅使と面会する時は将軍に御用の大名は近づく機会がある。

それを利用して将軍を殺し、一気に綱豊卿を将軍にするという計画があった訳だな」


「それならば当然に内匠頭の本家の浅野も噛んでおろう。

御一門、御三家と外様の国持大名が企てるほど大掛かりな計画ならば、現政権で冷遇されている譜代の名門も仲間だろう。

前大老の酒井家などはその筆頭だな」


「内匠頭も梶川を殺すところまでは良かったが、老人の吉良上野介に阻まれるとは情けない。

それで、内匠頭の失敗でこの話は終わりなのか」


残念そうに一人の留守居役が呟く。

この家は関ヶ原で西軍についたため、冷飯を食わされている。

事あれかしと望んでいるのだ。


「いや、それが一説には、浅野の遺臣が復讐と号して、家老が兵を挙げるのではないかとも噂されている。

確か、家老は石なんとか言う男だ」


「石田ならば三成の再来か?」

冗談のようだが、その言葉は再度の天下分け目への期待がある。


「いや、名は大石だったはず。

こやつの動きに注視する必要がある。


現政権は大名を潰しすぎた。

浪人も多く、不満を持つ大名は多い。

もう武は不要、天下泰平の元禄の世と言われてきたが、流れは変わった。

乱世になるかもしれんぞ」


「そういえば勅使に会うのに将軍は江戸城から呼び出されていたな。

あの事件で将軍の権威も落ちた。

今後は朝廷の威信が復活するかもしれん。

京にも目を配らねば」


綱吉政権に不満を持つ大名家の留守居役は、これからの情報交換を約して、そこで言葉を切り、パンパンと手を叩いて女を呼ぶ。


更に遊女から情報を聞き、また都合の良い噂を流すのだ。

吉原にこそ最新の情報がある。

今や吉原は情報戦の戦場となっていた。


側室の町子から市中の噂話を聞き、それを描いた瓦版を渡された柳沢は愕然としていた。


すでに終わったと思っていた内匠頭の件が大きな噂となり、綱吉政権への不満が公言されていると言う。


町子は兄の正親町のチョンボで柳沢から不興を被っていたために、その挽回と江戸の噂を集めていた。


そこでは極秘のはずの殿中の出来事が、綱吉への不敬極まる罵詈雑言も含めて、瓦版に赤裸々に書かれて江戸市中にばら撒かれているというのだ。


「誰がかようなものをばら撒いているのだ!」


城内で柳沢は下僚を怒鳴りつけた。


「このことは多くの者が現場にいた為に、城内では知れ渡っておりますが、厳しく口止めしたはず。

多少の噂話ならともかく瓦版に載せるなど死罪は確実。

それほど大胆なことをする者がいるとは信じられません」


「瓦版の作成、印刷を調べておりますが、その痕跡がなく困っております。

夜間に吉原のあちこちに配られているとか。

あそこは身分を問わない別世界。

詮議も難しく・・」


目付が恐る恐る言上する。


「何としても犯人を探せ!

更に大きな問題は内匠頭の背後に綱豊様などがいたかどうかじゃ。


くそっ、内匠頭をすぐに斬首にせず、徹底的に尋問すべきであった」


一方、噂に上がっている綱豊や水戸、尾張、浅野広島藩は仰天していた。

しかし、後ろ暗いところもなく謝りにいくのも疑いを深めることになる。

まして疑い深い綱吉のことだ。

どのような言いがかりをつけるか。


一門の越後高田の松平家を容赦なく潰した綱吉のことを彼らは警戒していた。


彼らが集まって善後策を協議すると、それ自体が一層柳沢らの疑いを招く。


幕府は二つに割れて、相互不信に陥っていった。


「良いのう。

淀屋の金で極秘裏に印刷させて、忍者に吉原にばら撒かせる。

遊女に寝物語に話をさせれば、もともと今の将軍に不満のある世の中は一斉に騒ぎ出す。

吉原の住人は客が集まれば大歓迎。

誰も犯人探しなどしない。


加えて、大名向けに将軍の跡目争いを色付けすればそちらも大騒ぎだ。

誰もすでに京にいる吉良がやっているとは思うまい。


ここまで来れば火をつけなくとも勝手に燃えていく。

こんなものまで出てきたぞ」


京都にいながら噂をばら撒いている師直が面白そうに義央に見せるのは、一枚の浮世絵。


それは、曽我十郎が工藤祐経を討ち果たすも、目指す頼朝に行く前に仁田忠常に組み伏せられている絵である。


「なんじゃこれは?」


義央の問いに師直は答える。


「曽我兄弟の仇討ちに寄せて、この度の内匠頭の事件を風刺しているのよ。


曽我十郎が内匠頭、討たれた工藤が梶川、止めた仁田がお主、吉良上野介じゃ。

頼朝、すなわち綱吉を討とうとしたが、お前に止められたという意味よ。


そして、背後には曽我五郎が立ち上がっている。

すなわち家老の大石が志を引き継ぎ、仁田を倒し、頼朝に擬した綱吉を討つと言っているのだ」


師直は面白そうに解説した。


「それは怖いのう。

これが江戸に出回っているのか。

それで当の大石は事態を知っているのか?」


時はすでに4月に入る。

受城使が江戸を出ようとする頃である。


「一切の情報を遮断しているから、のんびりと暮らしておるわ。

普通、一月も江戸から頼りがなければ騒ぎそうなものだが、よほど内匠頭と気が合わなかったのか、心配する様子もないな。


そろそろさすがにどこからか知らせが入るだろう。

慌てる様を報告するように忍者を派遣している」


義央は満足そうに頷く。

桂昌院の昇進の件はどこまで条件を突きつけるかで、帝や上皇も巻き込んで話し合い中である。


「そろそろ、騒ぎ立てる下級公家を締め付けるかな。

将軍を江戸城から挨拶に赴かせた、朝廷の権威の復活じゃとやたらうるさい。


主犯格の岩倉は機を見て、静かにし始めたが、下っ端はわかっておらん。

まとめの話に奴らは不要だ」


その言葉を師直は引き取った。


「ならば京都所司代の仕業に見せかけて、何人かの手足を折っておくか。

水面下でますます幕府に不満を持つだろう。

それでも騒ぐならば次は命を取ろう」


京都所司代の酒井は、反綱吉派という噂に怯えて屋敷に閉じこもっている。

所司代は何も動く気がなかった。


暫く後、強硬派の数人の公家が重傷で道に転がされているのが発見され、それから下級公家は静かになる。


それは、浅野本家からの使者が赤穂藩に入り、家老大石達と面談する頃であった。




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