地味令嬢の静かなる反撃
アリシアは自分の容姿が大嫌いだった。
フェネル伯爵家は財産も立場も中間層、取り立てて特徴のない家柄だ。
そんな家の長女に生まれたアリシアは、幼い頃に決められた婚約者に、恋など出来ない位の罵倒をされた。
幼いアリシアは、灰色の髪に青い瞳の素敵な少年を婚約者だと紹介されて、胸を高鳴らせていたのに。
いつか、結婚する人。
優しい人だと、いいな。
だが、親の目が無くなったその場でグーネルが言った言葉は、酷いものだった。
「汚い顔だな」
「………えっ?」
地味だ、と言われた事ならある。
でも家族は誰もそんな酷い事は言わなかった。
あまりの言葉に信じられず、アリシアは思わず聞き返す。
グーネルは、は、と短く吐き捨てるように息を吐くと続ける。
「何だその、みっともない茶色の汚い染みは。僕の婚約者がこんなに地味で汚いなんて、どうかしてる」
「………しつれいします…!」
気を使って二人きりに、と庭に放置されていた。
聞いていた者は誰もいない。
アリシアは、泣きながら走って、屋敷までたどり着いた。
「どうされました?」
「なんでも、ないの」
口に出すのも嫌だったし、他の者にまで同じように言われてしまったら、と思うと言えなかった。
眉間に皺を寄せた小間使いは、泣きじゃくるアリシアを部屋へと連れて行き、温かいお茶で落ち着かせる。
「わたくし、あの方に嫁がねばいけないの?」
不安そうに聞くアリシアに、小間使いは視線を合わせて優しく問いかける。
「何か、ございましたか?」
でも、やはり、口に出すのは怖い。
アリシアはふるふると首を横に振った。
彼の言った言葉は確かに酷い。
けれど、鼻の上や頬に散らばる雀斑は本当だ。
今までそれを汚いと言われた事もないし、自分も少し残念に思う程度だった。
それが今や、一番の欠点なのだと、恥ずかしいものなのだと思い始める。
婚約が整ったと言われたのは1カ月後だった。
グーネルが気に入って、という理由を聞かされて、アリシアは眉を寄せる。
何故、みっともない令嬢は嫌だと言わなかったのか、訳が分からない。
まだ5歳という年齢では、決定権はないが、希望を口にする事は出来る。
親が勝手に言っているだけなのかもしれない、とアリシアは残念に思った。
婚約者として手紙を書くように、と母から言われたが、何も書いて伝えたい事は無い。
何度もペンを手にしたが、勉強の時とは違ってぴくりとも動かせないまま、アリシアは諦めた。
誕生日の贈り物も、ありきたりで無難な物を贈る。
添えるカードも誕生日を祝う言葉だけ。
偶に開かれるお茶会で会っても、出来るだけ近くには行かずに過ごした。
遠くから漏れ聞こえる仲間内の令息で話す罵倒の言葉も、直接言われる事が無ければまだ、耐えられたのだ。
けれど、二人になればまた面と向かって罵ってくるだろう。
親が二人のお茶会をしようとしても、費用がかかる事を盾に断る。
「わたくし達はまだ幼いので、必要ないと存じます」
そう言えば、まあ、そうか、と親も納得をしたし、先方からお茶会に招かれる事も無い。
憂鬱ながら何年か過ごしていたのだが、10歳を迎える誕生日の日、招かれたドーソン伯爵家の家族が家に来た。
避けようがなかったが、急な腹痛でアリシアは部屋から出られず、妹が代わりに持て成したのだが。
最後の最後に見舞い、という体でグーネルが私室へと通された。
扉は開けてあるが、使用人は廊下にいる。
グーネルは偉そうに部屋を見回して、フン、と鼻を鳴らした。
「趣味は、さほど悪くは無いな。あまり金遣いが荒いと困る。欠点は見た目だけか」
それが見舞いの言葉だろうか。
アリシアは胸も腹も痛みで突き刺される。
だが、どうしても一言聞きたかった。
「そう仰るのでしたら、何故婚約などなさったのですか」
言い返された、と思ったのか、グーネルの美しい顔が歪む。
「何を生意気な。男に口答えなどするな」
「貴方にはもっと美しい方がお似合いでしょう」
正論でぶちのめしても、答えは聞けないと分かって、アリシアは少しだけグーネルを持ち上げた。
褒められたと思ったグーネルは、機嫌よく笑みを浮かべる。
「ああ、だが、仕方ないのだ。お前の家からどうしても、と望まれてな。確かに見た目も悪い、持参金もそこまでは期待できない家の娘など貰い手がないだろう。情けをかけてやったのだから、逆らうんじゃない」
我が家の事情?
その言葉にアリシアは引っかかった。
兄のセザールからも父からもそんな話は聞いた事がないし、妹クロエのやアリシアに贈られる贈り物はとても品がよく高価な物だ。
お金に困っているとは思えなかった。
貴族の中で抜きんでて金持ちという訳ではない、が。
「そうですか。分かりました。お見舞いとお誕生日のお祝い、ありがとう存じました」
大人しくお辞儀をしたアリシアに満足したのか、グーネルはアリシアの部屋を後にした。
普通なら、家の事情と言われれば逆らえない、と諦めるだろう。
けれどアリシアはそれさえ何とかすれば、これ以上嫌な思いはせずに済む、と確信した。
「お父様、お兄様、お話がございます」
翌日、書斎に現れたアリシアを見て、父とセザールは顔を見合わせた。
「どうした?アリシア」
「ドーソン伯爵令息に言われたのですが、わたくしの婚約は我が家が困窮していて、どうしてもと望まれた、とその様な事を仰ってましたが、間違いないですか?」
「はぁ?」
セザールが素っ頓狂な声を上げて、目を剥いて父を見た。
父は何かを考えるように髭を撫でる。
「昨日、クロエから聞いたのだが、グーネル殿はクロエに暴言を吐いたと聞いている。もしや、お前もか?」
アリシアは思いもよらない事にヒュッと喉を鳴らした。
まさか自分が言い出さずに逃げた事で、妹にまでその禍が及ぶと思わなかったのだ。
「……はい」
「婚約を解消するには、弱いな。例え持ち掛けたとして子供の言う事だから、成長すれば治まるとでも言われるだろう」
だが、父が真っ先に婚約の解消を考えてくれた事は嬉しかった。
「では、それは先延ばしにするとして、わたくしにもお兄様とお父様の補佐が出来るように教育して下さいませ。家の状況すら分からぬままでは、いけないと思いましたの」
まだ10歳を迎えたばかりの娘のしっかりした言葉に、伯爵は嬉しそうに頷いた。
セザールの教育係について学び、セザールと話したところによると、ドーソン家とファネル家の立場は逆に近いと分かった。
ドーソン伯爵家はファネル伯爵家と同じ中流の中でも中流。
それなりに領地の特産品で儲けは出るものの、伯爵一家の放蕩ぶりが祟っていつも家計は火の車だという。
ファネル家にも婚約者の誼という事で、今までに何度も金を無心していた。
猶更、今すぐに解消と言ってもきっと離れないだろう、という事が分かる。
そんなある日、アドモンテ公爵家から公女グレイシアの10歳を祝う誕生会の招待状が届いた。
アリシアだけでなく、セザールやクロエにも届いて、何を贈ろうかと楽しく悩んでいる内にあっという間に当日がやってきた。
新しいドレスに身を包んで、公爵邸へと向かう。
普通は園遊会が多いのだが、子供達は室内の会場で、大人達は外でと分かれた。
大勢の同年代の令嬢令息と会うのは初めてだ。
中でも主催であり主賓でもあるグレイシアの美しさは群を抜いていたのである。
その横で彼女の手を引いていたのは、このアルテシア王国の王子レクサスだ。
美しい金の髪の二人は、絵本の中の王女様と王子様のように見える。
二人のダンスもとても美しかった。
そして、他の令嬢や令息も兄や婚約者など身近な相手とダンスを始める。
セザールはまず婚約者のシャノンを誘って踊り、次はアリシアとクロエとも踊るから待っているようにと言いつけた。
二人は壁際で煌びやかなドレスの海を眺める。
そこへ、グーネルが現れた。
「あまり気乗りはしないが、踊ってやろう」
偉そうに言うグーネルの後ろで、ニヤニヤと何人かの令息が嫌な笑みを浮かべている。
そんな誘い方で喜んで手を取ると思っていると思われるのは心外だった。
つい、とアリシアは目を逸らす。
「おい、聞こえなかったか?醜い上に耳まで遠いとは!」
大袈裟に怒鳴って令息達と笑う声に、穏やかな声が重なる。
「醜いのは誰でして?」
先程まで中央で踊っていたグレイシアが、そこには立っていた。
慌ててグーネルも令息達も、周囲の人々も最上の礼を執る。
「お恥ずかしながら、私の婚約者なのです。グレイシア様の足元にも及ばない醜女でして……」
へらりと笑ったグーネルに指さされて、アリシアはカッと頬を染め俯いた。
醜いと罵るだけではなく、晒し者にする意味が分からない。
憧れの美しい人にまで、醜い姿を晒すのは嫌だったが、さりとて一歩も動けないでいると、妹が組んでいた腕をぎゅっと引き寄せて勇気づけてくれるようだった。
お目汚しした事を謝罪するべきだろうか、と悩み始めるが、グレイシアが優しい声音で言ったのは。
「自らの婚約者をそんな風に見下げる貴方の方が恥ずかしいのではなくて?」
「……えっ……はっ……?」
まさか、そんな風に切り返されると思わなかったのか、グーネルの顔が引きつった。
褒めた相手から怒られる事は無いだろう、と下品な考えを持っていたのだろう。
「今日はわたくしの誕生日ですから、あまり醜い言葉は耳に入れたくないの。分かって頂けるかしら?」
にこりと微笑まれれば、グーネルも同調していた令息達も頷いた。
あくまで優しく穏やかな言葉で場を収めて、グレイシアはアリシアとクロエを誘う。
「二人はこちらについてらして」
「は、はい」
クロエの声が緊張でひっくり返っていたが、グレイシアはにこ、と優しく微笑んで歩き始めた。
壁際の従僕が、扉と分かりにくい戸を開くと絨毯が敷かれた階段が上に伸びている。
二階の廊下には扉があり、そこも従僕が開けると中は小部屋になっていた。
大きく開いた窓には白い豪奢な彫刻の柵と薄絹のカーテンがあり、階下の会場が見下ろせる。
「あの場にいるのは辛いでしょう?暫くここで休んで、落ち着いたら戻っておいでなさい。それまでにはあの不埒者達は帰らせておきますから」
「ありがとう存じます」
クロエがはきはきと挨拶と淑女の礼を執り、アリシアもそれに追従する。
「お目汚しして申し訳ありませんでした」
「お目汚し?」
やっとの事でアリシアは謝罪して、きっと醜いからここへ隠されたのではないかという自分の考えを恥じた。
それでも、自分の醜い姿を美しい人の目に宿した罪はある。
ぷるぷると断罪を待ちながら、ドレスのスカートを両手で掴むアリシアに、グレイシアはきょとん、と不思議そうな声で答えた。
「わたくしの目はそんな事で汚れなくてよ」
不敬な事を言ったと顔を上げれば、グレイシアは悪戯っぽくふふっと笑った。
「礼節が人を作る、という言葉があるの。見た目の本来の美しさよりも、それを形作る様々な要素がわたくしは大事だと思うのよ」
優美に長椅子を手で示されて、アリシアとクロエは並んで座った。
その目の前の椅子に、グレイシアも腰かける。
「淑女教育でも習うでしょう?姿勢の美しさ、所作の美しさ、言葉の美しさ。わたくしは知恵や知識も大事だと思うし、矜持や品位も大事だと思うの。容姿の美しさは最後の最後で良いのよ」
それは、美しい人だからでは?
言葉には出せないけれど、顔には出ていただろう。
グレイシアは、ふ、と笑って姿勢を崩して見せた。
だらしなく足を開き、椅子の背に凭れかかり。
「どう?わたくし今、美しくて?」
「……う、美しいと申しますか、大変残念でございます」
正直な感想を漏らしたアリシアに、グレイシアは笑い声を立てて言った。
「うふふ。でしょう?わたくしも恥ずかしくてよ」
スッとグレイシアは何事も無かった様に姿勢を正して、妹のクロエはキャッキャと楽しそうに笑った。
「ね?ですから、恥と思える心も大事なのよ。例え今何より先に容姿だけを磨いても、年齢と共に確実に衰えていくものなの。だから、それまで磨くべきは違うところだとわたくしは思うわ」
ああ、何て方なのかしら。
取るに足らない一伯爵家の、醜い令嬢に、わざわざ身を挺して教えて下さるなんて。
「お言葉、心に刻みましてございます」
「それと、もう一つ」
従僕達が運び入れた食べ物や茶を受け取りながら、にっこりグレイシアは言った。
「反撃も大事なのよ?身を守るためには、きちんと手を打ちなさい」
穏やかで優し気に見えたグレイシアが、苛烈さを滲ませる。
確かにやられるばかりでは、いけない。
アリシアどころか妹にまで危害が及んだし、ファネル家も食い潰されてしまう。
「はい。仰せの通りに」
しっかり目を向けて頷いたアリシアに微笑んで、グレイシアは立ち上がった。
「下でお待ちしてるわ。お兄様のセザール様には事情を説明させてあるから安心なさい。それとね」
扉の所で立ち止まって、グレイシアは振り返る。
「わたくし、貴女の事、醜いだなんて思わなくてよ」
あ……。
何かを言う前に、スッとグレイシアが扉の外へと出て行く。
「良かったね、お姉様」
クロエの声を聴きながら、アリシアは涙をぽろぽろと零した。
家族の言葉が軽い訳じゃない。
でも、家族という愛の元で言われた言葉は、他人の言葉を覆すまでには至らない。
嫌いな男の言葉に縛られる自分は嫌だった。
憧れを抱いたグレイシアの言葉は、ようやくその鎖からアリシアを解き放ってくれたのだ。
「お父様、お兄様、提案がございます」
「おお、どうしたアリシア」
いつもより溌溂とした様子のアリシアに、父が目を瞠り、セザールは笑顔を向ける。
「次回よりドーソン伯爵家からお金の無心がございましたら、わたくしの持参金から貸し付けるという形にして下さいませ。借用書もお作りして」
「……ほう」
「ただの誼でこれ以上金を融通は出来ないと言えば吞むでしょう。それから、結婚の暁には持参金の総額から借入分を除いた金額を持たせる事と、婚約が破棄や撤回、解消になった際には返金するよう文言を入れてくださいませ」
いつ結婚の解消の機会が訪れるかは分からない。
だが、グレイシアの言うように自衛と先手を打つことは大事なのである。
「うむ、お前が望むのならばそうしよう。我々も頭を悩ませていたからな。これで快く金を渡せそうだ」
「向こうの借金にする方法ですからね。よくやった、アリシア」
父とセザールのほっとした笑顔を見て、アリシアも微笑んだ。
グレイシアと出会って、妹のクロエもアリシアと共に学び始めた。
「武器は多い方がいいと思うのよ」
と胸を反らして自慢げに言うクロエは可愛らしく、心を和ませた。
まだ、鏡を見るのは好きじゃない。
それでも、アリシアには目標が出来た。
いつか、グレイシア様にお仕えできるように、自分を磨く時間を惜しまない。
決してあの男への復讐や反撃になど時間は割かない。
未来に必ず訪れる罠を仕掛けるだけで充分よ。
だって、時間が勿体ないもの。
明日は、この続き、罠の発動&ざまぁまで更新します。




