第180話
現在マルスさんのお店には俺とジェスさんとマルスさんの3人だけで、奥の部屋に俺とジェスさんの2人が向かい合って座り、その間にマルスさんが居るというような状況だった。
こうなったのはジェスさんが俺の宝石を欲しがったからで、マルスさんも以前からジェスさんがこの宝石を欲しがっていたことは知っていたらしい。
「詳しくお話を聞いても良いですか?」
「はい」
ジェスさんが俺の宝石を欲しがったのは、亡くなった弟であるフォルスさんが命をかけたというこの宝石を、ただ持っていたいというシンプルな願いかららしい。
サイズは全く違うが種類は同じだし、出来ることならば譲って欲しいのだとか。
「マルスさんはこの話を知ってたんですか?」
「はい、少し前にあの宝石と同じものを今加工しているというお話を雑談中にしまして。ですが、私はあくまでもユーマさんへこの宝石をお渡しすることがお仕事ですから、交渉はユーマさんへ直接行ってくださいとお願いするつもりでした。勿論ユーマさんが手放したくないということであれば、私の方からお断りしようとしていましたし。ただ、まさかこれ程タイミング良く来られるとは思いませんでした」
「運が良かった。私も実物を見たのは今日が初めてだったので」
マルスさんはジェスさんに誰の宝石なのかは言ってなかったらしく、俺にジェスさんとの交渉を受けるかどうかはこっそり聞いてくれるつもりだったらしい。
しかしジェスさんがタイミング良く現れたことによって、隠すことが出来なくなった。
まぁジェスさんは優しい人だし、俺が本気で断れば諦めてくれるとは思うけど。
ただ、それにしてもジェスさんはこの宝石を気に入ったのか、本当に譲って欲しそうな雰囲気だ。
「もしかしてこの宝石はジェスさんにとってフォルスさんの形見みたいな感じですか?」
「いや、そういうわけではないので、無理に譲ってくれようとはしなくて良いですよ。私には栞がありますから」
そう言ってジェスさんは俺が見つけたあの栞を大事そうに見せてくれる。
形見とかなら色々考えたけど、そうでないならこれは普通の交渉をして良いだろう。
「分かりました。では、この宝石をジェスさんに売るかどうかは、条件次第ということにしても良いですか?」
「はい。私もその条件を聞いてから、買い取るかどうかは決めます」
と、ここから交渉が始まるぞ! って感じの雰囲気なのだが、少しジェスさんには待ってもらう。
「お、良かった。今丁度ログインしてきたっぽいな」
俺はある人物にこのマルス宝飾店へと今から来れるかの確認を取る。
「流石にもうはじめの街からいけるボスは皆倒してるんだな」
すぐに向かいますという返事が来たので、俺はジェスさんの待つ部屋に戻り、条件の1つ目を言う。
「この宝石をお渡しする条件1つ目は」
「……」
「今から来る俺の代理人とジェスさんには交渉を行っていただくというのでお願いします」
「はい?」
「お待たせしましたです!」
「あ、小岩さん急に呼び出してごめんね」
「いえいえ、ユーマさんに呼ばれるのであればどこでも行くです!」
昨日変な空気でお別れしたが、今日は全くその雰囲気もないし、やっぱり一晩寝れば忘れるもんだな。
「じゃあ早速小岩さんに今からやってほしいことがあるんだけど」
「何でもやるです!」
「……俺の代わりに交渉して欲しいんだよね」
「交渉です?」
「色々分からないことは教えてくれる人が居るし、そこまで緊張しなくて良いから。俺も横で見てるし」
「わからないですけど、分かったです!」
こうしてやる気満々の小岩さんを奥の部屋へと連れて行く。
「お待たせしました。うちのクランの小岩さんです」
「よろしくお願いするです」
「この店をやっているマルスと言います。今回の交渉にあたって分からないことは私にお聞きください」
「私はあなたと交渉するジェスです。よろしくお願いします」
先程まで俺が座っていた椅子に小岩さんが座る。
「じゃあ今から小岩さんには俺の代わりに交渉をしてもらうんだけど、その内容を伝えるね。まずここにある宝石をジェスさんは買い取りたいらしくて、出来るだけ良い条件で小岩さんには売って欲しい。それは高く売るでもいいし、他の条件をつけるでもいいし、とにかく小岩さんのやりたいように、自由にやってみて」
「分かったです」
「事前情報として入れておくと良いのは、ジェスさんが公爵家の貴族だということ。この宝石を結構欲しがってること。あとは、そうだなぁ、俺に恩を感じてくれてるんだけど、今回はそれを忘れてって言ってるから、この交渉の場において、どっちの立場が強いとかは無いって思って良いよ。あとは隣にいるマルスさんに宝石の値段とか、気になる情報はその都度聞いてみて」
そう言うと小岩さんは早速マルスさんに宝石のことをいろいろ質問している。
「もう一度言うけど、小岩さんの好きなようにやってね。俺の代理人ってよりも、本当に小岩さんが交渉をするならって考えてやって欲しい。それこそ今後情報屋をする時に役立つような条件を付けたっていいし」
「頑張るです」
急に呼ばれていきなりやったこともない商品の取引を任されるというのは、小岩さんからしたら迷惑だっただろうか?
いや、寝起きだからか分からないけど良い感じでいつもより緊張感がなさそうだし、タイミングとしてはバッチリだったかもしれない。
「じゃあそろそろいける?」
「お願いするです」
「こちらこそお願いします」
この宝石をめぐる交渉は、どちらも感情的というよりは、割と静かな雰囲気で始まった。
「ジェスさんとお呼びして良いですか?」
「勿論です。私はユーマ様と同じく小岩さんと呼んでも?」
「それでお願いするです」
「では早速本題に入りますが、その宝石を私は買いたいと思っています」
「いくらでです?」
「1億Gでどうでしょうか」
「この宝石の価値は1億5000万Gです。オークションに出せば更に5000万、場合によっては2億5000万Gまで高くなるです」
「それは言い過ぎです。確かにオークションだと多少高く売れますが、基本的には相場よりも3000万G高くなれば良い方です。どうしてもこの宝石を欲しいと思う者がその場に2組以上居る状況でもない限り、そこまで値段が吊り上がることはありません」
「そうだとしても1億Gは安すぎるです」
「では1億3000万Gでどうでしょうか」
「相場よりも安く買うですか?」
「お金ではなく何か他の部分で2000万Gを補いたいですね」
「2000万G……」
ジェスさんに言われて2000万G分の何かを小岩さんは必死に考えている。
「ジェスさんはどの国の貴族です?」
「王国です」
「王国の公爵家ということは、いつでも王様に会えるです?」
「いえ、そのようなことは出来ませんが、時間を決めて少し話をするくらいなら出来るような立場ですね」
「凄いです」
「ありがとうございます」
俺も知らなかったけど、ジェスさんってそんなに凄い人だったのか。
「……決めましたです。自分が王国に行った時、商売をする時にジェスさんの力を借りたいです」
「具体的にお願いします」
「貴族の集まるパーティーに自分の商品を出して欲しいです。それか、自分がいくつかの商品をお渡しするので、気に入ったものがあれば公爵家の認めた商品として販売させて欲しいです」
「貴族のパーティーに小岩さんの商品を、というのは約束出来ませんが、私が気に入ったものであれば名前を出してもらって構いません」
「それともう1つ、自分がお渡しした商品の感想を教えて欲しいです」
「それは私が気に入った商品以外の感想もですか?」
「全く気に入らなかったものはいいです。気に入ったものと、何か改善して欲しいと思ったものは感想が欲しいです」
「分かりました。商品の数は5つ程度でお願いします。食べ物は出来れば避けていただけると助かりますね」
「分かったです」
これでどうやら決まったっぽい。
意識してかは分からないが、小岩さんは交渉が始まってから全くマルスさんに質問することはなかったし、自分の力だけで交渉を進めようとしたのは良かった。
まぁ俺は全然こういう取引が得意な方ではないと思うし、上から目線で言えるような立場でもないが。
「お疲れ様。結果としては1億3000万Gと、公爵家との繋がりって感じかな?」
「途中からドキドキし始めて、わけが分からなくなったです」
「とても堂々としていて良かったですよ」
「私も見ているだけでしたが、良かったと思います」
皆から小岩さんの今の取引は好評だった。
何よりも良かったのが、貴族であるジェスさんの気分を損ねるような場面がほぼなかったのが良かったらしい。
俺やマルスさんはジェスさんがどういう人か知ってるし、多少失礼があっても笑って許してくれると思っているが、貴族はそういう人ばかりではないため、小岩さんの強気過ぎず弱気過ぎずの絶妙な空気感が良かったのだとか。
「そもそも貴族との交渉など、相場より高く買い取ってくれることはほぼ確定していますから」
「あ、そうなんですか? 俺は貴族相手でも値段交渉をするって思ってましたけど」
「貴族にとって見栄は大事なんですよ。命より重いこともあります」
「じゃあ自分はもしかして大損したです?」
「いえいえ、今回はユーマ様に厳しくお願いしますと頼まれてやったことなので、全くそこは気にしなくて良いと思いますよ。私も少し慣れないことをしました」
俺は事前にジェスさんへ、小岩さんとの交渉は出来るだけ自分が得をするようにお願いします、と頼んでおいたから、小岩さんは相場よりも安く売ることになったのだろう。
実際ジェスさんとしては宝石を安く買うだけでなく、小岩さんの商品を5つ渡されて感想を言うだけだし、気に入った商品があればラッキーで、面倒臭かったら最悪全部気に入らなかったと言えばそれで終わりだ。もちろんジェスさんがそんなことするとは思ってないけど。
「少し今回のやりとりで気になったことをいいますね」
「お願いするです」
こうして交渉が終わったあとはジェスさんから小岩さんにフィードバックをしてもらって、それを聞きながら俺とマルスさんも会話の途中で少し口を出すのだった。