2088年9月16日(木) その1
新宿に立った。埃っぽい空気が不思議と肌に馴染む。きっかり深夜0時、セインはもう来ているだろうか。秋山このみのギアからデータを入手した後、セインは塾ということで一旦お開きになった。12時頃少しだけ会おうということになった。行き先は当然触手クラブの予定だが、さすがに三度目だとセインが激しく抵抗しそうだ。オレは無視することにする。
さて、と、喧騒の中へ足を繰り出した瞬間、手首を捕まれた。
「見つけた」
華奢な指だ。長い爪にはゴテゴテの飾りがしてある。振り向いて、オレは顔を顰めた。
「お前」サイバー課。
今日、いや、昨日みた奇抜な姿の少女がオレの手をしっかりと掴んでいる。
「なんだお前、ストーカーかよ」
「なっ」顔を赤めたのかもしれないが、何分褐色の肌だからよくわからない。
「違う! お、俺はっ、たたただの……」
手で制した。オレは一呼吸置く。
「何の用? どうやってオレを探したわけ?」
「あ、ああ。そのギア、todoro社ってマイナーな会社のDRモデルだろ。そのサイズだし、独特のデザインだがら目立つ」確かに、ゴツいが……。
「しかもあんま売れなかったんだってな。未だに使っているヤツなんてかなり少ないからな。ちょっと調べただけですぐに分かった。お前、有名人なんだな。『ルネのお守りヴァン』」
「……」
今、とても不名誉な二つ名を聞いた気がする。確かにセインもこのギアでオレを判別していたし、DRを使い分けても意味がないことは、たった今証明された。それはそれで考えものだが。なんだ、その『ルネのお守り』とは。
「ちょっと話がしたいんだ。付き合って欲しい。『ルネのお守りヴァン』」
「……」
脳裏にハニーフェイスの幼女が思い浮かんだ。愛らしい微笑みなのに、どこかしら黒さがにじみでている姿だ。確かめる必要がある。どこの誰がそんな二つ名をつけたのか。
「いいよ」
サイバー課の目に安堵が浮かんだのを見取って、オレは当初とは逆の方向へ歩き出した。サイバー課は奇抜な格好だ。これ以上変な噂を立てられても困る。
「で?」
さすがに触手クラブではなかった。大手チェーンのカラオケ屋の一室、鈴木エーナの歌が背後で流れている。ここは実体もDRも利用可能とあって、人気が出ていた。曲名を端末に送れば、音楽とともにイメージにあったARが出る。歌う人を自動的に認識し、音声を増幅させる機能があった。カラオケは3年ぶりだが、あれからさらに進化しているのだろうか。
セインには遅れる旨の連絡をしたら、明日に変更ということになった。すまない。
「何の用なんだよ、サイバー課」
彼? 彼女? の顔が強張った。
「なぜそれを……」バレバレだろうが。
「男、ガサツ、DRの素人、ここまでは誰が見てもわかる」
「……。確かに、DR化したのは、一昨日が始めてだったが。ガサツ、なのか……」
「ガサツだろ。その姿にガニ股はどう見ても違和感がありすぎだろ」
「むむ」
「普通はそんなド素人がサイバー課であるはずがないと誰でも思う。だが、流出したファイルを見て『逮捕する』だ。疑念も木っ端微塵に吹き飛ぶ。発言だけでサイバー課だ」
違うか? とサイバー課を睨みつけると、完全に沈黙した。バレバレすぎて哀れに思えてくる。
「俺……、覆面捜査官なのに」
「ぶ」
吹き出してしまった。まじまじとサイバー課を見ると、顔を伏せて肩を落としている。不謹慎だと思いながらも、声が震えて、腹筋が震えて、肩が震えた。
「っくくく……ふっ」
せめて、口から笑い声が漏れないように、苦心する。ああ、腹が痛い。明日は筋肉痛だ。
「ははは、くッハハ」
我慢できない。ポップな曲に合せて肩が震えた。覆面捜査官はいくらなんでもない。恰好がひどい。素人っぷりがひどい。よっぽど親切な人ならば相手にするかもしれないが、普通の人はまず避けるに違いない。
すぅっと息が吸い込まれる音が微かに聞こえたような気がした。
「笑うな!!」
大音量が耳を突き抜けて、オレの笑いは止まった。
BGMには鈴木エーナの、「トワイライト」。変調のどこか寂寥感の漂うメロディに鈴木エーナの澄んだ声が乗る。6月にリリースされて、未だにトップを譲らないヒット作だった。
「俺は、本当に苦手なんだ。コンピュータなんてさっぱり分からないし、ギアの使い方もよく把握していない」
ぽつぽつとサイバー課が勝手に語り始めた。要旨はこうだ。
当初彼は捜査三課の下っ端だった。あまりに使えないので交番課に行くことになった。たまたま同期で名前も同じ優秀な人物も出世という形でサイバー課に異動になるはずだった。が、職員番号の登録ミスで、見事入れ替わってしまった。公的な処置なので、今のところどうにもできない。
あまり同情できないよな、と思いつつオレは耳を傾けた。出世のはずだったのに交通課に飛ばされてしまった同姓同名の警察官のほうが悲惨だ。南無三。
サイバー課は一部に犯罪者崩れのハッカーやクラッカー、それからコンピュータ犯罪に強い職員で構成されている。目の前の間抜けな人物には不相当に思われた。
「まぁ……」
オレは小さい肩にぽんと手のひらを乗せる。
「諦めろ?」
彼女の潤んだ瞳がオレを直撃した。ガシッと逆にオレの両肩を掴まれる。驚異的な握力で、尖った爪が肩に食い込んだ。
「イッ」「頼む!!!」
痛い、ものすごく痛い。DRにも痛覚がある。痛い。
「俺を一人前の調査官にしてくれえええええええええ!」
「イテェっつってんだろ」
これはセクハラか? 否。実体は男だ、問題ない。オレはサイバー課の股間を蹴り上げた。サイバー課の動きは早くて、オレの脚を両手で抑えた。オレは瞬時に距離をとった。肩がジンジンと痛みを持っていた。この男は……。
「一人前に、なりたいんだよ」
男はしょんぼりとつぶやく。
オレはため息をついた。
「サイバー課、条件次第だ」
ぱぁっとした顔で、サイバー課がオレを見た。
「そっちではドラッグプログラムについて調べているんだろ? その情報がオレはほしい」
「なぜそれを」
「その情報が出せるなら、一人前のDRにしてやるよ」
ごくり、と彼女の喉が鳴った。
「よく見て? 私の言ってることちゃんと理解してるの? こうよ。脚ががに股になってたら駄目。寄せて」
タチバナは容赦なくハルカを蹴り上げた。
「いい? 大切なのはいかになりきるか、ということよ。そのものになるの、心も」
「は、はい」
「もう一度やるよ」
大きな鏡の前で、サイバー課は強く頷いた。タチバナは「こう」とお手本を見せる。オレは、傍観していた。
サイバー課は姿をすっかりと改めた。どうしてそんなアバターを使っていたのかと聞けば、サイバー課のハッカーが作ってくれたらしい。同時にサイバー課の彼に対する評価もよくわかった。バカにされている。彼はハンドルネームという概念もなく、オレは一瞬天を仰いだ。「ハンドルネーム?」キョトンとした顔で聞くので、思わず「源氏名だ」と答えてしまった。サイバー課の名前はハルヒコらしいので、安直にハルカと名づける。姿も、一般人と変わらないようにオレが作り替えた。
胸まで伸びたサラサラの黒髪で、姫カットにする。白い肌、ピンク色の爪で顔の造作はいじらない。かわいいというよりは綺麗な少女が出来た。服も白いワンピースにチェックのジャケット、黒のブーツを用意する。正直に言って、アバターにしたらかなり素晴らしい出来だ。姿恰好を作るのはかなり難しく、技量がないとオレみたいな平々凡々の姿になる。ハルカは、元々ハッカーが作った造作が良すぎる出来で、オレのコーディネートも素敵だ。街に出ると確実に声をかけられるだろうなと思う。
中身がいなければ。
スゲースゲーとガニ股で鏡を見る姿に、オレは軽く眩暈がした。
気を取り直して、タチバナに電話する。
「どうした?」
タチバナはすぐに出た。
「頼みたいことがある。一人、演技指導をしてほしいんだが……」
「へぇ、報酬は?」
「ドラッグプログラムに関する情報」
「俺には利点がないな」
「サイバー課とのコネクション」
「どこに行けばいい?」
そして、タチバナは妙齢の女性の姿で、カラオケ屋に降り立った。
タチバナはプロだ。店は内容上、高い演技力が求められる。外見は子供でも、中身は大人であることを悟らせてはいけない。『アリスの国』は子供たち好きへの楽園なのだ。例えアノ最中でさえ、子供であることを貫き通す。そういったプロフェッショナルな子供にするために、従業員へ演技を教えるのもまたタチバナの仕事だった。
「ねぇ、ハルカちゃん。あなたはとっても綺麗よ。この大きなお目々も、小さな唇も」
タチバナはハルカの唇に人差し指で触れる。何をやっているのか。
BGMはいつの間にかバラードになっていた。
「さらさらの黒髪、淡雪のような肌。私、そういうの好きよ。今にも押し倒しちゃいたいぐらい」
ハルカは呆然とタチバナを見ていた。実体も奥手そうだ。
「でもね、それだけでは駄目なのよ。もう一度言うわね。人はどこでその人物を見ると思う? 外見だけかしら。それだけだったらハルカちゃんはもう完成よ。だけど、誰から見ても、ハルカちゃんは女の子だとは思われないわ。ガサツで無愛想な男にしか見えない」
タチバナはハルカの太股に手を這わせた。
「こことか」
もう片方の手で、ハルカの華奢な手のひらを持つ。唇で指先を舐めた。
「ここもね」
「ッ」
ハルカは頬を紅色に染めて、目をぎゅっと閉じた。
「全部出来てないんだって何度言ったらわかるんだよ!」
あ、タチバナが切れた。
「よく見ろ! これがお前だ」
タチバナは妖艶な脚をガニ股にして、ゴリラみたいな肩を作る。ハルカとそっくりだ。
「これがどうやったら女に見えるんだ? あ? 誰がそんなやつと親しくなりたいと思うんだ? 言ってみろよ」
かれこれ6時間もやっていたら、切れたくもなるだろう。空はもうすっかり明るくなっているはずだ。ガニマタの修正と武骨な手の仕草改善だけでこれだ。まだ歩き方、食べ方、言葉遣い……etcが残っている。二人の演技稽古が熱心すぎて、とてもドラッグプログラムについて聞けそうになかった。
「寝るか」
オレは今更ながら、今のハルヒコで違和感のないアバターを用意した方がよかったんじゃないか、と思う。が、言わないことにする。そっとギアを捻ってオレは立ち去った。




