2088年9月26日(日)
ルネの部屋は彼女の心をダイレクトに反映していると思う。というのは、今日は家具すらない白い空間だったからだ。やる気のなさがひしひしと伝わる。ルネは大の字でうつ伏せになっていた。服もジャージだ。
「何やってるんだ?」
「死体ごっこ」
確かに目が死んでる。
「部屋が白いからチョークで型が書けないぞ」
「いいもん。サイバー課が何かやってくれるもん。KEEP OUTのロープ張りとか」
オレは隣に座り込んでルネの髪を撫でた。
「よしよし」
少しは機嫌がよくなったようで、くすぐったそうに目を細める。
「みんなは何時来る?」
「そろそろだよ」
ちょうど日付が変わった時刻だ。
「よし。充電した」
元気良くルネは立ち上がった。ぽんぽんぽんと家具が飛び出る。思わず顔が引き攣った。
「ルネ、なんだこれ」
「ん〜、癒しだよ」
見事に『アリスの国』を彷彿とさせるインテリアだ。たくさんのぬいぐるみ、くまさん型のテーブル、ソファはパンダさんの一人掛け用二つとぶたさんの二人掛け用二つ。天井からぶら下がるオブジェは小鳥のモービルでぐるぐると回っている。
ルネもくるんと回って服を変えた。
「じゃーん。かわいいでしょ。今日は甘えたい気持ちなんだ」
被っている黒のフードにはネコミミがついていた。
「おー。よくがんばったな」
いつものごとく抱きつこうとしたので、さりげなくパンダさんソファへ避難する。
「むぅ」
唇を尖らせながらも、同じく隣のパンダさんソファへダイブするルネ。おっさんじゃなかったんだよなぁ、と愛らしい姿に生温かい目を向ける。何歳なんだろうか。少なくとも12歳以上なのは間違いないが。
「何?」
「いや、子供っぽいなぁって」
「子供だもん」
大きなペンギンのぬいぐるみをどこからか取り出して、ルネはぎゅっと抱きしめた。
「ルネさ。小さいころから何だか大人びてるっていわれてて、あんまり甘えたりなんてことできなかったんだよね。弟が出来てからは尚更お姉ちゃんで。この姿でも何でかみんなから怖がられてるし。だからさ、ルネ、何だかんだ言っても結局甘えさせてくれるヴァンが好きだよ。多分セインちゃんやカインちゃんもそう思ってるはずだよ」
「ルネ……」
照れ隠しにぬいぐるみに顔を埋める仕草は本当にかわいらしいと思う。胸が熱くなった。オレ、ルネと友達になれてよかった。
「まぁ。最初はヴァンのギア珍しさで近づいてみたんだけどね」
その感動もすぐにふっとんだが。いや、その素直さがオレも好きだぜ。
最初に現れたのはカインとセインで、その数分後にサイバー課が到着した。今日はことの顛末の情報交換と反省会みたいなものだ。
慎吾には事前にオレから連絡した。結局あいつはリカちゃんの仇がとれたら良かったようで、結果にはご満悦だ。
「ドラッグプログラムのソースを手に入れて快楽を追求するんじゃなかったのかよ」
そんな軽口の返しが「結局愛欲から得られるものには勝てんよ」だからな。全く気にしていないのは確かだ。
一堂に会して、改めてルネが奈良国際大学であったことを語った。セインは肩を小さくして震えている。カインはセインの手を握り締めて聞いていた。
「それで、論文もソースコードもなかった。ドラッグプログラムも壊しちゃったけど大丈夫だった?」
壊したのは二宮正も、だが。
「ルネさんとは行き違いだったみたいですね。教授部屋へ向かう最中に叫び声が聞こえましたが、そうですか」
ハルカがスクリーンに調書を映し出した。もう完全に機密なんて守る気がないのがありありとわかる。開き直りは恐ろしい。二宮正の口述は、「ドラッグプログラムと繰り返すのみ」とだけ書かれてあった。
「ドラッグプログラムは無くなってしまいましたが、彼の生徒でドラッグプログラム送付を手伝っていた証人もいますし、ニオさんからいただいた情報で十分に書類送検が可能でしょうね。もっとも、今のままだと精神鑑定コースでしょうが」
「そうか」
二宮正は逮捕された。わずか数時間前のことなのに、一部ではもう話題になっている。それがドラッグプログラムに関連しているからだ。
「でも、騒ぎは直に収まるスよ。しばらくは二宮正の動向が注目されるでしょうが、あれは快復しようがないっスね。妄言繰り返して真相は闇の中っス」
「うん。あの時、ドラッグプログラムのマスターも一緒に壊れちゃったみたいだし、強力なコピーガード、リバースエンジニアリング対策込み、たとえまだドラッグプログラムを誰かが持っていたとしても、使っちゃえば終わり。後は消えて伝説、だ」
エマノンですら解析不可能だったのだ。この先誰もその仕組みを知る者はいないだろう。
悔しそうにルネが唇を噛み締めた。
「ルネが甘かった。まさかあそこでああなっちゃうとは思わなかった。娘のためっていうのは口実だってことは気づいてた。だって、ドラッグプログラムを最初に使ったのって間違いなく二宮正だもん。セインは言ってた。ものすごく上機嫌だったって。それ聞いて、ああ試したんだってわかったよ」
セインは弱く首を振った。
「ルネの所為じゃないよ。父親ながら、矮小な人間だったから。本当に、迷惑ばかりかけてさ」
短髪の少年は自嘲気味に笑った。
「セインは今後どうなるんだ?」
父親は逮捕、このままだと継母と暮らすことになるのだろうが。
「それが、秋山先輩の両親が僕を引き取りたいって申し出てくれたんだ。あそこは一人っ子だったみたいで。僕は継母が嫌いだし、僕もそのつもりなんだけど……」
オレがドラッグプログラムと関わる発端になった人物、秋山このみだ。カインの肩が揺れて、手が離された。
「カイン?」
セインは不思議そうにカインを見る。
まぁ、セインは知らないからな。
オレは頭を掻いて、そっとカインに囁いた。
「聖はそんな子じゃないって知ってるだろ。大丈夫だよ」
「ああ」
弱く頷いた。カインにとって『秋山』はかなりのトラウマとなっているようだ。それでも、また彼女はセインの手を握った。
「残ったのはドラッグプログラムの後遺症、か」
「それなんだけど」
カインが一斉に視線を集める。
「昨日病院に戻って脳波の検査を受けたんだ。その時にやっぱりフラッシュバックも起こったんだけど、どうやら脳波のパターンが統合失調症と似ているらしい。経過次第だが、今は薬で抑えられている状態だ。時間はかかるかもしれないが、治るみこみもある」
セインはほっとしたように微笑んだ。
「僕も明日病院に行ってくるよ。ヴァンも、行っておくんだよ」
渋々と頷いた。
一通り話は終わった。カインの病状など、まだ不安要素があるが事件は解決、という方向になりそうだ。
ハルカと本村弘美も、すっきりした顔でソファから立ち上がる。
「それでは私たちはまだ仕事が残っているので抜けますね」
「ヴァンさん、今度一緒に『密林少女』見ましょう! じゃ、またっス」
なんだよその挨拶は。唖然としているうちにサイバー課は消える。
「それじゃ、私たちも落ちるよ」
「ヴァン、ルネ、ありがとう」
セインは憑き物がとれたような表情だ。カインは相変わらず無表情だが、なんとなく口元が緩く笑っている。
「またな」
片手を挙げたところで二人はいなくなった。
あんなに賑やかだった部屋が急に静まり返って、寂寥を覚える。
「ヴァン」
ルネはスクリーンを出した。
「まだ何か気になっていることがあるのか?」
「わかんないけど」
オレはルネの隣に立った。
ピンク色の瞳はスクリーンの女性を映す。二宮絵里、二宮正の妻でセインの継母だ。
「今回、この女は直接関わってはいなかった。だけどね、どうしても腑に落ちないものがあるの。多々良涼のIPアドレス、そして写真。あれらは二宮正だけでは知りようがない。それにこの女は元todoro社のCEO、当然多々良涼と顔見知りだよ」
「そうだな」
「この女は不気味だ。多々良涼と関わりのありながら、そんでもって二宮正があそこまで狂っていきながら、この女は本当に『何もしていない』。まるで遠くから傍観しているみたいだ。そのくせ、多々良涼のIPアドレスは二宮正に教えてるって? 写真は?」
「二宮絵里はこの一ヶ月間、いや7月からどこで何をしているんだ」
スクリーンが変わる。煉瓦の壁に石畳の道、白人が多いことから外国だと知れる。街につけられた監視カメラだろうか。道行く人の中に東洋人の女が一人だけいた。
「この女、ニオさんの先輩だけあって医師免許も持ってるでしょ。CEOをやめてからフリーの医者をやってるんだ。脳外科では有名らしいよ。二宮正と結婚した後も数ヶ月単位でこうやって海外で働いてるの。今はマルセイユだっけ」
「なるほどね」
オレはその姿をしっかりと目に焼き付けた。今、ルネがもしオレを見たとしたらその険しい表情にきっと驚いただろう。だが口について出たのは対照的にのんきな声だ。
「でもルネ、難しく考えすぎなんじゃないか。そんなに遠くだと二宮正の状態なんてわからないだろうし、ましてやあの男なら自分がジャンキーなことは隠匿するだろ。それにこの女は何せ元todoro社のCEOだ。二宮正が当時の話を聞いたことがあったのかもしれないし、菅野絵里と多々良涼は知人同士だってことを知っていてもなんら不思議じゃない。写真も集合写真のものだったみたいだし、二宮正が目にしていた可能性もあるよ。二宮正が知っていたことだって、単純に訊かれたから答えたんじゃないのか、IPアドレスとか」
「そうかな」
ルネの目は揺らいでいる。
「どんなに疑問が出てきても、謎は謎のままだよ。いつまでも追求していくのはキリがない。なら、ここらですっきり終わりたいな」
「そっか。そうだよね」
ルネはスクリーンを消した。
こうして、ドラッグプログラム騒動はひとまず幕を閉じた。




