2088年9月13日(月)
2088年9月13日(月)
セインからメールがあったのは、あれから3日後のことだった。どこかで会えないかといういたってシンプルな内容で、それ以外は何も書かれていない。オレはセインと格別親しいというわけでもなく、メールですらやりとりをしたことは数えるほどしかなかった。不思議に思いながら、オレはたどたどしく了承の返事をした。
あの日から、何となく大久保には行っていない。元々大久保へは毎日行くこともあれば、3ヶ月ほどまったく近寄らないこともある。今は気分が乗らなかった。だから、セインとは代々木で待ち合わせをした。しばらくあの少年の身体になる気にもならなかった。ガラスが写すオレの姿は、セインと同じような十代後半の身体だ。黒髪で中肉中背、かっこよくもなく、といって格別醜いわけでもない。グレーのパーカーにはき古したジーンズ。まず人々の記憶に残らない平々凡々の姿だ。
22:30。代々木駅西口の端でギアを確認する。約束の時間だが、まだセインの姿は見えなかった。代々木駅も、実体とDRが溢れている。東京は人が多い。やはり少年の姿でくればよかったかな、とため息をついてギアを弄る。セインにオレがわかるだろうか? オレのギアは驚くほど古いため、ろくな機能もなく、当たり前の映像付き通信すらできない。識別信号さえ発することもできないし、受信することもない。壁にもたれかかって、人ごみを見た。
モノレールを使うのは実体のみで、改札口と駅構内はDR避けのバリアが張られている。見事に実体の人間のみの世界と、実体、DRが混沌としてまじりあっている世界に、改札口という境界線が引かれている。意外におもしろい。まるでオレたちDRが異分子みたいに、改札口から先にいけない。ふざけたパンダのDRが改札口に突進しては、見えない壁に弾かれている。DR初心者なのだろう。どうして先に進めないのか、わからないようだった。決められた物のみを通す機能は選択透過性っていうんだっけか、遥か昔に教わった記憶が頭を掠めた。
「ヴァン?」
振り向いたら、高校生ぐらいの少女がいた。DRだ。黒のセミロングに黒のワンピース、少女らしい清楚感がある。表情が固いのは緊張しているからか。どことなく、雰囲気に覚えがあった。
「セイン?」
「あ、やっぱりヴァンだったんだ。そのギア、絶対そうだと思ったんだ」
彼女は頬を染めて破顔した。確かに、今時こんな旧式をつけているやつはいない。オレの複雑な表情に、セインは拗ねた顔をする。
「もう、これがないとわかんなかったんだからね」
「すまない」
オレだけが謝るのは違う気がしたが、セインが満足そうに微笑むので、まぁいいか、とオレも有耶無耶な笑みを返す。
「セイン、それで、用件はなんだ?」
「うん、あの、ここじゃなくて、どこか落ち着ける場所ないかな? なるべく人のいないところで……」
恥ずかしそうに俯く姿が、少女姿にはよく似合った。このセインの様子に、慣れてない男ならきっと勘違いをするだろう。オレは不安になってきた。セインの仕草は打算的な女性のものでもなく、男性が女性に扮した大げさなものでもなく、自然な少女らしさがある。
無言でセインを見ていると、急にはっとしたように彼女が顔を上げる。真っ赤だ。
「あのっ、べ、べつにそんな」
「わかってるよ」
セインが普段の少年姿をしているのは、恐らく知人に見られても他人と認識させるように、という意味だろう。代々木は大久保から近いし、オレたちはよくこの辺で集まる。知人も多くはないが、いないわけではない。
「どこか、そういう場所に心当たりある?」
彼女は首を振った。オレはため息をついた。
「この辺だったら、一ヶ所だけ知ってるよ。後は……、一回リブートしないと行けないな。北海道とか、大阪とかだから」
「じゃあ、そこにいこう」
オレは曖昧に頷いた。
「ヴァン……、ここって……」
セインは引きつった笑みを浮かべながら、壁に向かって指さした。心なしか、顔色が悪い。
「ああ、そうなんだ」
オレは神妙な顔をした。
壁からうねうねと赤黒く気持ち悪いものが動いている。ぬらぬらと薄暗い照明を粘膜が反射していた。
「触手クラブなんだ」
観念したように告白した。セインは何とも言えない表情でオレを見上げる。その顔には、でかでかと「変態」と書いてあった。
「あのなぁ……」オレは触手を避けつつ、壁に近づく。ギアに手を当て、短い信号を壁の小さなアンテナに送った。触手が溶けて消える。
「オレはこんな趣味はないよ。大久保の地下ほどじゃないけど、穴場なんだ。極一部のマニアックなヤツしか知らない。しかもDR専用で、個室。こんな店だから、セキュリティだけは充実してるだろ。秘密話にはもってこいだ」
「そうなんだ」
耳まで紅色に染めながら、無理矢理納得したようにセインがつぶやいた。学生にはまだ早い店だったかもしれない。
伝統的な悪徳の街、新宿歌舞伎町の裏路地にひっそりと構えている店で、すべてARで作られている。そのくせカモフラージュされているので、一見するとただの壁だ。一ヶ所だけDRバリアが張られていない場所があって、そこの壁をすり抜けると、このいかにも如何わしい触手クラブなる場所に出る。オレのクレジットから幾許かのお金が引かれ、この気色悪い部屋に導かれた。
「まぁ、落ち着けよ」
気休め程度にセインを宥めた。触手が消えた後にソファとテーブルが出てきたので、オレは遠慮なく座る。
「う、うん」
恐る恐る、彼女はソファを触った。
「これ、あの変なの出てこないよね」
「大丈夫だよ、オフにしてるから」
「そ、そう」
意を決したように、思い切って腰かけるセインがかわいらしい。オレの隣、距離は60cmほど離れている。隅っこの隅っこだ。想像以上に初々しいぞ。大久保では見たことがない一面だったから、新鮮だった。
セインは一息ついて、ワンピースのポケットから、小さなチップを取り出した。どこにでもある量産品で、缶コーヒー一杯程度の値段で購入できる。
「これ」セインの目は真剣だった。「ドラッグプログラム……だと思うの」
「……」
チップを手にとった。DR化されているが、現物はセインの本体が持っているのだろう。裏を見ると、小さな文字で、256M、と書いてある。256×8×10の6乗ビット。だけど、実際はこれよりもはるかに小さいプログラムだろう。
「3日前あんなことがあって、ずっと怖くて……、それで」
セインの目が潤んでいる。必死に言葉を紡ごうとしては、言い淀んでいた。
「これ、みてみていい?」
小さく彼女は頷いた。
ギアにチップを当てる。チップとの接触部分が一瞬だけ青白く光った。オレの前にスクリーンが映し出され、文字が流れた。スクリーンをなぞって、中身を読み取ろうとした。
「だめだ、壊れてる」
スクリーンの文字は意味をなさない。オレの操作にも何も反応しなかった。ファイル構造さえわからない。
スクリーンを消して、チップをセインに返した。
「コピーガードか使用制限がついてたのかもな」
セインはびくっとしたように反応し、俯いた。
「どこで手に入れたんだ?」
その台詞が引き金となったのか、急にガタガタと震えだす。彼女は背を丸めて、必死に震えを抑えようとしていたが、その姿が余計に大げさに見せた。
握りしめた彼女の手に、雫がぽたぽたと落ちてきた。オレは肩をすくめる。「まぁ、いいんだけど」嗚咽がきこえた。
待った。彼女が落ち着くまで、オレはぼーっと天井を眺めた。セインはここが触手クラブってことすっかり忘れてんだろうな、なんて思いながら。
「それ、学校の先輩から、貰ったの」
ぽつん、とセインが言った。
「一週間ぐらい前に、先輩がおもしろいものあるからって。誰も言っちゃだめだよ、特別だからって」
オレは黙って聞いていた。セインの声は震えていた。
「私、大阪に住んでるんだ。3日前の、梅田で見たっていってた狂った人、先輩だったの。私、その時は実体で、何もできなかった」
DRと実体は、触れ合うことができない。DRはただの映像だから。
「駅の構内に座り込んで、シャープペンシルを自分の手に刺して嗤ってた。でも、血は飛ばなくて、みんな気づかなくて、私も怖くなって、逃げたの」
セインの手に力が入る。
「先輩、昨日死んじゃった」
「……」
「わ、私、ドラッグプログラムなんて知らなかったの! 麻薬なんて、そんな……、知ってたら、絶対使わなかった……! あんな風に狂うなんて、私は!」
オレは、60cmの距離を詰めて、セインの頭を撫でた。さらさらとした髪の毛が指の隙間を流れる。小さな肩。
「ヴァン、助けて」
呟きにもならない、小さな声だった。幼い子をあやすように、撫でつづけた。セインの顔は見えない。
「なぁ、なんでオレ?」
素朴な疑問だ。格別コンピュータにも詳しくないし、コネもない。とても頼りになるとは思えない人間だ。
「ルネのほうが格段に詳しいだろ。カインも頼れるし」
「無理だよ。ルネ、怖いし」
嬉々としてドラッグを語るルネ、わかる気がする。
「それに、カインは、あの、学校の同級生なの」
関わらせるのはまずいな。セインも知られたくない、というように顔を背ける。
「それで、もう頼れるのって、ヴァンしかいなくて……」
消去法かよ。
申し訳なさそうにオレを見るセインに、思わず笑みがこぼれた。普段ルネにやるように、ぽんぽん、と軽くセインの頭をたたく。
「いいよ、できる限りのことをやってみる」




